神は右脳の意識です。左脳の意識は自我意識です。左脳と右脳は機能が違います。左脳は分別脳です、物事を割り切ってゆくと言う能力が在ります。という事は「割り切れない問題には」手も足も出ないと言う事になります。
悩みや苦しみは、必ず割り切れない問題が絡んでいます。人間の脳の機能が分からなくて、苦しんでいる事が、人間の障害となっています。例を挙げるなら、沢山あります。
自我意識が単独で、感情をコントロールしようとする事。(この事を精神疾患と言います)
自我意識が単独で、体をコントロールしようとする事(是が自律神経失調症)
自我意識が単独で自分の行動をコントロールしようとする事(神経症)
という事になります。感情や、体のコントロールをすると言う事は、割り切れない事と言えます。又人間の最大の悩みである「死」という事等にも、言えます。是等は割り切れない問題という事が出来ます。
この割り切れない問題を、分別脳で、計らって、やりくりしている姿が人間の苦しみと言えます。是は出来ない機能に、出来ない問題を押しつけている事になります。この事は大変判り難い事と言えます。
例えば「生死の問題」ですが、是などは割り切れない問題の最たるものです。是は「死にたくない」という自我意識が「永遠の命を」求めているという事になります。処が自我意識の分別脳には永遠の概念は有りません。何故ならば、分別脳の機能の問題から、永遠という事は理解出来ないからです。分別出来る事を「有限」という風に呼んでいます。
人間の苦しみは、有限の自我意識が、永遠のもの(右脳の意識=仏性)からの助けを遮っている処に在ります。言い方を替えたなら、永遠の命であるところの仏性の助けが、自我意識に遮られる。この一点の矛盾を自我意識は、苦しみとして受け取っています。
このところが、悟りを開く時の「見性」の場面という事になります。自我意識には出来ない、と認める事、出来ないと判る事。その時に自我意識に替って、自分の抱えてきた問題を解いてくれます。自我意識が一回死にます、是が大死一番です。
禅問答は左脳の自我意識、分別する機能では解く事が出来ないように出来ています。仕組まれています。この事は人間の苦しみ、或いは、実存を掴むと言う事は「左脳の自我意識では」不可能という意味になります。
禅問答が解けた時の心持は、生死の問題が解決したと言う事です。「神に会って和解が出来た、」そうして絶対肯定という事になります。「神の御心のままに」という事です。禅問答が解けた時には、人間の脳の全ての機能が働きだす、という意味になります。神とは右脳の意識の事です。無意識を働かせています。自我意識とは交互に出番が在ります。自我意識には自覚出来難く出来ています。
そのために「精神疾患、自律神経失調症、神経症」等が、原因は良く分かりませんが?という前置きで薬が出されているのかと思います。ですが、この原因は簡単な事です。心の矛盾がその原因です。人間には心が二つ在ります。右脳の意識は神、仏そのものです。神、仏と仲たがいしている事が原因と言えます。それは右脳の意識と左脳の意識が対立と矛盾を起こしている事が原因です。
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