- ベストアンサー
過去の暴言に囚われて、未だに許せない人
過去の暴言などに囚われて、未だに許せない人っていませんか? 時間の経過で緩和したものの、完全に心を開けない... 些細な、言動によって「やっぱりこの人って...」ってなってしまう事があります。 あげく「この人は根本は昔のままで、いま同じ事をすると問題になるから、ギリギリのラインを保ってるんじゃないのかな?」... 人間不信ですね。 処方して下さい
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
もう一つの質問に回答させて頂いたものです。 上手く言い表せないのですが、今回も参加させてください。m(_ _)m 所詮、相手の方は他人ですよね。身内じゃないんですよね。 親子や、きょうだい、夫婦が拗れた場合より余程ましです。 親子やきょうだい、夫婦だと、「愛憎」と言う言葉があるぐらい、根深い確執が生まれることがあります。 家族だと、お互い理解し合いたかった(理解を示して欲しかった)、信頼していたかった(信頼を示して欲しかった)という思い入れが強く関わりが深かった分、赤の他人に裏切りを感じたときより、立ち直りに時間が掛かったり、修復不能になるケースが多いと思います。 極端な場合、目を覆う様な事件に発展するケースもあるじゃないですか。 仕事以外は、顔を付き合わさないで済むのだから、その人の前では当面は仮面をつければいいのではないでしょうか。 淡々と業務をこなせばいいのだと思います。 そして、その人が嫌う言い回しや行動は避けて、衝突の少ないやり方を模索して行くより仕方ないと思います。 その方は、仕事の面ではパートナーであっても、家族ではありません。 家族のような深い繋がりは求めなくて良いと思います。 だから、そこまで苦悩しなくても良いのではないでしょうか。 >あげく「この人は根本は昔のままで、いま同じ事をすると問題になるから、ギリギリのラインを保ってるんじゃないのかな?」... 人間不信ですね。 質問者さんは、無理にその方を好きになろうとするから、辛いのだと思います。恐らく、質問者さんは情が深い人だから苦しんだのでしょうが、嫌いは嫌いのままで良いと思います。 誰にでも、どうしても嫌いで食べられない食べ物があるのと同じです(中には好き嫌いなどない人もいるかもしれませんが、そのような人は希ですよね?)。 そして、健康維持のために、どうしても食べなくてはならなかったとしたら、食べ方を工夫しますよね。 結果、好き嫌いを克服できたらどんなに良いでしょう。 食べ物も無駄にならず、自分も健康でいられます。これこそ理想です。 …けれど、どうしても上手く行かない場合もあります。 口に入れると、吐き気までするぐらいなら、もう食べるのを諦めるしかありません。 そうやって諦めたからと言って、嫌いな食べ物を世の中から消そうとまで思う人は、先ずいないと思います。 そして、その食べ物とその食べ物が嫌いな自分を責める人もまずいないと思います。 そして、その食べ物がそこにあるという事実も、自分がそれを嫌いだという事実も受け入れていくのだと思います。 人間関係も、それと同じことが言えることがあります。 それは、二人の間に腹を割った会話が成り立たない場合です。 質問者さんが、その方を許せないのは、その方を無理にでも変えたいと思ってしまうからだと思います。 そして、何故自分ばかりが、いつも折れなくてはならないのだと思ってしまったからではないでしょうか? 無理に変えようとしなくて良いのではないですか。 あるがままで良いのではないですか。 その方にも、いつか、 「自分の今までのあり方は何処か良くなかった。何故、自分はこうも人を傷つけてしまうのだろう?」と、ふと、我を振り返る時期は来るのではないでしょうか。それが今ではないのが質問者さんには腹立たしく、許せないのでしょうが、人の心は自分の力では中々動かせないものです。 自分一人の力で変えようと思ったら、その人の生まれたその日から、今に至るまでの出来事や内面を知り尽くしていない限り、とてもじゃないけれど、変えることは困難です。 その上、自分も相手から信頼されていなければなりません。 信頼されるには、自分も相手を信頼しなくてはなりません。 もしもどうしても、質問者さんがその方から信頼を得たいのなら、自分からその方を許して態度に示すことです。――綺麗な形に拘るのならばです。 どちらが正しかったとか、正しくなかったとか、そんなことから一度離れて、真っさらな状態に戻すために、今までの全てを許すことだと思います。 人を許せないでいると、自分をも罰していることになります。 いつも、過去の恨みに囚われて、心がもがき苦しみ続けます。 相手が自分にしてきたこと、その時に自分の中に湧いたドロドロとしたどす黒い感情がぶつかり合って、自分も相手も許せなくなって二重の苦しみです。 信頼したくないのなら、それはそれで良いと思います。 信頼して、裏切られてを繰り返してきたのなら、許すことに疲れたのなら、もう仕方のないことだと思います。 今まで充分、許そうと努力してきたんですから。 許せない自分を許すか、それとも相手を許すのか。 もう、そのことを考えるのに疲れ果てて、傷に触れるのが嫌ならば、ここまで来たら、自分も相手もあるがまま受け入れる事だと思います。 あるがままを受け入れることは、相手に何か働きかけることではないけれど、これもまた許しなのだと思います。
その他の回答 (1)
- kyokoma103
- ベストアンサー率34% (289/829)
暴言或いはその内容によって人間性を疑ってしまうようなことはありますね。 そういった方は所詮その程度なので、 許すも許さないもつきあわなければいいのでは? 時間の経過によって反省し直したとしても、 単なる表面的なことだけで、 人間性そのものは変りませんから、 状況によってはぼろが出ることになるかと思いますよ。 人間不信というより、 人それぞれ価値観も違ったり、 育ちも違ったり、 等いろいろですから、 ご自分の価値観に合う方と付き合っていけばいいのです。
お礼
人の入れ替えのできない職場で、その人と協力して会社を立て直さなくてはならない状態です。 相手が当時好き勝手にやっていた時と、立場が逆転していて 支持される立場から、支持する立場に立ちました。 何かをきっかけに、その人対する嫌悪感で、「...これ自分でやった方が安全...信用できない...」みたいになってしまいます。 難しいんでしょうね。
お礼
>自分一人の力で変えようと思ったら、その人の生まれたその日から、今に至るまでの出来事や内面を知り尽くしていない限り、とてもじゃないけれど、変えることは困難です。 かなり波乱万丈な生い立ちの人だと聞いています。 出会ったころは、かなり歪んでいて、人間性を疑うような発言の連発でした。 そのころに比べれば今はかなり修正された感じはするももの... 理解しきれないと思います。 ...理想が高すぎるんだと思いました。 お礼が遅くなりすみませんでした。