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歴史ドラマや検証番組では(多分)意図的に無視される事実について
5月28日放送の「決着! 歴史ミステリー」では、笑っちゃうほど(真田)信之の存在が無視されていました。 幸村(信繁)をかっこよく描く為に、信之を悪者にするとか言うのではなく、もう「いなかったこと」にされていたようです(多分「天地人」も似たようなもんなんだろうなぁ…) 真田家を後世に遺したのは信之兄さんだ~~!! まあそれはともかく、ドラマ上の都合として、しばしば無視される史実ってのはありますよね。沖田総司は実はぶ○いくだったとか…(あ、これは「一説」で「正しい」わけじゃないですよね、ファンの皆様すみません) あー、あと秀吉が主役以外の信長-秀吉主従は、なぜか秀吉のほうがオッサン率が高いとか(秀吉の方が年下ですよね?) 大体江戸初期も末期も服装だの家のセットだのがほぼ同じってのも、ナニといえばナニなんですけど、時代考証の方も「判ってるけど予算の関係で…」だそうだから仕方ないっすね。 そんなこんなで、「大人の都合」で歴史ドラマや検証番組では無視されがちな史実について、どんなものがあるか教えていただけないでしょうか。
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戦国武将の「男色」ですね(笑)。 検証番組でわある程度やりますが、ドラマや映画などでわ完全に無視されます。 現代人の感性や風俗で歴史物を語る矛盾ですね(笑)。
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- debukuro
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義経が一ノ谷を馬を担いで降りたのはポニーであったから 古い版画で軍馬は人と同じくらいの大きさになっています 騎馬戦は行われずに馬を降りて戦った 馬で戦場を駆け回ることはしなかった 大砲が撃ち出すのは砲丸なので炸裂はしなかった 鉄砲玉は転がるので下向きに撃つことはできなかった 戦場で使うのは反りの大きい戦国刀であり刃こぼれ対策に多数の予備を持っていた
お礼
回答ありがとうございます。 そういえば「馬に乗るナポレオン」の絵も、本当はロバだったと聞いたことがあります。そうやってせっかく「かっこいい自分」を残そうとしたのに、現代人って無粋だなぁ(…って、私のことかー!)
- eroero1919
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だいぶ前の映画ですが、千利休を扱った映画でリアリティを追求するために戦国武将の名前を史実に忠実にしたやつがあったと思います。一例をあげれば、明智光秀を惟任日向守とかね。台詞が全部それなわけです。で、どうなったかというと、歴史好きでも誰が誰やらわからなくなるという素晴らしい作品になりました。 私の身近な人が江戸文化研究家をやっております。この方は荒唐無稽な時代劇はさすがにスルーするのですが、江戸時代についてちょっと真面目に取り上げた番組なんかを見るとその時代考証について必ずといっていいほどテレビ局にツッコミの電話を入れます。 ちなみにおおらかなアメリカ人は翌年のヒット曲を映画で流したり(「グッドモーニングベトナム」一番印象的なシーンでサッチモのヒット曲この素晴らしき世界がラジオで流されるがそれは発表される前の時代の話だった)、往年の名選手の左右打席を逆にしたり(「フィールドオブドリームス」映画の主題ともいえる悲劇の名選手シューレス・ジョーは本当は左打者なのに映画に出てきたのは右打者)しています。 ちなみに日本の映画「三丁目の夕日」は出てくる蒸気機関車のナンバーまで正確に描かれましたが、某局が力を入れて放送したドラマ「点と線」では当時まだ採用されていなかったクリーム色の電車が出てきたり居酒屋で独身女性が酒を飲んでいたり(当時は女性が人前で酒を飲むのはタブー)畳の上を靴で歩いたり(私でさえ子供のとき祖父にこっぴどく怒られた)とツッコミどころ満載でした。
お礼
回答ありがとうございます。 千利休の映画は見たことないのですが、さぞ素晴らしい(笑)作品になったことでしょう。製作者の勇気に乾杯! 「三丁目の夕日」はよさそうですね。今度観てみたいと思います。
- zep19
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はじめまして もし時代考証して当時のものとほぼ同じものにしたと仮定しましょう するとドラマは味気ないものになってしまいますよ 例えば馬 鎌倉や戦国時代の実際の馬は極めて小さく 遺跡から出土した数多い馬骨から推定した体長は130cmにも届きません 同時期の欧州でも小型のノリーカ種を騎馬用に使用していましたが それでも日本の馬より20cmも高い体長です また日本の馬の場合は幕末まで蹄鉄を知らず、代わりに草履のような藁沓を履かせていました 戦闘時はこの藁沓を脱がしますが、当然長時間の戦闘は絶対無理ですし 欧州やムスリムの馬のようにギャロップ(全力疾走=時速約18km位)はできず せいぜいその半分の速度の速足がいいとこです 他に去勢技術もなかったので従順さや発情期の使用に対しかなり問題があったようです これは一例ですが、これで歴史大河ドラマを作ったら誰もドラマ見る人いなくなるのではないでしょうか
お礼
回答ありがとうございます。 馬については詳しくなかったので参考になりました。 「エンターテイメントとしての嘘」についての私の態度は#5さんにお答えした通りで、否定するつもりはありません。 それはそれとして「実録! 時代劇をリアルにやるとこうなる!」とかを1時間番組とかでやったら、それはそれで面白いと思うのですがどうでしょう?(今はもういない馬とか、「言葉」が正確に判らなかったりとか、本当に「そのもの」を再現するのはどのみち不可能だとは思いますが)
- a-koshino
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『先公実録』所収の話では、真田信繁が差すと、どんな名刀も斬れなくなるとの評判が立ち、伝え聞いた舅の大谷吉継が、不名誉な噂の立たぬよう、来国俊の名刀を信繁に与えた、と。 上の話から推測すると、真田信繁は非力な小男、ということになりましょうか。 テレビに出てくる、幸村と名乗る大男、あれは真田信繁じゃあありません・・・w
お礼
回答ありがとうございます。 白髪で歯抜けで非力な小男、ついでにど貧乏。かわいそうだ、かわいそうな男だ真田信繁! あー、でも割と人柄については高評価な(冷静で温厚だとか)記述も残ってますよね。
- cobamax
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基本的に歴史史実と大河等のテレビ、映画では話が異なります 大河 映画等の手法は 原作→脚本→演出→監督→上映という考えで視聴率 興行収入を 目的につくられます この原作の段階ですでに歴史の史実と離れる場合があり *徳川家康 山岡宗八→肯定的 司馬遼太郎→否定的 それをもとに脚本家がだれでもに受けるよう脚色します *篤姫の宮尾原作には小松帯刀はほとんどでてきませんが田淵脚本では 中心になり篤姫と親しくなり囲碁までしています さらに監督が映画館に誰でもにきて貰えるよう興行収入が増えるようさらに面白くします この結果脚本家が誰を中心に描くかにより当時の重要人物が描かれない 場合もみられます、歴史史実とドラマ映画を同じ土俵で論じることは あまり意味がありません、それよりだれでもが歴史に興味を持ち 見てくれてその時代に光が当たるほうがよりよいでしょう (篤姫は高視聴率で幕末の歴史に光があたり幕末の本の読者が増えた のは喜ばしい限りです)
お礼
回答ありがとうございます。 基本的にエンターテイメントに「現実性」を求めないタイプなので、面白くする為のウソは全く構わないと思っています。現実、沖田総司を演じる役者さんがぶ○いくだったら嫌ですし(笑) でも、騙されっぱなしも悔しいので、一応「真実」も押さえておきたいのです。天邪鬼ですね。
- nene-k
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「大人の都合」というよりは、わかりやすさのための無視が多い気がします。 ●女の化粧・・・衣装はお金をかけて再現するのに、白塗りのお歯黒はしてくれない(美人が美人に見えないので、今のままでいいとは思いますが・・・) ●本名を堂々と呼ぶ・・・当時は、一生のうちでほとんど呼ばれる事がなかった本名を、何度も連呼してます(これも、「二郎三郎殿」とかって呼ぶより「家康殿」とかって呼ぶほうかわかりやすいのでしかたない) ●藩という呼び方・・・維新後の版籍奉還から廃藩置県までの、わずか2年間しか使われなかった「藩」という言い方が、あたかも江戸時代を通じて使われていたかのように登場する。 ●床机の使いかた・・・コレ、今まで一度も正しく使っているのを確認した事がありません(見ていない時代劇もあるので全部とは言いませんが・・・)床机は、クロスになって部分が横に来なくてはいけないのに、大抵、キャンプの折りたたみイスのように使われてます。 一つ一つの出来事を言い出したらきりがないし、まだまだ、他にもあると思いますが、一応、ドラマ&再現フィルムに関して、今、思いついたものだけ・・・
お礼
回答ありがとうございます。 >維新後の版籍奉還から廃藩置県までの、わずか2年間しか使われなかった「藩」という言い方。 そうだったんですか! 知りませんでした! 判りやすさの為の無視、私もこれが多いと思います。他にも大名の家に名札が出てるのはおかしい、なんてのもありましたよね。
- gonveisan
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天地人の樋口与六がお館の乱の時 武田勝頼に黄金を持参助力 味方頼みに行く場面 小僧に任せられないでしょう 真実は阿賀北衆の新発田長敦が行った見たい、その恩賞が不満の為後反旗ひるがえし景勝に逆らう。 その為お館の乱が長期に続く、文化講演会での話しでした。 義に生きた兼続後の上杉征伐の際山形の長谷堂城の攻略際婦女子に乱暴狼藉をした、義に生きた兼続とは 疑問 ここの回答にありました。 テレビや映画娯楽番組は昔から面白おかしく脚色してるもんです。
お礼
回答ありがとうございます。 >文化講演会での話しでした。 すみません、回答の内容そのものより、この事実にウケてしまいました。やっぱり歴史オタ…もとい歴史研究家の方はTVを見ながら「キィィィ~~~!」となってつい熱く語ってしまうんだろうなあ、と。いや、嫌いじゃないですよ、そういう方。
- buchi-dog
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真田信之は、NHKがかつて制作した大型時代劇「真田太平記」では実にカッコ良く描写されていましたよ。真田家が残ったのは幸隆・昌幸・信之の奮闘によるもの、信繁(幸村)は大坂の陣で武名を挙げたに過ぎないことがきちんと描写されていました。 さて、「大人の都合で歴史ドラマや検証番組では無視されがちな史実」を挙げるとすれば 「今川義元が名将であったこと」 ですかね。 今川義元は守護大名のボンボン、公家まがいの輩ではありません。 今川義元の伝記としては下記の本があります。 「今川義元」 ミネルヴァ日本評伝選 小和田哲男/著 http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/31423239 ※ 桶狭間の合戦に至るまでの義元の一生を知るには最適の本です。桶狭間の合戦の内容については、後で紹介する藤本正行氏の本の方が確かです。 義元は兄が若死にした後、弟との権力闘争を勝利して今川家の当主となります。この時、今川家の領地は駿河の3分の2(富士川の東の『河東』と呼ばれた地域は小田原の北条氏が占領)と遠江の、1国+2/3国に過ぎません。その支配にしても、戦国大名としての強固な支配ではありませんでした。 これを、1536年に家督を継いでから、1560年に桶狭間の合戦で討死するまでの約25年間で * 『河東』から北条氏の勢力を駆逐し、駿河全体を支配下に収める。 * 武田信玄、北条氏政と「三国同盟」を結び、本国である駿河、遠江の安全を確保する。 * 三河を支配下に収める。西三河の松平氏を傘下とする。 * 尾張の織田信秀・信長との戦いを優勢に進め、桶狭間の合戦の段階で、尾張の4分の1程度を支配下に収める。 ※ 桶狭間の合戦は、「尾張国内の今川家の領地」で行われたと言えます。 * 駿河・遠江・東三河の領国に検地を行い、支配の強化を図る。 ※ 西三河については、松平家を通じた間接支配の形であったようです。 と、「名将・名君」と言って差し支えない業績を挙げています。 桶狭間の合戦でのまさかの敗戦も「戦勝に浮かれて、防備を緩めて主演を開いているところを信長に奇襲された」などというものではなく、見方の城の後方の安全な所に陣を敷いていた所を、信長の予想外の攻撃にあって本陣を破られてしまったということのようです。 桶狭間の合戦については、現時点ではこの本の記述が最も信頼できると思いますが、「通説」とはだいぶ違います。 桶狭間・信長の「奇襲神話」は嘘だった 新書y 藤本正行/著 http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32172847 義元がいかに偉大な武将であったかは、義元が戦死した後の今川家が、あぶくのように溶けて消えてしまったことから想像がつくでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 >真田信之は、NHKがかつて制作した大型時代劇「真田太平記」では実にカッコ良く描写されていましたよ。 そうなんですか!? うわDVD借りようかな…。 さて、今川義元について調べてみました。確かに、歴史好きの人の間では名将との評判が高いですね。信長は日本で一番人気のある武将ですから(幸村も捨てがたいですが)確かにこれも「大人の都合」でしょうね。
- char2nd
- ベストアンサー率34% (2685/7757)
真田信繁が常に二枚目になっていること。実際はそうでもなかったらしいです(白髪だったとか、歯が抜けていたとか)。もちろん、幸村を名乗っているのも通説とは違いますね。
お礼
回答ありがとうございます。 白髪で歯抜けの49歳なのにあんなに頑張ったのだと思うと、それはそれで「偉い人」だったんだなぁと思いますね。
お礼
回答ありがとうございます。 だっ…男色! 知っていたけど忘れてた…というか思いつきもしなかったですよ。言われてみればその通りですね! 目ウロコです。