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『超現実主義とは何か』帯のキャッチコピーについて違和感
アンドレ・ブルトン著『超現実主義とは何か』秋山澄夫訳の帯について質問です。 「自動記述という画期的な方法で、未開の領域 聖なる禁域に垂銛した超現実主義の鍵を解明」 というコピーがついています。 「聖なる禁域」という表現とシュルレアリスムの目的とするものが結びつかず違和感を感じるのですが、実際のところ表現として適切なのか教えて頂きたいです。 それともブルトンはシュルレアリスム的思考を「聖なる禁域」のように捉えていた節があるのでしょうか?宜しくお願い致します。
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(1)「違和感」はそれほど感じません。「聖なる禁域」はちょっと踏みこんだ言い方かになっているかもしれませんが。フロイトからの影響もあったのですが、むしろフロイトを含めて、いわゆる「明晰な意識=自我」というモダンなスタンスに対する「疑念」が知的世界の底流にあったのだと思います。いわゆる「無意識の領域」というやつですが、これはいま(「心の哲学」や「ギブソン心理学」などの認知理論の「いま」という意味です)から見ると、ちょっと「超自我」だの「欲動(性本能)」だのといった術語にみられるように「世間の健全な常識に逆らってやれ(まるで逆らうことに意味があるかのように)」という傾向があり、そこがちょっと「まゆつば」よいうか「非科学的というか」、論理的な無理があります。そこが「違和感」だとおっしゃるなら分かります。オビの趣旨は、「意識の領域」を食い破ると「道徳を越えた反俗的な」「聖なる禁域」というわけなのでしょう。 (2)ブルトンの作品を読めば、そういう「節」を感じるのは、もう「読み手」の問題です。「節」ではなく「事実」かどうかなら、専門家なりの研究におまかせです。自動記述なんですから、なにも「禁域」ばかりが記述されるのはかえってヘンです。平凡な鉛筆と消しゴムが机のうえで出会ってもいいはずです。それを「性的」に解釈するのは、禁域派が嫌いな「近代的合理的意識」なのですよ、これが。 こんな感じでしょうか、とりあえず、第一感まで申し述べました。
その他の回答 (1)
哲学カテゴリーのQ&Aに哲学の質問がなされていないのと同じ現象ではないでしょうか。
お礼
そうですか。回答ありがとうございます。
お礼
丁寧な回答ありがとうございました。 仰るとおりシュルレアリスム運動の中の過剰な部分に覚えていた不整合さが違和感になったのかと思います。 一般の道徳に対しての禁域という表現だと納得致しました。