• 締切済み

どうして生命は産まれたの?

近年、宇宙が誕生してから137億年経つと言われてますね。 とても長い時間のように感じる反面、そこまで途方もない数字ではないような気がします。 地球の歴史が約46億年、生命の歴史が40億年ということを考えると、宇宙の歴史の約3分の1ほども生命は繁栄してきたんですよね。 あるいは他の惑星にはもっと以前に生命が存在していた可能性もあります。 そう考えると生命が誕生したことには何か必然性があるように感じませんか? 単に偶然の産物として産まれたとしたら、少し出来すぎてる気がするのです。 さらに生命はただ存在しただけでは無く増殖・繁栄し、進化をし続けています。 何か意味があることなんでしょうか? 私たちはなぜ産まれたのか。 多くの人が一度は考えたことだと思いますが、科学的でも哲学的でも、あるいは宗教的な考えでも、どんな視点からでもいいので、皆さんのお考えを聞かせてください! もちろん専門科の方でなくても結構です。沢山のご意見をお待ちしています!

みんなの回答

回答No.9

生命活動は、単なる物質循環の一形態にしか過ぎません。 もっと単純なところでは、対流とか、攪拌とか、様々な循環がありますが、 増殖・繁栄し、進化し、有機物を集積し、拡散して、物質循環をしているのが、生命活動です。 循環形態のバリエーションのひとつです。 それだけです。

grooni
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >循環形態のバリエーションのひとつです。 かなり簡潔に言い切れるものなのですね。 もし良かったらそう考えられる根拠などを詳しくお聞きしたいです。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.8

追伸 >>生物の目から離れて物理の目で見ればそれは偶然としか言えないということでしょうか。 ● そうですね。どのように数式を積み重ねてもロボット程度にしかなりませんものね。生命や宇宙の神秘からは程遠いということにいつまでも気づかないんですね。これは自戒も含めてます。 >>その「思い」というのがいったいどんな物なのか気になります。 ● 「増殖・繁栄、進化」という質問者さんの言葉がそのまま『思いの因子」の一つでしょうね。言い換えれば「発展・繁栄因子」ですね。もう一つありますね。それが「調和、大調和」という因子ですね。これらはみな同等にもってるんじゃないでしょうか。調和は言い換えれば平和や日本流の和の心ですから、みんな知ってる共通の思いですね。 元は一緒という考えに立脚すれば、外で探さなくとも最初の因子はみんな心の中にあるはずですね。「発展と調和」は相反する因子ですので大調和がこれを含蓄するのでしょうね。近代ではこれを「自由・平等」といってますね。まあ、相反因子もあるけど「真・善・美」の因子もありますよね。 「発展と調和」を土台に「真・善・美」のある思いが最初にあった思いかなとも考えられますね。 まあ、哲学カテで遊んでください。なにか見つかるかもですね。

grooni
質問者

お礼

追伸ありがとうございます。 「思いの因子」という考え方はなかなか興味深いところです。 生命(というより宇宙?)の存在にはその根源となる「思いの因子」というものがあったのでしょうか。 言い方はそうどうであれ、私も宇宙の根底にある大きなエネルギーの存在を意識しています。熱エネルギーや電気エネルギーだけではなく、もしかしたら空間の広がりや、時間の経過などのエネルギーと生命エネルギーの根源は同じなのかもしれないと思っています。 >「発展と調和」を土台に「真・善・美」のある思いが最初にあった思いかなとも考えられますね。 哲学的な考え方かもしれないですが、熱力学的な考え方にどことなく似ているような気もします。 大変参考になりました。

  • o-sai
  • ベストアンサー率19% (199/1001)
回答No.7

熱エントロピーという理論があります。 太陽(光)エネルギーを受けて育まれる生命は、星という固体エネルギーを運動エネルギーに分解して空間に放出していきます。 熱エネルギーは必ず広がり、放出された空間から再び集めることはできない、という一方的な流れですが、 宇宙空間がビッグバン以来広がっているという根本原理の元で、こういったエントロピー現象は起きます。 生命現象は存在地点を地球上のあらゆる地点に広げていますが、やがては宇宙空間にも進出する知能を持ち、他の星々にも生命活動を伝播していくでしょう。 これが生命の存在理由です。

grooni
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます! 僕の苦手(勉強不足)な熱力学的な見解ですね。 以前なんかの本で「生命活動は熱力学の法則に反している」「生命はエントロピーを食っている」と唱えた人がいるという話を読んで、「おおっ」と思ったのですが、あっさり否定されてしまったようですね。 おもしろい考えだと思ったのですが…。 貴重なご回答ですが生命が宇宙へ広がることに何か特別な意味があるものなのでしょうかね?

回答No.6

森羅万象の全ては私が生まれる必然のために 存在し、変化し、増殖・繁栄し、進化してきました。 そして私はこの宇宙を創造するために生まれました。

grooni
質問者

お礼

??あなたは誰でしょうか?? でもなんか奥の深い言葉のようにも感じます。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.5

参考程度に >>そう考えると生命が誕生したことには何か必然性があるように感じませんか? 建築材料が、それ自身、偶然に集まって偶然に家が建った。ということはまっとうな者なら誰も信じない話ですが、現代物理はそれが正しいというのですね。当然、私は悩乱しているとしか思いませんので偶然など無いと信じてます。 偶然など無ければ、誰かがそのように創ったとしか思えないとなります。じゃ誰がとなるわけですが、私でもなければあなたでもない。とも考えないのですね。おそらく全ての生命の総体、あるいは集合体が最初に存在し、それが分離し個性化していった。と考えるのですね。 生命の木という考え方ですね。太い幹がありその幹から無数の太い枝が出、その枝から更に無数の枝が出、その枝から更に無数の小枝がで、小枝の先にまた小枝、その小枝の先に大小の葉が茂っている。という見方ですね。 大小の葉がさまざまな生命体、小枝の違いは民族の違い、生物種族の違い、枝は惑星の違い、太い幹は銀河の違い、一本の木は一つの宇宙・・ という見方ですね。 最初は一本の木ですが木が成長するにつれ枝が生まれ、葉も付き花も咲いた。 この考え方が正しいければ、全ての生命体の元は同じはずですから、私もあなたも、その最初にいたはずですね。つまり、宇宙を作るときの思い、銀河を創り太陽系を創り、地球を創り、生命体を創った時の思いがあるはずですね。 仏教では、その思いにいたることを大悟といってますね。誰しも大悟できるわけじゃないですが大悟した仏陀が、誰しも可能なことではあるといってますから、それを信じれば全てが必然なんでしょうね。

grooni
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 >建築材料が、それ自身、偶然に集まって偶然に家が建った。ということはまっとうな者なら誰も信じない話ですが、現代物理はそれが正しいというのですね。 興味深い話です。 そういう例えを出されると、偶然かどうかという問題は別にあるような気がしてきました。 確かに物理の面から物を考えれば家がたったのは偶然と言えるのかもしれませんね。 私たちからすれば当然家が建つ事は必然であり、誰かの「意思」によるものだと言えますが、生物の目から離れて物理の目で見ればそれは偶然としか言えないということでしょうか。 生命の木の考え方は一つの説として説得力がありますね。 >つまり、宇宙を作るときの思い、銀河を創り太陽系を創り、地球を創り、生命体を創った時の思いがあるはずですね。 その「思い」というのがいったいどんな物なのか気になります。

noname#194289
noname#194289
回答No.4

kaitara1ですが、文字どおり心が凍る説があります。それは地球は過去に超氷河期があって地球全体が氷の塊(アイスボール)になっていた時期があったという説です。何となく楽観的に(?)に生命の発展がイメージされているようにも感じられますが、すべて偶然であるという悲観的な考え方にも根拠があるように思います。滅びることも確実ですがこれもまた偶然ではないかと思います。将来の地球は今の火星のようなものらしいです。だからこそこの偶然を大切にしようということになるのかもしれません。

grooni
質問者

お礼

>何となく楽観的に(?)に生命の発展がイメージされているようにも感じられますが、すべて偶然であるという悲観的な考え方にも根拠があるように思います。 というのはどういう意味でしょうか、大変興味があるので詳しくお聞きしたいです!

noname#194289
noname#194289
回答No.3

どうしても結果論になるのではないでしょうか。人間のような生物が存在することを否定できない以上、そのような結果になったことを説明する説がほしくなります。結果論というのは、たとえば恐竜全盛の時代に巨大隕石が南米に落下して恐竜が絶滅したために、哺乳類が繁栄することになったというものです。その結果人類のような生物が出てきました。隕石の落下と人間のような生物の出現を理論的に結びつけることは難しいと思います。

grooni
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます! なるほど確かに結果論になるかもしれませんね。ただ結果論でも突き詰めていくことはできそうな気がするんです。 >隕石の落下と人間のような生物の出現を理論的に結びつけることは難しいと思います。 つまり隕石の落下は偶然であり、哺乳類である人間が誕生したことも偶然ということですよね。 ですが私が問題にしたいのは恐竜が滅びたのに生命は滅びずに生き延びたというところです。 これまで生物の大絶滅の危機は何度もあったようですが、結果として生物がそれを何度も乗り越えて繁栄し続けたことは、ちょっと偶然で片付けたくない気がしませんか? この疑問に対する答えは「説」しか出ないかもしれませんが、推測は当たることもありますし、いろんな説を聞きたいです。

noname#96295
noname#96295
回答No.2

なんとかして残したい記憶があったのかもしれませんね。 情報を何億年も、ずっと傷つけずに保存するために、 器になってもらえる部分は自己代謝していくというシステムが ちょうどよかったんでしょうね。 どんな環境変化にも柔軟に対応して保存されるように、種もたくさん用意して。 かなあ。

grooni
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます! >なんとかして残したい記憶があったのかもしれませんね。 そう思う気持ちはなんとなくわかります。 どんな記憶をどうして残したいと思ったのでしょうね。 >器になってもらえる部分は自己代謝していくというシステムが ちょうどよかったんでしょうね。 どんな環境変化にも柔軟に対応して保存されるように、種もたくさん用意して。 そのシステムというのが良く出来ているんです。出来すぎているくらいです。 偶然できたというよりは何かしらの意図があって作られたような…。 もし自分たちの「意志」でそのシステムを作り上げたとしたら、よっぽど強い「意志」ですよね。 そう考えると、なにか生命以外の第三者的な存在を感じますね。これ以上はSFか宗教になりそうですが。

回答No.1

はじめまして。 私的な意見ではありますが、どうして生命が存在するようになったのか?それには答えは無いと思います。 天文学的な物理現象、偶然の産物、神の気まぐれ、運命めいた出来事等、そのどれにも当てはまらないのではないかと思われます。 人の考えは千差万別、こうだと言う人もいれば違うと言う人もいる。生き物にも種類があり、植物のように感情を表すことも出来ない生命もあれば、人のように感情も表せて「心」というものを持つ生命もいる。 それよりも人間という生物はなぜ「心」を持ち、それを表現出来るようになったか? その心があるために科学的に考える方もいれば、心に訴える方もおり、宗教学的な物の見方をして神の意思だと仰る方もいます。 ではなぜ人だけに物を作る力があり、話す言葉があり、感情とは違う理性を持つ事になったのだろうか? それら全てに根源的に共通している事は「心」があるからではないでしょうか? 心があるから様々な事に喜び、悩み、楽しみ、苦しむ。質問主様のような疑問を持つ事も心があるからではないでしょうか? もし理性を持たずに本能だけで生きているのであれば、そういった事に対しても何も疑問を抱かないのではないでしょうか? 改めて言わせていただきますが、答えは「ない」と思います。 強いて言えば、自分の「心」が一体この先どこを向いていくのか?それを知る事、結論を出すために生きる事が、それぞれの生命が持つテーマであり、答えになるのではないのでしょうか? 何のために生まれてきたのか?何のために死ぬのか? 皆さんは一体どんな答えを出すのでしょうね。

grooni
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます! 生命の誕生は偶然ではないが意味はないというのはなんとなく矛盾を感じます。 それとも答えは永久に知る由もないということでしょうか? どちらにしても答えが無いという事は私たちは滅びてもいいということになりませんか? 産まれて来たからには死にたくない、生きたいというのは解るにですが、子孫を残したいという思いはそれとは関係がないように思います。 死にたくないというだけならば繁栄はしないわけですから。 それでも今日まで40億年もの間生命は繁栄し続けている。 >強いて言えば、自分の「心」が一体この先どこを向いていくのか?それを知る事、結論を出すために生きる事が、それぞれの生命が持つテーマであり、答えになるのではないのでしょうか? 難しい奥の深い答えですね。永久に出ない結論を探すために生きているような気分です。「心」というのは確かに大切なキーワードになりそうですね。