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小泉さん、世論は断固として戦争反対なんですよ!!

戦争断固反対!!!の世論に迎合して英仏首脳が宥和策にこだわった結果、ナチスが増長し、あのような未曾有の惨劇につながってしまったと聞いたのですが、それは本当でしょうか?

みんなの回答

回答No.4

日露戦争後の日本も世論は戦争支持でした。

  • cse_ri2
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回答No.3

>政権を奪取したヒトラーは、第一次世界大戦で失ったドイツ領 >を取り戻すため、次々と近隣諸国を侵略します。 一部訂正。 侵略じゃなくて、進駐ですね。 戦闘が発生しなかっただけで、軍隊を他国領に進めたのです から似たようなものですが。 ・1936年 ラインラント進駐 ・1938年 オーストリア併合 ・1938年 チェコ・ズデーデン地方割譲 ・1939年 チェコ併合 ・1939年9月1日 ポーランド侵攻。第二次世界大戦に突入

  • cse_ri2
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回答No.2

本当です。 政権を奪取したヒトラーは、第一次世界大戦で失ったドイツ領 を取り戻すため、次々と近隣諸国を侵略します。 しかし、当時の大国であったイギリスとフランスは、世論が 平和主義に染まっていたため、領土的野心を剥き出しにして いたヒトラーに制裁を加えませんでした。 1938年にヒトラーがチェコのズデーデンランドの割譲を要求 した時、ミュンヘンの山荘にイギリス・フランス・ドイツ・ イタリアの首脳が集まって会談します。これがミュンヘン会談です。 この会談をヨーロッパの人たちは固唾を飲んで注目しました。 決裂すれば、戦争です。 しかし、イギリスとフランスは折れました。ミュンヘン会談で ヒトラーは勝利を収め、領土の獲得に成功します。 もし、この時点でイギリスとフランスが団結してヒトラー に強く要求の放棄を迫っていたら、あの第二次世界大戦が 起こらなかったかもしれませんし、また起こったとしても あれほど悲惨な戦争にはならなかったでしょう。 ミュンヘン会談当時はまだドイツの軍備が整ってなく、 あっさりと連合軍が勝利できた可能性も十分にあったのです。 しかし当時の世論の平和主義に押され、イギリスもフランスも 決断できませんでした。要求があっさり認められたヒトラー は勢いにのり、1年後にはチェコを併合、さらにポーランド にその手を伸ばします。 ドイツのポーランド侵攻をきっかけに第二次世界大戦へと 突入しますが、この時にはドイツの軍備も十分整っており、 強化されたドイツ軍が、ヨーロッパ中を荒らしまわる結果 となるわけです。 独裁者に時間的な猶予を与えるとどうなるか、実によい事例 かと思います。

qwertkp
質問者

お礼

小泉さん自身も「世論が正しくない時もある」と言っていたと思いますが、世論に迎合すると破滅することもあるということのようですね。 ありがとうございました。

noname#30871
noname#30871
回答No.1

 ご存知の上でおっしゃっているネタのように見えますが……。

参考URL:
http://www2.wbs.ne.jp/~ryuzoji/List_ofHero.htm
qwertkp
質問者

補足

いえそうではありません。 たまたま人から聞いたことの真偽を知りたかっただけです。

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