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差別について
世の中にはまだまだたくさんの差別が残っているのは残念なことです。 ただ、私は、差別をこの世からなくすのは無理だと考えています。 それは、私たちは人間で、他人と差を見出そうとするからです。 なので、差別で人を傷つけないようにする方法を考えました。 人間は誰でも差別をしてしまう。だけど、自分の心の中だけで差別をし、 表には決して出さない、あるいは差別をしていることを他人に悟られないように したら、差別をされる人は、自分が差別をされている事を知ることなく、 傷つく事もないと思いました。 もちろん、差別をされているのではという疑念を抱かれないように、 本当に心の中だけで差別をするのです。 もちろん、差別は良くない事です。 そのことは十分承知しています。 また、この質問は差別を肯定しているものではありません。 この考えに対し、皆さんどのように感ましたか。
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質問者が選んだベストアンサー
余程のポーカーフェイスでないと厳しいですね。
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- EternalFree
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これは私個人の考えなんですが、『差別というのは集団で特定の人の権利を奪う行動であり、個人で嫌う分には関係ない』という事です。 仮にある人を嫌っていて傷つけないために平静を装う…これもある意味では重要なことですが、私はそうはしません。 逆にその人をだましているという風にもとれますし、もしその人がその事実に気付いた時はそれ以上に傷つくのではないでしょうか? こういうのを悪く言われると『八方美人』なんですけどね(苦笑) おそらくmarshallさんはすごく優しい心の持ち主なんだと思います。 しかしながら実際の話、他人を傷つけずに生きていくということは不可能だと思いますし、人は必ず合う合わないはあると私は思います。 私の場合は『他人の迷惑を気にせず自分のワガママだけで生きている、またそれを正当化しようと屁理屈を並べる人』は大嫌いです。 私は嫌いな人にはハッキリといいますし無理に合わせようともしません。 ですが、他人に便乗して嫌がらせをするような事もしません。 これが『差別であり、イジメ』なんではないでしょうか? 世の中はすごく複雑なもので他人とのつきあい方は特に難しいです。 ですがこちらにも『嫌いな人は嫌いだと言える権利』はあるのではないでしょうか? 最後にこの手の話は誹謗中傷につながりがちなんですが、あくまでこれは私の考えなので参考程度にとどめておいて下さい。
お礼
私の考えですと、 隠してきた差別を気づかれた時が一番厄介ですね。 でも、気づかれないように、つまり傷つけないようにする努力は 大切だと感じます。 嫌いな人に嫌いだという権利はありますが、 口に出した以上、それに対する責任をしっかり持つ必要があると思います。 もし嫌いだといった事が相手を傷つけたとき、 それなりの責任を持つことが大事です。
よく考えられていると思うけど、 それは言った後ややった後に「あ、差別だ」って気づくと思うなあ。 常に、頭の中に、比較的浅い部分にでも置いておかないと、 反射的に止めるのは不可能かと思うなあ。 人間、今思っていることでいっぱいで、 善良の判断をパッっと切り替えるのは難しいのかなあ。 100人いたら、それぞれに差別される要素があるとしたら というか、欠点を指摘しろ、といわれれば、一人一個あげるのは 簡単かなあ。もしかしたら、先手をとるという本能があったとして、 その本能が、言葉と結びついている集団、暴力と結びついた 集団、これらは、進化しながらも、消えなかった力なのかなあ。
お礼
人間誰でも失敗はあるので、 あなたのおっしゃるようなことも起こり得ると思います。 でも、後でもいいから、「差別だ」と気づく事も大事だと思います。
- usap
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人と比べることがいいときと悪いときがあると思うんですよね。 謙虚なときと傲慢なとき。 刺激になるときと甘えになるとき。 それは気持ちの持ちようだと思います。 誰にも言わずに心の中で思っていたとしても、それは自然と態度などに表れるものだと思うので、悪い意味での差別意識は心の中から変えないとだめなんじゃないかなぁと思います。他の人の回答にあるように、よほどのポーカーフェイスでないとできませんね。 たとえば、尊敬するとか憧れるとかバカにするとかそういうのも他の人と区別していることになるので、そういうことをまったく態度に出さないとなると人間関係はすごく難しいですね。 尊敬するのは悪い差別ではないと思いますが、たとえばそれを見た他の人が「自分に対する態度と違う」「自分のことは尊敬していないのか?」と卑屈に感じれば差別だと思うことかもしれません。誰にでも公平で平等に接することはとても難しいことですね。誰が何に対してどう思うか、それを全部把握しそれぞれに合わせて平等に接することは無理ですよね。ひたすら無関心を装うしかないし、それはなかなかつまらない人ですね。 好きで買ったブランド物でも卑屈な人から見れば「あいつはブランド物なんてかっこつけてる」と思うことかもしれませんし、「それいいね!」と誉められたことを卑屈に感じる人は「いやみかしら?」と受け取るかもしれないし。 差別される側も、被害妄想的になっている場合があるので、自ら差別してたりする場合もあるからやっかいですね。 差別というといやな感じなので、個性の違いだと思えればいいんですけどね。 やっぱりみんな自分が一番かわいいから、それをどうにか確信したいんだろうと思います。 最近、SMAPのの歌詞が素敵だなぁと思ったので参考URLに載せておきます。 この歌詞のような気持ちをいつも持ち続けるのは難しいので せめて卑屈にならず、差別されていると感じないようにしたいと思います。 差別する側ではなく、差別される側の意識を変えることも大切だと思います。 参考までに。
- ebinamori
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それで傷つかなくなるのですか? 疑問です。 今以上に誰かを信用することが困難に、また今信用している人を信用できなくなってしまいませんか? また、差別されている人にしたって偏見に気付けなくなってしまいませんか?
お礼
私は逆に人を信用できるようになると考えます。 皆が差別をするのは仕方がないことを認識し、 だけど、それを心の外に出さない事で、傷つけないよう心遣いを 払ってくれているんだなあと考えると、 私は人を信用できるようになります。 >差別されている人にしたって偏見に気付けなくなってしまいませんか? 差別が表に出なくなるのだから、気づく必要はないと考えます。 表に出ないのだから、それに対する害もなくなります。
- jun95
- ベストアンサー率26% (519/1946)
marshallさんは、「差別」という意味をご存じないのだと思います。差別とは、特に現代において、あるものを、正当な理由なしに、他よりも低く扱うことをさし、行動に出たものを指します。それまでは、「偏見」というのです。 「偏見」をもつことは、誰しも仕方ないことですよね。 わたしが、うつ病で仕事を休んでいるのを知ると、「このずる休み野郎!」と思われると思うのです。わたしは、どう思われようがいいです。「Good luck!」でキムタクが、緊急脱出装置の上から落ちて怪我したのと、同じように扱って欲しいのです。だけど、入院先が「精神科の病棟」と分かったら、marshallさんは、見舞いに行くのをためらうはずです。 机上の空論だと思います。うつ病だと正直に告白した友人たちも、精神科にかかっていると言うだけで年賀状すら送ってくれなくなったのです。
お礼
辛い経験を告白してくださったことを例えにして回答してくださった事を 感謝します。 私はGood luckというドラマがどんなものか全く知らないので、 もう少し詳しく説明してくださるとありがたいです。 あと、精神科に入院した患者を、私が見舞いに行かないと決め付けられるのは 残念です。
あなたの意見と私の意見を交えてまぁるくしてみました、この方がすっきりしません? 世の中にはまだまだたくさんの差別が残っているのは残念なことです。 ただ、私は、差別をこの世からなくすのは無理だと考えています。 それは、私たちは人間で弱い生き物で、『誰か』よりは勝っていると思わずに入られなくなる、それが差別の根源です。 差別で人を傷つけないようにする方法を考えました。 人間は誰でも優劣を考え他を劣とする事で自分が優であるとするから差別をしてしまうわけです。 他人に『劣っているよ』と言う事を目に見える形にする…それが差別になる だから自分の劣っている所を惜しげも無く見せる…それが皆できれば差別が無くなる。 どうやったって人は人、全知全能でないです。 駄目なら駄目!そう認める。 争うのではなく、補い合う…そうすれば差別が無くなる。 心で思っていて絶対に外に表わさないなんて無理ですどうしたって態度に出てしまう。心で思ってもいない事が平気で出来るならどんな人とも恋愛できるわけです。 そんな人見た事ないです。 辛きゃ辛いと泣けば良い、そういう弱さが隠せないのが若さ(ガキ、子供) 大人になるほど強がる、『ガキ、子供、若いね、小っさい奴』…そう言われたくないから… 自分よりも弱いものを探してしまう。 このサイトが良い例、何で無料なのに回答する人がいるかと言えば、 知らない=無知…そういう人に回答できる=知っていると言う優越感 言い代えてしまえばこのサイトの回答者は差別をしている人かもしれないですね。 ふぅ…『優だ劣だ』と考えるくらいなら俺は子供のままのほうがいいや 辛きゃ辛いと言えば良い、出来ないなら出来ない、恐いなら恐い 弱い所をぜ~んぶ出す!年取るほどにそれが出来ないから差別はなくならない。 言ってしまえば差別する人間=弱い奴。 自分の駄目な部分を他人に悟られたくないだけなんです。 ある一面を比較して一つ優れているから全て優れていないといけない そう思うから差別が始まる。 ○○○のくせにぃ!と意地になる。それが差別のはじまり 差別…それは自分ではない誰かを劣っていると言う態度や行動。 『強くならなきゃいけない』と言うプレッシャーに負けている人 『威厳を保たなければならない』と言うプレッシャーに負けている人 そういう人が差別をするだけ。 『自分は自分だ!』そういう人ならば、差別はしない。 比較もしようがない。『全く別物だ!』そう思えば差別もない 同じ人間だから似ているから気になる存在。 私は差別はしないし、区別もしない。 人と人の付き合いをする。だから『女性だから』と差別化しない。 世間はどう言おうが自分で考える。其れが出来ずに『右に習え!』 だから差別が始まる、自分と他人は違うのにね…世間的に違っていると思うから 身の回りの常識と異なっているから、差別をして戦争になる。 自分でしっかり考えて、どうすりゃ良いかを判断できれば それが本当の平等なんだと思います。 だから『差別されている人』をかわいそうって思わない。 裏の裏まで読めば実は差別している人のほうが哀れです。 なんで…年をとるほどに、自分に嘘をつくんでしょうね…人間てやつは…
お礼
差別は絶対あらゆる人がやっていると考えます。 差別をするのが人間の特性ですから。 本当の平等なんていうのも、ただの理想と考えています。 >差別している人のほうが哀れです。 多分差別をしている(だから人間全員)の多くの人が、 このことを認識していると思います。 だから、人を傷つけないようにしようという心遣いをしようという 努力ができると思います。
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お礼
今まで自分はこれを実行してきましたが、自分はポーカーフェイスだったんですね。 一部の人には私の方法は有効というという意味であなたの回答を解釈します。 ありがとうございました。