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死期が迫っている患者への態度
- 死期が迫っている患者への態度について考えてみました。
- 母の病状が悪化する中、看護婦の対応について思い出すことがありました。
- 自らのプライドを持つ母がキツい看護婦の対応に怒りを感じていたことを知りました。
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noname002さん、こんにちは。 看護師ではありませんが、病院勤務の者です。 まずは、お母様のご冥福をお祈り致します。 あくまでも、私の私見ですが・・・ >突如、母の二の腕あたりを つかんで、強く揺さぶりながら、大きな声で叱咤し始めたのです。 どのような状況かはその場にいなかったのでわかりませんが、 この文面を読む限りこの看護婦は看護婦失格です。 いくら忙しいからと言ってこのような手荒な事は許されてはなりません 最後に、何年たってもとありますのでお母様が亡くなられてから月日が 経っているのでしょう。 今からでも遅くはありません。その看護婦がまだ勤務しているかどうか はわかりませんが、是非、病院に経緯を話されたら良いと思います。 うちの病院にもこのようなケースで抗議の電話が入ることがあります。 私が電話を取り次ぐ時もあります。 その場で対処できないことは必ず、連絡先をお聞きし確実に返答させて 頂くようなシステムになっています。 私の母は長い間、腎臓を患い人工透析を受けていました。 その事がきっかけで医療の道に進んだのです。 看護婦さんからすれば、たくさんいる患者の中の1人ですが、 あの病院の決して寝心地が良いとは言えないベットの上で1日の大半を 過ごし、顔を合わせると言えばお見舞いに来てくれる家族や友人以外は 看護婦さんが唯一の心の頼りだと私は思います。 お母様が入院されていた病院の今後の為にも是非、勇気を出して経緯を 話されたら良いと思います。 こんな時、よく耳にするのがいつ自分が、また家族が同じ病院で世話に なるかも知れないから・・ よく言う泣き寝入り状態です。 しかし、そんな事を気にする必要など全くありません。 誰かに指摘されて初めて気付くこともあるように思います。 もうじきお盆ですね。お母様はきっとnoname002様のところに帰って 来られるのを楽しみにされていると思いますよ。 うちの母もそうでしょうか・・ お母様の事を大事に思っておられる気持が伝わる文面でした。 どうぞ、元気を出して下さいね。 長文、大変失礼致しました。
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noname002さん、こんばんは お礼を拝見させて頂きました。涙が出ました。 もう8年も経っておられたのですね。 うちは、そろそろ13回忌を迎えようとしています。月日の経つのは 本当に早いものですね。 病院に度々行けなかったことを悔やんでおられるようですが・・ 皆さん、親を亡くすと何かしら思い残すことがあるようです。 親孝行、したい時には親はいず・・という言葉がありますね。 私もそうです。私は、母の死に目に会えませんでした。 高校2年になる息子、中3になる長女はは母の事を少しは覚えている 様ですが、一番下の中1の娘だけは母が亡くなった時まだ赤ちゃんで 記憶がないようです。 私は、兄、姉、私、妹、弟の5人兄妹なんですが・・・ お恥ずかしい話、今は兄夫婦と、独身の弟、そして田舎で1人暮らしの 父しか親交がありません。 その弟は母が亡くなる前に、飲酒運転の車にあてられ少し体に障害が 残っているんです。母は亡くなる前日までこの弟の事を気にして いました。 こんなバカな姉を弟が大事にしてくれとても有り難い です。 今、私にいろんな事があり兄夫婦と弟には本当に助けられて います。 私も、母が亡くなってからもうこんなに月日が経ったとは信じられない でいます。 よく、亡くなった母と祖母が 「人は死んだらお星様になって空の上から家族や友人をそっと 見守っているんだよ。」と小さな頃から教えられていたせいか・・ 夜空を見るのが癖になってしまいました。 noname002さんのお母様も、きっと天国から見守ってくれていると 思いますよ。 元気を出して下さい。お父様はお元気でおられるのでしょうか? お母様の分もお父様を大切にしてあげて下さいね。 こんな私に言われなくても、優しいnoname002さんのことですから 大丈夫ですよね。 年齢がわからないのですが、私は44歳の関西在住(神戸)のおばさんです。 どうか、ご家族でもう1度よく話をされご自分の納得される道を 選ばれますように。 うちの母はお花が大好きだったのでリビングに母の写真を飾りお花を 切らさずに飾っています。 事あるごとく、お母様を思い出して差し上げるのが何よりのご供養 なように私は思います。 もう1度、最後になりましたが・・ 元気を出して下さいね。 またお会いできるのを楽しみにしております。 再回答、大変失礼いたしました。
お礼
再度の御回答ありがとうございます。 字数制限の関係で、補足欄も利用しております。 このところ疲労ぎみで、お返事が遅れましたが、とても嬉しいです。 くだんの あの看護婦に恨みがましい気持ちを抱く自分が間違っているのだろうか、これからも、あのときの悔しかったであろう母の気持ちを想像しては、ふがいない自分への やりきれない思いを味わわなければ ならないかと、ふとしたひょうしに落ち込むことがありましたが、やはり、あらためて家の者らと話をしてみます。そのうえで、病院側へコンタクトを検討します。 私、marucheeseさんとは近い年齢ですよ、大阪在住です。 marucheeseさんが関西に お住まいの かただということも記憶にありました。 最近、アンカテで、私も先方の御質問に参加し、また私の質問に答えても くださってた かたが、退会なさったらしいと気づいて、ちょっと残念に思っていたところなんです。 とても知的で怜悧な紳士でいらっしゃって、にぶい私へ有意義な御意見を もって、良い視点を示してくださったので、また お話したいものだと思っていたのに。。。 marucheeseさんとは、また お話できたらいいなと思っています。 このたびは、だいぶ気分がラクになりました。 いずれ、今回質問で あげましたことは、前向きに検討し、実行していくつもりになっております。 また、温かい お励ましを いただき、重ねて お礼申し上げます。 ありがとうございました。 本格的な暑さの時期ですから、どうぞ御自愛くださいませ。 それでは、また!
補足
marucheeseさんは、おかあさまの御最後に間に合わなかったんですね。。。 実は私の母が最初の結婚で もうけた娘、私に とっては父親の違う姉ということになります、この姉が、いよいよ母の危篤状態を知らせたあと、急いで遠方から駆けつけてきて、その晩は、母の病室に泊まってくれたのですが、翌朝、今晩以降も付き添うということになるなら、着替えやら、ダンナのことやら、ちょっと手配しておかなければならないので、一旦 帰宅させた、その直後、息を引き取ったんです。 姉は、電車に乗り込んでいる最中だったようです。さっきまで、母の そばにいたというのに、本当に一足違いでした。 思えば、幼くして母の手元を離れて育った姉ですから、本人の心中も、なんとも言えない複雑なものがあったかと思います。 私は、というと、もともと若い頃から大変ノンビリした性格で、母には「グズグズ後回しにしたりして、タカを くくったような だらしのないことばかりしている!」と、よく叱られていました。われながら、この調子では、大事な母の死に目に会えなかったということに なりかねないと、心中秘かに危ぶんでおりましたのです、、、ご自身も親の死に目に間に合わなかったという、母の親しかった人が聞かせてくださったんですが、やはり、こうしたことも、不思議な めぐり合わせのようなものが左右しているようだよ、と。。。 だいぶ以前に、このサイトで、おかあさま亡くされたばかりで、とり乱されているかたを、拙いながらに お慰めしたことがあるのですが、やはり、過去に、おかあさまを亡くされた ご経験のあるかたが、危篤の知らせに、遠方の嫁ぎ先から急遽、病院へ向かったものの、間に合わなかったということを お話され、今夜は、故人の好物だった炊き込みご飯に しましょうかね、、、と締めくくっておられました。 なんでも、母ひとり娘ひとりの お育ちだったとか。私も、もらい泣きしたものでした。 でも、わが子に、大切な人のことを話伝えていけるということは幸せなことだと思います。私は子がありませんから、その点、羨ましいです。 >今は兄夫婦と、独身の弟、そして田舎で1人暮らしの父しか親交がありません。 その弟は母が亡くなる前に、飲酒運転の車にあてられ少し体に障害が残っているんです。母は亡くなる前日までこの弟の事を気にしていました。 そうでしたか。 私も幼児期の薬害から、聴力のほうに障害を持っています。 どちらの ご家庭でも、どんなに結構な ようすに、はたからは見えていても、必ずと言っていいくらい、何かしらの気がかりや問題は抱えているもんだと聞かされたこともあります。 以前の私の質問に御参加くださったおりでしたか、弟さんのことを話されていたのを憶えております。弟さんへの温かい お気持ちが、私にも伝わってきて印象に残っています。 きっと、marucheeseさんたちともどもに、大きな お喜びを迎えられる日が来るであろうと思っています。 死んだ者が星になって、という話も よく聞きますけれど、私の母は、どうやら、ある星に いるらしいです(笑)もっとも、これは、夢のなかで告げられたことなんですが(笑) 私も、ふと気づくと、星の瞬きに気を とられて眺めていることがあります。その僅かのあいだ、知らず知らずに無心になっているようです。 星を眺めるのに良い季節ですね。蚊が困りますが…(笑) 父のほうは、もともと丈夫な体質で、むかしは大変な酒豪でして、しかも非常に酒癖が悪かったりということがありましたものですから、私は子ども時分から激しく憎んでおりましたが、年齢が ずっと下の母に先立たれ、さすがに年相応に、それなりの病気も するようになって、かなり人間が まるくなったなあと思います。 先日、首の後ろに大きな貼り薬を つけていたので、少し揉んだり指圧を してあげましたが、ずいぶん小さく細くなったもんだと思いました。あの、暴れん坊だった人が。。。 ほかに きょうだいが何人いようとも、親の最後、いえ、親に限らず、親戚も そうだったのですが、また、本来は、ただの他人であっても、その人との最後の関わりというものは、これは自分で考えたり思ったりして どうこうできないものがあるように感じています。 私は母に似たのか、体質も虚弱で非力な者ですが、何ゆえにか自分が背負っているものから逃げられないと分かってからは、厳しい状況のなかにあっても、最後に 自分が できるだけのことは してやろうと思います。 うちの母も、お花が大好きでした。 プロとして活動していたことで舞台に上がることも多かったですが、そういうときの お花というのは、特別な力があるというようなことも話しておりました。 生前 親しくしていただいた方たちは、母の花好きを よく御存じで、命日など、華やかな お花を持って来てくださいます。父も喜びます。
お礼
marucheeseさんは、ごきょうだい皆さまとともに、おかあさまの御霊を お迎えになるのでしょうね。私のとこは家族縁が複雑ですので、その点、ちょっと寂しいです。生前の母が、たいへん交友関係賑やかだったことが慰めです。 字数制限の関係で、補足欄も使用しております。 また お話したいですね。 本当に、ありがとうございました。
補足
御回答ありがとうございます。marucheeseさん、来てくださって嬉しいです。 >この文面を読む限りこの看護婦は看護婦失格です。 いくら忙しいからと言ってこのような手荒な事は許されてはなりません >今からでも遅くはありません。その看護婦がまだ勤務しているかどうかはわかりませんが、是非、病院に経緯を話されたら良いと思います。 ハッキリ御指摘いただき、少し気持ちがラクになりました。やはり、そうですか。 一度だけ、くだんの病院の経営主体が変わるというので、今後の参考と称したアンケートはがきが来たことがありました。それの、ご意見記入欄とやらの狭いスペースに、簡単ながらも できるだけの経緯を書いて送り返したことはあったのですが。。。その後どうなっているかは知りません。 母が亡くなってから、もう8年にもなるのを、あらためて確認し驚きました。私の内なる感覚では、せいぜい、ここ数ヵ月ほど顔を見てないな、というくらいの 時の隔たりしか感じないのです。世間で よく言われるように、ちょっと長い旅行に出ているという感じです。実際、以前は、母が旅行に出かけるのを、実家の前で、もの悲しい気分で見送っていたり、あるいは旅行から帰宅した、といった夢を何度か みました。 >うちの病院にもこのようなケースで抗議の電話が入ることがあります。私が電話を取り次ぐ時もあります。 その場で対処できないことは必ず、連絡先をお聞きし確実に返答させて頂くようなシステムになっています。 クレーム関係の電話を受ける お仕事は、ひときわ厳しいものだと聞いています。 御勤務先のようなシステムが、母の入院していた病院に確立されているのか心もとないですし、くだんの看護婦も、とうに勤務先を変わっているだろうとは思いますが >お母様が入院されていた病院の今後の為にも是非、勇気を出して経緯を話されたら良いと思います。 と伺って、それも そうだと思い直しました。 おりをみて、近く もう一度、家の者たちと話し合ってみるつもりです。 ただ、他の看護婦さんや、とくに担当の医師たちには、母は非常に可愛がっていただいたと思います、それが救いです。 >私の母は長い間、腎臓を患い人工透析を受けていました。その事がきっかけで医療の道に進んだのです。 そうでしたか。 初めて お会いしたのはアンカテでしたよね。あちらで最近お見かけしたときに、すでに、おかあさまを亡くされていらっしゃるらしいと お察ししておりました。 うちの母も腎臓は弱点の一つでして、その方面の話を よく しました。親しい御近所にも患者の かたが おられましたし、人工透析を受ける ご本人は、辛いものだと聞いておりましたが、marucheeseさんの おかあさまも、懸命に がんばっておいでだったのですね! >看護婦さんからすれば、たくさんいる患者の中の1人ですが、あの病院の決して寝心地が良いとは言えないベットの上で1日の大半を過ごし、顔を合わせると言えばお見舞いに来てくれる家族や友人以外は看護婦さんが唯一の心の頼りだと私は思います。 本当に そうですね。 ここを拝見して、また思い出すのですが、実は私、仕事と病院通いに疲労が溜まってきてから、母の容態が、とくに変化ない状態が続いたのと完全看護であることに甘えが出て、毎日の見舞いが、1日おき2日おきになった時期があるのです。それに つられたようにして父も、まる1日、見舞いに行かないことがあったりしたのですが、 当時、父に伝え聞いていた話では、何かの順番待ちのときなどに、車椅子に乗せられたまま、しばらく廊下の隅に放置されたような状態の母を見つけたことがあって、そのとき、あの気の強かった母が、グッタリと前屈みになって目を閉じたまま身じろぎもしないでいた、というのでした。 私たちが、一日見舞いに行かなかった日に、そういう姿のままで いたことが何度か あったかもと、今さらに想像すると、たまらなくなります。どんなにヘトヘトに疲れていても、足を引きずってでも、一日も欠かさず、たとえ5分でも行ってやれば よかった。。。! 少し涙が滲んでしまいました。 亡くなった当初の数年間は、お盆や命日は特別な日でしたが、年々、特別さが薄れてきています。なぜなら、きょうまで一日たりとも母を思い出さない日は ないからです。 愛と憎しみとともに あった母ですが、私にとって、あらゆる面で、やはり掛け替えのない、ただ ひとりの人でした。