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目くじらを立てる・・・について
「目くじら」というのは目じりのことで、”目じりを吊り上げて怒っている様子”から、こういう言い回しが生まれたそうです。 ところで、こちらのURLには上記の表現に加えて、”些細なことを取り立てて謗る”、”他人の欠点を探し出して咎め立てをする”などのオマケが付いています。 http://www.geocities.jp/tomomi965/ko-jien07/ma10.html こちらは「些細なこと」のほうに重点が置かれています。 http://tantaka.com/kotowaza/2005/11/post_243.html (ヤフー辞書にも上記と同様な解説がありましたが、URLが長いので添付省略) 一方、こちらには”些細なことを取り上げて”という箇所は含まれていません。 http://gogen-allguide.com/me/mekujirawotateru.html http://www.geocities.jp/tomomi965/ko-jien07/ma10.html http://www.otona-magic.net/word/200149.html どちらが正しいでしょう? わたしとしては、「些細なことに目くじらを立てて怒る」とかいう表現もありますから、「目くじらを立てる」に「些細なこと」が含まれるのなら、最初の内容ではダブリ表現になってしまう、と思うのですが如何でしょうか? もし、現代では「些細なこと」も含まれるのなら、なぜそうなったのか、この理由もご解説いただけませんか? よろしくお願いいたします。
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>「些細なことに目くじらを立てて怒る」とかいう表現もありますから、「目くじらを立てる」に「些細なこと」が含まれるのなら、 最初の内容ではダブリ表現になってしまう、と思うのですが如何でしょうか? :個人的には、 「些細なことに目くじらを立てて怒る」という表現は間違いだと思います。 ただ、soramist さんが意図しておられるような間違いではなく 「些細なことに目くじらを立てる」としなければならないのではないか、という意味です。 「烈火の如く」には「怒る」という語が必須ですが、 「目くじらを立てる」こと自体が「怒った表情を示すこと」なので、 「目くじらを立てて怒る」というのは、それこそダブリの表現になってしまう。 では、 「些細なことに目くじらを立てる」はどうでしょうか。 確かに「目くじらを立てる」の中に「些細」の要素は含まれていると思いますが、これは「怒りの水準としての些細さ」を意図しているのではないでしょうか。 対して前者の「些細」は「些細な出来事」という捉え方ができるように思います。 「些細な出来事に対して(怒りの程度が些細という水準を意味するところの)目くじらを立てる」といったニュアンスでしょうか。 「怒りの程度が些細という水準を意味する表現」なので、当然、些細な出来事に対して使われる場合が殆んどということになり、辞書などでもそのように説明されているのでしょう。 実際の表現としては、ダブリということにはならないように感じます。
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1番です。 >「些細なこと」が含まれるか含まれないかは、個人的な感覚、ということですね。 個人の感覚というよりも、時代的に(最近になるほど)重複感が出てきたということでしょう。 >しかし、「辞書」という以上は統一して欲しいですが・・・ 辞書はそれを書いた学者によって差が出てきます。 日本語というものは年々変化しています。 保守的で従来の解釈を中々変えない人と新しいものを早く取り入れる人とでは差が出ます。 辞書はテストの答を書いているものではありませんので、この程度の差は出ると思います。
お礼
そうですね。 広辞苑、大辞林、辞典で違う解釈が載っていることもありますしね。 再度のご回答有難うございました。
- edophilia
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こんにちは。 「些細なことに目くじらを立てる」 これはあくまでも私見です。 些細な事に対して「目くじらをたてる」でも「目角を立てる」「目口を立てる」でも昔は表現できたと思われますが「目くじり」が「目くじら」へ変化してから些細なことと「目くじら」が連想される「鯨」との強烈なコントラストが受けて常套句として定着してくるようになったような気がします。 同様な例としては「丹精」があります。 丹精とは真心をこめて物事をすることと意味ですが、テレビのアナウンサーでも「丹精をこめて育てた盆栽」などと誤用で表現することが多く、この誤用もほぼ市民権を得ている状況があります。「丹精して育てた盆栽」が正しい表現。 ちょとこの趣旨からそれますが「湯を沸かす」「餅をつく」「ご飯を焚く」なども論理的に考えればおかしいですよね?「水を沸かす」「餅米をつく」「米を炊く」の方が正しい表現ですが前者の方がはるかによく使われています。 言葉は論理では割り切れないものをいろいろ含んでいるような気がします。 ご参考まで。
お礼
いろいろと例題をご提示していただき、有難うございました。 このような混乱(誤用)はいっぱいありますね。 ただわたしとしては、「辞書」という以上は統一して欲しいと思うのですが・・・
怒りの表現に「烈火の如く」や「柳眉を逆立てて」というのがあります。 「目くじらを立てて怒る」というのは、上の二つほどではありませんが、怒り方としては、割合と大きい方でしょう。 最初に「目くじらを立てて」という表現が生まれた頃は、普通の使い方だったと思います。 すなわち、少なからず怒ったということで、怒りの対象は些細なことから大きなことまであったと思うんです。 ところがそのうちに、つまらないことに腹を立てて怒る人をたしなめたり、揶揄したりすることに使われるようになり、「些細なこと」と「目くじらを立てる」がくっついて、「些細なことに目くじらを立てる」が常套句化したんじゃないでしょうか。 そのようにして常套句化してしまった時代が続きますと、「目くじらを立てる」という怒りの表現の対象が些細なことに限定されてきます。 こうなってくると、「些細なこと」という言葉が入った「些細なことに目くじらを立てる」のフレーズには重複感を覚える人も出てくるのだと思います。
補足
なるほど・・・ 「些細なこと」が含まれるか含まれないかは、個人的な感覚、ということですね。 しかし、「辞書」という以上は統一して欲しいですが・・・ 有難うございました。
お礼
微妙ですね。 ご回答有難うございました。