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連合艦隊って

太平洋戦争時の連合艦隊についてですけど、連合って何と何の連合なんですか? 海軍と連合艦隊との関係はどうなっているんですか? あと大東亜戦争という呼び名がありますが、太平洋戦争と同じ事ですか?

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

南雲艦隊、小沢艦隊、志摩艦隊などを総称して連合艦隊と言います。 連合艦隊は海軍の指揮下にありました。 大東亜戦争とは日本側の正式な呼び方です。 閣議で決定されました。 太平洋戦争はアメリカ側の呼び名です。 戦争に負けたのでアメリカ側の呼び名を使っています。

marimo99a
質問者

お礼

簡潔でも明快な回答ありがとうございます。

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  • gonveisan
  • ベストアンサー率20% (477/2365)
回答No.6

http://search.live.com/results.aspx?q=%E9%80%A3%E5%90%88%E8%89%A6%E9%9A%8A&src=IE-SearchBox この辺に色々有ります 映画の連合艦隊 谷村新治さんは映画を見てから 群青 を作詞 作曲したんだろうか? すごい感性だと感心します。

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.5

wikipediaの 「連合艦隊:概要: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E8%89%A6%E9%9A%8A#.E6.A6.82.E8.A6.81 の記載が良くまとまっていると思われます。 連合艦隊が最初に組織されたのは日清戦争の際で、 * 常備艦隊 * 西海艦隊 の二つを統合して指揮するため「連合艦隊」とその司令長官・司令部が置かれました。この連合艦隊は日清戦争後に解散しました。 日清戦争での連合艦隊司令長官は、常備艦隊を自ら率い(直率と言います)、常備艦隊旗艦に坐上しました。 日露戦争の際にも同様に連合艦隊が置かれましたが、この時の構成は、日本海海戦時においては * 第一艦隊 (戦艦4隻、装甲巡洋艦2隻を基幹) * 第二艦隊 (装甲巡洋艦6隻を基幹) * 第三艦隊 (旧式艦を基幹) となっていました。 日露戦争時の連合艦隊司令長官は、第一艦隊を直率しました。 この連合艦隊は、日露戦争後に解散されました。 その後、連合艦隊は常設ではなく「1年の半分程度、大演習の期間に設置され、第一艦隊司令長官が兼任するもの」となりました。 大正12年以降は常設となり、昭和16年までは * 連合艦隊司令長官が第一艦隊司令長官を兼ねる * 連合艦隊司令長官がメインで、第一艦隊司令長官はサブ という形となりました。 平時における連合艦隊は、 第一艦隊 (戦艦を基幹、昼間の砲撃戦が目的) 第二艦隊 (巡洋艦を基幹、夜間の魚雷戦が目的) の二つの艦隊で主に構成されました。 なお、平時においては、日本海軍の軍鑑の半分程度しか連合艦隊には所属せず、残りは「予備艦」となっているのが通常でした。 これは、 * 連合艦隊所属の艦は定員を充足させているのでカネがかかる。練度の維持のため、順繰りに連合艦隊に所属させていた。 * 軍鑑の大規模な改装には何年もかかるので、改装のためにドック入りしている軍鑑は連合艦隊から外れる。 といったことによるものです。この辺は細かく説明すれば数冊の本になるくらいで、ウィキペディアの記述もかなりはしょっています。 詳しいことを知りたければ、 「軍鑑長門の生涯(阿川弘之著)」 を読むと、平時の海軍がどういう状態であったのか分かります。 大東亜戦争の際には、連合艦隊は「フル出撃」の状態となり、日本海軍のほとんどの軍鑑を配下に置きました。また、この時期になりますと「海軍航空隊」の規模が大きくなり、これも「航空隊=軍鑑」の扱いで連合艦隊の指揮下に入りますのでややこしくなります。No3の回答のような状態です。 昭和19年になり、連合艦隊司令部は軍鑑を降りて陸上に設置されるようになり、日本海軍の最後の可動海上戦力であった第二艦隊(戦艦大和と第二水雷戦隊)が「大和特攻(菊水作戦)」で壊滅しますと、指揮すべき艦艇が実質的になくなってしまったので、「海軍総隊」と名称と組織を変え、消滅しました。

  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.4

既に回答のあるように, 「複数の艦隊からなる作戦単位」です. 海軍では通常「艦隊」が作戦の最大単位なのですが, 大規模な行動をするときには複数の艦隊を 1つにまとめて指揮をする必要があります. そのようなときに「連合艦隊」とします. なお, もともと連合艦隊は常設のものではなく, また実際の戦闘行動以外でも演習のときに「連合艦隊」とした例もあります.

marimo99a
質問者

お礼

ありがとうございます。 今までとはちょっと違った言い回しの回答だと思います。 イメージがわき、より理解が深くなりました。

  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8859)
回答No.3

聯合艦隊は 文字通り複数の艦隊で編成された日本海軍の主戦力決戦部隊である。  明治初期、海軍はそれまで有力艦・新鋭艦で編成された主力部隊を「常備艦隊」、老巧艦などで編成された沿岸防備のための二線級部隊を「警備艦隊」と称していた。日清戦争開戦がせまり、「常備艦隊」と「西海艦隊」を連合、「聯合艦隊」を組織した。  太平洋戦争開戦時は旗艦長門の山本五十六司令長官が直接指揮する、少数の近海防衛支援戦力以外は、 ・第一艦隊(司令長官:高須四郎中将) 戦艦を主軸とした海軍最強の主力決戦艦隊(そういう大艦巨砲主義の思想で編成されていた(^^) ・ 第二艦隊(司令長官:近藤信竹中将)重巡洋艦を主軸とした、元来は偵察支援奇襲艦隊(南方作戦全般を支援のため出動) ・ 第三艦隊(司令長官:高橋伊望中将)フィリピン攻略作戦支援のための艦隊 ・ 第四艦隊(司令長官:井上成美中将) 南洋群島防衛のための艦隊 ・ 第五艦隊(司令長官:細萱戊子郎中将) 北方(千島列島~本土東海上~小笠原諸島)防衛のための艦隊 ・ 第六艦隊(司令長官:清水光美中将)潜水艦隊(主力はハワイ方面偵察奇襲に出動) ・ 第一航空艦隊(司令長官:南雲忠一中将) 空母機動部隊 ・ 第十一航空艦隊(司令長官:塚原二四三中将)南方基地(陸上)航空部隊中心、司令部もテニアン島の基地に置かれた ・ 南遣艦隊(司令長官:小沢治三郎中将)仏印進駐部隊、マレー作戦を支援 に分かれていた。 ※支那方面艦隊は、連合艦隊に入らず、軍令部から指示を受けていた。 帝国海軍の総指揮官は天皇、 軍政の補佐に当たるのが海軍大臣以下の海軍省、 天皇の参謀長として軍令にあたり作戦の立案に当たるのが 軍令部総長以下の軍令部(大本営海軍部)、 連合艦隊は、最大の実戦部隊として、軍令部を通じ、天皇の命令を奉じ、 鎮守府所属の警備防衛部隊などと共に、日本の海を守っていた。  開戦のときに、海軍は太平洋戦争と命名しようとしたが、陸軍の主張で戦時中は大東亜戦争と呼ばれていた。  戦後、アメリカの意向で、太平洋戦争が一般的となった。

marimo99a
質問者

お礼

詳細なご回答ありがとうございます。

回答No.2

日本海軍の場合、通常、常備艦隊と各鎮守府に艦艇は分散して所属していました。 戦時体制になって、第1から第6の各艦隊や派遣艦隊が編成されるのです。 そして、大規模な戦闘を行う際、各艦隊を統合運用する機関として、「連合艦隊司令部」が存在したのです。 また、連合艦隊司令部の指揮の元、統一運用される艦隊が「連合艦隊」なのです。 法制度上は、大本営海軍部があり、その下に属していました。 連合艦隊司令長官は海軍実戦部隊の長という役割です。 大東亜戦争は、日本側の呼称で、太平洋戦争は、アメリカサイド、連合国側に立った呼称です。 実際、日本軍が主に戦場としたのは東南アジアであって、欧米の植民地を解放して、大東亜共栄圏を建設するのが元々の日本の戦争目的ですから。

marimo99a
質問者

お礼

わかりやすい言い回しで良く理解できました。ありがとうございます。

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