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神武東征「浪速の渡」の比定地は?

古事記によりますと 東征の旅に出た初代神武は 「浪速の渡」を経て「白肩の津」に停泊したとあります。 後の文に、東大阪市北部の地名である現在の盾津や日下が出てくるので 「白肩の津」は東大阪や大東市、寝屋川市あたりだろうと考えられているようです。 それでは「浪速の渡」とはどのあたりと考えられているのでしょうか。

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  • ベストアンサー
  • nene-k
  • ベストアンサー率42% (118/279)
回答No.1

大阪天満宮の境内には、神武天皇が上陸した地とされる「難波之崎」の碑が建っていますが、これではないのですか? 違っていたらすみません。

noname#90931
質問者

お礼

回答をありがとうございました。 大阪天満宮へは何度も行ったことがあるのに、碑があることに気づきませんでした!  回答をヒントに調べましたら 古事記では「浪速の渡」 日本書紀では「難波之碕」 となっているようです。 難波之碕は上町台地の北端と考えられており、 大阪天満宮より 少し離れた谷町九丁目の生国魂神社の当たりであるとも考えられているようです。 (生国魂神社の由来書にそのような内容が書かれているらしです。) nene-kさんのおかげで答えが導かれました。感謝します!

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