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すごいショックです。優しさの定理がわからなくなってしまいました。

本を読んでいて「自分を知る」 という章の中に 気が重い場所の名前をあげてみる。 僕はどこも思いつきませんでしたが、 そのあとの文章に、『貴方は、そこにいる人は、皆、嫌いなはずはず。 嫌いな人の中にいると、案外「嫌い」に気がつかない』 と書かれていました。 これには正直 傷ついて、思わず泣いてしまいました。 確かに嫌いな人もいますが、皆 好きです。 嫌な部分もあれば、良い部分だって誰にもあります。 そういう場所から抜けるのが優しくなれる条件なら、 優しくなくてもいいと思ってしまいました。 みなさんの場合、こういうことをしてでも、 優しい人になりたいと思いますか? 著者の方には申し訳ないのですが、 優しい人の定理がわからなくなってしまいました。

質問者が選んだベストアンサー

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  • nandakka
  • ベストアンサー率23% (45/190)
回答No.3

好きな人がいる。人のいいところに気が付く。 優しさって言うのは、例えばそういうことなんです。 好きな人がいて、人のいいところに気が付くあなた。 そんなあなたのことを「優しい人」っていうんですよ。 抜け出したい場所があるとしたら、そのことに自分で気づくはず。 思い当たらないなら、それはそれでいいんです。 だから、今のあなたとして好きになれる人を好きになればいいし、 人のいいところに気付けばいいだけのことですよ。 変な例えで恐縮ですが、今のあなたをおにぎりだとすれば あなたが無理にチャーハンになる必要はない。 おにぎりのままで、よりおいしいおにぎりになればいいんです。 あなたは既に十分おいしいおにぎりですし、 今以上においしくなってくれるなら、あなたの周りの人たちにとって こんなにうれしいことはありません。

pansy_15
質問者

お礼

良いところも悪いところも(自分も含めて)ある程度、見つけることは出来るんですけど… やっぱりちょっとあっただけじゃ、全部はわかり合えないんですよね。 >抜け出したい場所があるとしたら、そのことに自分で気づくはず。 場所自体は抜けたいんですけど…(ずっと大学はまずいですから(笑))でもどの場所にしても、僕のことを考えてくれる人がいる、思ってくれている人がいる、その人たちのために、自分が間違うかもしれないけど、全力でその気持ちに応えてあげたいだけなんです。 >今のあなたをおにぎりだとすれば あなたが無理にチャーハンになる必要はない。 おにぎりのままで、よりおいしいおにぎりになればいいんです。 あなたは既に十分おいしいおにぎりですし、 今以上においしくなってくれるなら、あなたの周りの人たちにとって こんなにうれしいことはありません。 じゃぁ、チャーハンのおにぎりで… 僕は、おいしく食べられるんですか? 僕は食べてもらう方が好きです。笑 おいしく、嬉しくなってもらえるよう頑張ります。 ご回答ありがとうございます。

その他の回答 (9)

  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1333/3623)
回答No.10

こんにちは。 No.9さんの書かれているように私も受け取りましたが、それと同時にもう一つの可能性があると思います。 >貴方は、そこにいる人は、皆、嫌いなはずはず。 嫌いな人の中にいると、案外「嫌い」に気がつかない あえて断定してしまうことで、本当に伝えたい部分を強調したかったのだと思います。 「皆を嫌い」ということを言いたかったのではなく、嫌い・苦手だなと感じる人が多い場所にいると「案外、人が原因で気が重くなっているのだとは気がつかない」ということを言いたかったのだと思います。 「この人苦手だな」と特定の人がいる場合は、この気が重い原因の一つは「この人」だなとわかりやすいですが、何人もいると気が重い原因が「特定の人」でないので、見えにくくなってしまうことがあると、そう書いてあるように思います。 だからこそ、あえて「気が重い場所」を思い浮かべさせ「皆、嫌いなはず」と、インパクトの強い文章にしたのだと思います。 >そういう場所から抜けるのが優しくなれる条件なら これは、文面から想像しか出来ませんが「気が重い場所から離れる」と書いてあったのでしょうか。 さっきも書きましたが、特定の原因がわからない場合、原因を知るため(自分を知る本なので、自分を知るためと考えてもいいと思います)にはあえて一度その場所から離れ、冷静に考えてみることは有効です。決して、人に優しくするために嫌いな人から離れましょうと書いてあったのではないと思います。(場合によっては嫌いな人から離れる必要はありますが、この本でそう言っているとは思えません) 質問者さんは、おそらくとても素直な方なのだと思います。ただ、素直すぎて最初に受けた言葉や感情に捉われやすそうな印象を受けました。 表面的なことに捉われて、大切なことを見逃してしまわないようにしてください。 すぐに行動することがいい場合、相手を見守ることがいい場合、色々なケースがあります。たくさんの人と交流して、たくさんの考えを知ってください。 人に優しくしたいという気持ちは尊いものです。これからも、その気持ちを大切にしてください。

pansy_15
質問者

お礼

「気が重い場所から離れる」とは書かれていませんが、 気が重い場所の名前をあげてみる。 貴方は、そこにいる人は、皆、嫌いなはずはず。 もし好きな人がいれば、そこは気が重たい場所にならない。 嫌いな人の中にいると、案外「嫌い」に気がつかない。 とまとめの章で書かれていまして。 離れるの至ったのは、 別の本で、自分が幸せになるには、不幸な人と一緒にいては駄目なのである。と書かれていたためです。 …あれ?同じ本じゃなかったですね。 でも、不幸な人は他人も不幸にする、ということは、幸せな人は周りも幸せにすることができるってことですよね? やっぱり、僕の中で優しさが僕の幸せなので、同じなんですよね。(厳密には違うけど) 前に 何様のつもり? と言われてしまいましたが、 周りの人が幸せに包まれることが僕の夢なんです。 たくさんの優しさへの知識・交流をして考えを知りたいと思います。 再度ご回答ありがとうございます

noname#86291
noname#86291
回答No.9

ちょっと文章を読み違えていると思います。 「気が重い場所の名前をあげてみる。貴方は、そこにいる人は、皆、嫌いなはずはず。嫌いな人の中にいると、案外「嫌い」に気がつかない」 と書かれていたんですよいね? まず、「気が重い場所」が思いつかない時点で、質問者さまにはあとの文章はあてはまりません。 読解力の問題ですよ。 そんなに気にしないでも大丈夫です。 もし、質問者さまが「気の重い場所」にいる経験をしたら、ちょっと時間が経ったあとで、「あの本に書いてあったことはこのことかもしれない」と気づくでしょう。 おそらく、「気の重い場所」にいる経験のない人には、ぴんとこないぶんしょうでしょうし、著者も「気の重い場所にいたことがない人」にあてて文章を書いていないことは明らかです。 感受性は強いけれど論理展開を理解するのは苦手な人なのかな、と感じました。 ピンポイントで文章をくみ取るのではなく、数行の文章を要約する練習をされるといいかも知れませんね。

pansy_15
質問者

お礼

そうですね。 あまり僕は、読解力はあまりないため論理展開はあまりできないため、 現実から逃げているのかもしれないです。 ただ、気の重い場所がある=嫌いな人がいる=自分が優しくなれない、自分を不幸にしていると書かれていることが あまりわかりたくないっていうのも事実ですね。 僕は頭がちょっと(かなりかな?)固いので要約できるかわかりませんが、頑張ってみたいと思います。

noname#146943
noname#146943
回答No.8

こんにちは。 ごめんなさい、よく分からなかったのですが… 嫌いな人がいることと優しさって、関係があるのでしょうか? 嫌いな人がいないことと優しさも、関係があるのでしょうか? 例えば、嫌いな人がいるけど、その人にも思いやりを持てる人は 優しい人だと思うのですね。 で、嫌いな人がいなくて、誰にでも思いやりを持てる人も、 同じく優しい人だと思うのです。 前者の方が難しいことでしょうが、基本的には何も変わりません。 単純に「他人に思いやりを持てる」というだけです。 あと、嫌いな人にはかかわらないけどそうでない人は思いやる、 という人も、私は優しい人だと思いますよ。 「誰にでも優しい人」だけが「優しい人」ではないですよね。 質問者様が悩んでいる点は、2つあるように感じました。 1.人は「完全に嫌いな人」がいなければならないのか? 2.本当の「優しさ」とは何なのか? ではないでしょうか。 その2つを自分の頭の中で混同してしまって、 勝手にややこしくしている感が否めないのですね。 1と2は、完全に別の話だと思います。 前述のように、嫌いな人がいようがいまいが、 優しい人は優しいだろうからです。 1に関しては、いなくてもいいと思います。 私も、「ちょっと苦手だけど、いいトコがあるのも知っている」から 嫌いになれない人はたくさんいます。 というか、私も今のところ、すべてが嫌いという人とは 知り合ったことがありません。 その著者は、「完全に嫌いではなくても苦手な人」も、 「気が重くなる要因」として扱っているのでしょうね。 その人間関係が原因で心身症に陥り、日常生活に支障がある という人にとって、「その場所から抜け出す」のは最善策でしょう。 そこまでの文脈が分かりませんので、著者が想定している 読者の状態ははっきりしませんが…。 そのような(日常生活に支障が出ているような)人は、 案外と原因に気が付いていないものですから、 そのあたりを促したいのかなぁと思いました。 2は、とっても哲学的で難しいことですね。 「何でも受け入れること」という人、 「間違ったことは間違っていると、はっきり伝えること」という人、 「相手の希望を見越して、自分が先に動くこと」という人、 いろんな人がいますね。 どれも間違っていないと思いますよ。 ただ、TPOで使い分ける必要はあるかもしれません。 基本的には「受け入れること」が優しさかもしれませんが、 極端な話、麻薬や覚せい剤に手を出しそうな友人に 「それでも君は君だから」と受け入れるのは優しさではないですよね。 あと、「流される」や「優柔不断」「自分がない」との区別も難しいです。 でも、その辺は、個人の裁量ですから… 完全に正しい答えというのはないのでしょうね。 ひとつ共通するのは、「相手を思いやる」ということです。 最終的には、思いやりを実行できる人が「優しい人」 なのではないかと思っています。 長々と失礼しました。

pansy_15
質問者

お礼

>嫌いな人がいることと優しさって、関係があるのでしょうか? 嫌いな人がいないことと優しさも、関係があるのでしょうか? 僕は関係はほんとのところはないと思います。 ただ、優しくなるために、嫌いな人を避けなければならない理由がどうしてもわからなったのですが、 回答者様の 「その人間関係が原因で心身症に陥り、日常生活に支障がある という人にとって、「その場所から抜け出す」のは最善策でしょう。」 という意見?にはなるほどと思いました。 確かに、追いつめられて心身症が起こってしまったら、 優しくなるどころじゃないのかもしれませんね。 >質問者様が悩んでいる点は、2つあるように感じました。 1.人は「完全に嫌いな人」がいなければならないのか? 2.本当の「優しさ」とは何なのか? 1の方は「完全に嫌いな人」がいないといけないのかというより 「嫌いな人を避ける理由があるのか」という方が強いかもしれませんが、これはさっき上記したことです。 2は長年?答えを探していますね。 どうやったらそうなれるのか、なってそれでいいのだろうか。 と悩んでしまっています。 これはどうしても、相手の気持ちがわかってあげられることが第一の条件だと思っています。 著者の人の書かれた本では、大雑把で書いてしまいますが、 優しい人は冷たく、冷たい人は優しい  と読んでいて感じる部分がちょっと多く感じられてしまいました。 なので、余計深みにはまってしまったんでしょうか… 回答を読んでいて、思ったんですが、回答者様はきっと、すごく相手の気持ちがわかるお優しい方ではないでしょうか? 回答を読んでいて、尊敬感がわいてきましたから。

  • kinkan66
  • ベストアンサー率20% (93/458)
回答No.7

私は30代半ばに、子育て相談員に、 「優しいなんて、甘っちょろいこというな」といわれたことがあり、 傷ついた記憶があります。 そして10年ぐらい経ちましたが、 今の時代、優しいだけでは(それだけ・・・と強調してるわけではありまあせん)やっていけないんだなぁと実感しました。 強さ、厳しさ、鈍感さも持ち合わせていないと、 自分がキズついてしまいそうです。 嫌いな人の中にいる・・・っていうのは、 今の日本人は、どういうときに幸せを感じるかっていうと、 70%の人が人の不幸で自分の幸せを感じるそうです。 著者は、こういうことをいってるのかもしれません。 そうでない30%の人の中にいれば、別に抜け出す必要はないと思いますが、70%の中の何人かは混じってることはあるでしょう。 最近、年上の女性の方と話したところ、 団塊の世代の子世代は、私達とは全然違うようです。 情や優しさ、相手を思いやる・・・という世界ではないようです。 私は著者が間違ってるとか、そういうことより、 せっかく本を読んだのだから、時代背景や何をいいたいのか? ということを感じ取ったり、そういう意見もあるのかぁと 1歩離れて考える精神力を身につけていけばいいと思います。

pansy_15
質問者

お礼

すいません 遅くなりました。 >今の時代、優しいだけではやっていけないんだなぁと実感しました。 強さ、厳しさ、鈍感さも持ち合わせていないと、 自分がキズついてしまいそうです。 子育て相談員の人の言いたいことも分かります。 優しいだけで子供を育ててしまったら、怒られるという行為をされると、そっぽを向いてしまう子供になってしまうと思いますから。 俗に言う、甘く育てられた子供ですね。 僕も優しさだけで、やって行けないと感じることが多いです。 全てを他人事のようにされて、一生懸命考えている、こっちのことなどお構いなしですから。 >嫌いな人の中にいる・・・っていうのは、 今の日本人は、どういうときに幸せを感じるかっていうと、 70%の人が人の不幸で自分の幸せを感じるそうです そんな…ひどいと思います。 僕は他人の不幸なんて見たくありません。 僕は他人が幸せになるのを見るのが僕の幸せなんです。 だから、自分の幸せになると他人の幸せに気付ける・幸せにする手伝いが出来る→相手が幸せになってくれる→それを感じられた時、僕も幸せが強くなる。 これを否定する人も多いかもしれませんが、これが僕の夢なんですから。 >団塊の世代の子世代は、私達とは全然違うようです。 情や優しさ、相手を思いやる・・・という世界ではないようです。 本当にそうなんでしょうか?団塊の世代の子世代というのは、 団塊の世代が育てた子供のことですよね? 僕もその子供世代の一人です。 そして、僕より優しい子だっていっぱいいます。 皆がみんな優しい人でもないし、優しくない人でもないと思いますよ。 >せっかく本を読んだのだから、時代背景や何をいいたいのか? ということを感じ取ったり、そういう意見もあるのかぁと 1歩離れて考える精神力を身につけていけばいいと思います。 著者の言いたいことはわかるんですが、 嫌いな自分を受け入れる・皆心の奥に優しさを持っている・相手を信じてあげる・相手を受け入れてあげる。 これらは強く主張しているのに、 「自分が優しくなるために、嫌いな人から離れること」 なんて矛盾的なこととしか思えなくて… 誰でも優しさを持っているのなら、その人を、信じてあげて、優しさを引き出してあげるのも優しさのはずだと思うんです。 嫌いな人は悪いところしかほとんど見えていないと思うんです。

  • hurasuke
  • ベストアンサー率18% (191/1056)
回答No.6

 いい年したおじさんが回答します。  まだあなたは未熟・・・いあ、半熟かな。少なくとも成熟するにはまだ早い。それだけ感受性豊かで、敏感なんでしょう。だからこそ、他の人がそこまで敏感に思わないことで、傷つき涙を流す・・・。もちろん、それはあなたの個性かも知れない。でも、もう少し強くなろうよ。世の中にはそうやって自分が傷つくことってたくさんあるよ?  ええとね、自分にとって全く好みでないようなことばかりを書く・・・全く存在価値のない作家やら著者やらってのはゴマンといます(笑)。でも読む人が変わればそんな本やら作家も価値がある。そこが人間社会の面白いところ。  重い場所の名前を口に出して、そこのメンツを想像してみました。確かに嫌いな人、好きにはなれない人、どうやっても好きになるわけのない人もたくさんいました(笑)。でも、その中に好きな人もいました。また、嫌いな人たちが何故だか急に努力して好きな人になってくれる場合もありました。はい、これでその著者は私にとっては存在価値なしね(笑)。これでいいんじゃないんですか?あなたにとっても、嫌いな人もいて、好きな人もいたんでしょ?その著者が間違ってるってことで片付けちゃいましょうよ。

pansy_15
質問者

お礼

よく性格のことで投稿させてもらっていますが、 友達も含めて、回答者様は感受性豊かといわれてしまいます。 僕はただ弱いだけなはずなのに…もっと強くなりたいだけなのに… って思ってしまいます。 自分一人で傷つく分には良いんですが、今回みたいに他人を評価するような傷つき方をすると駄目なんです。 相手が好きな人だろうが、嫌いな人だろうが、性格は良いところ、悪いところあると思うんです。 人はなぜか、好きな人は良いところ、 嫌いな人は悪いところを重視して見てしまうじゃないですか? その場所において、ただ、良いところが出にくいところなんじゃないかってこともあります。 ただ、決めつけるのはよくないですよね。 僕も、著者が間違ってるで考えてみることにします。 ご回答ありがとうございます。

noname#86988
noname#86988
回答No.5

定理じゃなくて定義です。

  • koichan55
  • ベストアンサー率41% (70/170)
回答No.4

30代男性です。こんばんは。 私は昔、本や漫画に書いてあることは信じて良いと思っていたんですよ。 世の中に出ているんだから。書いてあること、表現してあること、間違っていない、と思っていました。 世の中に出ていることって、絶対なんだろうなーなんて思いだったんです。 純な20歳くらいまでその感覚を持っていたように思います。 でも結局は人が書くことであって、表現もまちまちだし、考えもまちまちですよ。 本はあくまで、その人間がその人間特有のレトリックで、書いています。 今では、色んなことに傷ついていた頃が懐かしく思います。 だからあまり本気にせずに、自分の行く道を、進んでください。 優しさとは? 人や何かに親身に尽くせることですよね。 相手の気持ちを汲んであげたり、環境を作ってあげたり、辛くさせないことです。 または一時的に叱ることも状況によって優しさになり得ます。 疑問に思ったことは大事にしてこれからも掘り下げてください。 優しさは大事だけど履き違えると危険ですね。 自分に不利なことに忍従するのは優しさではないし、間違っていることに対して声をあげないこともただのマイナスと呼びます。 そんな中で、自分が確立されます。 だから時間がかかると思うんですよ。私も含めてたぶん人間は死ぬまで勉強なのでしょうね。

pansy_15
質問者

お礼

昔ってことは今は信じていないんですね。 確かに本は相手の価値観で書かれていますので、 どれがあっていて間違っているのか難しいですよね。 貴方様に言われている優しさは僕にとってまだ未知かもしれません。 相手の気持ちを汲んでそれで、接してあげたり 状況によって怒ってあげること、 ですが、 今の僕には、相手の気持ちがわからなくなってしまって、 怒ることもできず、ただ、注意することくらいしかできないのです。 何とかしないと と思って、 この本を買ったのですが、逆に分からなくなっちゃったんですよね。 >優しさは大事だけど履き違えると危険ですね。 自分に不利なことに忍従するのは優しさではないし、間違っていることに対して声をあげないこともただのマイナスと呼びます。 そんな中で、自分が確立されます。 小さいころ出来ていた優しさまで出来なくなってしまって… スランプ?に近いところもで、 そして、今は耐えることしかできない自分が情けないのです。 ご回答ありがとうございます。

  • divi
  • ベストアンサー率22% (43/194)
回答No.2

これは、例えば「人に優しくできなくて悩んでいる人」などに対して 自分の周りに嫌いな人が多いからではないですか? という【一例】として書いてあるのではないかな?と思いましたが その意味は、嫌いな人、苦手な人って「出来れば関わりたくない」 と思うのが人情というものですから、関わるのさえ遠慮したいのに 優しくするなんていうのは無理な話で、逆にそれができる人は悩まないですからね。 まぁ、「何故、優しくできないのか?」と悩む人に、 適当な答えの1つを与えたら「ホラ!『何故』が解決したでしょう!?」 と言いたいだけでしょう。 少なくとも >気が重い場所の名前をあげてみる。 >僕はどこも思いつきませんでしたが、 >『貴方は、そこにいる人は、皆、嫌いなはずはず。 >嫌いな人の中にいると、案外「嫌い」に気がつかない』 という事ですので、 質問者さんには、特に嫌いな人などいないでいいのです。 そして >そういう場所から抜けるのが優しくなれる条件なら 質問者さんは、抜け出す必要な場所など無いのですから 既に十分優しいのですよ。 もし沢山嫌いな人がいたりする場合に、有効かもしれない方法というだけです。 優しいに決まった形などありませんよ。 落ち込んでいるときに… 大丈夫? 元気出して。きっといい事あるよ。とか、適当に言ってくれる人より、 馬鹿やろ~とか言って殴ってくれる人が、本当は1番優しいという事もありますからね。 質問者さんは、そのような本に頼らなくても、 優しさの事は、既に知っていると思いますよ。 誰も自分の優しさなど自覚もできないし、自覚してやる事でもないんですよ。 相手を思って自然に出来る事が優しさであり、わざと優しいなんてのは、偽物です。

pansy_15
質問者

お礼

僕はまだそんなに優しいと言えってもらえるほど優しくないです。 >嫌いな人、苦手な人って「出来れば関わりたくない」 と思うのが人情というものですから、関わるのさえ遠慮したいのに 優しくするなんていうのは無理な話で、逆にそれができる人は悩まないですからね。 僕も出来れば、嫌いな人とは関わりたくないですね。 嫌いな人は完全に拒絶します。 >質問者さんには、特に嫌いな人などいないでいいのです。 同じ場所に嫌いな人…いますよ。でも、慣れたんですかね。あんまり気にしなくなりました。ただそれだけですけどね。 >優しいに決まった形などありませんよ。 落ち込んでいるときに… 大丈夫? 元気出して。きっといい事あるよ。とか、適当に言ってくれる人より、 馬鹿やろ~とか言って殴ってくれる人が、本当は1番優しいという事もありますからね。 ちゃんとした優しさがほしかったので、両方の優しさを持つために買った本なんですけどね(それでも殴りはしませんが…汗)でも、最終的に辛く当たる方の優しさを分からずじまいでした。 …冷血な優しさを持てなかったんですよね。 今の優しさは無意識でやっているので、良いんですが、ちょっとは意識しないとやり過ぎてしまいますので…やっぱり相手のことがわかってあげられないと、駄目なんですけどね。 ご回答ありがとうございます

  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20252/40151)
回答No.1

定義なんて無いんです。それはある著者の主張。感覚。 貴方には貴方の大切にしたい優しさがある。 それを敢えて言葉にしたり、論じ付けして語らなくても良いんです。 大切に胸に秘めながら、周りの人たちに丁寧に関わっていけば良いんだから。優しい人とは相手のありのままを受け止める力のある人なんです。どういう部分があろうと、それも相手の一部として受け止めてあげる力。そして受け止めようと相手に自らを解放して接していける人なんです。その自分の働きかけが相手を変えていく。包んでいく。 貴方には貴方の大切にしたい優しさがある。 同時に貴方とは違う感覚で優しさを受け止めている人もいる。 そういう違いも違いとして認め合う力。それが優しさの原点なんです。 お互いが互いの存在の尊さを感じあえる事。優しさの原点はそこにあります☆

pansy_15
質問者

お礼

僕には僕の優しさがある・・・・ですか。 そうかもしれませんね。 優しさに理屈や定義は確かにないはずですものね。 皆 優しさとして感じるものは同じでも 一人ひとり優しさという形は違いますものね。 だから個性がある。 なんだか気が楽になりました。 ありがとうございます。

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