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剱岳点の記は、本来忌むべき過酷労働の記録であるべきではないか。
私の知る範囲では、参謀本部陸地測量部に所属した柴崎芳太郎の測量記録映画だと認識しています。 冒険を生業とする登山家ではなく、給与所得者であり労働者である軍人が必要以上に危険な任務をするのだから、当時の価値観では許容されても、現在の価値観では許されない出来事であろうと感じています。そこで、掲題のようなイメージを持っているのですが、皆さんはどう思いますか。 もちろん、敵国が攻めて来たときに同じようなことを言っていられないのは明白なのと同様、危険性をやむなしと言えるほど必要性緊急性の高い業務であったなら別ですが、当時の剣岳山頂付近を測量することがそれほど必要性緊急性の高い業務だとは思えません。例えば、当時の近隣諸国が剣岳山頂付近に空挺部隊を落下させ山中を縦走する能力があるとか、剣岳山頂付近に航空機の航行を妨げる乱気流が発生するので原因を突き詰める必要があるとか、そういうことなら理解できるのですが。又は、現在のように航空機等を使って比較的安全に測量できる技術があるなら必要性緊急性が低くても理解できます。
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真の値はわからなくても網の形が大きく違うと標準の偏差がどのくらい違ってくるというのは計算で出ます。それがどのくらいか私にはわかりませんが何mや何kmの程度じゃなく十数cmのレベルだと思います。そして制限がそのくらいだとして20cm出るとわかってるのならその値は採用しないのが測量です。 素人目では10cmと20cmじゃ地図に表れないと考えるかもしれませんが規定があるならそれを守るのが当然の仕事でしょう。 それと剱岳は険しい場所なので測量が大変なのは間違いないですが実際に行けた場所です。測量もできました。だから代替案もないと思いますよ。 それでも何かおかしいと感じるのなら後は当時の測量者、陸地測量部、軍、国しかわからないのでは。
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映画の見方・捉えかたも十人十色、というところですね。 で、僕はこの行為を「労働」として捉えてはいません。測量といえばやはり伊能忠敬が思い浮かびますが、忠敬も職業測量家ではなかったようです。一つのことを成し遂げるのに自己犠牲をも省みず淡々と歩を進める彼らに言い表しえぬ感動を覚えました。
お礼
ありがとうございます。伊能忠敬は、給与所得者として測量をしていなかったことに多くの差があるのです。 貴方の分け方を参考にすれば、以下の3タイプに分かれます。伊能忠敬が2,3のいずれかは知りませんが、どちらでも良いのです。もし、1タイプの者が、給与所得者として必要以上に危険な任務を行い(本人の希望で行うことを誰も静止しないか、やらされる)うとしたら、それは現在の労働者保護の価値観からは許されないものだという感じです。「ああ野麦峠」の女工のような感じでしょうか。あれは多少の誇張があるようですが。あの映画で表現される範囲内での労働環境は、今では基本的には許されませんよね。 1. 軍人(現在なら国土地理院職員)、測量会社社員のように、給与所得者として、測量する者 2. 登山家/職業測量家(実在するかは別)として、スポンサー/協賛者からそれを目的として資金提供を受けるプロ 3. 金ももらわずにやる趣味人
補足
今後、労働の定義について、ややこしいやり取りがあると面倒なので、本質問内での労働の定義をします。お礼の第1タイプの者が職務として行う行為をすべて労働と定義します。この定義はある程度標準的かと思います。 つまり、この映画で、軍人としての職務でやったなら労働であり、休暇中/あるいは退職後等になぜか思いついて趣味で私財と個人資産としての測量道具を用いて行ったのなら労働ではありません。 私は映画を見ていないのですが、多分前者ですよね。
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お礼
ありがとうございます。何となく知りたい且つ教えてgooで知ることができる最良のお答えをいただいたような気がします。 やはり数十cm程度のオーダーでしたか。そのくらいに収まらないと、複雑な海岸線にも適用される測量理論としておかしいですよね。あとは、そのオーダーに対する評価(労力/費用等との比較衡量)の問題で、これは測量とその目的/影響について分かっている人でないと、的確な判断ができないものと予想します。つまり、今の私が判断を下すのは拙速なのでしょう。