No.3つづきです
他出のついでに図書館へ寄りました。
再確認と整理をいたします。
今回の件は、句の情景から意味の推測はつきますが、
用字の典拠未確認により、腹にすっと収まらないことが発端です。
前回の回答と今回確認した事項を整理しておきます。
なお、文中[憃]は[惷]の日を臼に置き換えた字です
課題:句中の用字[惷昼]の意味は?
これは[春昼]の謂いではないか?
ついでに読みは?
1.参考資料:
(1)一般の国語辞典・漢和辞典 含むWeb辞書類
(2)『字統』白川静
(3)『大漢和辞典』諸橋轍次
(4)『日本国語大辞典 』小学館
(5)『季語秀句用字用例辞典』斎藤慎爾 阿久根末忠
(6)Web[漢籍電子文献(典籍460種超)]の全文検索
(7)Web[国語辞典修訂本(全語句に出典/用例)]民国教育部
2.現在までに分った事:[惷昼]なる用字用例は(1)~(7)に未発見。
3.遭遇した問題:類似の漢字があり歴史的に混同の気配があること。
成り行き上、以下のとおり確認((1)~(7)の詳細省略)。
(8)[惷]シュン =[蠢]とも『大漢和辞典』
みだれる、あつい(厚、惇に通ず)
(9)[憃]タウ・ショウ・シュ・チョウ
おろか、にぶい、おろかでくらい
(10)[蠢]シュン
うごめく、むしがうごく
*それにしても(8)(9)(10)とも意味が似ていますね。
*(6)においては多数の典籍で(8)の記述がいくらでも登場します。
春秋の頃から既に両者の通用・混同とみてよいのでしょうか、
文字の成り立ちは全く異なるのですが。
(8)と(9)が同意とした記述も見当たります。
発音は(9)のみ子音語尾なので、(9)が(8)や(10)との混同は起きにくいはずなのですが。。
*おまけ:墨子詁巻四/兼愛中第十五:
『愚夫憃婦皆有流連之心』、[憃]原訛[惷]、據北宋本
--“流連”寄り沿う、離れられない
4.念のため[春昼]をあたっておきます。
(11) (6)でいくつも[春昼]の用例あり。
(12) (5)に記載あり、[春昼]しゅんちゅう[季]春の昼・春の昼間。
(13) (4)に記載あり、[春昼]しゅんちゅう[季・春]のんびりと長く思われる、春のひるま。
5.しかし、問題はなぜ[惷]字なのかです。
どこからも[春]の字義につながりません。
6.推測:前回回答の傍証を引きます。
即ち、例句を探すと、[惷蘭]や[惷爛]を用いた句があります。
また、俳句の歳時記の某サイトでは、[惷]字で例句を引くと[春]に置き
換えています。さらに、俳句のあるサイトでは、春につながる文字として
列挙される一つに[惷]があります。
前回の解釈の “[惷昼]という詞ではない”を撤回します。
[惷昼]なる用例が句の世界では認知されているとしても、用字法としていかがでしょうか。
字面に[した心]がついていると、春の情が一層深まるのでしょうか。
前出の[惷爛]などはその典型のような心象風景でしょう。
読みは“しゅんちゅう”でよさそうですね。
そもそも文字に引っかり、やや手間がかかりましたが、
おかげさまで歳時記など初めて手にしました。
いずれ何かの足しになるかもしれません。
俳句へのお誘いをいただき恐縮です。
おのれの「才蔬学浅cai2shu1xue2qian3」を思い、すべからく控えめにいたしております。
(逆に読むと浅学菲才みたいですね、意味もその通りです)
お礼
ありがとうございました。 大変勉強になりました。諸橋さんの労作の辞典 他多くの辞書類に あたってくださり、ただただ感謝でございます。 調べを拝見するプロセスで、 [山又山山桜又山桜 阿波野青畝] という句を絶賛する人が多く、気になって調べ 山又山、○又○のパターンが阿波野さんの作品以前に ポピュラーに使われていて、古くは唐の詩にも顕現し、 絶賛の理由がわからなかったときの ことを思い出しました。 お手をとりました。