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誠意の示し方とは?誰に対しても必要な行為・行動とは?
- 質問者は、誠意の示し方について疑問を抱いています。具体的には、土下座などの行為や、謝罪の言葉だけではなく、それからの行動や行為が重要だと考えています。
- 質問者は、土下座などの具体的な行為だけではなく、誠意を示すためには、それからの行動や行為が重要だと考えています。また、日本の風潮や復讐の連鎖についても考察しています。
- 質問者は、過ちに対する行動や行為について疑問を抱いています。する側もされる側も、浅はかで醜い欲望を持つべきではないと考えています。ただし、相手や世間に強要するのはエゴだとも述べています。
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単純な答えを。 人間の行為は全てエゴでしかない。 あなたの誠意を通したいという気持ちさえエゴでしかないのですよ。 色んな面から見れば、誠意を通す行為というのは、自分の偽りない反省の気持ちを表す事でもあるし、また、相手の望む様に行動する事でもある。 たとえば浮気なんかが良い例ですね。 浮気がばれたら、土下座して謝って欲しい女もいれば、どんなにバレバレでもしらを切り通して欲しい女もいます。 めんどいので詳しく語りませんが、よくよく考えてみれば、ここにも様々な欲が隠れているのが分かるでしょう? 過ちに対する行為・行動は、どうあるべきなのが正しいのか? という問題ではないんですよ。 過ちに直面した時に、あなただどのような行動を取るのか。 それが、あなた自身を示すんです。 単一的な答えなんかどこにもありませんよ。 そして、きついようですが、浅はかで醜い欲望を持つべきではない、なんて、青臭いを通り越して、現実見てくださいとしか言えないです。 エゴはいけないものですか? エゴは、あなたをあなたたらしめる最も大きな要因のひとつです。 あなたに必要なのは、エゴを排除する事ではなく、受け入れて制御する術を身につける事ではないでしょうか、と思いました。 まずは、あなたが変わるべきでしょうね。
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相変わらず、君の質問はとても興味深いもので、実に真剣に考えさせられるものだ。 所でね、君の質問に答える前に、君に聞きたい事がある。 自分は、以前も君の質問に回答して、そこで君からお礼と言う返事をもらった事がある者だ。 君のプロフィールのお礼率を見れば、本当に数少ない内の一人だと言えよう。 「誠意」とは何だと思う? 「有り難うございました」と言う形だけでのお礼なら要らないよ。 現に、君が自分にくれたお礼の内容は、少なくともそんな形だけの物では無かった。 謝罪も、感謝も、同じ「誠意」が基本じゃないのか? 君がこの質問で貼った前回の質問でさえ、BAは付けてもお礼はしていないよね。 全てでないとは言え、みんな真剣に君の質問に対して回答してくれていると言うのに。 そんな君が、このような質問をしても矛盾しているのではないのかな? >恐らく、自らの行為・行動を是正出来ないことは、一番ダメなことでしょう。 他に迷惑を掛けても、何とも思わない。当然のものとしている。甘え。横暴。自分勝手。 少なくとも、それは君に取っても言える事ではないのだろうか? 君は頭がいい人間だ。 だからだろうか。 少し頑固で気真面目すぎる部分があるな。 自分を否定される事は、それ程重要な事ではないんだぞ? 反省する部分を認める事は、負けた事にはならないんだぞ? それが理解出来なければ、「誠意」を受ける側になったとしても、その本質を理解するのは難しいだろう。 >自分は許さない。自分からの信頼を勝ち取りたいなら、これからの行為・行動で得てみせろ。 >そんなので良いのではないでしょうか? それは、「最初の謝罪の後」で自然とついて来るものだ。 被害者が、「謝罪しても許さない」と確信する為には、必ず加害者の最初の謝罪が必要になる。 それを抜かして、いきなり初めからそれを望める被害者などいないよ。 大津の件でもそうだろう? 未だに加害者が謝罪してもいない状況で、「自分らの信頼を勝ち取りたければ。。。」などと言う段階に進めるものじゃない。 「誠意」とは、許す許されると言う結論を求める為の言葉ではない。 「誠」は、英語に直した時に「真実」と言う意味になる。 それが、君にはどう言う事なのか理解出来るはずだ。 >多分、怒りや憎しみは、その相手に対する復讐心や報復、思い知らせてやりたい。という、反道徳的に思われる行為ですよね。 「怒り」は、人間の持つ感情の中で「最も根源的な感情」だ。 復讐や報復などの感情の先に「怒り」がある訳ではない。 だから、逆に「怒りそのものを肯定出来ない人間」は、常にその為に復讐や憎しみなどの理由を求め、それに囚われる事になる。 戦争は、お互いが「正義」だから起こるのだよ。 お互いの正義を「形にしようとする」から戦争になる。 平和の意味を考えれば「善も悪も突出してはならない」と言う事になるのではないかな。 >だとしたら、過ちに対する行為・行動は、どうあるべきなのでしょう? 君は、昔嫌な目に合った事があるのだろう? どんなに謝られても許せない、許さないと思っているのだろう? そうでないのなら、「許す側」の感情でこんな事を質問したりなどしない。 ずっと後悔している。ずっと反省している。悔いて悔いて、例え相手が許してくれたとしても、それでも自分自身を許せる日なんて来ない事を、形なんて意味が無いと言う事を、誠意のある人は知っているよ。 でも、人は誰でも、生まれてから今まで、加害者になった事の無い者などいないのではないのかな。 その意味を、しっかりと考えてもらいたい。
- troml
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まず、人は、他人に迷惑をかけられたり、損害を与えられたりした時に、腹が立つわけですが、その内容がそれほど大きくない場合は、口で「ごめんなさい」と謝ってもらえば、「まあいいか」と思えるし、流せるわけですよね。 だから、何か失敗して、他人に迷惑をかけてしまった場合は、取り敢えず口で謝るのが、人間関係を円滑にするための手段です。 口で謝っただけじゃ許してもらえなくて、でも何とかして許してもらいたいと思う場合は、菓子おり持参で謝るとか、場合によっては土下座するとか、労働で償うか、もっと深刻な場合は、相手に与えてしまった損害に見合う賠償金や慰謝料を払うとかして、相手に納得してもらう方法を探るわけでしょ。 で、迷惑を被った方が、相手の形ばかりの謝罪で納得がいかなかった場合は、納得いく形で謝罪するように請求すればいいんじゃないですか?相手が請求に応じなかったら、損害賠償請求とか、慰謝料請求とか、民事訴訟を起こせばいい。 こんな謝罪では納得いかないと思うなら、どうすれば納得がいくか示さなければ、納得がいく解決は望めませんよね。
- 2080219
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こんにちは。 ご承知の通り、個々人の精神性は大きく異なります。 ですが、単一民族である日本人は、 文化や風習といった根本的な要素を共有しているため、 あなたが指定されているような、見せ掛けがまかり通ります。 しかし、例えばアメリカなどの多民族国家では、 精神的な価値観の土台となる信仰すら多種多様です。 ですので、ツーと言えばカーといったおざなりは通用しません。 善悪の基準すら異なるのです。 結果、全て法律を基準に据え、金で決着せざるを得ません。 その分、日本は意思の疎通が、例えそれがどれほど卑しくとも、 ある程度は可能な訳です。 そのような状況の下に暮らしているため、 他人に”誠意”なるものを求めようと欲するわけです。 それにしたところ、結局は金で決着するわけですが……。 以上のように、それがどれほど道徳的価値観に叶っていようとも、 他人を感化することはできないのです。 我と彼は異なる。 交わろうとする幻想を捨てることが必要でしょう。 欲求が煩悩を生み出すことは、釈迦が既に証明しています。 自分の置かれた有様を、ただ静かに観察することです。 それが非常に困難であることも、歴史が証明済みです。 ですが、努力する価値がある事柄とは、まさにそれなのです。 煩悩まみれの私には、おそらく一生不可能でしょうけれども(笑) ではでは(^_^)