寺山修司
下の二つの短歌の解釈を自己流でしてみたのですが、間違いないでしょうか。
ある方に聞かれたのですが、こういう解釈で良いと思われますか?
あるいは、他の解釈が浮かばれた方がいらっしゃいましたら是非教えて下さい。
1、『マッチ擦る つかのま 海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや』
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寺山が、好きだったトレンチコートの襟を立てて埠頭に佇んでいる。
彼方には、大きな船が太い鎖の先に連なる赤錆色の錨を海底深く降ろし停泊している。
霧が深い夜で、遠くで霧笛が聞こえる。
煙草を吸おうとしてマッチに火をつけると、朱赤の煌きに自分を含めた周囲の大気だけがぼんやりと浮かび上がった。
そのさらに外側は濃い霧に包まれたままだ。
その霧に包まれながら一瞬浮かびあがった自らのシルエットに、
「俺は俺自身以外の何者でもない」という、「俺というものの本質」を唐突に意識した。
「社会的人間って何だ?」
「第一、国家って何だ?」
「こんな国、捨ててやる!」などと思うことすら愚かしい、個人を束縛しようとする単なる機構にすぎないではないか。
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といったような感慨が沸き起こった末の作品であるように感じます。
2、『海を知らぬ 少女の前に 麦藁帽の われは両手を ひろげていたり』
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寺山、子供の頃の回想でしょうか。
もしかすると初恋の思い出かも。
夏休みのある一日、理由ははっきりと覚えていないが偶然その少女と二人きりになった。
少女は海を見たことがなかった。
寺山は何度か見たことがある。
少女:「海ってどんなものなの? 」
寺山少年:「すっげくおっきいんだ。」
少女:「すっげく、って・・・、どのぐらい? 」
寺山少年:「・・・。こ~んなぐらい。」
と言って、幼い彼は精一杯手を広げた。
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お礼
ありがとうございます ↑ の中にはなかったです 読み漁るしかないですねぇ