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精神にとって生きることと死ぬこと

精神或いは心にとって生きるとは何でしょう。 また、死ぬとは何でしょうか。 これを問わずに心臓や脳波を計測したところで意味ありますか?

みんなの回答

  • vansancan
  • ベストアンサー率23% (341/1422)
回答No.3

>精神或いは心にとって生きるとは何でしょう。 修行。苦しみという名の束縛。 >また、死ぬとは何でしょうか。 卒業。苦しみからの解放。 >これを問わずに心臓や脳波を計測したところで意味ありますか? 半分意味があって、半分意味がない。 心の病で脳神経に異常を来たすし、胃に穴もあく。それを薬で緩和しても根本原因を治すのは医療ではない。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 卒業した後はなにがまっているのでしょうね。

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.2

> 精神或いは心にとって生きるとは何でしょう。 精神や心なんて器官は、人間には有りません。 あくまで『脳』です。 従い、ご質問の回答は、脳が活動している状態が、精神や心にとって、生きると言うことかと思います。 従って、 > また、死ぬとは何でしょうか。 の答えも、脳死ということになるんじゃないでしょうか? > これを問わずに心臓や脳波を計測したところで意味ありますか? 私は、命自体に、意味(≒価値)があると思ってますヨ。 だから、生きてるだけで、何か意味はあると思います。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 脳の中に精神はまだ見つかっていないです。 ですからまだ脳が全てとは現時点では言えないようです。

  • jill1207
  • ベストアンサー率28% (103/357)
回答No.1

なにも変わりません。 わかったとしても、あーそうなんだ。くらい。 お寺に行ってもいいし、 教会に行ってもいいし、 エジプトの古代宗教について学んでもいいです。 死ぬことと生きること以外に考えることは もっといっぱいありますね。 自分がー自分がと思っているとそんな気持ちになります。 でも、私はみんなと繋がってる。勝手は許されない。 みんなにとって私は何なのか、何ができるだろうか? 私よりもっと生死の狭間で行きたいと思う人ってどれくらいいるのかな? 棺桶やお墓ののそばで涙を流してる人はどうして涙を流しているのかな? それは、命は一人のものではなく自然の一部で、動物にだって流れている。電気のようなものだと思います。 それがうまく働かなくなると、その電気の動きはなくなり土に戻ってゆく。 だから、命というスイッチが入ってる間はそれが切れたことかんがえるのはおかしいのかもしれません。 これは創造論ですが。。。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 知識としてのそれで納得できるなら簡単なことですね。 本屋で立ち読みすればいいのだから。

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