• 締切済み

どうして生命は産まれたの?

近年、宇宙が誕生してから137億年経つと言われてますね。 とても長い時間のように感じる反面、そこまで途方もない数字ではないような気がします。 地球の歴史が約46億年、生命の歴史が40億年ということを考えると、宇宙の歴史の約3分の1ほども生命は繁栄してきたんですよね。 あるいは他の惑星にはもっと以前に生命が存在していた可能性もあります。 そう考えると生命が誕生したことには何か必然性があるように感じませんか? 単に偶然の産物として産まれたとしたら、少し出来すぎてる気がするのです。 さらに生命はただ存在しただけでは無く増殖・繁栄し、進化をし続けています。 何か意味があることなんでしょうか? 私たちはなぜ産まれたのか。 多くの人が一度は考えたことだと思いますが、科学的でも哲学的でも、あるいは宗教的な考えでも、どんな視点からでもいいので、皆さんのお考えを聞かせてください! もちろん専門科の方でなくても結構です。沢山のご意見をお待ちしています!

みんなの回答

回答No.29

 回答番号:No.28  つまりですね。私が事物や経験のない時間・空間の性格に付いてお教えを懇請しているのは、意識って結局認識や知覚、経験ですか?そういう内容を意識ってみなさん仰せなんですか?  ということと共通でして、単なる意識が為す行為の結果の記憶集積たる、認識や知覚、経験を意識って仰せですか?  そういうことに通じている、創造は常にされている、では創造前のものは確知できていますか?  そういうことですので、ご質問の範囲の補足懇請ですね。  阿吽の阿が創造。吽のウが維持。ンが過去。アウム、オウム、アーメンです。  これって、ご質問ですよね。生まれると死ぬは同じですよね。  だから、空っぽの時間・空間、そして意識に関するご所感のご披瀝を懇請申し上げております。

grooni
質問者

お礼

すみませんNo.28に対してのコメントを記入している最中に連投があったようです。 またあらためてコメントお待ちしております。

回答No.28

 回答番号:No.22 & No.23 再投稿  ☆grooniさん:ですがもし自分が意思のある海水だとして、私は海という広大なものの一部だったんだということを知る事ができたら幸せに感じるかもしれません。  ★投稿者:意志と意思を使い分けておられますか?私は法学専攻で、この区別に最初に戸惑いました。いえ区別がつかないものでしょう。うぅん勝手にというわけでもないのですが、仕切りを自分でして、区分けの中でいる。一種の自己確認のために。それを取っ払う、必要をなくせば、仕切りも区分けもないのでしょうね。  ☆grooniさん & ★投稿者: mmkyさんですね、8番の。  『思いの因子』って、『思い』という『因子』っていうことですね。  必然、偶然、一定の目的というか意思ですね(この場合は意志へと現しますね)。  関連して:  モーゼですか、ファラオの座の前で、杖を大蛇に変え、ファラオは顔色を変えます。そしてその蛇を手にし、元の杖にもどし、ファラオの眼前のナイルに入れて、攪拌します。何と杖の廻りから、水の色が碧にかわります。そしてやがてナイル全体が碧となります。肥沃なナイルの濁った水が澄んだ碧に。  ファラオは口も利けず硬直します。モーゼは下がります。  翌日ファラオはいいます。『大衆幻術を使ったな』、『あぁナイルか、上流の碧の岩が壊れてとけてな、流れてきたことが分かった』と。 このように一切の事は、所謂る物象、物証の次元で理解し、見、生活することもできるし、異なる面もある。  宇宙は物象の衣で覆わないと、顕現できませんから。それが創造ですよね。  そうであるから、物象の意識では希薄な当為の世界、意志の世界は感受できない、存在していない。そういうことなんでしょう?  (回答番号:No.17のお書き込みへの私の思いでした)  23番のことです。  ☆grooniさん :、、、と表記したように空間の広がりと時間の経過という物は同じことであるというふうに考えています。  ★投稿者:私は時間と空間という観念が今のように、私たちにあるのはいつからかな、と思いました。  どうも明治以降ではないですか?その前って、江戸時刻でもわかるように今の時間や空間でないんですね。  時間と空間って、昔のひとが感じていたように、同じことではないでしょうか?grooniさんも私の質問的確認に対して、ノーといわれております。私の勉強した中のカントでは、二つのアプリオリ・カテになっているようですが、この考えに振り回されてきました。  ☆grooniさん :>それと同じようなことになると思いますが、時間とか空間だけって何か確認する仕方がありましょうかね? という質問に関しては申し訳ないのですがどういうことをお聞きしているのかがよくわかりませんでした。  ★投稿者:時間・空間ということですが、これをカントの修正をしてアプリオリ・カテだとしても、認識や紡ぎ、経験の用具であるカテとしても、一つのものだとするとします。  事物や、経験内容がない、時間・空間というものはアプリオリに存在しているのか。  それとも経験や事物と一心同体なのか、或いは従属しているのか。  という疑問だったのです。心理学などの問題でしょうか。認知心理の分析ではなく、存在論という面からのご見解をお教え賜りたいと存じたのです。  時間・空間は人間の意識にあるか、外界のカテか。  事物や経験を含有していない、このものだけというものは存立しえないとなさるかどうか。  その正体は何かという事のお教えを懇請した次第です。  どうかよろしくお願いします。   ◎参考:ターレスを連想するかも知りませんが五要素というものを私たちは教えられています。創造のカテであり、私たちは認識のカテであるものです。  それは、中国の木火土金水になぞらえる人もいますが、これとは全く性格も説明対象も違うもので、土(固形)、水(流れ、力、意志、勢力)、火(構え、仕方)、風(プラナ、意識と生命)、空(アカシャ)というものを抽出しております。  これは人と宇宙のの中にあって、世界を構成し、経験し、認識し、紡ぐものとなっている。という事なんですね。

grooni
質問者

補足

krya1998さん、度々コメントありがとうございます。 >意志と意思を使い分けておられますか? すみません特に使い分けているつもりはありませんでした。本来感情を持っていないだろう海水が感情を持っているとしたら、という意味で使いました。特に深い意味もありません。 でもそうですね、これからは使い分けようと思います。 krya1998さんはおそらく私より二周り以上ご年配の方だと思うのですが、そのせいか私にとって少々難解な文章をお使いになられますね。(実は自分の勉強不足の言い訳ですが。) この掲示板ではそんな方とも言葉のやり取りができるというのは素晴らしい事だと思います。こちらの理解不足や言葉足らずな面はどうかご容赦ください。 ここからは私の単なる持論です。 私は時空という言葉がありますように、時間と空間を便宜上使い分けることがあってもその実同じものだと思っています。 アプリオリという言葉は初めて聞きましたが、時空という存在が概念的なものかと聞かれたら、そうかもしれないと思います。 では私たち生命が存在しなかったら、はたしてこの時空間も存在しないといえるのか、それは難しいですが私はノーだと思います。 例えばですが、インターネット世界というものは我々がこうして過ごしている時限とは違うところに時空と呼べるべきものがあるのではないかと考えたことがあります。 そう考えるとインターネットの広がり方というのはどことなく私たちの宇宙の広がり方と似ていますよね。コンピューターウイルスというものが生命と呼べるものだとしたら、そのウイルスが存在する前からそこに時空と呼べるものはあったでしょう。 つまりはそれと同じように私たちが存在していなくても宇宙というのは存在していると思うのです。 質問にお答えするとしたら、外界のカテであるということでしょうか。 まあインターネット=宇宙説の立証についてはあらためて他の質問として投稿してみようとは思いますが、そう考えるとインターネット世界の住人からしたら私たち人間が創造主ということになりますね。 と、話をもとに戻しますが、最初におっしゃられていたkrya1998さんの思想というものをあらためてお聞きしたいです。

回答No.27

#1、#20、#21です。 生命という一個体で考えたら、人ほど不安定で脆い生き物もないですよね。 人は完璧を求めれば求めるほど、個体としては不完全なものであると気付きます。 医療や科学、仕事、衣食住等、どれをとっても他との繋がりが無ければ一個体としても存在できるかどうか怪しいものです。 それに当てはめた場合、質問主様のこの質問も、「質問側と回答側」という関係で他との繋がりがあり、また、一人だけでこの質問に対する答えというものも簡単に出す事も出来ないという事です。 そこが人としての不思議な所であり、物事を考える生き物の特徴でもあると思います。 なぜ生まれてきたのか?という根本のテーマに戻りますが、一生命体として、どれだけ多くのものとの繋がりをもてるのか?という事も、生まれてきた意味としての真意にせまるものなのではないのでしょうか? そこで今度は新たな問題にぶつかるのが、なぜ他との繋がりがなければならないのか?という事。 生きるために必要だから?それでは必要と思い、欲したとしてそれをいただくとしてどうするのか?対等な対価を払う?…と、考えていけば考えていくほど新たな連鎖が生まれてきますね。 私の中では一つの仮定といいますか、答えの理論があります。 宗教学的とも、精神論的とも哲学的ともとれますが、私が導き出した事はただ一つ、「感謝する」という事です。 世の中を生きて渡り歩くには様々な苦難もあり、その中で「何でこんな苦しい思いをしなくてはならないのだろう?」と考える事もあります。 でもそれらが全て「自分という存在」を磨くための要素のようにも思えます。 自分が生きて、最後に死ぬ時に「何でこんな死に方なんだろう?」等と考えて死ぬより、「周りのおかげでここまで生きてこられた、ありがとう」と思って死んだ方が悔いの残らない生き方をしてこられたように思いませんか? どんな些細な出来事でもその出来事に対して「ありがたい」と思って生きた方が、人としての幸せを掴めるように思えます。 ありがたい、とは「有り難い」とも「在り難い」とも書きます。感謝するその出来事事態全てが「ありがたい」偶然の出来事、そんな体験をさせてもらって「ありがたい」。 こんなにも一生懸命に皆さんが回答してくれる事に対しても「ありがたい」。 そう考えたら生まれてきた理由というのも、「感謝の心」を持つ事が出来るように与えられた試練というものなのかもしれません。 考える心を持った人間という生き物のテーマのように思えます。

grooni
質問者

お礼

度々ありがとうございます。 >そこが人としての不思議な所であり、物事を考える生き物の特徴でもあると思います。 そう思うと「人間」とかいてヒトを表すというのは良く出来たことばですよね。確かに人は一人では人間にはなりませんね。何となくオオカミに育てられた少女を思い出しました。「人間」と「ヒト」というのは同じようで全く違う生き物なのかもしれませんね。 人間の持つ文化と歴史というものはあらゆる生物の中で異質なものなんでしょう。 >私が導き出した事はただ一つ、「感謝する」という事です。 胸をうたれるような思いでした。 私は逆に考えれば考えるほど生きていることに意味なんて無いんじゃないかという思いが一時期はありまして…。今はそうでもないんですけど。 極端な話ですが自分が死ぬとしたら同時に地球が壊れたとしても関係ないとまで思っていたこともありました。(もし金総書記が同じ思いだとしたら怖いですけど) ただ何事も壊すのは簡単、作るのは難しいので、その考えが如何に馬鹿げているかはわかりますけど。 生きている意味を考えること自体、年配の方などからしたら馬鹿げた話なのかもしれませんが。 話は少し変わるかもしれませんけど、最近しきりに環境問題のことが叫ばれていますよね。 本当に環境の事を考えるならば人間の存在そのものが地球にとって百害あって一理なしだということは、残念ながら疑う余地も無いですよね。 もしこの星に対する感謝という風に考えたらその点についてはどう思いますか?kamiizumiさんの言う感謝の気持ちというのは人間や社会に対してのものなのでしょうか? すいません自分で聞いていて実に捻くれた質問だとは思うのですが。腹を立てずに聞いていただきたいです…。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.26

#25です。 >考えることが無駄な事ではないと思いますし、いろんな情報を元にすればいつか答えが出てくるかもしれないと思いませんか? :無駄だとは思っていません。 ただ、必然であると思い込むと日食の例と同じになりやすいかな、と思ったわけです。 いずれにせよ、必然であるならばその意図を、偶然であるならばその仕組みを明確にする必要があるわけですが、まだ後者のほうが可能性があるような気がするということになりますかね、個人的には。 あと、私が必然という考え方をしたくないのは(安易な解決手段としての)神につながる可能性があるからです。 >とにかくバランスをとるためというのなら、いったい「何」とのバランスをとっているのでしょうか? :基本的には、宇宙というものの存在というか仕組みの維持が要点ではないかと思います。 何とのバランスなのか、という点については、全くの独断ですが水の存在が関係しているような気がします。 大量の水を保持していることが原因で、天体の星として公転や自転を続けることに【何らかの】無理が生じるのではないか、という憶測です。 そのために恐らく植物が最初に現われ(事実は知りませんが)、それ以後、水(など)を循環させるために各種の生命が誕生するに至ったのではないか、と妄想したりすることはあります。 この意味では地球になんらかの意志を認めていることになりますが、それは意志というよりも物理学的なバランスの延長線というニュアンスです。 では、その宇宙の誕生に必然性はあったのか・・・。 あったとして、その必然性はどのような必然性に基づいて発現してきたものなのか。 始まりには必ず要因がある、というのは哲学的命題のようですが、こうなるとどこまでいってもキリが無いのでしょうか。 面白いけど難しいですね。   

grooni
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >ただ、必然であると思い込むと日食の例と同じになりやすいかな、と思ったわけです。 確かに、何にしても思い込みは良くないですね。なるべくフラットな目で皆さんのご意見をお聞きしようとは思っているのですが…。 私は実は宇宙が誕生してから137億年、という数字にもまだ疑問を持っています。私が実際に出した数字という訳ではないですからね。 その辺に詳しい方がいらしたら、はたして137億年という数字が疑う余地もないようなものなのかも知りたいです。 >私が必然という考え方をしたくないのは(安易な解決手段としての)神につながる可能性があるからです。 そうなんですよね。私もなるべく安易に「神の仕業」だとは考えたくはないです。 以前、キリスト教の勧誘に来られた方に興味本位で「神様は何のために生命を作ったんですか」と訪ねたところ、「寂しかったからよ」という返答がきました。 いったいあなたはなんでそんな事がわかるんだと思いました…。とにかく神の存在で全てを片付けたくないのは私も賛成です。 もちろん逆にむやみに否定もできません。 「いる」か「いない」かは私の中では本当に五分五分です。今のところですが。 >そのために恐らく植物が最初に現われ(事実は知りませんが)、それ以後、水(など)を循環させるために各種の生命が誕生するに至ったのではないか、と妄想したりすることはあります。 とても面白い着目点だなと思いました。 つまりは惑星に水が存在している以上は生命の存在も物理学上(というか摂理上)不可欠というわけですね。なるほど生命誕生には水が不可欠ということの逆転の発想のような気がします。 もしできたら、そうお考えになった経緯や裏付けなどもお聞きしたいところです。 >どこまでいってもキリが無いのでしょうか。 そうですね。キリのない疑問かもしれません。 それをいったら世の中の全ての疑問はキリがないのかもしれませんが。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.25

>偶然と考えるよりは何か生命全体の意思があるように思えませんでしょうか? :昼間なのに急に太陽が真っ黒になっていき、やがて陽の光が地上に全く届かなくなる現象を目にし、古代人は神の仕業であると考えました。 身に覚えのあるものは神が自分たち人間を滅ぼそうとする意志を感じたかもしれません。 しかし、それは単なる天体運動にしかすぎませんでした。 たかが人間の思惑に左右されるほどこの世界は柔ではないように思われます。 ミラーの実験などによっても、少なくとも生命が偶然の産物である可能性のほうが高いということは否定できないでしょう。 下記サイトにおいても、「生命体の基本素材は比較的容易に得られる」というのは、そう無茶な見解というわけでも無さそうです。 http://www.s-yamaga.jp/nanimono/seimei/seimeinotanjo-01.htm 最終的には、 「原子なり素粒子なり、物質の最小単位自体がなぜ存在するのか」ということになっていくように思うのですが、これに答えられる人はおそらくいないでしょう。 私としても、その「なぜ」に答えることができようはずもありませんが、少なくとも何らかのバランスを取るという目的(と言って良いのかは不明ですが)があるのだと思います。 あたかも太陽系における巨大な恒星や衛星たちが、引力と斥力、あるいは遠心力と求心力のバランスにおいて拮抗しつつ存在しているように。 思えば、人間というものも男女という相反する(と敢えて言いますが)性向を持った性の合体によって遺伝子が合成され、新たな生命が発現する仕組みになっています。 人間の肉体においては、自律神経と運動神経という相反する作用が共存しています。 その自律神経は交換神経と副交感神経という、これまた全く逆の作用を引き起こす系統によって維持されています。 バランスを取るという状態ですべてが機能しています。 決して、圧倒的な、あるいは絶対的なものによって成立しているわけではないことに着目することができるでしょう。 原子内においてはプラス因子である陽子とマイナス因子である電子が対立しつつ中性子というプラスでもマイナスでもないものの存在によって、その活動の拮抗が図られています。 私たちの心理も高揚したり落ち込んだりを繰り返しつつ、そのバランスを取ろうとする力が働くようになっています。 生命の無い状態においても、たとえば天体の(宇宙の)バランスは維持されるのだろうと思います。 ただ、私たちの地球は、なんらかの原因で、そのバランスが崩れるという歴史をおそらく持っていたのではないでしょうか。 そして、(地球崩壊の危機を免れるための)バランスを取るためには、単なる物質的な対応ではなく、生命という自己増殖するタイプのエネルギーが効率的、あるいは必然的に必要とされたのではないかと思います。 太陽系は後50億年ぐらいしか持たないようですが、その頃には太陽系から脱出する術を人類は手に入れていることでしょう。 そして、遙か何億光年か彼方の星で同じような知的生命体と遭遇しているに違いありません。 たまにはこのようなことに思いを馳せるものも良いものですね。  

grooni
質問者

お礼

とても分かりやすい文章でのご回答ありがとうございます。 たしかに私の「生物全体の意志」の想像は古代人が日食を見て神の仕業だと考えたのと同じかもしれませんね。 ですが今の人は日食が月で太陽が隠れた現象だということを解明しています。 考えることが無駄な事ではないと思いますし、いろんな情報を元にすればいつか答えが出てくるかもしれないと思いませんか? ミラーの実験の事については以前少しだけ調べていたので、最初の生命が地球上に自然に発生したことについては私も異を唱えるつもりはないです。 ただ、それが進化、繁栄したことまでも偶然としては考えにくいところです。 お出しになられた例えで、男と女というのがありますが、この雄と雌というシステムはとても良くできています。 動物だけではなく、多くの高等生物にこのシステムがありますね。 このシステムがなければ、生物はここまで進化して来なかっただろうと思うのですが、ではなぜそんなシステムを作ってまで生物は存続の道を選んだのか。気になります。 ご回答にあるように何かとのバランスをとるためかもしれませんね。 以前他の回答者さんに対して、生命は「エントロピーを食っている」存在なのではないかという話をしたのですが、あっさり否定されたようでしたが個人的にはいい線いってたのになあと思いました。 とにかくバランスをとるためというのなら、いったい「何」とのバランスをとっているのでしょうか? 知る由もないのでしょうか?

回答No.24

おはようございます、grooniさん。 あっ!? 枡でおもいだした! そうそう、うちのばあちゃんがね、いってたなぁーと 何を? うん、米びつから計量カップ(枡)でお米をすくって 一合…二合…三合…と窯に移していくとき すり切りいっぱい ぎゅーっとおさえたらあかんよ そっとすくう こんなこというてたなと…なんでやろね?(^_-)-☆ あと、新米を炊くときはお水は気持ちひかえめ 新米はもともと水分をおおく含んでるから ↑ ココ要注意ポイント! おいしくご飯が炊けるかな? スイッチ・オン! 炊飯器のまえに立ち ボコボコ グツグツ ピュー シュポー グツグツ ボコボコ ゴゴゴゴゴ)))))  耳かたむける なんかすごくない? 半透明の粒がダンスダンスダンス === 熱化学反応 === ごはんの誕生!

grooni
質問者

お礼

ありがとうございます。 すいません正直コメントに困る内容でした。 何が言いたいのでしょうか?

回答No.23

 回答番号:No.22  締め切られないうちに、甘えの補足要求(お願い)  今、質疑応答を読んでいるんですが、回答番号:No.8さんのお書き込みで、〔「思いの因子」という考え方はなかなか興味深いところです。〕をピックアップしましたね。  groonさんは今までのご自分の経験やご認識・観念でこの「思いの因子」っていうのをイメージ・アップしませんか?  これって言葉にしたり、イメージするのことに身を委ねないものではないでしょうか?  つまり相当、心身や自分存在を禊や潔斎しないと、対面できない代物(しろもの)だと愚考しております。  もう一つ、初歩的なことですが、以下の事にあまり関らない、探求の世界もあるので。  私たちって、あまりこういうことを問題にさせてくれないんですよ。  groonさんが〔熱エネルギーや電気エネルギーだけではなく、もしかしたら空間の広がりや、時間の経過などのエネルギーと生命エネルギーの根源は同じなのかもしれないと思っています。〕と書いておられますね。もう今は昔のことで面倒でしょうが。  空間は広がりで、時間は経過であると、観念しておられるのですね?  そのことで真剣に、考えてしまうのです。   (1)空間という広がりのない時間の経過ってあるのでしょうか?   (2)逆に時間の経過のない空間の広がりってあるのでしょうか?  つまり時間と経過って違うものでしょうか?   (3)内容物、事物を含まない、時間とか空間(真空でも、アカシャ・虚空、エーテルでもない)ってあるでしょうか。  私のくっちゃべった、創造者がどうの、っていうこと。  これに対してお書き込みがありましたけど。  それと同じようなことになると思いますが、時間とか空間だけって何か確認する仕方がありましょうかね?  ものさしや枡があるじゃねぇかとか、時計があらぁな、っていうのでなうて。  すみません本来のご質問と違います?  でもお心を持ちまして、お教えくださるようお願い申しあげます。

grooni
質問者

補足

とりあえず今のところ、当分閉め切るつもりはありません。 (ただ私の理解力が低いせいでお礼のコメントをするのに時間がかかってきてしまいました。皆さんどうかこんな私でも理解できるようなやさしい言葉での説明をお願いしたいです。すいません…。) さて補足ですが、まず私が「思いの因子」というものに興味を持ったのは。それこそが私の感じている生命全体の意思(NO.17さんへのお礼を参照)の事なのではないかと思ったからです。 という訳で確かに私の認識と観念でイメージしました。 >空間は広がりで、時間は経過であると、観念しておられるのですね? という質問に対しての補足ですが、私は「もしかしたら空間の広がりや、時間の経過などのエネルギーと生命エネルギーの根源は同じなのかもしれないと思っています。」と表記したように空間の広がりと時間の経過という物は同じことであるというふうに考えています。 ですので、(1)、(2)に対する私の意見はノーですね。 (3)の質問に関してはは正直わかりません。 >それと同じようなことになると思いますが、時間とか空間だけって何か確認する仕方がありましょうかね? という質問に関しては申し訳ないのですがどういうことをお聞きしているのかがよくわかりませんでした。 補足のコメントで補足を要求するのも失礼ですが、またコメントよろしくお願いします。

回答No.22

 回答番号:No.10  groonさん⇒私にとってはとても難しい内容のようです。  投稿欄者⇒そうだと存じます。自分が認識しようとする対象ではなく、自分が認識されている対象だということであるためです。  groonさん⇒その創造者についての質問ですが、創造者というものがいるとお考えになる根拠を知りたいです。  投稿欄者⇒創造者の中にいて、創造者を知りたいというのは、海の中の海水が海をしりたいってことのようです。  groonさん⇒私の思考は、どちらかと言えば科学的よりだと思いますが、創造者、あるいは神といった存在を必ずしも否定しようとは思いません。  投稿欄者⇒それでもいいのでしょう。  groonさん⇒むしろ科学者でもその「何かしら」の存在を肯定している人は多いのかもしれません。ただいるという根拠が無い以上それは想像になってしまいます。 その存在を心で感じるというのであれば私に理解できないのが残念ですが。  投稿欄者⇒めがねをかけておりながら、めがねを探している友人がいました。想像じゃしょうがないですね。海水が海を自分の中に組み入れようとしているみたいですね。

grooni
質問者

お礼

親切にご回答ありがとうございます! >創造者の中にいて、創造者を知りたいというのは、海の中の海水が海をしりたいってことのようです。 なるほどと思いました。ですがもし自分が意思のある海水だとして、私は海という広大なものの一部だったんだということを知る事ができたら幸せに感じるかもしれません。

回答No.21

#1です。 連投となりますが失礼します。 私以外の回答者の方々の意見もかなり納得のいく内容があり、とても感心させられます。 宗教的に見た論、物質科学的に見た論、どれも素晴らしいものだと思います。 今度は科学的な視点で見た場合について 何度と無く隕石が衝突し、その惑星自体の回転軸がずれる事による絶妙な四季を作る現象ともなった地球、それらもまた生命が誕生する発端とも言えます。 数学的に星の軌道に対し、かなり絶妙な角度での隕石の衝突、何度と無く訪れた氷河期、太陽光やまだ冷えていなかった時の地球の地熱、様々な要因もあり今の安定期もあるわけですね。 人が生まれた根源といいますか、生命がそれらの要因によって必然的とも偶然的とも言える形で誕生し、何度と無く進化を繰り返してきました。 進化の影にはやはり絶滅もあり、大昔のマンモスは当時地球上で最強と言われていても、来る氷河期には巨躯を隠せず凄まじい冷気にあてられ、そのまま絶滅。 対して人の祖先はその時から火を焚くという技術を身に付けていたともされ、洞穴や空洞に身を隠して氷河期を生き残る。 それが進化と絶滅、進化する生物の影には絶滅する生物もいる。 戦争にしても勝って生き残る国もあれば、負けて滅びる国もある。 そうして繰り返し、より「強い種」となり生き延びてきたわけですね。 星々との相互間の関係も氷河期を作る要因にもなっているわけで、進化の過程に環境の変化もやはり重要な要素となるようですね。 そこで今まではそうして文化を築き上げて進化してきた人なわけですが、今回の進化はちょっと何か内容が物理的な物とは何か違う局面をむかえているようにも感じられます。 進化の影に苦境がありますが、今の世界で見たらまだ完全とは全く言い切れませんが、今までの環境に対する物理的な進化ではなく、質問主様の意見のように何かを「想い、考える」という面での精神学的な分野での進化となるのでしょうか? だとするとその進化に必要な要因は何になるのか…? とりあえず生きる事に必要なものと言ったら、水、環境に耐えられる衣食住、空気…。 十分ではない地域がありますが、大昔に比べたら整ってきている現代世界、生まれてきた意味、生きる意味をより深く、今まで以上に考える転換期に来ているとしたら、それを模索して見つけ出して進化する事がその答えとなるのでしょうか。 まとまりのない文章ですいません。

grooni
質問者

お礼

連投ありがとうございます。 こちらからのみのお礼で失礼します。 宗教的見解、科学的見解、どちらもとても興味深かったです。 確かに宗教の方は少しSF的なところもありましたね。 余談ですが私は藤子・F・不二雄のSFが大好きなんですよ。(どうでもいいですね。) 宗教の話はもちろん根底には人を正しい方向に進ませようという魂胆があるのでしょうが、それにしても合格者が一人というのは難易度が高すぎですね。 神様はなんのためにそんな試練をあたえているのでしょうね。 科学的な視点の法に関してですが、やはりこちらでも転換期という言葉が出てきましたね。 私が転換期を迎えていると感じたのは、進化に関して何か行き詰まった感覚があるからだと思います。(おそらくそう感じている一般人は多い事と思いますが。) ヒトは爆発的な増加力で未だ増え続けています。頭の方も一気に進化して他の動物との差は圧倒的なものですね。 一番ヒトに近いチンパンジーなどでさえ言葉を話すことすらできません。 しかしヒト(特に現代の)はその進化ゆえに迷っているような所があると思います。虫や花のように何も考えずに生きていた方がいいのかもしれません。 すみません、話が脱線してしまいました。 宗教的な方も科学的な方も結論が以外に似ているところがおもしろかったです。つまりは生きている意味を探すことが生きている意味だということでしょうか。

回答No.20

#1です。 私が以前ネットにてある事を調べていた際に見つけたページ(今はそのページは閉鎖されています)にて私自身かなり興味を抱いた記述がありました。 かなり宗教学的な分類に入るものですが、大まかに説明させて頂きます。 1)全ての創造主、いわゆる神様と呼ばれる存在が実際に存在している。 2)宇宙の中でも生命が存在する星は地球だけではない。 3)それぞれの生命のある文化が存在する星には難易度が存在している。 4)地球という星の難易度はかなりずば抜けて難しい分類らしい。 5)神様はそれらの星の生命に対し、合格基準を設けている。 6)地球は現在基準に満たない落第者の集まり。 7)人は皆神の子、神たりえる存在。 8)生涯を終えて、人は魂だけの存在になり、初めて神様に採点をされる。 9)合格点に満たない者は落第、また現世に戻される。 10)神様は難易度の高い地球に対し、今までに稀に何度か救済措置としてマイナスポイントを0に戻す清算をしてきた。 11)最後の救済措置を近々行う予定らしいが、人の皮を被った悪魔がこれを妨害しようとしている。 12)救済措置とは天変地異(大地震、大津波等未曾有の自然的な大災害を指す)、悪魔の妨害とは核戦争等による人為的な地球の破壊を指す。 13)この救済措置時、合格出来なかった者は神様は地球ごと捨てる。 14)現在地球上で合格点をもらっている者はたった一人。 15)人が生を受けた時に魂のリセットを行い、神様からの宿題を忘れるようにプログラムされている。 16)神様からの宿題を思い出して、それをいかに実践出来るかが合格のための条件。 何のために生まれてきたか?という点の問題に対して、上記のように宗教学的に(SFっぽいところも多々ありますが)こういったものがあります。 ただ、そのページもページの作者の意向で今はありませんし、それを見た私からはどうすればいいのか?という事はお教えできません。 本来一人一人誰もが持ちえる当たり前の事なのですが、如何にしてそれに気付くか、如何にしてそれを実践していくか、それをどのレベルまで高めていけるかが問題のようです。 まぁそれに当てはめて考えればまだまだ私は落第点というか、マイナスポイントだらけな訳ですが…; その問題のヒントとするならば、お釈迦様やキリスト様等と言った宗教の最高位の方々の行いに着目する事ですかね^^; という見方もあるようです。