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もしもいじめや差別がなくなったら
これはもしもの話です この世にいじめや差別がなくなったとします 男も女もゲイも障害者も赤ちゃんからお年寄りまでみんな平等 貧富の差なんて関係ない、みんな平等の権利がある イケメン、ブサメン、美人、ブス、みんな平等 国境も人種も関係ない、みんな平等 これが表面上だけじゃない本当の意味での平等となったとき いったいどうなるんでしょうか 本当に住みよい世の中なんでしょうか
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苦悩は無くなりますが、幸福も失われるでしょうね。 そもそも、いじめや差別は”比較”が齎すものです。 他者と比較して優劣をつける。 人は誰しも自分が優れていると錯覚しているものですが、 思い込みだけでは実態が伴わない。 故に、他者を不当に貶めることで自らの優越を誇示するわけです。 また、中には自らが劣っていると感じる者もいるでしょうが、 それすら、差別的思考であると言わざるを得ません。 なぜなら、他者と比較することでしか”優劣”という観念は生まれないからです。 では、他者と比較する事が無くなった場合どうなるでしょう。 もちろん”区別”は必要です。 本質的な違いは、感情を交えずに理解すべき点であります。 そうした場合、他者との明確な区別はしながらも、そこに優劣の差を生むことなく全ての人間が振舞えたのなら。 まず、”富”という概念は消失するでしょう。 貧富の格差は無くなり、誰もが自らが生きるために必要な分の資源しか消費しなくなりましょう。 そして、劣等感は拭い去られ誰もが自らの生き方・考え方を素直に受け入れられるでしょう。 幸不幸の差も無くなり、現状をありのままに実感することになるでしょう。 つまりは、ありのままをありのまま受け入れ、ありのまま実感すること。 そこには、一切の比較、故の感情は生まれません。 それこそ”悟る”と云うことなのかもしれないですね。 ただ、人間以外の動物にとっては当たり前のことなんですよ。 彼らは生まれながらに悟っているのですから。 そうすると、差別をなくすと動物になってしまうのか? と、云う疑問は当然生まれます。 是がなかなか難しい。 例えば、障害を抱えた人が居たとしましょう。 彼らの手助けをするのは、”差別”です。 本質的な違いを考慮しつつ、ありのままを受け入れるのであれば 彼らが”不便”であることをそのまま受け入れねばならないのです。 彼らから”不便”を取り除こうとするのであれば、それは”優遇”されるということであり、”優劣”を生むことになるのです。 誤解を生むような発言で恐縮ですが、今の自分にはそれ以外の表現がありません。 ただ、”全ての人間がありのままを受け入れる”という前提の上での話ですから 彼らが、そのことを”不当”であるとは感じません。 ただ、人間らしさが存在しませんでしょう。 真の平等とはそういうものであって、決して人間が考えるような幸福の形ではないのではと考えます。 それは、自然のいたるところにあって、人もまた自然の一部であり 人の行動原理は自然の摂理に従っているのでしょう。 ただ、人の感情だけが自然とは違っている。 人の求める幸福とは自然を超越したものなのかもしれません。 単純に平等を求めれば、人は自然に返りますが、人間の感情は喪失してしまう。 動物と変わらない事が劣っているとは思いませんが 人に託された可能性を考えるのであれば、全体の幸福を個人の幸福へと還元できるのではないか それこそが、人が本来望む幸福の形ではないでしょうか。 答えにはなっていないかもしれないですが、一つの見解として提示いたしたいと思います。
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- kapukore
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平等になってからまた差別がおきるでしょう。人間というのは他人と比べたくなるものです。
- subasibo
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もしも、この世の中に差別がなくなったら本当の平和がくると思います。世界中が平和いいねw
- 55gogo
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違いを理解する。違いを認める。違いの中でつながりを創る。結局、平等は他から与えられるものじゃなく自ら築いていくしかないと思います。おいらはパン屋。いろんなパンがあるけどみんなパンだよ。みんな人間だよ。
- 17cr
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こんばんは。 何にしろメリットとデメリットはあると思います。 何がいいのか何が悪いのかなんて人それぞれが思うもので、皆考え方は違う。 誰かが良い、と思っても誰かは悪い、と思ってる。 それを解決する事は出来ないんじゃないでしょうか… 複雑だけれど、それでこそ成り立っている部分もあるんだと思います…。
お礼
解答ありがとうございます やっぱりそれは無理なことなんでしょうか
すみよいと思うよ、住み悪いと感じる人は大抵人を差別して優越感に浸りたいという願望の持ち主だろうね、まあそのての自尊感情が肥大した人以外は住みやすいと思うよ。
お礼
解答ありがとうございました 確かに、今の世の中はその”人を差別して優越感に浸りたいという願望の持ち主”にとって住みよい環境だからその逆はすみ悪いのかもしれませんね
- saruhappy
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この世にもしもは存在しません もしもを考えるより 現実ともっとしっかり向き合って 幸せになってください もしも もしも なんて考えてたら不幸になるだけです
お礼
解答ありがとうございました ご心配ありがとうございます でももしもを考えない生活は少し退屈な気がします
- dondoko4
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いいところに着眼したね。 社会主義(共産主義)知っていますか、今その国の現実は実態はどうですか。国名はあえて書きませんが。 結論、人間の欲望には勝てません。
お礼
解答ありがとうございました いわれてみれば社会主義国がそれに近い形ですね
お礼
解答ありがとうございました。 差別がなくなるということは優劣をつけないということなんですね >彼らの手助けをするのは、”差別”です。 本質的な違いを考慮しつつ、ありのままを受け入れるのであれば 彼らが”不便”であることをそのまま受け入れねばならないのです。 彼らから”不便”を取り除こうとするのであれば、それは”優遇”されるということであり、”優劣”を生むことになるのです 誤解を生むような発言で恐縮ですが、今の自分にはそれ以外の表現がありません。 この例えが妙に納得できてしまう 真の平等とは時に残酷なんですね