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30年戦争について

30年戦争後のウェストファリア会議が国際社会成立の契機となったと本に書いてあるのですが、具体的にどのような経緯でそうなったか教えてください。

みんなの回答

回答No.3

 まず、日本人の歴史家でウケストファリア条約の価値について厳密に回答できる人は少数でしょうが、(私は歴史的知識と国際法から回答しますが) (1)国際法の元祖  それまでの国際法(条約)は少数の統治体間の契約でしたが、同条約は欧州社会の全体像に影響する性質のもので革新的です。 (2)宗教和解  プロテスタント・カソリックという欧州社会の和解であることも大きいです。ただし、東欧・ロシアの正教会に影響が大きくないので、国際法としての意味ほど大きくはありませんが、およそ2世紀に渡る宗教戦争の混乱を収めた意義は大きいでしょう。 (3)ネーデルラント・スイスの成立 (4)神聖ローマ帝国の事実上の解体 などあります。 さて、イメージとしてウェストファリア条約の凄さを理解するには、冷戦構造と似たような国際秩序を作り出したことです。 俗に歴史的に、ウェストファリア体制と呼ばれますが、フランス革命までの150年以上の国際秩序体制になります。 それ以前の国際体制が、条約などで出来る秩序ではなかったがために、初めて国際秩序として国際法(条約)が意味をなしたことに意義があります。 日本では、国際法に関する知識が著しく欠如し教科書レベルでの記述では中々理解できませんが、国際社会の法秩序の開始がこの条約の最大の意味でしょう。

sexy08rexy
質問者

お礼

丁寧な説明を有り難うございました。

  • tra55
  • ベストアンサー率10% (5/48)
回答No.2

神聖ローマ帝国というのは滅んだ古代の 西ローマ帝国の後継を自称していて、また 西欧ローマ教会カトリックの最大の庇護者も 自認していて、その権力構造を批判した 宗教者がフスやルターでした、たんに 聖職者や民衆だけが反旗を翻しただけでなく 宗教改革に共感したのが北欧の諸国や諸侯 たちで、フスが処刑されるとフス派の兵士や 武将たちが武装蜂起をボヘミアでして この鎮圧を神聖帝国は何度も失敗します (フス派反乱軍は内紛で自滅) ルター派の諸侯や諸国が神聖帝国に反抗して 30年戦争の初期は新教派のデンマークが 神聖帝国の領土に侵攻、神聖帝国は ボヘミアの武将ワレンシュタインに大きな 権限を与えて軍団を創設してデンマークの撃退を 命令、ワレンシュタインは兵士の国籍を問わない 傭兵軍団を作ってデンマークを撃退します。 しかし神聖皇帝はワレンシュタインが、あまりに 強大な軍団を持ったので反乱を恐れて彼を解任 彼の軍団はボヘミアで待機 すると今度はスウェーデン王グスタフ・アドルフが 新教派同盟のトップとなって神聖帝国へ侵攻 皇帝は止むを得ずワレンシュタインを再任させ 新教派の勇猛な王の軍団と旧教派の軍師の軍団は 激突して戦闘じたいは新教連合が勝利するも グスタフ=アドルフが戦死したため新教同盟軍は 撤退。その後、ワレンシュタインは皇帝の秘密 指令で暗殺されたそうです。 このように西欧の諸国を多く巻き込んで長い 戦闘が続いたため、この戦争の講和も 国際的な交渉をしたあとに締結 有名なウエストファリア会議

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

戦前 現在における各国家の上に、教皇権と皇帝権がありました。 原理的には、すべてのキリスト教国は、上記の二つの権威の元にあり、介入されることがあります。 神聖ローマ帝国って、ドイツちゃうの?という疑問もありますが、フランス王であったフランソワ一世が皇帝候補になったくらいですから。 http://ja.wikipedia.org/wiki/フランソワ1世_(フランス王) 宗教戦争として30年戦争があるわけですが、これは要するに 「おまえのところでプロテスタントを信じることは許さない、だって、おれ、神聖ローマ皇帝だから、文句を言える権利があるモン」 ということで、宗徒同士が戦ったわけではない。俗世界における代表である神聖ローマ皇帝が、プロテスタントを支持する国家に(今で言えば内政干渉)したのが始まりで、プロテスタント支持のスウェーデンとかが介入したというモノ。 で、結果として、「各国で、各自宗教決めてください、他の国はそれに関して介入しません」というのがウェストファリア条約。 各国家が、同等の立場になったという意味で、国際社会成立としています。

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