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呪術と宗教と科学
むかしある山奥で白装束の牛の刻参りを目撃して驚愕したことがあります。 効験の程は別として、こういった呪術は科学的な因果関係の認識の前段階的なものか、それともまったく逆のものでしょうか。 また宗教との違いはなんでしょうか。
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- kigurumi
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>ちょうど修験道の行者(といっても某医科大学の先生なんですが)と修行の帰り途上、車中からライトに反射した姿を目撃いたしました。 センセはモーセのように道に迷ったのでしょうか? 牛の刻って何時か知ってます? もしかして、センセの世界では夜の8時とか10時あたりが、牛の刻という認識になっており(センセの事実)、白装束を着たほかの行者を牛の刻参りをしていると誤解したという寝オチみたいなものじゃないですよね? >来月は本山へご来光を拝みに参る予定なので厄が落ちてくれればいいのですが。。 ということは、あなたは呪術を信じているってことですよね? 信じているから厄が落ちるかと考えるに至ったわけですよね? 信じていなければ、そういう発想はしない。 では、どうしてあなたは呪術を信じているのでしょうか? それは経験からくるものでしょうか? 例えばいつもと違うネクタイをしたところ、何か驚くようなことが起ったとか、そういうことから因果関係があると思って、呪術を信じるようになったのでしょうか? フレイザーの金枝篇 読んだことがあります。 世界各地に呪術にまつわる習慣がある。 日本の七五三から成人式まで、一種の呪術というか、通過儀礼ですよね。 見えないものを踏み越えるという儀式です。 これは物理的なものではなく心が通過したと認識しないと、以前と変らないわけで、、、 ということは、あなたが厄を落すための儀式を行うということは、通過儀式をして、心を一新するつもりだって心構えみたいなものですよね。 宗教も通過儀式のオンパレードですが、いっくらやっても通過せず、悩み苦しむのは、行動では通過をしたように模倣しているが、心が伴っていないから、踏み越えられないでいるわけですよね。 ギボアイコさんって人は、人の信じる心をうまく利用した人。 悪霊という概念を持って、どうしても心で踏み越えられないものを踏み越えさせた人。 プラシーボ効果をうまく利用した人。 そういう功績があるので、とんでもを暴くと学会でも、彼女に関してだけは良い評価を下しているわけです。
- kigurumi
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kigurumiです。 >「プラシーボ効果」という文字が目に入った瞬間、回答者はkigurumiさんだと分かった。 恐らく私の愛読者だから、予測が的中する確立が高くなったんじゃないかと。 >なぜ、普段と違うことをしたからと考えたのでしょう? 人は、同様なことに因果関係を認めたがる場合と、相違に因果関係を求めたがる場合がある。 この場合、普段と違う何かがあったから、稀なることが起こったと推測する方が容易だからじゃないかと。 プラシーボ効果を見て、このサイトで同じ語彙をよく使うものは誰かとあなたが過去の事例を思い浮かべたとき、よくその言葉を使うのはkigurumiだと思ったでしょ? 超能力者じゃなくて、普通の人。 なんだっけ? 占い師と超能力者と大学生で、予測させたところ、一番予測が当たったのは統計学関係をやっていた大学生たち。 ちなみに占い師と超能力者たちの予測の的中率は、偶然当たる確立よりうんと低かった。 >丑の刻参りの信念はどのようにして生まれたのか。 うーん 牛の刻参りについて書いたある本を読んだことありますが、内容忘れちゃいました。 ですが 鬼 に関係があったような。 信念というより、もう全身全霊で呪うわけです。 自分の命と代償に相手を不幸にしてやるって信念じゃなくて呪いの行動を現実起こすわけです。 そのことによって、自分も滅びる。 けど 相手も滅ぼし相手と一緒に地獄に落ちるつもりでいるわけです。 プラシーボ効果ね。 だから呪わば穴二つなわけです。 6です。 私から見えるプラシーボ効果がもたらす暗示の世界。 あのぉ~ おへんどさんと牛の刻参り 混同していません? すっごい気になるんですけど、真夜中に山奥で何してたんですか? 牛の刻参りの時間と場所 知ってます? 普通はその時間帯にその場所に行くってのは、牛の刻参りをする人以外いない。 牛の刻参り 見ちゃいけないんですよ。 見たものは呪われる。 プラシーボ効果ね。 暗示にかからない人は、「みーーたーーーなーーーーーーー」って追いかけられても「きゃーーーーーーー 鬼さんこちらぁぁぁ」って真夜中に鬼ごっこして楽しめるでしょうけど。 牛の刻になにしていたかのお返事は、暇なときでいいです。
お礼
>牛の刻参り 見ちゃいけないんですよ。 見たものは呪われる。 プラシーボ効果ね。 来月は本山へご来光を拝みに参る予定なので厄が落ちてくれればいいのですが。。 >6です。 私から見えるプラシーボ効果がもたらす暗示の世界。 ちなみに私は2番ではないかと思うのですが。
補足
>すっごい気になるんですけど、真夜中に山奥で何してたんですか? ちょうど修験道の行者(といっても某医科大学の先生なんですが)と修行の帰り途上、車中からライトに反射した姿を目撃いたしました。 先生から「あれは丑の刻参りだよ」と教えていただきました。 ご回答ありがとうございました。
- kigurumi
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ほとんどはプラシーボ効果で説明がつくのではないか と。 例えば、すごくいいことがあったとする。 普段は無いのに起った。 ということは普段と違うことをしたことで、今まで起らなかったことが起ったと考える。 友人からもらった黄色いマフラー。 せっかくだから身に着けようと、そのマフラーをして出かけたところ、いいことが起こったという風に関連付けをし、何かすごく望むことがあるときは、縁起の善いそのマフラーをつけることにした。 すると、そのマフラーをしていたせいで、またいいことが起こった。 実はマフラーをしていなくても、起りえた。 なにげないできごと。 だけど、縁起の善いマフラーをしていたことで、「危なかった車にひかれることろだけど、マフラーをしていたために九死に一生を得た。」という思考になるわけです。 受験の時にもそのマフラーをしていく。 どういう効果があるから。 すごい効果があるマフラーを身にすけているから大丈夫と心が安定し、試験で緊張しなくて済むという心理効果がある。 ただ、勉強せず、このマフラーさえ持っていれば絶対合格するって思った場合は不合格になりやすいでしょう。 やるべきことは全部やって、後は受験会場で緊張しないで実力を発揮できるかどうか って時に、心理効果を発揮すると思える。 というわけで、些細なことに因果関係を認め、それをうまく利用することで、効果があるってこともある。 プラセボ。 偽薬ですが、精神的なもので頭痛を起こしたり、心臓は悪くないのに心臓発作に似た状態を起こす人に、与えるビタミン剤みたいなもの。 本当に頭痛薬や心臓の薬は生理現象を薬により人工的に変化させてしまうので、身体的疾病が原因で起こす人以外に投与すると危険だから投与できない。 それでも精神的なもので、肉体的な疾病と同じ現象を訴える人には、プラシーボ効果を利用させ、自己治癒力を引き出す。 薬を飲んだからもう大丈夫と本人が思えば、頭痛は消えるし、息苦しさも消える。 ところが全員に効くわけではなく、自己暗示の効果が無い人には効かない。 精神不穏により身体的な変化を起こす人は、思い込みが強い傾向にあると思う。 ということは、それを逆手にとればいいわけです。 思い込みにより頭痛や息苦しさを起こせるので(自己暗示)、もう薬を飲んだから大丈夫というプラス思考をさせるため、偽薬を飲ませる。 思い込みが激しいので、それを利用するってわけです。 ある占い師は良く当たると前評判をたて、被験者に占い師からその人の過去に関することを占ってもらった紙を渡した。 全員「当たっている」と驚いた。 すごい占い師だって。 その後で、全員 もらった紙を公開してもらった。 全部 同じことが書かれていた。 誰にでも起りえることが書かれていたわけですが、書かれたことは自分のことだと思い込むことで、効果があるってことですね。 これを占い師は利用するわけです。 占い師の下には元気な人は来ない。 悩んだり迷ったり精神不穏になったりしている人しか訪れない。 視野が狭くなって盲目になっているので、光をさしてあげるわけです。 誰にでも起りうることを言って「あなたの過去はこうですね」とまず相手を信用させる。 そうやって全部お見通しだと相手に認識させたあと、「あなたはこうするべきです そうしないと不幸になります。そうですね 除霊してあげましょう。この霊は一回の除霊では消えません。5回は必要でしょう。第一回目は50万円。その後1回につき10万円かかりますが、これで祟りは去りばら色の人生になります。」 もう盲目ですから、術者の言いなりになり。 「詐欺師に取りつかれているし・・・・」なのですが、本人は金でかたがついてその後幸福になると思えば、ローン組んでも払いたくなるし、それでもう大丈夫だとプラシーボ効果により安心感を得られたら、それはそれでいい。 ただし、暗示は一時的なものなので、時間とともに消える。 するともともと精神不穏を起こしやすい体質なので、また 精神不穏になり、経験から前効果あったから とまたその系統に金をつぎ込む。 宗教ってこれですよね。 救われましたとか 救います とか あなたは選ばれた とか言って入会させる。 プラシーボ効果で、もう大丈夫だって思い、入会してしばらくは幸福感に満たされ熱心に信仰するが、時間とともに自己暗示は解けるので、信仰の効果を感じれなくなる。 そうならないように、定期的に集会に来させるわけです。 再度催眠をかける。 1週間に1度集会に来るようにってのは、1週間を超えると催眠が消え出すと経験からそう思えているからじゃないか と。 >宗教との違いはなんでしょうか プラシーボ効果も宗教も 催眠 という点では同じですね。
お礼
>宗教ってこれですよね。 とは 1、真実 2、(kigurumiにとっての)事実 3、kigurumiさんにとっての現実 4、kigurumiさんの憶見 5、kigurumiの信念 のうち何番にあてはまると思われますか? (ひまがあったらよろしくお願いいたします。)
補足
ご回答ありがとうございます。 回答者のIDを見ただけで回答の内容がほぼ予測できるということがあるんですね。 その根拠は帰納の原理なんですが、ある程度くり返すと確からしさは高くなる。 今回の場合は「プラシーボ効果」という文字が目に入った瞬間、回答者はkigurumiさんだと分かった。 マフラーの場合はどうでしょうか。 >ということは普段と違うことをしたことで、今まで起らなかったことが起ったと考える。 なぜ、普段と違うことをしたからと考えたのでしょう? これも帰納の原理でしょうか。 とすれば、普段と違うことをすればいいことが起こるかもしれない、という信念が既にあったということになる。 では丑の刻参りの信念はどのようにして生まれたのか。 ひまがあったらよろしくお願いいたします。
人の強い思いからは、念波が発生して災難になります。だから物事に執着したり、大切なものや高価なものには、念が入りやすいので良くありません。これを科学的に説明すると、脳の思考、人の念は、人と自然の情緒との交流を遮断するからです。脳の念と自然は対立しています。悪い宗教は、人の念を強くします。良い宗教は、人の念を無くそうとします。だから仏教の釈迦の教えは、脳を自我を否定し、無我になれば救われると教えています。禅は無念無想です。
補足
ご回答ありがとうございます いちいち強い念波を発していては身が持ちませんね。 そういう怠惰な心情が、呪術という方式を生み出したひとつの所以でもあるわけです。
- shubal
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俺はあんたのいう「呪術は科学的な因果関係の認識の全段階的なものか」っていうのは、スマンけど全然わからん。意味がわからんのに回答するのはルール違反やけど。わかるのはたぶんいまの科学では解明されてないやろうくらいなもんや。将来のことは俺にはまったく想像がつかんわ。 で、その山奥で丑の刻参りしてたのを見たって、あんたの言うてる、それっていまもやってる人いるやろな。 たしか呪術ってのは、人間の古代の頃からあるもんやけど、いまほとんどの人に定着してるのは、密教の呪術と違うかな。やり方知らんにゃけど、クジをきるってのも密教やし。人を殺したり、身を守ったり、いろんな呪術が密教にはある。それは全部が全部、密教の専売特許とはちごて、いろんな古い呪術も混じってるやろな。 俺がずいぶん以前に読んだ本にそんなこと書いてあったわ。たしか呪術の唱える文句は、全部梵語やったのとちがうかな。記憶がさだかでなくて申し訳ない。で、相手にあだなす呪術は必ず代償がある、つまり自分に還ってくるって、怖いこと書いてあったなたしか。 そんでその効果があるのかないのかは俺にはわからん。やり方もやったこともないからな。まあ、俺の場合、傷つけたい相手がおったら、拳で殴るやろうな。その本読んでて思たけど、呪術って相当めんどくさいなと俺は思た記憶がある。
補足
ご回答ありがとうございます。 フレーザーの説とベルクソンの説の対立なんですが、フレーザーの資料がないのです。 ご存知の方はいらっしゃらないかな。 >その本読んでて思たけど、呪術って相当めんどくさいなと俺は思た記憶がある。 めんどくさいほうが効験あるようです。
- kt1965
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回答します。 たまたま、日本科学未来館で類似の展示会をやっているようなので、こんな質問が出てきたのかな?と思いますが・・・。 呪術的なものは、一般論的には現在のところまで科学的には効果不明です。しかしながら、「誰かが誰かを恨んでいる」とか、「誰かの幸せを願っている」とかの印を、「守り神」と信じられている大木や洞窟などに記録し、それを示すことによって、「不幸を呼び寄せたり」、「幸福を呼び込んだり」するようなことは行われてきたようです。 宗教的なものとは、あまり関係がなく行われてきているようですが、「陰陽五行」などに象徴されるように、「幸福-不幸」の表裏の関係や「信仰-不信仰」という表裏の関係に見られるように、二元論的な世界観を象徴しているのかも知れません。そもそも、「宗教」そのものが、二元論的な考え方で出来ているといっても過言ではないからです。 では。
補足
>の刻って何時か知ってます? 真の暗闇ってご存じですか? そういう中での修行もあるのです。 信用していただなくともかまいません。 ありがとうございました。