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差別について

世の中にはまだまだたくさんの差別が残っているのは残念なことです。 ただ、私は、差別をこの世からなくすのは無理だと考えています。 それは、私たちは人間で、他人と差を見出そうとするからです。 なので、差別で人を傷つけないようにする方法を考えました。 人間は誰でも差別をしてしまう。だけど、自分の心の中だけで差別をし、 表には決して出さない、あるいは差別をしていることを他人に悟られないように したら、差別をされる人は、自分が差別をされている事を知ることなく、 傷つく事もないと思いました。 もちろん、差別をされているのではという疑念を抱かれないように、 本当に心の中だけで差別をするのです。 もちろん、差別は良くない事です。 そのことは十分承知しています。 また、この質問は差別を肯定しているものではありません。 この考えに対し、皆さんどのように感ましたか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • donchan2
  • ベストアンサー率17% (17/99)
回答No.1

余程のポーカーフェイスでないと厳しいですね。

marshall
質問者

お礼

今まで自分はこれを実行してきましたが、自分はポーカーフェイスだったんですね。 一部の人には私の方法は有効というという意味であなたの回答を解釈します。 ありがとうございました。

その他の回答 (16)

  • usap
  • ベストアンサー率33% (525/1577)
回答No.17

何から何まですべてが差別ではありません。 「人を傷つけたことがない」そんな人はいないと思います。 もしもそういう人がいるとしたら、よほど鈍い人だと思います。 marshallさんが差別に対する自分の考えに固執する理由は、おそらく他の質問に回答されたことでの影響だと思っています。誰でも自分の意見に耳を貸して欲しいし、否定されればばかにされたようないやな気持ちになるものですね。では意見しなければ良かったかのかもしれませんが、言わずにはおられない状況というのもあるものです。はじめから首をつっこまなければいやな思いをすることもなかったはずだけど、なぜか人は首をつっこんでしまうようです。そういう衝動に駆られます。心の中だけでとどめておく事は難しいことだとmarshallさんもわかっているはずですが。 私からいわせれば、心の中で差別することは「ばれなきゃいい」と浮気をするようなもんだと思います。公に宣言して「ばれなきゃいいんですよ」なんてことを言う人に対しては人間性を疑います。確かに知らなければ傷つきません。でもそれは相手が気付いていないだけで、自分が相手を侮辱していることに変わりはないと思います。誰にもばれなくとも、その卑しい心は自分が良く知っています。 社会に出たとき、会社や会社の同僚に自分の思うこと(本音)を何でも言ってしまうのは自分がやりずらくなるからしないと思います。きっと誰でもそうだと思います。 差別が理由だとしても、あからさまにそうとは言わないこともあるかもしれません。 ただし、友達関係であったり、信頼関係がある場合は、何かについて本音で議論することはあるだろうと思います。恋愛であればある瞬間に「こんな人だとは思わなかった」と別れることもあると思います。それは差別ではなく、議論とか口論とかケンカです。人間関係のものです。差別なんていう卑劣なことではなく、誰にでもあるような意見の食い違い、考え方や価値観が違っているだけだと思います。個性の違いを認め合う前にぶつかることはよくあることです。 差別は、その人個人の個性や人間性や人格などを無視して、その人の環境やその人にまつわる何かのイメージで勝手な推測や判断を悪い意味で行うことだと思います。つまり先入観や偏見です。 人間関係は難しいものです。黙っていたら黙っていたことを責められることもあるし、言えば言ったで責められることもあります。 単純に「心の中にとどめておけばいい」で済ませられるようなことは、そんなに多くはないはずですよ。心の中にとどめておかなくてはいけないような差別意識を持っていれば、物の見方を変えることが必要だと思います。

marshall
質問者

お礼

>公に宣言して 私の考えの場合、自分の心に隠したままなので、 公に宣言する事はありません。 >単純に「心の中にとどめておけばいい」で済ませられるようなことは、そんなに多 >くはないはずですよ。 そうですかねぇ・・・。 >心の中にとどめておかなくてはいけないような差別意識を持っていれば 質問文では私は差別はなくならないものとして考えていました。 ありがとうございました。

  • ebinamori
  • ベストアンサー率21% (96/439)
回答No.16

よく考えれば確かに2は1に含まれるかもしれませんね。 私が言いたかったのは 差別しなければいけない事とそうではない事というと良いかもしれませんね。 前者は能力の問題です。後者は能力以外によるものです。 前者であれば勉強で言えば理解力が優れているならどんどん教えてやるべきだし 理解力に優れているといえないならばうやむやにしないで一つづつじっくりやるべきという事です。 後者は人種、性別などによる差別です。 また勉強に例えるなら~人だから教えないという事です。 能力に違いが有るのに扱いを変えないなんて逆に問題が有ると私は思います。 嫉妬による差別は能力の問題とも言えると思いますが あくまで前者は能力に応じた扱いをするという事なのでやはり後者に分類されると思います。 >この場合、車椅子を利用している人にスロープやエレベーターを設置して、 扱いに違いをつけるようなことも含まれるのでしょうか? 前者に含まれるのではないですか? ひつの偏見を根絶する事 私が体験した事でもないし知っている事でも有りません。 ですがこうしたら良いのではないのかという考えがあります。 (ちなみに今までに根絶されたであろう偏見があるから書きました) 一人でも良いからその偏見の間違っている部分を指摘して 理解を得る事だと思います。 これを60億人にすれば根絶されます。 根絶という表現は良くないかもしれませんね。 ほぼ0に出来るとは思いますよ。 ただし自分が生きている間というのは出来れば奇跡でしょうね。 自分の周りだけでも出来るかどうか難しい所でしょうね。 少なくともいくら離れていこうがこちらからよらなければ無理でしょうね。 学がないので思いつきませんが昔あった偏見が現在なくされている事も数多くあると思います。 それらは上に上げたようなことをした結果ではないでしょうか? 一人の意見を変えるなんてとても大変なことを全人類に隅々まで するなんて偉業ですね。 >人種に優劣はないとしても、個々人に優劣は必ず存在すると思いますが、 どうでしょう。 そりゃそうでしょうね。 それは能力の問題ですから。(人格のことをいっているのではないですよね?) >自分よりすぐれていると思ったのは、差が無いとしっかり 認識ができてないんじゃないですか? この差とは人種などによる差の事をさしていて 優れているというのは能力のことをいっています。 あんまり関係ないですけど なんかの映画で「黒人が白人と同じポジションにつくには2倍の能力があり3倍の努力をしなければならない」といっていたのを聞いて 末恐ろしいなと思いました。 こういうことを考えている人にはおそらく敵わないなと思いました。 差別する人間で同じポジションにいたらそれはとてつもなく矮小な存在なんだと思ったのです。 私は倫理的な意味で差別が良くないという以上に自己防衛のためにも差別はしない方が良いと思いました。

marshall
質問者

お礼

>自己防衛のためにも 憎しみの連鎖ということですかね。 なるほど。そういう考え方もありますね。 ありがとうございました。

  • jun95
  • ベストアンサー率26% (519/1946)
回答No.15

先の回答では、失礼をしました。差別をこのように考える人は、うつ病の人を差別するだろうと言うのが私の偏見です。 しかし、私が言いたかったのは、偏見というのは、たとえば、「関西人はげすである。」というような常識的なものの見方をさします。これだけでは、まさに、こころの中での出来事なので、相手に嫌な思いをさせることもありません。 わたしが、その偏見に基づいて回答しなければ、marshallさんは、傷つかなかったはずです。このような実際の行為が差別です。 「差別」は、何かすることですから、相手から、求められることがあります。わたしが、marshallさんに恋をして、つき合って欲しいといったとき、たぶん、うつ病に罹る人は、気力が足りないからダメな人だと思って、にべもなく断られるかもしれません。 この場合、こころの中でのことで済まされません。 そうだとすれば、この場合、こころの中だけで差別すると言うことはどういうことなのですか。 部落差別にしても、部落の人から求婚されたりするときに生じているからです。

marshall
質問者

お礼

>うつ病に罹る人は、気力が足りないからダメな人だと思って、にべもなく断られる >かもしれません >そうだとすれば、この場合、こころの中だけで差別すると言うことはどういうこと >なのですか。 私の考えで行くと、「鬱病だから」でなく、他の嘘の理由を考える事になります。 ありがとうございました。

  • ebinamori
  • ベストアンサー率21% (96/439)
回答No.14

前の回答を踏まえてみていただきたいのですが 補足要求したのですが1,2どちらなのですか? 話がややこしくなるんですよ混同すると。 1は悪い事だと思わないし 2は悪い事だと思うのですから。 1で傷つくのは甘えですよ。そんな人間のことを気遣う必要ないですよ。 なぜ偏見は根絶できるのか? これは書き方が悪かったですね。 一つの偏見を根絶できるということです。 新たな偏見も生まれているのですから いたちごっこになり新たな偏見が生まれるより 一つの偏見を無くす方が確かに時間も掛るでしょう。 これは偏見がなくならないことになるかもしれないですけど(つまり偏見という絶対量は増えつづける) あなたの考えは確かに効率的かもしれません。 だけど賛同できないんですよ。 嫌なことは目をつぶるような真似だからです。 格好悪いです。(別にかっこいい必要もないですけど) 一つづつでも偏見を無くすほうが人間らしいとも言えるかもしれません。 差別(2)を口にする事が悪いなんて当たり前です。 だけれどもそれは間違っているにしろその人の考えなんです。 いろんな考え方があるんです。 その考え方が伝わった時に信用できるんですよ。 それは逆に考え方が伝わって信用できない人間も出来るという事です。 ですが考え方が伝わらなければ何も判断基準がないではないですか。 私の言う信用とは人格に対する信用なので もし質問者さんの言うことを実行してそれで信用してしまったら ただの盲信ですよ。 私はそういう危なっかしい事はしません。 第一偏見だと分っているのに差別するなんて そんな人間いないですよ。 偏見だって分らないから差別するのですから。 偏見だとわかるということは 「劣等人種だと思っている」という考えを持っていてそれが常識だと思った人が 「この世の中に優劣のある人種はない」と分る事ですよ。 その上で差別することなんてありえますか? ちなみに差はないと分っているけど自分より優れているのが気に入らないから というのは差別(2)ではないですよ。(1に相当するかもしれませんね) ただの嫉妬です。 嫉妬を隠せる訳ないじゃないですか。 最低限そこまで出来た人間がいないから差別があるのですから。

marshall
質問者

補足

1,2どちらなんですかというのは、私の言う差別はどちらなのかと 聞いているのですか? >(1)ある基準に基づいて、差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また、その違い。 この場合、車椅子を利用している人にスロープやエレベーターを設置して、 扱いに違いをつけるようなことも含まれるのでしょうか? それと、 私は1も2も同じように感じられました。 偏見や先入観も、なんらかの基準に基づいて行われるものだと認識しています。 そして、二つの後半部、 >扱いに違いをつけること >不利益・不平等な扱いをすること これらの違いが分かりません。 よろしければ、具体例をあげていただけるとうれしいです。 >一つの偏見を根絶できるということです。 その方法を是非教えていただきたいです。 こちらの方がもちろん私が質問文で述べた方法より いいに決まっています。ただ、その方法がわからない (考えたが見出せなかった)のです。 >「劣等人種だと思っている」という考えを持っていてそれが常識だと思った人が >「この世の中に優劣のある人種はない」と分る事ですよ。 人種に優劣はないとしても、個々人に優劣は必ず存在すると思いますが、 どうでしょう。 >差はないと分っているけど自分より優れているのが気に入らない 自分よりすぐれていると思ったのは、差が無いとしっかり 認識ができてないんじゃないですか? 以上、補足をお願いします。

  • yottimama
  • ベストアンサー率28% (36/125)
回答No.13

こんにちは。 >この考えに対し、皆さんどのように感じましたか。 のご質問に対しては、とてもユニ-クな考えかと思いました。 いくつか疑問に感じたことを書きますね >本当に心の中だけで差別をするのです。 この場合、態度はあくまでも普通に接する訳ですよね これって、多くの人が経験されてることだと思います(心の中で相手を見下し、表面上穏やかに話してみたり・・) だけど、心と態度が別々だと疲れてきませんか? そんな自分をイヤになりませんか? 差別(相手を軽視)した事の反省が入る余地がないように感じますが。 心の中で容認してしまうと、必ず態度に表れると考えいるので、私にはとてもむづかしい行動です。 人はみな、初めから違うのです。その違いを本当に認め合わないと、その違いを優劣だけの評価で判断してしまい、 優が良い人間で劣は悪い人間と、その人の全人格を否定してしまう差別という、とても狭い考え方の人間になると思います。 差別もまた、世代から世代へと引き継がれていきます。 無くならないものと決め付けず、今が10の差別があったら 次は9にその次は8へと無くす努力をしたほうが、気持ち良くありませんか?

marshall
質問者

お礼

やはり隠すのは難しいんですね。

  • ebinamori
  • ベストアンサー率21% (96/439)
回答No.12

(1)ある基準に基づいて、差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また、その違い。 (2)偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また、その扱い。 1,2どっちなんですか? 二つをあわせて考える事は出来ません。 1の差別なら傷つく方が悪いです。 傷つくのならその前にそれを補えるだけの何かをすれば良いです。 保護される事ばかり考えてるんじゃないといいたい。 また、これは前の回答にある生物が生きていく上で必要な事だと思います。 しかし2は生物に必要ありません。 偏見なのだから根絶する事は不可能ではないはずです。 本当に気遣ってくれていると感じますか? 「私は~だけどみんな気を使ってくれてるんだ」って思うんですか? 1でこういう風に思うなら負け犬だし 2でこういう風に思うなら「~だけど」なんて思う必要がありません。 一番差別を不当だと思っているのは差別されている人ではないのですか? 心をさらけ出さないのにそんな人間信用できるわけないじゃないですか? そんなの気遣いとはいいませんよ。 気遣いとは理解しようとする事ですよ。 質問者さんの考えを実行をすれば差別をしている人は一生これは偏見なんだということに気付かないんですよ。

marshall
質問者

お礼

1であるにしろ2であるにしろ、 人を傷つけるのはよくないことです。 被差別者が悪い事もあるかもしれませんが、 全てがそうとは限りません。 >しかし2は生物に必要ありません。 >偏見なのだから根絶する事は不可能ではないはずです。 何故だか教えてくださればうれしいです。 >心をさらけ出さないのにそんな人間信用できるわけないじゃないですか? よく、「言っていいこと悪い事」と言われますが、 差別は「言って悪い事」に当てはまると思います。 だから、差別はさらけ出したらいけないのです。 >気遣いとは理解しようとする事ですよ。 これを言ったら相手が傷つくと理解したから、 心の中だけで納めておくというのは、 気遣いだと思うのですが、いかがでしょう。 >質問者さんの考えを実行をすれば差別をしている人は一生これは偏見なんだということに気付かないんですよ。 偏見だと気づくから、私の考えを実行できるのです。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.11

もう一つの問題は、差別と区別をどう切り分けるかですね。 日教組の影響力の強い学校なんかですと、「差別はいけない」 という意識に囚われすぎて、運動会のかけっこの順番まで 同着にするなどという、アホなことをやるようになります。 人間には個性がある以上、その人の個性を認識して区別しな くては、かえって一人一人の人格を軽んずる結果になると 思います。 個人的な意見ですが、結果の平等ではなく機会の平等を重視 することで、悪平等の弊害を減らすとともに、一人一人の 個性(人格と能力)をきちんと評価できるようになるので はないかと考えています。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.10

No.1の方の回答にあるように、ポーカーフェイスになれる ように訓練しないと難しいと思います。 それ以上に難しいのは「言葉」ですね。 「舌を制するものは、城を落とすにまさる」という趣旨の 言葉をどこかで聞いたことがあるのですが(ユダヤの格言だったかな?) それくらい、自分のしゃべる言葉をコントロールするのは 大変です。 結局、行動にしても話す言葉にしても、自分の心の中から 出てくる以上、一人一人が自分の心を入れ替えなければ、 問題を根本から解決する道がないかと思われます。 どうせどの道をたどっても難しいのですから、私は自分の心を 啓発する道を歩みたいです。 差別の心を無くすには、この世界は相互依存で成り立って いるという事実に気が付く必要があるかと思います。 国籍・人種・性別が違っていても、同じ地面の上にたって 生活している以上、何らかの形で関わりあっているんですよね。 それから、自分のしたことはいずれ自分に返ってくるという ことにも気づく必要があります。 人を差別し害を与えるような人は、いずれ自分も同じ目に あうでしょう。 そういうことに気づいた人が、周囲の人に少しずつ教えて いけば、歩みは遅いかもしれませんが徐々に差別の意識を なくしていけるかと思います。

marshall
質問者

お礼

意外に差別を外にさらけ出さないのは難しいんですね。 私は今まで普通にやってきたんですが、 私だけだったようです。 ありがとうございました。

  • ougen
  • ベストアンサー率21% (74/347)
回答No.9

差別という言葉から、たどっていくと・・・ 差別は、競争意識から生まれる 競争意識は、人の欲から生まれる 欲を無くすと進化は無くなる 生まれもっての欲は、食欲もあります。 子供もそうですが、人の物ほど良く見えると言いますが、 相手の食べている物の方が、美味しそうに見える時、多々ありますよね。 欲しい!食べたい!と思います。 しかし、それを口に出して言うと、はずかしいという気持ちが生まれます。 はずかしいから、してはいけない。しなければならない事もある。 これだけの事柄に沢山の差別がありましたよね。 物と物の差別。 心境の差別。 行動の差別。 しかし、これを無くしては発展、進化はありません。 良くも悪くも、生き物は発展、進化していくものです。 心の中だけで差別する 世界中、すべての人がこうなったら、私は人を信用しなくなります・・・。 しかし、自分の考えだけでの、よく無いと思える差別は、 されたく無い=したらいけない してはいけない(思考)→自分を良く見せたい時は、「する」 しりとりのように永遠に続いていきます・・・。 差別が簡単に無くなるなら、戦争なんておきない・・・。 最終的に完全に差別を無くす方法は、生き物が存在しない事なんでしょうね・・・。

marshall
質問者

お礼

>最終的に完全に差別を無くす方法は、生き物が存在しない事なんでしょうね・・・。 私も同じことを考えています。 だから、少なくとも人を傷つけないようにする方法はないかと思い、 今回質問をしました。 >世界中、すべての人がこうなったら、私は人を信用しなくなります・・・。 何故ですか?心の中に隠しとおそうとしてくれていて、 傷をつけないように心がけられているのだから、むしろ 信用できると思います。

  • poyaru
  • ベストアンサー率32% (45/138)
回答No.8

少しだけアドバイスを。 差別の実態と認識は必ずしも一致しません。 「差別ではなく区別しているだけだ」と言う言葉を聞いた事はありませんか? この発言者には、例え他の人から見て差別に当たっていたとしても、 自分の行動を差別とは認識できていないのではないでしょうか。 また、昔の身分制度などで差別を受けていた人々も、自分が差別されていると 認識していたのかは疑問です。 現在でも周りの環境で、物事の解釈が大きく異なることは変わりありません。 肝心の差別を、差別者・被差別者の双方が認識する事は、大変難しい事だと思います。 先ず自分に認識が無くとも、差別をしているのではないか? この疑いを持つことから始めないと、なかなか物事が見えてこないかと思います。

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