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好きの定理

高校生です。私には好きな人がいました。話したことはなかったけど、今までで一番好きでした。話しやすくて本当に優しい人や私のことを大好きと言ってくれる人や見るだけで顔が赤くなってしまう人よりも好きだと思える人でした。付き合った人も含め今まで好きだった人の中で一番好きでした。 見た目もタイプ、周りから聞く彼の性格、直接会話はしたことないですがその人は自分の理想でした。ブログでの文章の書き方やつぶやきも好感がすごくもてました。彼の周りにいる友達は派手ですが、悪い人達ではなく、彼自身も根は真面目だとよく聞きますし実際クラスで見ていてもそう思います。 ですが、ある時、彼が彼の友達へ軽い発言をした場面を見て一気に冷めてしまいました。喋り方や声がとにかくチャラ男でした。今まで声は何回も聞いていて好きな声だったのに、引いてしまいました。 その場面を見ただけで冷めてしまった自分にがっかりです。今までの一番ってそのくらいで冷めるような気持ちだったなんて、と思いました。自分自身の好きの定理がよくわからなくなりました。 好きの定理は何ですか?惹かれるとはどういうことですか? ※言い回しや書き方が幼くてすみません。

みんなの回答

  • yonesuke35
  • ベストアンサー率11% (609/5531)
回答No.5

>今まで声は何回も聞いていて好きな声だったのに、引いてしまいました。  >好きの定理は何ですか?惹かれるとはどういうことですか?  性欲です。  男に抱かれたいと思う気持が好きという感情になるのでしょう。 男も女性を抱きたいと言う気持がなければ彼女など作りません。 性欲を美化したものが恋愛です。

noname#196134
noname#196134
回答No.4

定理って普遍なモノですね。 変化し続ける感情に定理はありません。

  • torumayu
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.3

好きの定理と言われると難しいですが… 実際に話して、触れ合って、性格や好みを知り、欠点が分かった上で好きだと思えることが、『好き』なんだと思います。 質問者様の気持ちが間違いだった・気の迷いだったとは思いません。 でも、他の方もおっしゃるようにアイドル化してた部分があるんだと思います。 私もどうしようもなく好きで仕方ない人が何人かいました。 でも、人間の心はいつどう変わるか分からないものです。 私は結婚していますが、正直、旦那は欠点だらけです。 でもそんなことよりも『好き・愛してる』の気持ちが上回っているから、夫婦でいたいと思えます。 『好きの定理』って難しいけれど、意外と理屈や定理ではないものですよ☆ 今回はきっと、好きの気持ちは本当。 でも『あの人は私が求める人ではなかった』と直感が働いたんだと思います。 だから、質問者様の気持ちの変化はおかしいことではないですよ☆

回答No.2

質問者の憧れの君は、遠い存在で想像で膨らんだアイドルだった 様ですね。 直接会話をしたり遊んだり作業をしたりと人間として身近な人では ないと恋や愛を感じるのは難しいと思います。 服を買って家で着て見たら『あれ?』と思った事ないですか? マネキンが着ていたり展示の仕方でセンスで買うのと実際に 自分自身で着てみる事のギャップに近いと思います。 私の娘は大好きだったアーティストのライブ写真で鼻毛を見つけてしまい 一気に興ざめして部屋から写真が全部消えました(^^;) 今では違うKpopに夢中です。 その彼と会話を続け行動をすれば人間としての彼の魅力を再発見して 惚れ直すかもしれませんよ。 今回は残念でしたね。

回答No.1

定理?じゃ無くて定義ですかね。 食べ物や洋服など、 また食べたくなる。また着たくなる。 毎日でも食べたい。毎日でも着たい。 音楽、絵画、美術品など ずっと聴いていたい。CDを買いたい。DLしたい。 ずっと眺めていたい。出来れば自分の物にしたい。 季節や土地 そこに居ると楽チン。ずっと居たい。住みたい。 さぁ、人はどうでしょう? 上の例は物ですから、そこには相手の気持ちはモチロン 相手への気遣いとかは含まれないですよね。 自分がおいしければ良い。楽しければよい。楽なら良い。 人に対しても、物に対するのと同じ感覚で「好き」になると 「彼とずっと一緒にいたい」気持ちも簡単に冷めてしまったりしますね。 丁度、どんなに好きな洋服でも、何回か着ると飽きてしまうように。 「惹かれる」初期段階も、やはり同じ感覚ですね。 人に対しての究極の愛・・・。 良く云う「無償の愛」つまり、自分は何も求めないが、 相手の幸せの為なら死をもいとわない。 例えば、あなたと彼と二人きりの時、 何かが有って一人しか生きられないという状況になった時 自ら命を絶ってでも相手を助けようとする事です。 「好き」の場合は「命」までは行かなくても、例えば一個しかない食べ物を 「自分は食べなくても、相手に食べさせる」とか、現象としては同じですね。 大そうに聞こえますが、世界中の殆どの親は子に対してそう思っています。 夫婦、恋人たちもそうだと思いたいですね。

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