• 締切済み

幾つかの疑問があります。

私はいわゆる学会二世です。 生まれたときから(生後何ヶ月?)自分の意思ではなく 親の意思で創価学会に入会させられました。 今現在、仕事の都合で一人暮らしをしています。 活動といわれる事は何一つしていません。 今日、少し困ったことがあって、久しぶりに創価学会のページを ネットで検索しました。(おそらくこういった考えは間違いだとは思うのですが・・・) 質問1.ネットでもmixiでも、批判するサイトやコミュニティが乱立しています。そっちのほうが正直多かったです。ちょっとびっくりしました。いい事をやっているはずなのに、なぜこれだけ叩かれるのでしょうか?「宗教だから」以外の言葉で教えてください。 質問2.私のように、生まれてまもなく本人の意思とは無関係に(自我が芽生える前に)入会する人は多いのでしょうか?創価学会の家系に生まれた子供は、親が必ず入会させているのでしょうか? 質問3.池田先生と呼ばれる方に一度会ったことがあります。いろいろなサイトを見ていると「会えないのは功徳が足りないから」とか書いてあるのですが、私は何も頑張っていませんでした。私には偶然としか思い様がないのです。この出会いには意味があるのでしょうか?あるとすればどんな意味があったのでしょうか? 私が活動していない理由は、人に学会に入ってますといえない(いうと支障がでる)のと、過去に、選挙の時に、卒業アルバムを片手に電話ボックスの閉じ込められた経験があるからです。向こうは真剣にやっていてこうなったとは思いますが、私は嫌でいやでたまらなかったのです。 質問4.宗教は人の幸せにあると私は思っています。でもなぜその宗教で嫌な思いをしなければいけないのでしょうか?先輩のやり方が間違っていたのか、今でもそうなのかが知りたいです。 質問5.今現在私は活動を行なっていません。選挙もまったくいっていません。こういった私は不幸になるのでしょうか? 質問6.私の人生に学会が必要なのかがわかりません。確かに学会の人には素晴らしい人もいました。今思い出してもそう思います。親はやれとも何ともいってきません。一度学会の人(親以外)と連絡を取ったほうがいいのでしょうか? くだくだですみませんが、考えれば考えるほどわかりません。 よろしくお願いします。

みんなの回答

  • mdh57
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回答No.9

詳しく説明したいのですが、理解するのに早い人でも2~3年かかるので、簡単に説明させていただきます。 まずは、あなた自身が、日蓮の信仰に対する知識を十分につけ、それから、創価に対する姿勢を、考えてはいかがでしょうか? 創価会員であることは、人生に必ずしも必要ではないですが、日蓮仏法は人生に必ず必要です。 信仰と、創価学会は、「全く別問題」なので、そこは絶対に、お間違えのないようにお願いします。 私の勉強した範囲内で恐縮ですが、ご参考になれば幸いです。 創価は、80年前に「創価教育学会」という名で、牧口常三郎が立ち上げた「法華経文底独一本門を正しく広める会」でしたが、次第に「I.D先生崇拝教」になってしまいました。 また、日蓮の教えに創価の考えを混ぜ、「創価学会の信仰」として世界に広めています。本当に残念なことです。 (私事で恐縮ですが・・・) 私は、「法華経文底独一本門(無神論)」を信仰をしています。これは、10年間かけて勉強と経験を、積み重ねて出した結論です。 全ては自身の生命の内に備わっていて、「どこかに、神様や仏様がいる」という考えを否定している、無神論の教えです。(自身の中の仏界を引出すことが重要で、外にではなく、生命に内在しています) 前半は、外道(キリスト教や神道などの有神論)と、仏教「爾前教」(日本人が仏教だと思っている教え)を学び、後半で法華経を学び、最終的に文底独一本門(無神論)にたどりつきました。そして、邪宗や占い師など、(もちろんカルトも)信じたり、それらにお金を出すのも誤りだと気づきました。 10年かけて、しっかり宗教比較学を勉強してきたので、他の人より少しは詳しいです(まだまだ勉強不足ですが)少しでもお役に立てれば嬉しいです。 仏教の始まり(約3千年前)、釈迦が仮導の教えで「地獄」や「閻魔」などを説きましたが、それは実在する場所や人物ではなく、「方便(比喩)」です。 釈迦は説法50年間のうち、まず42年間かけて「爾前教(現在の真言・浄土宗など法華経以外の仏教)」を説き、後の8年間で、爾前教を仮の教えとして、釈迦自身が否定し、「法華経28品(後半14品が重要で、「法華経本門」といいます)」を説きます。 しかし、その「法華経本門」も、釈迦の死後2000年(正法・像法)で効力を失い、現在の「末法」という時代では、釈迦仏法を信仰しても効力はないと、釈迦自身が仏典の最後に記しています。 そして、釈迦が「文底秘沈」した(明らかにしなかった)「法華経文底独一本門」(無神論)が末法で信仰すべき仏法だと教えています。 仏法では、魂(命)は「有る」わけでもなく、「無い」わけでもない、「空(くう)」と表現されます。死後、命は、「霊魂」として、ふわふわ存在するのではなく、死時は「冥伏」といい、生時は「顕現」といいます。肉体と魂は別々ではないのですが、「肉体」イコール「魂」でもないです。 簡単に言うと「起きている状態が生」、「寝ている状態が死」です。つまり「無始無終」といい「生命は永遠」ということです。 過去世の生命境涯や行いにより、現世の生命境涯(十界論をご参考になってください)がありますが、「定業」と「不定業」があり、自身の内の境涯変換(仏界涌現により)、定業(決定している宿業)でも「宿業(宿命)転換」が可能です。 また「成仏(仏)」とは「仏界をひらく」ということで、死んだ人のことではありません。 (もし、死んで仏になれるのなら、早く死んだ方がいいということになってしまいます) また、「地獄」という場所は、どこにも存在しませんが、例えば、戦地に生まれるなどの境涯を「地獄」に例えているのです。それと同様、「閻魔」という人物は存在しませんが、自分自身の中の悪い生命境涯や、自分の境涯を狂わす働きのことを「閻魔」に例えているのです。

回答No.8

何事も、自分の意志で行動しないと悔いが残ります。 現代において「宗教」の種類は広がりました。 太古から続く宗教から、マフィア教団まで、様々です。 周囲の人に意見を求めるのは程々にして、 参考程度にした方がいいです。 日本人は騙されやすいから、 その人も既に騙されている可能性が高いですからね。 テレビ、新聞で調べる事は殆どできません。 一部の雑誌なら参考資料として使えます。 ネットで、図書館で、今後もさらに、 ご自分で注意深く調査してみましょう。 そして自分一人で、じっくりと時間をかけて 判断を下しましょう。 実は私もネットをやるようになってから、 とある団体に生まれてから ずっと騙されて続けてきた事に つい最近気付いたものですから。

  • owlsjp
  • ベストアンサー率18% (23/127)
回答No.7

脱字訂正。 >ある程度距離をとってこそ解る事もある「と」思います。 追記: もし真実の宗教であれば、「去るものは追わず、くるものは拒まず」という姿勢を見せるはずです。  しかし、会社組織も、宗教組織も、組織として存在しているからには「維持存続」させねばならず、それが第一命題となっているだろうということを考えると、簡単にはいかないのではないでしょうか。  結論から言ってしまえば、「組織」を創った時点でもうその宗教は正しくないと言えます。  イエスも釈迦も自分で宗教を興したのではなく、その後の人間が自分の都合で作ったものではないでしょうか。

  • owlsjp
  • ベストアンサー率18% (23/127)
回答No.6

 とにかくあるものに近づき過ぎるとわからなくなると思います。  ある程度距離をとってこそ解る事もある思います。  ですので、一度退会してみてはいかがでしょうか。  そのとき、学会の本当の姿が解るのではないでしょうか。

回答No.4

こんばんは。学会員です。 質問1 悪口を言う人が出てくるのは700年前から言われてる事で、宗教用語もありますし、先輩に聞くと勉強してる人なら教えてくれますよ。 質問2 多いみたいですね。しかし、成人になれば自由ですが、やめる人はあまり聞かないですね。活動してない人は多いですよ。 質問3 出会った意味は、わかりません。しかし、海外からの来賓が多く多忙な方で、なかなかお会いできる時間がない方と聞いてます。某TVニュースで、温家宝首相との会談がありました。第一声は「.光栄です。うれしいです。政治家でなくて、庶民の王者と会ってください。庶民は大事です。」権力という飾りではなく庶民が大事で庶民が主役。そうはっきり言う人は少ないでしょう。そういう方の知恵を聞きに多くの外国のトップの方がいらっしゃるそうなので、多忙でなかなか会えない方と会えた、いうことでしょうか。 >>選挙の時に、卒業アルバムを片手に電話ボックスの閉じ込められた 相手が嫌がったら、その気持ちを大事にしてやめてあげるのが、思いやり。相手を思いやることだと思います。そういうのはやめましょう。そういうことはもうしてないでしょう。行き過ぎです。 質問4 先輩自身のやり方でしょう。個人のやり方です。 質問5.幸不幸は自身の中に原因を見出します。もし自分の努力で解決できるなら、それをすればいい。しかし、自分の努力でもどうにもならないことがある。その解決のために宗教がある。(人間革命2巻)に書いてありましたよ。 質問6 親以外の人に会ってまず正直に本音で聞いてみるといいでしょう。無知から偏見が生まれるのは、エイズの時もそうでしたが、知らないととても残酷なことが噂で流れるものです。冷静に教えてくれる方はいっぱいいると思います。みんな人のために動いて自分を高めて強くする努力をしてる人たちです。無知の偏見にも怒らず、本当の内実を教えてくれますよ。   また、数々の裁判もすべて無実の立証がなされてますし、またその現実を疑う人には裁判記録が証拠として残ってると教えてあげましょう。下世話な週刊誌の捏造記事も最近は裁判で断罪されてますね。中には裁判を起こす権利の乱用で裁かれてた判決もあったときいてます。つまり、悪い噂がありますが、裁判記録で残っているように問題はありませんし、また気をつけるように細心の注意を払って軽率な行動や言動までも気を配りますよ。そこから人を思いやることも身につきますよ。  人間革命の本は組織の中身が全部書かれてます。そこまで中身を書くのかと思うほどです。読んでみるとわかりますよ。また、東宝の映画「人間革命」が実写でありましたので見てみました。丹波哲郎、渡哲也と豪華メンバーが出演されてて、とてもわかりやすく出来てると思いますよ。つまり、全国の東宝の映画館で上映されたという過去の歴史があるわけです。また外国のサッカー選手、ハリウッドの女優、ティナターナー、日本の役者さん芸能人は多いでしょうね。並大抵の精神では前進できないのを乗り越えてこられたという話は多いですね。  大変な不況下で今必死に前進しようとがんばってる方は多いですよ。

回答No.2

 六つの質問を読んでの感想ですが。  貴方の心のバランスはとても良いのではないでしょうか。   両腕の長さが均等のやじろべえ(釣り合い人形)のようです。  ただそのやじろべえが、今は右に左に揺れているのです。    大昔、宗教は自然や暗闇などへの恐れのようなものから、発生しました。  それは未知の世界を、恐れ敬うといった気持ちの信仰心でした。    時を経て人間社会が発展していくと、自然への恐れのような信仰が薄れ、苦しむ人々を救おうという宗教や、より良い人間社会を作ろうという宗教になってきました。  創価学会も悩める人々を救い、良い社会を作ろうという宗教団体といえるでしょう。  団体は一組織です。  組織の運営には人もお金も必要です。宗教の本質である信仰心とは別に、会社経営のように実務作業が伴います。  信者もお布施も必要。信者は社員であり、同時にお客様なのです。  完璧な組織などありません。良い面も有れば悪い面も出てきます。  貴方は今、その組織の悪い面に疑問を抱いているようですが、どうしても受け入れることが出来そうになければ、距離を置くのが賢明でしょう。  そもそも宗教は、愛とか慈悲とか言う言葉が象徴となるような、好ましいものであるはずです。  ならば人は、自分の好ましい心(他者を思いやる心とか、向上心など)を寄りどころにすべきではないでしょうか。  仏弟子‘阿南’は、お釈迦様がなくなられるとき、今後、わたしは誰を頼ればいいのですかと、聞いたそうです。  お釈迦様の答えは自分自身を頼りなさい。というものでした。  自分自身を頼れ。それは自分の好ましい心を拠りどころにしなさい、ということだと思うのです。   ☆乏しい知識の中、がんばって考えを述べてみました。            

  • dogday
  • ベストアンサー率29% (2313/7949)
回答No.1

フラフラな意見ですが少々おつきあいください。 質問1 >過去に、選挙の時に、卒業アルバムを片手に電話ボックスの閉じ込められた経験があるからです。 こういうことが当たり前に存在するからです。非社会的でしょ? 質問2 多いです。親子で信仰の違う不幸ほどひどいものはありません。根本的に価値観が違うものは同居できないのです。 質問3 ないでしょう。 質問4 先輩のやりかたが間違っているのですし、社会として宗教として間違っています。 質問5 なりません。学会員じゃなくても幸せな人は沢山います。 質問6 必要じゃないんじゃないですか。 学会にも素晴らしい人はいるでしょう。これだけ社会に影響を与えられるのですから。 素晴らしい人を輝かせるために闇を作って苦しんでいる人も必ず学会内にいます。 あなたの考え方。幸せになるために宗教が存在するのは本当です。 幸せを感じ続けるなら、一生信仰すればいいと思います。 嫌な思いをするなら、疑問に感じ、改善を考えられなければ人ではありません。宗教の弊害はここにあります。 不幸を克服する方法論だけを与え、幸の本質の思考力を止めさせる。 幸せになる方法はいくつでもあるのです。それを一つしかないと言い切り、これをしなければ不幸になると強要し、信者に考えさせることを禁じます。 創価学会は特にこれが強い。池田先生の言うことを信じればいい。信じなければ不幸になる。 選ばれた人間だけが助かるというのは、選民思想であって自分勝手な思想で、裏を返せば「選ばれない人間は死ねばいい」。救済ではなく、人切りです。 池田大作をあがめればいいというのは、一人の独裁者の社会主義と変わりません。 それが日本という民主主義国家の中にある。存在するだけでお互いにとって不幸なのです。 学会が日本を統べることも、日本国という親殺しで、やっていいこととは思いません。 大事なのは、幸せになる方法ではなくて、幸せとは本当になんなのか? 物事の本質を考えることです。幸せになる方法はたった一つか?