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キリスト教を否定する元信者さんの話を良く聞くのですが、、

私は、特別な宗教に属することなく生活しています。とても困ったときなど、周りにいる人に少し話すこともあります。 すると、思ったことや意見を言ってくれて、それが、クリスチャンの人だったり、仏教徒の人だったり、新興宗教の人だったり、私のように無宗教の人だったりします。 私は割りと問題を複雑化してしまう傾向があるので、そういう問題に意欲的な人の意見のほうがためになったりします。 そうでない人の話もありがたいと思います。 そのような中で、たまに私も一般的で無理の無い宗教を1つに絞って信仰してみたいという気持ちになったりもします。 それで思っていることがあるのですが、元クリスチャンの人が、キリスト教に欠落があるというような言い方をするのを何度か聞きました。自分は救われなかったというような内容です。また、サガンという作家さんは性格が平坦になりすぎて人間的でないと書いていました。 一度信仰したものの、背を向けて、その宗教のことを良く言わない、、という状態はあまりよくないと思うのですが、それなら、キリスト教はそれを招いているということになるようにも思います。ならば、「すべての人への幸福を約束する」昨日が行き届いていないような。。 しかし、最近クリスチャンの人から良い話を聞いたし、他のクリスチャンの話も、何も無茶なことは言っていないようにも思います。 キリスト教は難しいのでしょうか? 信じてないものは救われない。。教えから背を向けた瞬間に失意を味わう、、、もしそうなら、なんだか少しさびしいような気が。 和国日本人の血がそう思わせているだけでしょうか?

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  • katyan
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回答No.4

キリスト教というのはすごくシンプルで簡単な教えなんですけど、なんか難しく教えているような所があります 権威主義や律法主義的な教えがつまずかせているひとつの理由じゃないかな? ギャンブルをしてはいけないとか、タバコをすわない とか、毎週日曜日に教会に行かなければだめだとか 間違った教えが多いためでしょうね

その他の回答 (3)

  • bender
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回答No.3

予定説について僕は詳しくないので書くことができませんが、アルミニウス主義と呼ばれる異なる立場をとる人もいるし、いずれにしても、こういったことも含めて、まずは教会で、牧師なり神父なり、しっかり説明できる人に質問してみるとよいのではないでしょうか? > 教義の解釈という概念がキリスト教では薄い… 教義は、その信仰する内容ですから、教義の解釈ではなく、聖書の解釈について話しておられるのかと思います。それについては、素朴な考えの人、すごく論理的な人の両方がいると思います。それは、他の宗教についても多かれ少なかれ似た状況だと思います。 例えばイギリスなりドイツなり、古くからある大学には神学部あるのですが、これらの場所で多くの人たちが聖書を勉強したことを考えてみても、論理的な考えをもった人たちが少なかったとは思い難いです。 また、質問された方の上司が、なぜ「周りと溝を作っている」かは知らないのですが、なぜそれが「日本人にとって難解な宗教」と考える根拠になるのかがわかりませんでした。 日本でキリスト教徒は、カトリック、プロテスタント、キリスト教系新興宗教を含めても国民の約1%という結果をみたのですが、このような状況にあって、その内容が日本人にとって難しいかどうかというより、その内容を経験的に知らない人が圧倒的に多いといってよいかと思います。 いずれにしても、キリスト教に関心をお持ちでしたら、是非、お近くの教会を訪れることをお勧めしたいと思います。

  • 3-shew
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.2

私はキリスト教徒ではありませんし、宗教の専門家でもありません。 宗教学、宗教史について、ある程度の知識があるだけです。 そんな私でも以下のことはわかります。 まず根本的なところで。 キリスト教は >「すべての人への幸福を約束」 など、していません。 いえ、これは悪口・批判として言っているのではありません。 純粋な意味でのキリスト教の教義上、そうなります。 現世利益の新興宗教とは違いますから、 「キリスト教を信じたから現世で幸福になれる」 という教えではありません。 それでは、キリスト教を信じて生涯、善良に過ごせば天国に召されるか、と言えばそうでもありません。 この人は救われる人、この人は救われない人、というのは神の意志として生まれたときから運命的に決まっていて、人の行動では変えられません。(→予定説) 自分が救われるかも分からないのに、神の栄光を増すために、キリスト者は信仰しなければなりません。 新渡戸稲造も、この「予定説」の教義を日本人に説明するのに、非常に苦労したようです。 また、キリスト教至上主義者によれば、キリスト教に触れずして死んだ人(圧倒的多数の日本人の先祖たち)は、来世で天国に行くことはありえません。 寺社や道端のお地蔵に対して頭を垂れるのも、「やらなくてもよいこと」ではなく、「やってはいけないこと」になります。 平均的日本人から見て、かなり「難しい宗教」ではありませんか? 立派な活動をしているキリスト教徒が大勢いても、今ひとつキリスト教信者が増えないのもやむを得ない気がします。

googoo0911
質問者

お礼

>>現世利益の新興宗教とは違いますから、 「キリスト教を信じたから現世で幸福になれる」 という教えではありません。 それでは、キリスト教を信じて生涯、善良に過ごせば天国に召されるか、と言えばそうでもありません。 この人は救われる人、この人は救われない人、というのは神の意志として生まれたときから運命的に決まっていて、人の行動では変えられません>> 仏教だと、鍛錬や知識によって、穏やかな心が持てるということになりますが、キリスト教予定説で言われている幸福、不幸の概念はどのようなものかなと思いました。 勿論、教義で言われている幸福と、信仰しようとしている人間が思っている「幸福」にずれが有った場合も、教義とは別の意味で宗教によって生活を穏やかに送れないですよね。 「予定説」、1500年代に起こった宗教革命で、ジャン カルダンという人が唱えたキリスト教解釈論ですよね。プロテスタントに大きな影響を与えたとありましたが。 素人ながら「予定説」は、仏教で言うところの「自然(じねん)」のように思ってしまうのですが、また違うんでしょうね。 幸福は約束できないという「幸福」とは、人間の欲を指すならばそのとおりだと思うのですが簡単ではなさそうですね。 それに、教義の解釈という概念がキリスト教では薄いようにも思います。自分で体得するのではなく「神にゆだねる」ということが主流なので。。 なぜこのような質問をしたかというと、クリスチャンの上司が、全然悪い人ではないのに、周り(私も含む)と溝を作っているからです。 だったら、日本人にとって難解な宗教なのかもしれないです。

回答No.1

私はカトリック信者です。何だか悲しい話ですね。 どの宗教も同じですが、中に入れば同じこの世の人間 関係。 中に入れば入るほど、この世のどの社会以上でもない し、以下でもありません。 でも信仰とはそういう私も含めた悲しい性を持った人 間の救済を求めることです。 キリスト教の本質は一言で言えば「他人も自分のよう に愛しなさい」ということです。 どの宗教も同じでしょう。 でも悲しいことに、世界中で宗教戦争起こってますよ ね。 でもそれも元をだせば、生活の格差、不公平感から きていると思います。 私はいたって簡単に信仰しています。 よりよく生きたいということで。 教会の手伝いも沢山して、嫌というほど陰湿な人間 関係も見てきています。 でもそれが人間なのです。 私もその汚れた一人。 でも宗教を持って救われること多いです。 自分の罪も自覚するし、希望をもつことも出来るし。 主人は全くの無宗教ですが、私を見て「君は本来意地 悪な性格だと思うけれど何か宗教心でそれが出ないよ うな気がする」と嫌味を言います。 でもそれで良いと思っています。 そうやって私が自分を少しでもキリストに近づけば、 宗教はアヘンだ、なんて言っている主人も最後は救われると思いますから。 くだらないことを長々書き連ねました。

googoo0911
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 「君は本来意地悪な性格だと思うけれど何か宗教心でそれが出ないような気がする」 (~~)ほほえましい。。。 宗教同士が争うのも、人間の不公平感(不平不満?)から、というのもうなずけます。 信仰があってもやむをえない状況はあるんでしょうね。 しかし、#2さんの答えにもあるように、信者で無い人間からは難しい世界なのかもしれないですね。 実際に信仰されている方からのご意見は参考になりました。これからも、質問者様の心穏やかな日々が少しでも増えますように、、

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