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差別に負けない生き方
世の中にはいろいろな差別があります。 人種差別、部落差別、男女差別、○○病差別、etc……。 私はある身体の問題で、度々差別的な扱いや言葉を受けたりする者です。 直接的に言われたことは少ないですが、間接的に言われたり、 ネットなどで中傷を書き込まれたり(私個人に向けて書かれたものではないですが)することはしょっちゅうあります。 そしてその度に気持ちが落ち込んで、苦しいなぁ辛いなぁと生きるのが嫌になってしまいます。 差別はなくなってほしいですが、一方で少なくとも私が生きている間は 絶対になくならないだろうな、とも思います。 (最低な話ですが、差別される辛さは身をもって体験しているはずなのに、 私自身も時々他の人たちに対して差別的な感情が湧き上がることがあります(死んでも態度や言葉には表しませんが))。 なので、差別を失くすのは一旦置いておき、 差別されることを現実に直面している問題として捉えたいと思います。 差別をどう乗り越えて生きるか、その方法を教えてください。 差別的なことを言う人とはこちらから縁を切る、 ネットでもそういう所は見ないようにする、などはしているのですが、 それでも辛い言葉を投げつけられることがあります……。 あと、あなたがどう思っているかは別にして、 「日陰者は日陰者らしく生きろ。表社会で権利を叫ぶな」 という言説に対しての反論も、あれば教えてほしいです。
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人は、生まれた持つ宿縁や宿命で、差別されるべきではありませんよ。 人種問題、部落問題や、身体的な特徴などで、特にそうですね。 部落問題も、個人的に関心は無く、良く分からないのですが、聞くところでは逆差別もあるようです。(米国の黒人と同じ問題ですよね) さて、人は行いや、態度、考え方で区別され、差別も受けるべきと思いますよ。 宿命が不運だと嘆いて、逆差別的な事を言う人も?ですね。 つまりは、人は中立的な立場で、条件等は特に無く、考え方、行い、 態度で区別されるべきなのですよ。 日蔭者は日蔭者らしくとは・・これは宿命(自分の生まれにある条件ですよね。)ですので、そのような考えは僕は好きではありません。 在日朝鮮人の人も、在日だからと、文句を言いい、何事も差別に帰結した、考えや態度を取るのは、悪いと思います。 では、差別的な事を言う人は、これまた愚かな人だと思いますよ。 なんでも、個々の問題に対して、Generalize(一般化)をする人や、 また、個人的な鬱憤を、差別的な言葉で、人をなじるなど、これは差別の対象だと思います。 繰り返しますが、人は、考え方や、行い、態度で区別され、 その結果差別も受けるべきと思います。 ご質問者様は理解できるセンスをお持ちと思いますが、 考え方は、個人の価値観の問題等聞きますが、 それは滑稽に聞こえますよね。 人が持つべき理念や規範、もしくは社会通念に、違いはほとんど無いし。 分かりやすい例では、企業理念などほとんどどの会社も同じです。社会貢献に、利益を生み、雇用を創出し、環境に配慮し・・・ 日蔭者など考えずに、前向きに頑張ってください。
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- gocogacu
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差別されていると感じる人は、知らず知らず人を差別しているといわれます。 あなたが言うように、そういう場所や人に近づかないことでしょうね。 どうしてもということがあるならば気にしないこと。 気にすると、あなたには辛い人生になります。 差別で何もよくならないことを貴方は知っているわけですから、深入りは禁物。 差別した人には将来天罰が下ると思ってください。
お礼
ありがとうございます。 >どうしてもということがあるならば気にしないこと。 そうですよね。 私もよっぽどのこと以外は、気にしないように努めているのですが、 殴られたときに痛みを感じるのがどうしようもないのと同じで、 時々ものすごく辛くなります。
差別と思うから差別では無いですか。 拘る自分が差別を意識する、多かれ少なかれ差別と言う格差ですけど・・・・ これが人生では無いですか。 裏社会の方の方が筋は通しますけど、モンスター族の方が理不尽な発言をして顰蹙くらい時代です。 何が差別ですか、生活保護もセイフティネットと言い大きく請求出来る時代です。 差別意識が差別の根柢と思いますけど・・・・
お礼
ありがとうございます。 >差別と思うから差別では無いですか。 そういう面もあるかもしれませんが……。 「自分ばかり特別に辛いと思うな」的なことを言う人に何人も会ってきました。 世の中どんな人間でもそれぞれ辛いことがあって、それに耐えたり戦ったりして生きているとは思います。 しかし、「みんな辛いのだからお前も我慢しろ」というのが万能だとは思いません。 「理不尽な辛さを感じないような社会にしよう」という働きかけは尊いと思いますし、欧米なんかでも前者より後者の考え方のほうが浸透していると思います。 私は自分ではどうしようもない事柄をつつかれて「死ね」とまで言われたことがあります。 「差別と思うから差別」とひとくくりにはできないと思います。
- babumama
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私は結局「人徳」だと思います 私も差別によるみじめな思いの経験があります 努力出来る部分は努力しています でもどうしようも出来ない部分もある訳で… ただ人徳のある方は「差別的発言」をされません 私は身近にその様な方がいらっしゃるので救われました 私は「人にしたことは必ず自分にかえってくる」と信じて、他人に嫌なことをしていません あと前向きな考えで「死んだらあの世に持って行けるのは魂だけ」と自分磨きを心掛けています だから低所得でも「死ぬまでに使いきれない心配がない」と考え方をかえたり いい方向に考える様にしています 江原啓之さんの本を読むと元気づけられますよ あの世に持って行けるのは魂だけ も江原さんの本にありました 優しい考え方で好きです 私も常に前向きではなく落ち込みます でも落ち込む時間を少なくする努力をしています 「悩み事に使うほど時間の無駄遣いはない」と何かで読んだんです 時は金なりといいますし、時間は誰にでも平等に与えられたものです 平等なものを与えられていると思うだけでも嬉しいですよ
お礼
ありがとうございます。 「人徳」。 たしかに人徳がある人は差別的なことを言いませんね。 そうやって徳のある人とだけ付き合っていけばよいのかもしれません。 実際は、嫌な人とでも付き合わなければならないことは多々ありますが……。 生きることを考えたとき、 たしかに悩むよりも前向きに考えていったほうが建設的ですね。 平等に与えられた時間を大切にしたいと思います。
- chrismas
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昔は、一般の人が堅気で、部落民のひとがヤクザでしたけど、 時代は変わり、一般の人でも凶悪な事件をおこしたり、部落出身者 でも堅気の良い人があらわれ、身分で判断しにくい時代になりました。 たしかに、同和地区問題は、昔は、いろいろと差別がありましたが、 当たり前ですが、人間は個人個人性格が違います。身分では 善い人か悪い人か判別できなくなりました。今は、駅でも職安でも 差別的な落書きは警察に通報すると書いてありますよ。 今はかなり人権が重視され、どんな身分でも、人権が大切にされる時代がきていると思います。
お礼
ありがとうございます。 部落の人はヤクザ? そこは一考の余地がありそうですが、 確かに人権という概念は昔に比べて遙かに広がっていますね。 とても良いことだと思います。 しかし、じゃあ差別はなくなったかと言いますとそうではないし、 実際に差別の問題に直面している人にとっては、 たとえ世の中に人権が知れ渡っていても、あまり役に立っていない、 と言える気がします。 人権を盾にすればいいのでしょうか……?
- 15467980
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『求めよ、さらば与えられん。 尋ねよ、さらば見出さん。 門を叩け、さらば開かれん』 新訳聖書「マタイによる福音書」より 言われていちいち凹んでいたらどうしようもないです。
お礼
ありがとうございます。 >言われていちいち凹んでいたらどうしようもないです。 そうだと思います。 私も大半はそう考えて気にしないようにしているのですが、 殴られたときに痛みを感じるのがどうしようもないのと同じで、 時々ものすごく辛くなります。
お礼
ありがとうございます。 みなさんに回答を頂いて、 嫌なことばかりに目を向けるのではなく、 前向きになって、どう生きていくのかを考えたほうが 良い気がしました。 頑張れそうです。