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文学の境界線とは
ライトノベルやケータイ小説、はたまたボーイズラブ小説の類は文学といえるのでしょうか?これらの愛読者は将来、皆さんの愛読されるような本へと大きく移行する可能性はあるのでしょうか? 決してハイカルチャーだけに価値があるとは思いませんが、本屋を覗いても年を追うごとに内容の薄い本が幅を利かせているように感じます。 どこから先を文学と呼ぶのでしょうか?全くの主観、私見でも結構です。皆さんのお考えをお聞かせください。よろしくお願いします。
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文学とは文字の通りなのではないでしょうか? 簡潔ですみません^^;
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あなたの提出された消去法に沿えばどういう地点にも至ることなく話は終ってしまうので、 またそれを無視して勝手に述べるには曖昧で大きすぎる設問なので、 何がしかの能動的な姿勢による話の軸を提出されれば わたしも、この質問を眼にした皆さんもまたなにがしか語りうることがありますよ、ということを述べたつもりです。 なにもあなたを非難してなどいませんよ。また「批判」が含まれたとして、スネるようなことでしょうか。 MP3を分割するにはどうしたら?といったタイプの質問者あいてにたとえわずかでも批判ということはしません。 ただ決まりきった情報を噛み砕いて伝えます。でもこれ私があなたにモノを教えてるのじゃなくて、文学談義のたぐいでしょう。そもそもの最初から ひとつナゾなのは なんでイマドキノワカモノのことを私へのレスポンス中でフォロー?してやるのでしょうかね。連中、どっちみち余計なお世話だと思うんですけども ワカモノのことは最初からほうっておいて、「あなたにとっての文学」ということでならあるいはいくらか有意義な会話がもてたかもしれませんね
お礼
はいはい。まあ私の質問が悪くても書き直せないし、消去法と捉えるのもあなたが神経過敏なのでしょう。若者を擁護しているのではなく、いつかは嗜好が変わるかもしれないと彼らの存在を是認しているだけのことです。しかし冒頭に私の文学観を開陳してはそれに対する回答しか寄せられないと予想し、敢えて巷に溢れる題材を掲げて質問したまでです。文学の質的向上を求めての質問ではないことくらい理解できるでしょう。大きなお世話と思われるならば回答しなければよろしい。そうやって好きなだけムキにおなりなさい。礼儀知らずな方とはこれ以上お話しできません。ありがとうございました。
- bakansky
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小林一茶の俳句が「文学」とか「芸術」だと思いますか? あるいは、『万葉集』の歌の数々は、どうでしょうか? 戯歌程度のものでも、時代を経て生き残れば、民族の財産のようなものにでもなり得るのかもしれません。「淘汰」というのは、生物ばかりに適用されるものでもないようです。 「小説」というものを考えると、これは歴史的に浅いものです。西洋では、詩は高等なもので、小説は下等なものとみなされた。中国でも似たことがいえるかもしれません。 日本の『東海道中膝栗毛』なんて、今日でも、これを「文学作品」と呼んでいいものかどうか、迷うのではないですか? まして、これを「芸術」と呼べるかどうか、大いに疑問です。けれど生き残っている。 小説の中にはSFという分野もあります。これは小説の中でも新しい分野。それでも、中には「文学」と呼んでもいいようなものすら存在します(難解ではありますが)。 Dickens のような「大衆小説家」の作品だって、今日では大学の英文科の研究材料になってたりするわけです。フランスのサドの作品だってそうです。 「文学」だろうが「大衆読みもの」だろうが、そんな区別に拘るのは、馬鹿らしい気がしませんか?
お礼
例に挙げられた、小林一茶の句などは言葉遊びくらいにしか思えません。ディケンズの作も大衆小説に分類するのが妥当でしょう。しかし文学とは個人が決定するものではなく、文学とされるものが文学なのです。文学を語る際、予め取捨選択を行わず、十把一からげに論じては互いの認識のズレから混乱を招きます。したがって馬鹿らしくはないでしょう。仮に馬鹿らしいとしても、敢えて線引きするならばどこが境界となるかをお尋ねしたわけです。文学界においても漠たる境界はあるでしょう。確かにおっしゃるとおり卑俗で手軽な文学も存在します。これらを否定するものではありません。また私の質問が悪く、文学とは高尚なものと捉えているかの印象を与えたことは不本意であります。ご回答ありがとうございました。
>どこから先を文学と呼ぶのでしょうか? 「文学」というのは尊称の類でなくして総称ですからね。 とりあえず、もとより「使い捨て」のつもりで書かれまた読まれるポルノグラフィくらいは排除してみましょうか。 しかし「ものすごくつまらない文学作品」は、これはどうあっても「文学」の範疇から排除できません。 >これらの愛読者は将来、皆さんの愛読されるような本へと大きく移行する可能性は― ヒップホップやアイドル歌謡しか聴かない若者が、クラシックや現代前衛音楽に移行する可能性は… というのと同じくらい、当人たちには余計なお世話かつ無意味な問いではないでしょうか。 >本屋を覗いても年を追うごとに内容の薄い本が― むしろ、「文豪」たちの現役時代こそ「ハイカルチャー」に触れる人は今よりはるかに少なかったと思います。 わたしのおやじの世代なんかはそこらのぼんくら学生までが難しい顔して喫茶店で岩波文庫でも読んでたかも知れませんが(これもイメージにすぎないが)、それはそれでただのファッションですし。 「青年の読書」しかしてない人は、いまその内容をカケラも覚えてないと思いますよ。 なんだかあなたの質問を斬って捨てて蓋をするような物言いばかりでご不満に思うかもしれませんが、 それはあなたの姿勢そのものが、自分の問うところの「良き」あるいは「あるべき」文学とは何ぞやということを正面から求めるもののそれでなく、 何かを切り捨てることで、つまり消去法で自動的に・ラクチンに、望む答えに迫ろうと考えていることにそのまま対応するわけですよ。 どうしてもそのような問いかけに対してはこの程度の答え、ということです。悪しからず…
お礼
言葉足らずで申し訳ありません。別にそれらを斥けようとしてはいません。文学と同じ俎上に乗せてもかまわないだろうかと考えたわけです。文芸批評をする際は、一顧に値はするものの真剣に取り上げる評者は少ないでしょう。出版社からしても編集にはライトノベルの類のほうが、文学よりも容易で利益を得やすいと思われます。私も未成年の頃は歌謡やポップス、ノウハウ本や平易な小説を好みました。その一方でクラシックや難解な書を求めては投げ出しました。しかし現在埃を被ったクラシックのCDや積ん読した修養書や難解な小説が楽しいのです。彼らも嗜好が代わる可能性もあるとは思いましたが、敢えて質問には記しませんでした。そういうわけでこれらを安易に切り捨てているのではありません。私の見解を批判されるのはかまいませんが、ご自身の物言いにもお気をつけになったほうがよろしいのでは?そういった態度にはこの程度のことしか申し上げられません。ご回答ありがとうございました。
お礼
なるほど奥が深いですね。ありがとうございました。