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痴漢冤罪対策への消極姿勢が「国策」でないことを証明できますか?

昨今、痴漢冤罪が社会問題になっています。 悲惨な痴漢でっち上げ事件が起きたにも関わらず、 国が痴漢冤罪問題への対策を積極的に 打ち出そうとしているようには見えません。 果たしてこの消極的姿勢が「国策」でないことを、 客観的に証明することは出来るのでしょうか? 将来の日本で「痴漢の推定有罪」扱いが 「言論弾圧」の手段として使われる可能性は、 本当にないと言い切れるのでしょうか?       *** 痴漢は女性側の一方的な主張で成立する 日本で唯一の犯罪だと言われます。 この「痴漢の推定有罪」扱いを悪用した 示談金目当ての痴漢でっち上げ事件が、 昨年2月に大阪市内で発生しました。 この事件では、無実の男性が犯人の女が行った 偽の主張により逮捕されています。 日本人はいつも何か大きな問題が起きてから、 あわてて“付け焼刃的”な対策を行う傾向があります。 例えば、秋葉原の大量殺傷事件をきっかけとして、 ダガーナイフの所持が禁じられました。 しかし不思議なことに、この痴漢冤罪問題については、 これだけ悲惨な事例が発生してるのにも関わらず、 国は目立った対策を打ち出そうとはしません。 これには「不自然」さを感じずにはいられません。 現代の日本では情報社会化がますます進行しつつあり、 一般市民が大衆へ情報を発信できる時代になりました。 国家権力にとって都合の悪い情報を流す一般市民が 架空の痴漢の罪を着せられて逮捕される可能性は、 将来の日本で本当にないと言い切れるでしょうか? 現在の痴漢冤罪対策への消極的姿勢が このような言論弾圧を行うための「国策」でないことを、 確実に証明することはできるのでしょうか?

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  • naocyan226
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回答No.6

No.4です。私の回答は筋違いのようですね。そこで、ご質問文を再読しました。ご質問の趣旨は、 「国家権力は言論弾圧のために痴漢容疑を利用する。そのため痴漢冤罪対策に消極的である。この見方が正しくない事を証明出来ますか」 ということですね? 回答としては、「出来ません」ということになります。理由は、それもありうるでしょうからね。戦前の特高のやり方を見ればそうですね。 国家権力は、いつでも反国家的勢力を排除できる手段を温存することを考えています。しかし、現在の民主憲法の下では、それをあからさまにはできません。そこで、痴漢という人権侵害犯罪の被害者救済の名目なら、容疑者を安易に逮捕しても、たいていは納得するでしょう。これを悪用すれば、特定の人物を狙い撃ちに出来るのですからね。しかし、そこまで考えるのは考えすぎのような気もしますが、どうでしょう。 痴漢冤罪については、問題は逮捕が安易に出来ることですね。現行犯逮捕ですか。被害女性の訴えだけを全面的に信用し、被逮捕者の言い分に耳を貸さない、今の警察の権力行使の仕方にあります。これなら、立法もしくは行政で改善できるのでしょうがね。 また、逮捕を大々的に報道するマスコミにも問題があるでしょう。この方は、報道の自由との兼ね合いで難しいですかね。

その他の回答 (5)

noname#91323
noname#91323
回答No.5

難しく考えなくても、電車内痴漢が極めて多い日本では泣き寝入りをする女性が圧倒的に多く これに対処するため被害者の主張を重く受け止めているということです しかしそれをうまく利用して逆犯罪のケースが増えたので今後修正するかなあ・・臨機応変に法律の実行を変えなければ権力者(ここではわれわれ国民ですね)にそっぽを向けられ、それこそ本来の隠れた権力を失いかねません 本当の権力がからむとするなら 公共の交通機関の経営者に無理な詰め込みは自粛するように誰も言えない状況ではないでしょうか 人気のラーメン屋が混んでこまることと同じレベルではないのですね

fuss_min
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 物事には必ず「真の当事者」と「便乗者」がいますね。

  • naocyan226
  • ベストアンサー率55% (564/1018)
回答No.4

「国策」というのは、国の政策のことですから立法の分野です。そして、立法された国策が行政によって施行され、その国策が憲法に照らし合法か否かをチェックするのが司法ですね。 これが三権分立制で日本は三権が分立しています。夫々が自分の分野で仕事をしています。そして、三権が相互に抑制し,均衡しあいます。それで、国民の安定的生活を守っている、これが憲法の定めるところです。 ところで、それぞれの機関は独立していなければなりません。その独立性を保つため,他の機関の行為を尊重し,不当な介入は断許されません。 もし司法がまともな仕事をしていないと判断されたときは、立法機関は弾劾裁判をします。行政機関は人事権即ち最高裁の判事の人事を握っています。痴漢に限らず冤罪を国策として防止するには、これらによってしか手段はありません。 さて、痴漢に限らず冤罪を生むのは司法の問題です。痴漢冤罪は当事者にとっては大変な問題ですが、特にこの問題だけで国策として、司法の世界に介入できるのは無理と言うものでしょう。 国策よりむしろ警察から検察・裁判制度等全司法界の改革こそ求められるべきでしょう。それを実現させるのは、国民の総意と力でしょう。 結局、その事に問題意識を有す国会議員や政党に1票入れるしかありませんね。 ということで、痴漢冤罪対策を国策として実行するのは出来ません。それを、証明云々は意味がありませんし、そもそも「消極的姿勢が国策」と考えるところに、いわば牽強付会的な無理がありますね。

fuss_min
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 参考になりました。

fuss_min
質問者

補足

おっしゃることは非常によく理解できますが、 これには一つ重大な落とし穴があります。 確かに司法は行政ないし立法から独立していますが、 日本では「逮捕」という事実そのものが非逮捕者にとって 大きな社会的ダメージである点を忘れてはいけません。 日本では、痴漢冤罪に限らず一旦逮捕されると、 たとえその後に裁判で無罪となって釈放されても、 ホワイトカラーとして就職して出世するのが難しくなるなどの 事実上の根強い社会的差別が待ち受けています。 その事実を利用した弾圧が起きる可能性もあるかもしれません。

  • ryuken_dec
  • ベストアンサー率27% (853/3139)
回答No.3

悪魔の証明ですから、まず無理でしょう。

fuss_min
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

回答No.2

あなたは痴漢冤罪の放置を国策だと思っているのですね?、ではあなたはそれが国策だと証明できますか?。この問題が言論弾圧を目的とした国策であることを疑うなら、まずあなたがその証明をしなければなりません。

fuss_min
質問者

お礼

ご投稿ありがとうございました。

  • hunaskin
  • ベストアンサー率30% (1854/6060)
回答No.1

ご質問の無いように限らず、どのような問題でも 「~で無いことの証明」は大変に困難、たいていの場合は事実上不可能です。 例えば「私(回答者)が一人で眠っているときに時にへそから3メートルの触手を生やしていないことを証明する」なんてことは誰にもできないわけです。 ※論理学的にはこのような問答は「悪魔の証明」と呼ばれています。 「~で無いことの証明」ができないことが「~であることの証明」が成り立つことの保障にはなりません。むしろ、悪魔の証明を求めること自体が無意味である、とされます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E8%A8%BC%E6%98%8E ですから >痴漢冤罪対策への消極姿勢が「国策」でないことを証明できますか? については 証明するのは大変困難です、という回答になります。 ただし、証明できないことに何か意味があるわけではありません。 さらに 痴漢冤罪対策への消極姿勢が「国策」であることを証明できますか? という質問だとしても回答は上と同様のものになるでしょう。 こちらの場合は、証明できないことが一定の意味(価値)を持ちます。

fuss_min
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 参考になりました。