- ベストアンサー
剱岳点の記は、本来忌むべき過酷労働の記録であるべきではないか。
私の知る範囲では、参謀本部陸地測量部に所属した柴崎芳太郎の測量記録映画だと認識しています。 冒険を生業とする登山家ではなく、給与所得者であり労働者である軍人が必要以上に危険な任務をするのだから、当時の価値観では許容されても、現在の価値観では許されない出来事であろうと感じています。そこで、掲題のようなイメージを持っているのですが、皆さんはどう思いますか。 もちろん、敵国が攻めて来たときに同じようなことを言っていられないのは明白なのと同様、危険性をやむなしと言えるほど必要性緊急性の高い業務であったなら別ですが、当時の剣岳山頂付近を測量することがそれほど必要性緊急性の高い業務だとは思えません。例えば、当時の近隣諸国が剣岳山頂付近に空挺部隊を落下させ山中を縦走する能力があるとか、剣岳山頂付近に航空機の航行を妨げる乱気流が発生するので原因を突き詰める必要があるとか、そういうことなら理解できるのですが。又は、現在のように航空機等を使って比較的安全に測量できる技術があるなら必要性緊急性が低くても理解できます。
- みんなの回答 (12)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
真の値はわからなくても網の形が大きく違うと標準の偏差がどのくらい違ってくるというのは計算で出ます。それがどのくらいか私にはわかりませんが何mや何kmの程度じゃなく十数cmのレベルだと思います。そして制限がそのくらいだとして20cm出るとわかってるのならその値は採用しないのが測量です。 素人目では10cmと20cmじゃ地図に表れないと考えるかもしれませんが規定があるならそれを守るのが当然の仕事でしょう。 それと剱岳は険しい場所なので測量が大変なのは間違いないですが実際に行けた場所です。測量もできました。だから代替案もないと思いますよ。 それでも何かおかしいと感じるのなら後は当時の測量者、陸地測量部、軍、国しかわからないのでは。
その他の回答 (11)
その前に劔岳のある場所を選点しなければ三角点は作れないと考えられるので代替案はないはずなので誤差の比べようもないと思います。 限りなく広い平地で網の形が悪いのと良いのでどれくらい精度が違うかという問題ならそれなりの計算方法で算出し比べる方法もあるかもしれませんが、それを劔岳の山が高い場所にそのまま当てはめる事ができないと。
お礼
大変ありがたい限りです。 ちょっと分かりにくいですが、この質問で言う誤差というのは便宜上のものです。代替案が有無によらず、真値が分からないので、誤差も分かりません。とはいえ、見た目から剣岳の高さを数千mも間違えたり、ふもとまでの距離を数百kmも間違えるはずが無い(だったら周辺都市の測量と合わない筈)ので、仮想的な最大誤差があるはずです。例としては、測量技術をまったく知らない素人でも、東京から見て富士山が岐阜より遠いと思う人はいないし(岐阜から見たら東に見えるから)、富士山近辺の山より低いと思う人はいない(何日か雲の動きを観察すれば明白だから)のとにたような理屈で、誤差の範囲は定まるはずです。最悪ですよ、そんな素人でも出来る代替方法しかないとは思えませんから。 そうやって山に登らなくても簡単に出来る範囲での誤差を、大した問題じゃない範囲に収めることが出来るのかなと思っている次第です。 「もしあのプロジェクトをしなければ、」最大誤差がどれくらい(数値)か、それが社会生活・政界・軍事・学会に与える影響がどれくらいかということが分かるとありがたかったのですが、さすがに素人の私に説明するのもお疲れでしょうから、その辺は大変でしたら割愛していただいても結構です。 ■私のイメージする誤差: 代替案でこの程度の想定誤差表見たいのが作成できて、それだけ分かればとりあえず十分という水準に達したのかなと思った次第です。 仮想剣岳山頂付近: 標高誤差r[m], 水平位置誤差x[m] 仮想剣岳山頂からy1[km]付近: 標高誤差r1[m], 水平位置誤差x1[m] 仮想剣岳山頂からy2[km]付近: 標高誤差r2[m], 水平位置誤差x2[m]
「街も何もない劔岳山頂付近は、当時とすれば、かなり大きな誤差が許されるのではないかと考えた次第です」との事ですが、前にも書きましたがそこだけの問題でなくそこを精度良く仕上げないとその周辺の精度が悪くなるのです。劔岳の三角点1点の問題じゃないのです。精度の制限は決まっていてそれを超えるようでは三角点ではなくなるのです。
お礼
それはそうなんですが、どこかに限界がありますよね。 周辺の精度が悪くなりますが、まさか札幌市の測量制度まで悪くなりませんよね。だったら、例えば、ドイツ国内の測量をどんなに頑張っても、ポーランドの精度が悪ければドイツ国内で測量値が使い物にならないということになりそうですが、聞いたことがありません。 つまり、どの程度の範囲で問題となり、その影響がどの程度の影響を及ぼすかということです。私の勘では、x[km]の三角点なら、精度が悪くなるのは、その周囲2-3x[km]程度とにらんでいます
三角点の網は均等にするのが基本ですから測量の世界では遠回りしてでも繋がっていればいいという考えは出てきません。特に角度を測っていた本当の意味での三角測量では精度に影響が出てきます。それは当時の精度の範囲に収まらないからこそ劔岳を選点したと考えられます。
お礼
なんとなく分かります。網を均等にするのも分かります。でも、何段階かに階層分けしているようです。つまり、剣岳山頂周辺は、基準となる三角点は作れないけどその辺は目をつぶりましょうという価値判断がありえたと予想しているのです。 山の高さ、尾根の位置、谷の位置、[x]m位(あの測量なくして発生する誤差のこと)違っても別に大した影響は出ないんじゃないのか。場合によっては尾根の1つや2つ見逃したって大した影響は出ないと考えた次第です。街も何もない剣だけ山頂付近は、当時とすれば、かなり大きな誤差が許されるのではないかと考えた次第です。
「ある程度費用を抑えていける範囲の峠等に三角点を複数定めるという代替手段があった」場合に劔岳に三角点を落とした場合とそんなに差があるものかという質問ですが、ネットで劔岳の地図を見るとあのあたりでかなり高い尾根にあるようです。三角点は何点かお互いが見えない事には測量が出来ません。地図では劔岳は南北の尾根にあるので東側の遠い麓か山の三角点、西側の遠い麓か山の三角点両方を見ていると想像出来ます。この場合、劔岳がある尾根以外の低い場所だと西側と東側の三角点を繋ぐ事が出来ず(測量用語で視通が取れないといいます)三角測量自体が成り立たないので疑問に思われた「ある程度費用を抑えていける範囲の峠等に三角点を複数定めるという代替手段があった」事自体がなりたたないと想像出来ます。今ならGPS測量で視通が取れなくても三角点の位置は出ますが当時はどうしても必要だったんじゃないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。とても参考になります。 もう少しで解決しそうです。おっしゃることは大体わかります。「劔岳がある尾根以外の低い場所だと西側と東側の三角点」をそれぞれA,B点として、それをつなぐことができないことが問題のようです。逆にいえば、AB間(直線でなくて良い)で基準点を増やしていけば、いつか視通が取れますよね。イメージとしては、富士山頂から宗谷岬も石垣島も見えないけど、その間にたくさんの基準点を取る事で測量できるのと原理的には同じだと思っています。 そうすると、測量のためのコストが増しますが、それが剣岳三角点に行くコストより多いか少ないかが問題になりそうです。
書き逃げのように書くのは 「手持ちのコマや知識ばかりで考えず、少しは調べて考えろ」ッテ事。 自分の知識や価値観の範囲だけで結論をだしても、限界は多いし。 分からないことは多いよ。 当時の国防の懸念は、沿岸部に外国軍が攻撃や上陸して交通路を寸断されたとき、その地域の救援・奪回、補給に、内陸路ルートをいくつも把握し確保するかでした。 そんな時、肝心要の地図に空白あっては困ります。 明治期はロシア・清国の侵攻を切実に想定しなけらばならないほど、脅威がありました。 だから危険を冒してでも測量や調査をし、日本の地形を把握する必要があったのです。 日清戦争直前、鹿児島へのルートを沿岸部にすると、清国艦隊に砲撃を受け寸断を危惧。あえて九州山地ルートに変更による難工事。 日露戦争前、津軽海峡を制圧された際に。青森救援路確保の為に厳冬季の八甲田山行軍訓練と遭難事件。 剱岳にかぎらず、似たケースはたくさんありました。
お礼
ありがとうございます。順を追って書かせていただきます。 ■第1段[書き逃げのよう・・・は多いよ。]について おっしゃりたいことは分かります。これは、貴方の考える「質問者が自分で調べるべきレベル」と、私の考えるそれに、差があるのです。その場合、質問者である私の基準でやらせていただきますという意思表示をしたというわけです。私が、「書き逃げ」と呼ぶのは、2類型ありまして、1つは本当は十分な知識も経験も頭脳も持ち合わせずに書く人(A)、もう1つは、前記のようではないが回答者なりの教育的配慮や主義によってあえて情報を書かない人(B)がいます。 そして、私にとって、その2類型を区別する必要はありません。「(私にとって)情報が足りないよ。だから貴方は通信相手にならないよ。」というメッセージを書いておけば、A類型の人は2度とでてこないか、再び(私にとって)無意味なことを書くだけです。B類型のうち、「少しは質問者に譲歩してやるか。」という方(B1)は、具体的な情報を出してくれます。「質問者の調査不足」と断じる方(B2)は私の相手をしてくれませんが、それはお互いにとって利益のあることです。この場合、質問者が自分で調べるべきレベルが客観的にどの程度かは、どうでもよいことで、お互いが不一致であればお互いにそれ以上交信しなければよいだけなのです。 もちろん私にとってありがたいのはB1類型の方だけですが、今回はお二方ともそうだったようですね。ありがたいことです。 ■それ以外の部分について 確かに、内国補給路の確保という視点は、私に欠けておりました。九州/北東北内陸部はそうだったかもしれませんね。 剣岳については、直ちに同意しかねます(測量しなくても補給路に向いていないと分かりそうなもの)が、検討してもよいかもしれません。少なくとも、測量したあとに、補給路としての道路が敷設されなかったことを考えると、内陸補給路には適さないという結論が出たのかもしれません。
『余地を残さずに「書き逃げ」をすることを防止するため』って何か私が悪い事をしたような感じで。何か怖くなりました。実際に国土地理院の三角点を作った経験はありますがそれを一から上手く説明する時間も技術も今はないので勘弁してください。代替手段があれば当時もそれをしていたのではと考えます。実際の基準点網図があれば説明がしやすいのですが何て言ったらいいのでしょうか。その三角点がないと多分その周辺の広い範囲で位置を決められないのではないでしょうか。その地形は確認してませんが山の頂上だけの話じゃなく周辺の山の麓の位置決めが上手くいかないのです。
お礼
いやいや、気にすることはありません。「書き逃げ」を別の言葉で説明するのが煩雑だっただけですから。多分、本質問においては、三角点を作る方法は重要でないとおもいます。 簡単に言えば、ある程度費用を抑えていける範囲の峠等に三角点を複数定めるという代替手段があったとします。その場合に、周辺どのくらいに広さでどの程度の影響がでるのか、この誤差により、どの程度の被害がでるのか、そういうことです。 私は、大して出ない、50年後にもう一度図って、間違えましたといえばすむレベルだと思っています。例えば、その土地の所有者から数億円単位の国家賠償請求がなされそれが認容されるとか、地質学者が論文発表をして国際的な権威ある賞を取ったのにそれを剥奪されるとか、そこまで影響があるなら、少し考えた方が良いと思います。
まず三角点が何のためにあるかをご理解されてないようです。劔岳山頂付近に空挺部隊をとか航空機の航行を妨げる乱気流が発生するので原因を突き詰める必要があるとか劔岳を見ているようですが三角点はその点の場所の何かをするという物ではありません。少なくとも劔岳の場合は。網図、そこに三角点がないとどうなるかを考えないといけません。
お礼
ありがとうございます。 できれば、そこに三角点がないとどうなるのか、他の手段による代替性ががないのか、もう少し具体的にお答えいただけると助かります。 私が調べても良いのですが、多分私より詳しそうな貴方が論理の基本線を引いた方が良いでしょう。 もう1つは、自称「経験者自身あり」が、曖昧且つ無意味な範囲で「実は大事なんだよ。」といって反駁の余地を残さずに「書き逃げ」をすることを防止するため、もう少し詳細をお聞かせください。
- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
まあ考え方は人それぞれですが、そもそも軍人つーのは危険なことをやるのが仕事なんでないかしらん?なんて思ったりしました。機関銃で待ち構えているところに突撃するなんて、これ以上危険な任務はちょっと考えづらいですし、それに比べれば山の測量なんてむしろ安全な任務(別にどこかから弾が飛んでくるわけではない)に思えてしまいます。 ちなみに地図作りというのは軍事の基本中の基本です。そこに住んでいる人なら、山を見れば「そこに高い山がある」というのが分かります。しかし、そこに住んでいない人でもまるで地元の人のようにそこの場所がよくわかることに地図の意義があるわけです。空欄があったら、「ここを敵が通ってくるんじゃないか」って誰かが言い出すかもしれません。そりゃ、見に行けば文字通りの一目瞭然ですが、そのためにいちいちそこまで行くのも現実的じゃありません。 いま、鉄道路線塗りつぶし地図というのが人気だそうです。自分が乗車した鉄道路線を塗りつぶせるようになっているそうです。記録を残すと「自分はここまで鉄道に乗った」というのが客観的になり、全国の乗りテツさんに人気なんだそうです。 男には、そんな「塗りつぶしたい願望」があるような気がします。柴崎さんは、白紙の地図が自分の調査によって描かれていくことはたまらなくやりがいを感じていたと思いますよ。そしてそういう任務にはやはり軍人という立場(軍人というとアレですが、要は国家公務員なわけです。所属先が軍隊だというだけで)がいちばん良かったと思います。日本初の南極探検隊白瀬中尉も軍人だったわけですしね。
>当時の剣岳山頂付近を測量することがそれほど必要性緊急性の高い業務だとは思えません。 実はあったのですよ。 当時の視点でなく現代に近い視点で、 当時を割り切るのなら理解できないでしょう。
お礼
ありがとうございます。 ちょっとわかりやすく書くと、必要性緊急性は、当時の基準で計ります。そして、費用(労力と危険性と金銭的費用)も当時の基準で計ります。そうじゃないと、当時の判断の合理性が計れません。そして、両者の比較衡量は現在の基準で行います。 もう少し具体的に回答願います。私が調べても良いのですが、多分私より詳しそうな貴方が論理の基本線を引いた方が良いでしょう。 もう1つは、自称「経験者」が、曖昧且つ無意味な範囲で「実は大事なんだよ。」といって反駁の余地を残さずに「書き逃げ」をすることを防止するため、もう少し詳細をお聞かせください。
- marimo99a
- ベストアンサー率23% (6/26)
こんばんわ。 べきかどうかわかりませんが、 q_yyさんがお考えになっている解釈でもいいと思います。
お礼
どうもありがとうございます。 そろそろ2つもご回答をいただいたので、大体の流れが分かってきました。 少なくとも私の感覚/解釈もあり得ることは問題ないようです。そうなると、あの映画は組織管理の稚拙な組織による無駄に危険なプロジェクトの描写となってしまって、あまり興味をかき立てられない作品となってしまいます。 そこで、もう少し個人的に興味をかき立てる情報があった方が私としても楽しい映画が一つ増えるのでありがたいところです。そこで、皆様におけるあの映画の位置づけとおすすめ(内容を詳細に書くと問題でしょうから、その点は結構です)がありましたらよろしくお願いします。もちろん、「組織管理の稚拙な組織による無駄に危険なプロジェクトの描写」であっても、興味深いことはあると思いますので、位置づけとおすすめは様々な組み合わせがあることと思います。
- 1
- 2
お礼
ありがとうございます。何となく知りたい且つ教えてgooで知ることができる最良のお答えをいただいたような気がします。 やはり数十cm程度のオーダーでしたか。そのくらいに収まらないと、複雑な海岸線にも適用される測量理論としておかしいですよね。あとは、そのオーダーに対する評価(労力/費用等との比較衡量)の問題で、これは測量とその目的/影響について分かっている人でないと、的確な判断ができないものと予想します。つまり、今の私が判断を下すのは拙速なのでしょう。