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30年戦争以降・・・
30年戦争の終わり(1648年)から第一次世界大戦までの国際システムと、勢力均衡(BOP)の外交準則について。 ・・・と、いったようなレポートを書かなければならないのですがチンぷんカンプンです。知識がある方良きコメントをお願いいたします。
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- caesar-x2
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いやいや、三十年戦争から第一世界大戦前とわざわざ指定している限りは、その間の国際外交の経緯と変遷を把握する必要はあるでしょう。 出題者の意図を考えるに、ヴェルサイユ条約を結んだパリ講和会議と国際連盟成立に到達するまでの、国際秩序と紛争解決手段を(恐らく)論説せたいわけで、実際にどのようなことが行われたは無視することはできません。 いわば時代的範囲は広いものの、限定された対象として描き出すテーマは狭いわけですから、視点は明確です。 逆にいうと、大きなテーマだからこそ論点は明確にしなければなりません。 ま、現実的にはすべてを抽出しなくても、ウェストファリア条約と、勢力均衡の例としてルイ14世の戦争、それからウィーン会議などを解剖して、さらに三国同盟・三国協商などまで外交準則を論述すればいいはず。 国際システムとは具体的には多国間交渉による紛争の解決ということでしょう。 そしてそれは現実には存在せず、国際連盟の成立まで形式上も存在しなかったわけですが、戦争の終結と平和の維持のための機関への要望と必要性が生じたということを、ヨーロッパの長い戦争の歴史のなかで論証させたいわけでしょう。 その上でも、集団的安全保障というか、三十年戦争以降、英仏の2百年戦争ともあいまって、ヨーロッパではそれぞれ連合して戦争しているので、平和が訪れる際には複数国との間の講和が必要でしたから、私が列挙した条約を検証するだけでも、交渉のテーブルでどのようなことがあったのかがわかります。 そういった積み重ねが、どう国際機関の創設につながるのかが重要です。 BOPは当然、バランス・オブ・パワーでしょう。勢力均衡政策は長らく国際外交の基軸でした。 要するに最強国家を生まないようにして、列強の力のバランスを保つことで平和を保つという考え方で、例えばルイ14世やナポレオンの拡張政策を各国が阻止しようとしたのが良い例です。 外交準則は、勢力均衡、自然国境、正統主義は必須、あとは反ハプスブルク、反ブルボン、外交革命なんかかな。 モンロー宣言はこの期間で該当するのは米西戦争だけですが、これも外交準則でしょう。 世界分割とBOPの観点から、ラテンアメリカや列強の植民地の話を組み込んでもいいですが、それは”対象を限定”するということに反しますよね? レポートの長さによるでしょうか。ものすごく長いならいいですが、そもそも国際連盟もアジアやアフリカ、第3世界を無視しましたから、列強に限定していいと私は思います。 課題は、世界を描き出すことではなくて、国際システムと外交準則ですから。 ワンポイントに限定してレポート書いてもいいのかもしれませんが、短い質問文から推察するに、こういうことじゃないの? ま、これ以上は出題者に質問しないとわからなけれども、見る限り、1648年から1914年までのどこでもいいってことじゃないような文面だが。
No3さんがおっしゃられていることはこの点に関しては間違っていると思います。条約に記されたことのみを開陳しても、それは動的に(ダイナミックに)問題を論じたことにはなりません。動機や背景などもろもろのパラメータもコントロールするのです。無論、論文のデザイン設定によって、条約を記述するという「静的な」記述も可能ではありますが、それでは血の通わない味気ない記述になるかもしれません。 そもそも対象がウェストファリア条約から第一次大戦までの包括的な論文を書こうと思えば、「対象を限定」をかなりやらなくてはいけません。その上、「テーマとすべき」点というのはありえません。それこそ視点によって無限にありえます。言語学者のソシュールを引用すると、「視点こそが対象(object)を創出する」のです。議会や宮廷、戦場のみで歴史が繰り広げられているわけではありません。歴史は現場で起こっているんです!同様に政治学にも言えます。商店街の会合の言述は政治の動態に関与しませんか?否です。もっとも、国際システムと勢力均衡の外交準則について、というのはかなり枝葉を剪定しないといけないでしょう。 さらに、国際会議の変遷などをまとめてもそれは単なるイベント史にしかなりません。論者の「視点」が必要でしょう。そしてそれは頭に持ってきてください。それから、具体的に例示して、最後に結論、です。 さてがらりと飛びますが、「国際システム」って何でしょう?いろんな学問分野がありますが、「システム」って学者によっていくつも定義があります。システムって神様がわれわれの力の攻めぎあいの上にふりかけた粉、予定調和のような感じさえ与えますが、人によっては、均衡によって定着した諸制度(制度って広い意味なんですよ)と言います。しかしなんだかカルヴァニックに聞こえませんか?むしろシステムってお天気屋さんなんですよ。ほんの少しつっつけば、出力は全然違ったものが出てきます。歴史のイベントで必然に見えるものも偶然がいっぱい作用しています。日本が今繁栄しているのも偶然ですよね。ただ元寇だけでそう言っているわけではありません。 要は、世界は単一の「国際システム」に支配されているわけではないし、そう見えているだけなのです。世界は諸力の攻めぎあいの場なんです。それを、われわれの「視点」で切り取るわけです。温度計は温度という一点で対象を切り取ります。さらに他の分析装置(気圧計など)も駆使するわけです。社会科学とは、まさに複数の分析装置で切り取ったものを視点によって統合する営みです。 「勢力均衡(BOP)の外交準則」って何でしょうか?具体的には戦後処理の外交条約でしょうか?ベルサイユ条約ひとつを取り上げても、ドイツ国民に受け入れられない条約は「勢力均衡」の賜物なのでしょうか?ジブラルタルを取り戻せなくて悶々としていたスペイン外交は?強いられた「勢力均衡」、ただそう見えているだけの「勢力均衡」。ある国が屈辱的な条約を受け入れざるをえないにもかかわらず、ある人たちはそれが、国際政治で勢力均衡に見えている。悲しいことです。 長々と書いてきましたが、それこそいろんなレポートがあってよい。何しろ1648年から第一次大戦ですから。誰かが言っていましたが、国際システムを論ずるのに、ラテンアメリカやAA諸国を排除するなどもっての外です。列強諸国だけでは世界は語れません。ではここまででやめておきます。
- caesar-x2
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No2さんが書いているようなことは出題内容とかなり違うと思います。そういうことじゃないでしょう。 要するにこれは多国間外交の歴史と、平和と秩序の維持に関するヨーロッパの体制についてのことでしょ? 二国間関係の問題じゃないし、新大陸の帝国主義政策にまで話を広げると本題から離れすぎでしょう。 国際紛争の調停の場がどのように発展していったか、平和と戦争の法はどう形成されたかをレポートするわけですよ。 だからテーマとすべきは三十年戦争を終結させたウェストファリア条約、 そしてルイ14世の戦争を終結させた各条約(アーヘン、ナイメーヘン、ライスァイク、ユトレヒトおよびラスタット) フリードリヒ大王関連の戦争を終結させた条約(1748年のアーヘン、1763年のパリ、フベルトゥスブルク) ポーランド分割に関する普・露・墺の交渉(1772~1795) アメリカ独立戦争に関する国際外交、武装中立同盟など、 革命と対仏大同盟とその終結(カンポ・フォルミオ、アミアン、プレスブルク、ティルジットなど) そして初の正式な国際会議であるウィーン会議、 さらにここから第一世界大戦に至るまでのパリ列強会議などの国際会議の変遷などをまとめるわけ。 これをさらに勢力均衡や正統主義等々の外交基準の観点から各国主張を整理していけばできあがるでしょう。
新教対旧教、ハプスブルク家対フランス王家、絶対王政対領邦分立国家、などの対立軸を提示して、細かく分析していくとすっきり行くと思いますよ。敵対していたハプスブルク家とフランス王家が結びついたり、犬猿の仲だった英仏がクリミア戦争あたりから同盟したりとか、重要な事件(対立軸の解消)なども抜かりなく織り交ぜること。あと、ナポレオン戦争も重要ですよ。彼が波風を巻き起こしたおかげで、あちこち民衆が目覚めたんですから。モンロー宣言も大事です。彼がヨーロッパ諸国に釘を指してくれたおかげで、ナポレオン騒動の混乱に乗じてラテン諸国ほとんどが独立した後、ヨーロッパによる軍事介入を防いだのですから。ほかにもたくさん切り口はあると思います。
- nacam
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この質問は、歴史のカテにしたほうが、コメントがつき安いと思います。 ただし、この質問のままですと、規約違反になりますから、質問内容を噛み砕いて行ってください。 でも、この課題は、大学などの授業で、行われたのではないかと推測されます。 授業内容とかけ離れた事を書いても、単位が取れない可能性があります。 お友達などのノートを借りるほうが、効果的かと思います。
お礼
初めての経験で分かりませんでした。 ご迷惑かけてすいません。
お礼
長いご説明ありがとうございました。 参考にさせていただきます!!