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どうして生命は産まれたの?
近年、宇宙が誕生してから137億年経つと言われてますね。 とても長い時間のように感じる反面、そこまで途方もない数字ではないような気がします。 地球の歴史が約46億年、生命の歴史が40億年ということを考えると、宇宙の歴史の約3分の1ほども生命は繁栄してきたんですよね。 あるいは他の惑星にはもっと以前に生命が存在していた可能性もあります。 そう考えると生命が誕生したことには何か必然性があるように感じませんか? 単に偶然の産物として産まれたとしたら、少し出来すぎてる気がするのです。 さらに生命はただ存在しただけでは無く増殖・繁栄し、進化をし続けています。 何か意味があることなんでしょうか? 私たちはなぜ産まれたのか。 多くの人が一度は考えたことだと思いますが、科学的でも哲学的でも、あるいは宗教的な考えでも、どんな視点からでもいいので、皆さんのお考えを聞かせてください! もちろん専門科の方でなくても結構です。沢山のご意見をお待ちしています!
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- JidousyaGaisya
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本当に生まれたのでしょうか? 此の世は妄想由来の虚構だったりして、…。
- kamizakana
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科学で↓こんな考え方もありますよ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%8E%9F%E7%90%86 「生命が生まれるのは奇跡的な確率だから、神の介入はあったんだ!」って人もいますが僕はそうは思えません。 無数の失敗(生命のいない世界)は全く知ることが不可能なので。 何億、何兆、何京分の一の確率でも起きるときには起きてしまうものなのかもしれません。 ところで、「意味がある」とは一体どういうことでしょうか? 「赤い」という言葉が「赤い」という意味をもつのは何ででしょう? 誰かがあなたの名前を呼ぶ声がしたとして、 科学的・客観的にはその「声」は単なる空気の振動です。 それがなんで「あなたの名前」に聞こえるかといえば、あなたがそう思っているからです。 「意識」無いところに「意味」は存在しえません。 答えを求めるべきは「客観」ではなく「主観」。 どんな事実や歴史があったにせよ、その「意味」を思うのは個々人なのです。 だから、あなたの思う「生命の意味」があなたにとっての正解なのだと思いますよ。
地球が生命が、誕生した目的は、脳と自然が出会うためです。生命の特徴は、脳がある事です。地球は脳と自然が交わったらどうなるか?というシュミレーションの世界です。だから脳の発達がポイントです。人類がことばを話すようになると、急激に脳が発達しました。なぜかというと、言葉が脳を刺激するからです。現在は、脳の分身である言葉、コピーのパソコンのネットワークで、自然に対して、脳が領土を拡大しています。また脳の科学で、自然を破壊し、自然との戦いに勝利しました。今は脳が最高に繁栄しています。しかしこれが原因で、地球上の生物にストレスが発生しています。脳はストレスの源で、自然の情緒は癒しの源です。両者は反比例です。だから脳が拡大した分だけ、情緒が減少しています。テレビのニュースで、世界中の蜜蜂が減少していると言っていました。日本でも、この春は、少なく農家が困ってます。学者が原因はストレスだといってました。日本でも熊や猪などの動物や、カラスなどの鳥の、異常行動が頻発しています。原因は脳の拡大による、情緒不足によるストレスです。科学者アインシュタインは、蜂が居なくなって4年後に、人類が滅亡すると予言しています。そうすると2012年が、節目かもしれないです。
- kamiizumi
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>もしこの星に対する感謝という風に考えたらその点についてはどう思いますか?kamiizumiさんの言う感謝の気持ちというのは人間や社会に対してのものなのでしょうか? 連投失礼します。 一つ前の回答では言葉不足になるかと思いまして、改めてこの問いに答えさせていただきます。 私の指す「感謝」の気持ちは、人間や社会に限定したものではありません。 確かに関わってくるメインとなるのは私自身「人間」ですから、人間間や社会の環境がメインとなるように映るかもしれません。 #21にて人が生きるのに必要なものとして挙げたものがありますが、それら物質が存在するには人の手では作り出せません。 自然の力、宇宙の神秘、それら要因があって初めて存在するものです。 人間は物を作り出す事が出来る生き物だ、とされていますが、正確に言えば「物を作り変える」生き物の間違いなのではないでしょうか? 例) 酸素を作るためにはオキシドールと二酸化マンガンを化合して作ります。 ↑こちらの例を見ると酸素を作っているように思えますが、実際は作り変えているだけの事になります。 その事から人間は無から有を作るのではなく、有から有に作り変えているだけの事です。 そう考えると人間が生まれてから、初めから存在していた水や空気、食料の元となる素材、住まいの元となる素材、それら全てに「ありがたい」と思えませんか? 私達人間はそれを頂戴して、私達人間の文化を築き上げたに過ぎません。 もし、水も空気もそれら素材も無かったとしたら、人間を始めとする生命は生きていられますか?それ以前に生命は誕生していましたか? 結局の所、無から有へ物を作ることが出来ない人間は所詮神様と言われる存在の真似事しか出来ませんし、今発達している機械文明の最先端ともされるロボットも、どこまで限りなく生命に近づけることが出来るか?という領域でしか出来ないと思われます。 それに人間は一個体だけでは生命を作る事も出来ません。 雄と雌、つまり男と女がいて初めて子供が生まれます。 性行為を行い、女性のお腹に新しい生命が宿る。 その生命は今までの人間の進化の過程を濃縮した形でお腹の中で成長していきます。 単細胞だったものが他と交わることで複数細胞へと変質して、それがいずれ子供になる。 そう考えるとその「出産」という瞬間だけが一番、無から有を作り出す事に近いように思えますが。 それに当てはめると神様と言われる存在は男の性質を持った女とも考えられそうですね。 宗教的なものに物理学的なものが混じっているのでわかりづらくなったかもしれませんが、話をもとに戻しますと、それらの要因全てがあったから「私という存在」が存在出来る。「感謝」しています。 そのため、私の言う感謝という言葉は人間や人間社会という小さな枠だけではなく、もっと大きな枠としての意味になります。
- kamiizumi
- ベストアンサー率75% (6/8)
#1、#20、#21、#27です。 質問主様の言われているように、確かにこの地球上には今人間が多く生まれ、その人間が自分達にとって都合のいいように文化を創り、発展させてきた事が地球環境を壊し、様々な生態系に対しても破壊する結果となってきているのは確かですね。 #34の回答者様のマヤ歴2012年に世界のリセットという事についてですが、私の以前の書き込みでも触れていますが、天変地異による世界淘汰か核使用による世界淘汰か?という事であれば正解は天変地異によるものであるとされます。 どちらも世界にとってかなりのダメージになる事は確かですが、似ているようで全く異質のものです。 天変地異によるものであれば、人間や他の生命の文化も核使用同様に壊れますが一過性の物です。待っていれば数年も経てば自然の治癒力により地球の自然としての形が戻ります。 対して核使用の場合は壊れた後、地上が汚染されて自然の治癒力が効果をなさなくなり、元の形に戻るにはそれ以上に時間の経過が必要となり、その上核エネルギーの衝突は小惑星が衝突するものに匹敵する威力とも言われ、下手をすれば今の太陽の周りを周る地球の軌道も大きく逸れて、生命が育たない環境にも成りかねないともされています。 それと現在の北朝鮮の核問題について、私が思うにこの問題は金総書記の独断と偏見によるものではありません。裏で手引きしている者がそう仕向けるように指示しているものとされています。 引田天功さんはお名前くらいはご存知でしょうか? 引田天功さんは以前貧しいと言われている北朝鮮にイリュージョンのショーを開催してチャリティー的なものを行いました。 その際に金総書記と会談する機会があったそうですが、金総書記の意向でその会談内容は漏らさないようにしてほしいと言われたそうです。 その際に金総書記は完全に全てを話してはいなかったようですが、「本当は私の意向ではない。国民達に対しても辛い生活を送らせる事については胸が痛い、申し訳ない気持ちだ。ただ私の立場がそれを出来ない状況にある、そのままここまできてしまった。私はもう止まることが出来ない。」と言う内容を伝えたそうです。 引田天功さんはその後国へ戻った後、金総書記の言葉を守り出来る限り伝えないようにされたそうです。 話が本筋とかなり脱線しましたが、米国の軍備強化についても同じく、根源を辿ると実は北朝鮮を手引きしているものに辿り着くようです。 一触即発状態の今の状況ですが、戦争を任意で引き起こそうとしているものが暗躍しているという事らしいです。 ただ、その暗躍しているもの達はずば抜けて賢いため、絶対に表舞台には出てこないですが。 それと前述の「感謝する」という言葉に関してですが、宗教的なもので言うキリスト様のお言葉をお借りすると「汝の隣人を愛しなさい」、これと同義であります。 キリスト様の言ったこの言葉、これは今の人がよく使う好いた惚れたという意味での恋愛感情とは似ているようで全く異質のものです。 この言葉と同時に「汝の敵も愛しなさい」という言葉も残しています。この事からもわかる通り、普通自分の敵と思ったものに対して好きだとは思いませんよね? これは自分にとっての試練に対して、自分を育ててくれる事に感謝しなさいという意味で残された言葉とされます。 ただ、今の仏教にしろキリスト教にしろ、その他の多くの宗教にしても本質からかなりブレた内容を教える僧が多いので当てには出来ませんが…。 これらの宗教全てに共通する本質を真に理解している人、それが以前言った現存の地球上でただ一人の合格者と言われています。 「アンマ」で検索をかけるとわかります。 …質問の本題からかなり逸れた内容になってきているような気が…w トピ汚しすいません;
NO12です。仮の世界については、日本の古典文学や仏教の教えに詳しい記述があるので参考にしてください。要約すると、この世界は、実像の本当の世界から投影された、影絵のような世界です。だからこの世界は、空とか無とか幻想で絶対的なものは何もありません。脳の自我と、自然の心の無我が、交わるシュミレーションの世界です。また仮の世界なので、始めと終わりがあります。終わりが来ると、仕切りなおしなので、それぞれ元の世界へ、脳は脳の世界へ、人は神の世界へ帰ります。予言ではマヤ暦などで、2012年だと言われてブームになっています。
- 11133111
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宇宙が出来て137億年と言っても、いったい何世代目の宇宙なのか~?そもそも宇宙は誕生しては崩壊しての繰り返し、その途方も無い惑星の中でどれだけの生命の物語が有ったのだろうか、そしてこれからも…
- hakobulu
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#26です。 >(神が)「いる」か「いない」かは私の中では本当に五分五分です。今のところですが。 :私もそうですね。 完全否定はできませんし、する気もありません。 ただ、いるかいないかわからないのだから、いないとするしかない。 ということになるでしょうか。 少なくともいることを前提にした思考は意味が無いと思います。 わからない、とするのが一番正しいのでしょうが、それはいないものとすることとほぼ同義でしょう。 >なるほど生命誕生には水が不可欠ということの逆転の発想のような気がします。 もしできたら、そうお考えになった経緯や裏付けなどもお聞きしたいところです。 :単なる妄想です。 人間は何でも自分の都合のいいように考えてしまいますが(それは決して悪いことばかりではないのですが)、まさか生命に必要だったから水が存在したということではないでしょう。 水を必要とするようなエネルギー体として生命が必要だった、というように考えると妙にすっきりするかな、と思っただけです。 宇宙も相当深部まで解明されつつありますし次々と新しい展開が待っているのでしょう。 しかし、これが宇宙の端、というものは(端がイコール実はスタートラインだった、などということでもなければ)無いはずでしょうから、どこまで行っても、その先は、その先は・・・、となっていくとしか素人には考え付きません。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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>意志と意思を使い分けておられますか? grooniさん:『すみません特に使い分けているつもりはありませんでした。本来感情を持っていないだろう海水が感情を持っているとしたら、という意味で使いました。特に深い意味もありません。でもそうですね、これからは使い分けようと思います。』 krya1998:ここで質問を出したらいいですよ。 grooniさん:『krya1998さんはおそらく私より二周り以上』 krya1998:二・二六あたりです。文章が難解ですか、表現がですか。私自身は率直、飾らず、直接、端的に表現することをモットーにしておりますが、至到りませんで申し訳有りません。 grooniさん:『時空という存在が概念的なものかと聞かれたら、・・』 krya1998:『時空という存在』が『概念的なもの』としてあるのですね。 これは存在なのですか?概念的なものなんですか? 概念的とはどういう意味ですか?カテゴリーという意味ですか? 認識・知覚・経験のカテゴリーという意味ですか?それとも創造のカテゴリーですか? grooniさん:アプリオリという言葉 krya1998:取り急ぎ投稿しました。ご参照ください。 grooniさん:『私たち生命が存在しなかったら、はたしてこの時空間も存在しないといえるのか、それは難しいですが私はノーだと思います。』 krya1998:(1)難しいというのは、判断することにおいて難しいという意味ですね。 存在することが難しいのではないですね。 (2)ノーだと思いますというのは、私たちの生命が存在しなかったら、時空間も存在しないということについてノーだと思われるのですね。つまり私たちの生命が存在しなくても、時空間は存在する、ということですね。 grooniさん:『例えばですが、インターネット世界というものは我々がこうして過ごしている時限とは違うところに時空と呼べるべきものがあるのではないかと考えたことがあります。』 krya1998:時限は次元ですね。それを頭に翻訳して、文章を読解します。間違っていたらお教えください。『インターネット世界いうものを、我々がいる次元を含む時空の世界ではないかと考えられないであろうか。我々がいる次元ではない次元も含んでいる、インターネット世界、これを時空として(図式として)見ることができないか。』ということでしょうか。 grooniさん:質問にお答えするとしたら、外界のカテであるということでしょうか。 krya1998:外界のカテということになると、人間の認識カテとの関係はどうなるのでしょうね。 grooniさん:インターネット=宇宙説の立証についてはあらためて他の質問として投稿してみようとは思いますが、そう考えるとインターネット世界の住人からしたら私たち人間が創造主ということになりますね。 krya1998:そういうこのお話は、まだ言葉が少ないので、なんとも申し上げられません。 grooniさん:krya1998さんの思想というものをあらためてお聞きしたいです。 krya1998:必要な事はなんらの惜しみもなく披瀝してきていますが、どうぞ何でもお尋ねください。お答えできる事は、一生懸命投稿します。 回答番号:No.30 grooniさん:わたしの質問の答えになっていますでしょうか? krya1998:何をご質問されておられるのか、ちょいと見つけられないのですが。 耄碌ですね。創造者の存在のことは、お答えしてあるのですが。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
アプリオリは正確にはア・プリオリでしょう。 アヒムサがア・ヒムサであるのと同じなんでしょう。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/4570/m0u/%E3%82%A2%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%AA/ 尊敬していた辞書ですが、意外と私より無知な方がおられるのか誤植か。先天的じゃぁ、まったく意味になりませんね。 アは否定で、経験以前の、経験を含まない、しない。ですよね。だから、先験的カテゴリーという岩崎さんの訳が正しいですね。 gooっていうのですか、変な解説に接するとがっかりしますね。 無論ですが、参考: http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/110482/m0u/%E5%85%88%E5%A4%A9%E7%9A%84/
お礼
すみません、わたしの質問の答えになっていますでしょうか? それとも私には説明するだけ無駄なんでしょうか?
補足
申し訳ありませんNo.30に対してのこちらからのコメントは私の勘違いでした。 私の「krya1998さんの思想というものをあらためてお聞きしたいです。」という質問に対しての答えかと思ったもので、失礼しました。 質問が質問を呼んでいるような状態になってきましたが、一つ一つコメントさせていただきます。(誤字脱字についてはご容赦ください。) Q:文章が難解ですか、表現がですか。 A:どちらもですが、特に文章の方ですね。申し訳ないのはこちらの方です。ゆっくり理解しながら読ませていただきます。 Q:『時空という存在』が『概念的なもの』としてあるのですね。 ・・・それとも創造のカテゴリーですか? A:人間が感じている時空というものは観念的かもしれないですけれど、時空間という存在はものはあると思います。という意味でした。私が「観念的」と「概念的」を間違えて使っていたようです。 Q:(1)難しいというのは、判断することにおいて難しいという意味ですね。 存在することが難しいのではないですね。 (2)ノーだと思いますというのは、私たちの生命が存在しなかったら、時空間も存在しないということについてノーだと思われるのですね。つまり私たちの生命が存在しなくても、時空間は存在する、ということですね。 A(1) 判断することにおいて難しいという意味です。 (2)今のところはそう思います。違うと思いますか? Q:時限は次元ですね。 A:「時限」は誤字でした、すいません。「次元」です。 Q:それを頭に翻訳して、文章を読解します。・・・ということでしょうか。 A:大体そのとおりです。我々の世界は4次元の世界だと言われていますよね。もちろん観念的にですが。インターネット世界というものは時間軸というものはあるかもしれないですが、我々の言う空間というものはありません。しかし認識の仕方次第で、時空と呼べるべきものがあるのではないか、と思う訳です。私の言いたい事伝わりますでしょうか? Q:外界のカテということになると、人間の認識カテとの関係はどうなるのでしょうね。 A:宇宙の存在は人間の認識の範疇を超えるでしょう。人間にはその存在を観念的にとらえるしかありません。 要するに認識できないものを認識できるように解釈してとらえているのが、観念的という意味です。 Q:必要な事はなんらの惜しみもなく披瀝してきていますが、どうぞ何でもお尋ねください。お答えできる事は、一生懸命投稿します。 A:とりあえず他に補足すべき事は無いでしょうか?無ければまたこちらから質問させていただきます。