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酒乱?性癖?劣等感?
初めて質問します。誰にもいえないことで悩んでいます。今回こういう匿名相談室を見つけましたので、恥を忍んで相談します。 メンタルヘルスか性の悩みか心理学かどこにするかと迷いましたが、自分の心理が分からないのでこちらにします。 まず、お酒のことです。いつもというわけではないのですが、普通に楽しく適度に切り上げれるときもあるのですが、どういうわけか前後不覚になるまで飲んでしまうことがあります。量が多くても起きないときもあるくせに、あまり飲んでいないのに起きてしまうことがあります。感じとして、多いときのほうが少なくて、あまり飲んでいなかったときのほうが頻度が高いような気がします。 そして、ここからが問題なのですが、記憶に残ってないときにHなことをしてしまうのです。(うっすら記憶が残っているときも、その直前やそのさなかに気づいたこともあります) 私は女性です。ただ淫乱女なのかというと、ここから先も言いにくいのですが、対象が女性なのです。 だとしたら、自分は同性愛者なのかということになるわけなのですが、不思議とその方を特別好きとか思っていたわけではないのです。 初めて気が付いたというか、気がつかされたとき、相手の方がものすごく変な言い方をされたので、わけが分からなくて問いただしたら、なにやらそういう行為に及んだようで、まるで覚えてないのでその人もあきれてしまって病気なんじゃないかと言われました。 以来時々起きてしまいます。もしかしてそれ以前にもあったかも分かりません。 最近はどうも自分は女性の体に興味があるというか、Hなことがしたい人間なのだということが自覚されてきました。が、特別誰かを好きになるということができません。 自分自身は男性と性交渉は持ってます。特定の異性もおります。ただ、セックスが好きかというと、分からない感じです。どちらかといえば、あまり積極的ではないほうだと思います。断る理由が見当たらないから応じているというのが正解かもしれません。 そして最近、彼氏とHをしているときにちょっと不思議な感じに取り付かれるようになりました。Hされているのは私なのに他の誰か(特定の女性)にこういう思いをさせたいというか、彼女になった感じで受けているというか。受けているのは自分の癖に責めているのも自分のような、なんだかごっちゃになってしまいます。そして、ここが一番悩ましいのですが、彼氏とHして感じて興奮すればするほどどういうわけか女性の体に触ってみたい気持ちになります。 申し遅れましたが、私は多分不感症に近かったと思います。ただ、今の彼氏とは長くなっており、Hをする回数も増えてきて、それなりに感じるようになってきました。 自分が思うにはストレートに快感を得られなくてまたは心理的に邪魔されていて、自分でない何かに置き換えないとHの快感を受け付けられないのだろうか、ということです。 そして、最中に頭に浮かぶ人のパターンが分かってきたということです。やはり恋愛感情は持ってないのですが、社会的にステータスの高そうな人とか同性にも異性にも素敵と見られている人。たぶん自分はその人にコンプレックスを持っているのではないだろうか、ということです。 尚、普段は女性の体に関心はありませんし、興奮することも勿論ありません。ごく普通に付き合ってますし、特別な感情は持ちません。 いったいどういう風に考えればいいのでしょう。
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お返事、拝見しました。 実は、ちょっと慌てました。いえ、御相談の内容とか補足の内容じたいに今さら驚いてるのではなくて、質問者さまの お悩みのようすが、私の予想以上だったからです。 先回でも、決して御自分だけ特異であるとまで思われる必要ないのではと申しましたけど、より詳しく伺ったところによれば、やはり、おかあさまの養育態度と言うか御方針が、ちょっと変わっていたのかもしれませんね。それでしたらなおのこと、質問者さまの思われることや現在 気にしていらっしゃる行動などは、ある意味、当然なのではないですか。 長くなりそうですが御容赦ください。 巷の話題で、以前にテレビで見たことがありますが、質問者さまは御存じかしら? 中高年のオヂサンたちが、とある秘密のクラブみたいな お店にやってきて、早速あかちゃんのような衣装を身につけ、お店の人に哺乳瓶をあてがってもらって、でれでれしながら嬉しそうに飲んでいました。とっても癒されるんですって。。。 まあ、こういうのは極端な話で、男性のは少し割り引いて考えるべきなのかもしれませんが。 心理学の理論でも、乳幼児期には、ある種、徹底した甘えが許される時期が必要なんだそうですね。 あかちゃんが歩き始める前の「這えば立て、立てば歩めの…」って言いますけれど、こういうのも、自然に定まっている順序は必要なことなんだそうです。 実は実は、私、産まれる前後に、学会発表しますぞ、と取り上げ医が宣言したというくらい、変わった経緯があったのですが、その影響からなのか、生後6ヵ月で、いきなり歩き始めたそうです。その頃の記憶も、わりにハッキリしてます。信じない人もいますけど、母は そうだろうとも、と頷いてました。もちろん、そばで見てきたことですから、本当だと知っていますもの。 私は生後半年で歩き出す前、ハイハイしなかったそうです。と言うか母の話では、本人はハイハイしてるつもりが、前に進んで行かず逆に後退してたそうです;それで諦めて、いきなり立ち上がって歩き始めたのですかねぇ、そこまでは覚えてないですが、専門家によれば、こういう子どもは、いずれ将来、ズボラな おとなになっちまうんだとか?恐ろしいほど当たってますよ(泣) 先日、別の質問で、あかちゃん猿が、ミルクの飲める針金製の擬似母猿とミルクは飲めないが柔らか素材の擬似母猿の実験で、どっちを多く好んだかという話を紹介しました。「人はパンのみにて生くるにあらず」というのを、この場合に持ち出すのは、はずしてるかしれませんが、やっぱりミルクだけが大事じゃないんですねえ。 飼われてる犬だって猫だって、あるていどはスキンシップをしておいてやらないと、拗ねて ひがんで、ヤキモチ焼きになったりしますから。まして人の子ですから。 子どもの問題は、実は親の問題、って言われるようです。質問者さまの場合にも言えることなのかもしれませんね。ですけど、もう大きくなってしまわれてるから、なんとか前向きに考えたいですよね。可能なら、今からでも、おかあちゃんのおっぱいを飲ましてもらったっていいじゃないかと思うんですけど。いっそ私のおっぱいでよければ。。。あ、でも、私の、そこそこありますよ、お嫌でしょうか。同性が触りたがったこと何度かありますよ。私の母は、みごとな巨乳でした。だからなのか私自身はバストの大きい女性に郷愁すら感じます。関係ないですね、こんな話。失礼しました。 >中高校生のとき(反抗期)かなり深刻に悩んだ記憶があり とのことで、いっそ、このあたりで思い切って、おかあさまに尋ねておいたらよかったかもですね。いや、可能ならば、これから聞いてみてもよいのではないですか? 案外、平凡な理由かもしれないし或いは、おかあさま自身の内部に、御本人が自覚していない わだかまりが潜んでいたということも考えられます。 >自ら先取りして「いい子」にしていたような気が なるほど!どうりで、貴方は知的で思慮深くていらっしゃいます。 私も、そういう面があったですよ。もっとも私の場合は、いかにもボンヤリしててヌケた子どもでしたから、しょせん、たいしたことはできませんでしたが、小学校時分の担任などにも、このままでは将来が危ぶまれるほどに すなおな子どもである、と言われてました。 そういったもろもろの反動が、どんなかたちで出てくるものか、人間ひとりの成育いかんって、底深いものがありますねぇ。 >恋愛感情は実は女性にも勿論ですが、異性にもなかなか持てません。「愛されて育ってない子は愛するということが出来ない」という説を見て納得してしまってます。愛されるということも実はよくわからない、得体が知れなくて怖いという気持ちがどこかにあります。 恋愛が苦手なのは、愛?という感情をたくさん出されて迫られるからです。今の彼は割りとそういうモードでなく、私から見て過剰な気持ちを押し付けてこない人なので淡々として付き合えるので続いてます。ただ、見方によっては、全然愛されてないんですよね?もしかして、ただのセフレかもしれないんですよね? このへんを拝見して思ったんですが、質問者さまと私、かなり共通点があるんですよ。とくに若い頃の私と。 と言っても、私の場合は、父も含めて、スキンシップに関しては、どちらかと言うと、ベタベタされてたくらいだったと思えるし(先回も述べましたように、親に、というわけではないけど、性的なオモチャにされてたこともあるくらいです)、私は、そもそも自分自身が過度のスキンシップに抵抗感あるみたいなんです。母が添い寝すると嫌がる子どもだったそうで。そのくせ犬や猫にはベッタベタなんですけど。 >色気を感じる部分を忌避したい気持ちといいますか。胸もあらわに近いような服装の人はまるで売春婦といわんばかりに軽蔑に近い感情を持ってました。性の匂いのする人が苦手ということ 複雑ですね。自分のなかの女性性を認めたいような認めたくないような。ほんとは欲しいのに手に入らなかったものを思い出すから目を背けたい。刺激しないでもらいたい。欲しがるなんて、みっともない、軽蔑してやるぅ。あ、これって、男性も言いませんか? 私の場合、そういう感情が男性に向けられていたのかしら?もっとも後年になって、すっかり感覚が引っくり返る出来事があったので、そうとう考えかたも変わりましたけど。 彼氏とかでも、情熱むんむんで迫られるのって、ちょっと困ったような思わずヒキたくなるような恐いような気分になりますよぉ。こっちも夢中になってるときなら、まぁ楽しいですけど。 だいたい若い頃、私、男性に対して猛烈な反感ありましたから。それも考えてみれば父親への怒りが原因してたんですね。だから学校時代は、男の子を苛めるのが快感だったりしました。 年頃になってくると、幼い頃以上に性的な誘惑や危険が多くなってきて、それも肉体面での それがアカラサマなので、ますます男性というものを軽蔑してたです。潔癖な年頃だったということもあるでしょうが。。。 恋愛感情というものすら、せせら笑ってましたね。世に言うラブソングなるものを心情的に理解できるようになったのも、そうとう遅かったです。「愛」なんて、いまだに「なによソレ?」というのが本音かも。 基本的に、私も「過剰な」人に抵抗感強いです。うちの身内は暑苦しい性格の人が多くて、そのうえ、どういうわけか私、時々スポーツマンタイプの逞しい男っぽい人に異様に好かれたりするもんで、余計いやだったりしました。 「愛されてないか」「セフレか」ということについては、情報が少ないですし、なんとも申し上げられないですが、避妊などのことは、男性側から自発的に気にかけてくれるかどうかとか、一つの目安かなと思います。もちろん、それだけでは分かりません。貴方は「淡々」が好き、お相手も「淡々」とした気質だから、うまくいってるのでしょうが、ともすれば、もの足りない感じにもなるのかな?私の姉は、その「淡々」タイプの男性と再婚しましたけど、最初の頃、しきりに不安がってたわりには、なんとか仲良くやってますよ。貴方がた おふたりの将来的なことについて、話し合っておられることはありませんか? >裏切られることの予防で誰か代理の人を立てて、やっとHが受け入れられている、そんな見方もあるのかなとも思ったり ブリジット・バルドーという、往年のフランス女優のことを ちょっと思い出しました。華やかな恋愛遍歴で鳴らした人ですが、自分からバシバシ容赦なく男性を捨てることでも知られていたそうです。だから、女っぽい外見とは裏腹に男性的な気性のように思えますが、私は、むしろ彼女の潜在的な傷つきやすさを思いました。 マリリン・モンローも「ヴァルネラブル」のイメージで語られますね。ふたりとも、大女優として業績を残したキャリアウーマンと言えるのですから、もちろん男性顔負けの強さもあったでしょうが、その一面だけではなかっただろうと思います。 性行為においては、一般に女性は、あまり積極的とは言えないのが殆どだと聞きます。ですから質問者さまが、誰かを想定することで、少しでも お相手の男性に応えてあげられるよう無意識の くふうをしていたのだとすれば、幼い頃「いい子」だったということにも繋がりがあるかもしれません。期待に そむいてはいけないという自縛とか。そこには、自信のなさみたいなものも隠れていそうですね、御自分を他の何かに置き換えなければならないというのは。 >「それ」について明かさないとやはり悩みの本質は届きませんよね。匿名掲示板でもとても躊躇してしまいます。 ご無理なさらないでください、それに、あらかた想像はつきました。でも >下半身まで手を伸ばしていると知ったときの衝撃 無理に言わせてしまったとしたらゴメンナサイね。恥じないでください。あったかいのですものね。 私は可愛い人だなあと思いましたよ。ほんとです。 なるほど、お酒を飲むのは、無意識のうちに、隠されたものを発散させてしまいたいという衝動があって、しかも、その衝動は、「お酒のうえのことだから」という、ありがちな言い訳に結び付いてるかもですね。 そういえば、うちの父は酷い酒乱だったのですが、母が「ありゃ酔ってることを口実にして暴れたいだけやねん」とブーブー言ってましたわ。 俗に、お酒を飲んだら本性が出るとか言いますね。私は飲んでも、ゲラ(笑い上戸)になるかな?くらいで、あまり変わらないですが。。。御自身が思う以上に、ふだんは抑圧されていたものがあったということでしょうか。 >辛いのが、それで収まってない。収まってるときもあるけど、収まってないときもあるということです。 >ただ結局救われない自分を知るだけなのかなという予感に立ちすくむところがあります。かといって、忘れ去ることも出来ません。 うーん。。。なんか胸が痛むというか。。。 ダッチワイフかなんかで解消するんならいいんですが。。。 純然たる温もりの希求って感じがしますもんね。。。 私が、むかし読んだことのある本で、たしか吉武輝子さんというかたの著作に『女人 吉屋信子』というのがあります。この吉屋信子という女性作家さんは、同性愛だったそうですが、やはり、子ども時代に母親がチョー冷淡だったらしいのです。御本人には自覚がハッキリしていて、それが恋愛観や創作上に強い影響を与えているということは認めていたそうです。一つのエピソードに 吉屋信子さんの父上が、年頃になった娘・信子のためにと、珍しく、柄の良い反物を おみやげに持って帰宅されたとき、なんと、彼女の美しい母上が(有名な歌人が、年老いてからの彼女を称える歌を残したくらい美しかったそうです)、自分に似ていない器量の悪い娘・信子に嫉妬するあまり、その場にワッと泣き伏したというのですよ。。。ガクブル 質問者さまは同性愛ではないということですが、敢えて、この著作、お勧めしたいくらいです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B1%8B%E4%BF%A1%E5%AD%90 いろいろゴチャゴチャと述べましたが、いま私がハッキリ申し上げられそうなのは、母性や女性性に対する屈折した思いと、そこから発しているらしい行為、これらを、むやみに恥じたり忌み嫌ったりなさることはないということです。このあたりは御自身で、あるていど分かっていらっしゃるようなので、残る問題は、その希求と不満感の充足方法ですよね。 男性なら珍しくもないのでしょうけど極端な話、いわゆるセックス産業で、指定した場所へ来てくれる女性とかありますよね、依頼者の性別は とくに問わないらしい、ですが、これは、お金に余裕が少し あって、尚且つ性病とかエイズ問題などのリスクを覚悟できるなら、一つの方法として検討する勇気はありますか?ということになります。或いは、レズビアンバーというのもあるそうですが、そういうところなら遠慮なく お酒を飲んで、その勢いで触ったとしても、そんなに困惑はされないかな?と思うんですけど、でも、お店の人はズボンはいて接客してる、って聞いたかしら?。。。 実際に一番お困りなのは、「その行為」のせいで、せっかくの仲間付き合いが気まずくなることでしょうね? あるていど親しくて、気が許せる仲の人でしたら、いっそ、事情を打ち明けて、お酒が入ったとき起こり得る行為のことを理解して受け入れてもらえれば安心なのでしょうけど。なかなか、そうはいかないでしょうか。 デリケートな問題ですものね。。。 仰っていることは、かなり理解できますし、私との共通点も感じるのですが、ただ私の場合は、むしろ、直截なスキンシップに対する嫌悪感のほうにこそ悩む傾向が、過去ありましたから、やはり少しニュアンスが異なるのかもしれません。 思うに、本質的に質問者さまの希求というのは、「不感症に近かった」と仰ることからも、どこか無理のかかった緊張状態で「いい子」を演じる、その必要などなくして、安心して本来の御自分を受け入れてくれる相手、ということではないのでしょうか。 そういう人なら、母親に満たしてもらうはずだったものを与えてくれて、そのことによって、知らず知らず抑圧してきた寂しさから、やむにやまれず女性の象徴である柔らかい部分、温かい部分に手を伸ばしてしまうという、知的な貴方には そぐわないような、あまりに直截な幼い行為を必要としなくてすむようになる可能性があるのではと思います。 そのあたり、いまの彼氏さんの将来性は、そして貴方の彼に対する お気持は、いかがですか? 彼氏さんとの交渉において、「それなりに感じるようになってきた」というのを、せっかくですから「ストレートに快感を得られ」るよう、徐々に「自分でない何かに置き換えない」で「Hの快感を受け付けられ」るようになれる可能性は あり得ないですか? あるいは、これからも有望な人に出会っていかれることと思いますし、いっそのこと、同性だったら一石二鳥でないかとも思うんですが、でも、心理的な意味での必要が満たされれば、それにつれて衝動も おさまるのなら、性別は実のところ重要でないような気もします。「淫乱」?とかいうのとは本質が違う、逆であると思われます。 しつこいようですが、やっぱり一番いいのは、おかあちゃんのおっぱいを、、、と思うんですけど。。。 今さらでしょうねえ? とりあえず、彼氏さんとの継続意欲が おありでしたら、「置き換え」ずに感じることを受け入れられるようになるといいですね。お互い「淡々」どうしだと照れくさいかもしれませんが、性別を超えて、彼のなかの「あったかさ」を求めてみるとか。 あと、動物が苦手でなければ、犬とか飼ってみられるのもいいかも。彼らは、一度信用した人間を、かっこよかろうが、かっこわるかろうが関係なく受け入れますから。 「指からめあふとき風の谿は見ゆ ひざの力を抜いてごらんよ」――大辻隆弘――
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- noname002
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ちょっと気になって覗いてみたら、再度の お返事がありましたので。。。 あまり連続投稿も よくないかもしれませんので、これで控えようと思いますが、もしも質問者さまが、お返事くださるとき お苦しいようならば、無理なさらずスルーしてくださって だいじょうぶですよ。 これまでの やりとりが、問題点を より明晰にする お手伝いになっていれば幸いですが、御質問の当初から思えば、もう すでに御自身で、かなりのところまで自己分析を進めてこられていたのだなあと感じました。 ところで、おとうさまのことは、とくに出てこないのですね。 改めて御質問本文に目を通してみました。 >彼氏とHをしているときにちょっと不思議な感じに取り付かれるようになりました。Hされているのは私なのに他の誰か(特定の女性)にこういう思いをさせたいというか、彼女になった感じで受けているというか。受けているのは自分の癖に責めているのも自分のような、なんだかごっちゃになってしまいます。そして、ここが一番悩ましいのですが、彼氏とHして感じて興奮すればするほどどういうわけか女性の体に触ってみたい気持ちになります。 やはり何重にも複雑に重なっているんですよね。敢えて、逃れのカムフラージュとでも言いましょうか。。。 かつての私の奇妙な仮想的男性同性愛演技の要求のなかに、父への、ひいては男性全体に対する或る種の復讐感覚が潜んでいたかもしれないように、また、女である自分自身として直面し受け取ることを迫られた性的感覚などを、まっすぐに受け入れることを忌避するための代理物として、自分ではない他の者を間に置こうとする。そんな感じでもあるのでしょうか? SMプレイなんかでも、そんなふうだろうと思います。S側は実はMであり、M側は実はSである。。。 私の場合は、質問者さまのように、幼い頃から自分の感情を出さないように押し殺すようにしてきたというほどの意識が希薄で、自分の感情についてよりも、病弱なうえ父の暴力などの苦労が多かった母のことが心配で たまりませんでした。ですが結局、自分の感情よりも母の感情のほうを優先していたのではないかという点で、質問者さまも私も、似たようなことだったのかもという気がします。 仰るように、一般的に、子どもにとって、その出発点において自分を保護すべき養育者とりわけ母親の存在感には多かれ少なかれ切実なものがあります。受けられるはずのものが受けられない、求めたいものを求めることができないということへの恐怖感から、幼い子どもなりに全てをかけて、そこから逃れるくふうを絞り出すでしょう。それほどに子どもにとって、自分が所属している場所が異常であると認めるのは耐え難い、また、経験の量が圧倒的に低いのですから必然的に比較対象も乏しいわけですね。自分を とり巻く世界を、こんなもんなのか、と思うともなく思っていたりする。 同じ親から産まれた子どもどうしでも、親との相性があるみたいで、質問者さまの母子関係って、要は水くさい、とでもいうような感じかな?と思いましたが、こういうの、私自身よりも、腹違いの兄と父、父親の違う姉と母の関係などを思い起こさせました。 一応、なんとか煮詰めたことを言えるとしたら、質問者さまの いろいろな反応のことや、お悩みとなっている行為、これらは、もう一度申し上げますが、私には、起こるべくして起こった ふつうのことでないかなと思えます。貴方は、御自分を責めることはないと思います。目の前にいながら「まぶたの母」を描くようにして、幼き身には辛い がまんや斟酌を続けてこられたのでしょうね。 ズバリ言って、本当の問題は、恐らく、おかあさまにあります。 カウンセリングを受けてみるというのも一つの方策でしょうが、これも、むしろ、おかあさまこそが受けられるべきではないかと思います。 しかし、どうでしょうか。。。 おかあさま自身は自覚しておられないであろう、これからも多分に され得ないであろう問題を抱えたままの、そのおかあさまを、受容していくこと、つまり「母に受容されていない」私から「無理なく母を受容してあげられる私」これが、これから貴方に突きつけられてくる最大の課題になるだろうと思われます。 また、それが達せられることによって、いま直面しておられる貴方御自身の問題についても、必然的に、あるていどの緩和なり解消なりされていくことでしょう。そこまでの道のりなのだろうと思います。 知的で御聡明なかたと見受けますので、もうすでに気づいていらっしゃる部分も おありなのではないでしょうか? それにしても、私も実感するところですが、世に親子、母子の関係に まつわる問題というのは多く、実に根深いものがありますね。
お礼
(4/1)2 さてその母の支配の影響を加えても謎が解けません。随分考えたのです。謎なんかじゃない、自分が同性愛者を認めれないだけなのではないか。それも愛ある同性愛者ではなく卑劣な。もういい加減に認めたらどうだ。 noname002様の言われたその手のお店も考えましたよ。してみれば判るかもしれない。一番自分が判らなくて理解できなかった事が、「女性に欲望を持つ」ということです。女性を好きならいいんです。世の中素敵な人は一杯いるし、好きになってもおかしくありません。でも欲望の部分だけがどうしても受け付けられないのです。アルコールが入ると多重人格者にように別人格が出てくるのだろうか。これは否定されました。 大好きな友達、憧れの友達、うちに呼んで酒盛り。記憶が残ってなかった事が複数回ありましたが、そういうことは起こしてません。私、酔った勢いで彼女たち(当然一名ずつ泊めてます)に迫ったのなら弁解しません、即座に認めます。でも全然毛もなかったのです。謎です。 諦めるか、プロのカウンセラーにかかるか。 かかりたくなかったのですよ。でももう一人でする勇気はありません。せめて相手役のカウンセラー役、聞き手だけは必要です。誰がいいか、、ある人を選び、お願いする事にしました。メールでのやり取りです。 (すいません、出勤の用意をします。また夜来ます)
補足
(4/1)3 ところで、カウンセリングの方法はご存知でしょうか?私も書物の上でしか知りませんが、その人の抱えてる本当の悩みを吐かせること。自らに隠すくらいですから、言いたくない自分、見たくない自分です。誰にもいえない秘密がある、そしてその由来を知れば問題は大方解決できます。後は起こったこと、隠してしまった事を責めないでその人を支持し、立ち上がらせればいい訳です。その時その原因者、加害者を許すという事も。許す事によって過去を自分で受容できる。確かそういうストーリーです。カウンセラーは患者がそう進めるように働きかけ、支えるわけです。 一番大きな山は、絶対いえなかったことを思い出させ、白状させる事です。そのため、カウンセラーの相性が生じます。 恋愛転移という言葉があります。人は好きな人には秘密が言えます、いえ、秘密を告白することによって好きになる事もあります。これを逆に言えば、カウンセラーを好きになれば、告白しやすくなります。患者は苦しいから本当は吐いてしまいたいのです。吐かせて欲しいのです。ですからしばしば容易に恋愛転移が起きます。吐いてしまえば後は専門家ですから容易にその原因、背景を推理できます。 私がカウンセリングを避けたがった理由は自分の心の動きが容易に想像できたからです。 私の場合はカウンセラーは女性でなければいけません。恋愛転移を起こさなければいけません。ここで自分のプライドが邪魔をするのです。カウンセリングのからくりを知っているので、かなり警戒してかかりにくいのではないか、余程素敵で尊敬できる人でないと自分は心を開けないのではないか、そして失恋による深い喪失感を味わうのではないか。実際はごく平凡な方でも起こすであろう、でもそういう人から与えられた果実を素直に受け取るだろうか。受け取る事で自分の何かに失望するのではないか。 私の抱えてる問題は、ある意味女性の深いところにあるものです。多分一番の鍵は女性に対する「欲望」これをどこに私は隠してしまったのかを探るわけですから、カウンセラーに欲情する事も充分ありうるのです。 カウンセラーによって刺激された私は欲しくてたまらなかったものを意識します。女性の存在そのものかもしれないし、肉体かもしれない、女性の欲望そのものかもしれない。目の前にいるその人の何かに手を伸ばしかけたとき、カウンセラーはきっと貧相な果実を出してくるに違いありません。言わば、馬の前に人参をぶら下げて、巧みに届きそうで届かぬよう振舞った挙句、ゴールに入るや否や胡瓜に差し替えて食べるように勧める。。 私はそういうイメージを持っていたのです。まぁ近いような世界でしょう。 私は胡瓜を喜んで食べるのでしょうか?甘い甘い幻想の人参を捨てて水っぽい現実の胡瓜を差し出す人はせめて「好きな人」でいてほしかった。魔法が解けた後でも好きで悔やまぬ人でいて欲しかった。(ただ、これが間違いだったのです) さて、その試みは結局中断を余儀なくされて失敗しています。素人が見よう見まねでするからだ、できるわけないじゃんと嘲笑をかいそうです。そういう訳ではなかったのですが、カウンセラー役に選んだのは、実はずぶの素人ではありません。大学での友人で心理学専攻、一時社会人を経て、母校に戻り博士課程在籍中でした。学位論文準備中で忙しかった彼女はでも二つ返事で引き受けてくれました。これには複線があるのです。学生時代、彼女はしきりと私を精神分析したがりました。その理由は私にはわかっています。ここでは飛ばしますがどこかで触れたらはじめは順調だったのです。子供の頃からの事、いろんな話、たくさん私は話し、それにつれ恋愛転移も起きてきました。どこからどう見ても熱烈なラブレター、愛の告白が続きます。もう少しです。メール上では私は彼女の柔らかい乳房に手を伸ばしてます。裏切られないかと何度も確認しています。後はその胸に飛び込んで、何を白状するか、下の方まで手を伸ばせるかどうかです。 ここで先に進めなくなってしまったのです。あと少しなのです、吐いてしまいたい事が首まで来ているのです。少し戻して愛の確認からやり直しても出来ませんでした。中断しました。彼女は無能なカウンセラーなのでしょうか?違いますよね、大好きな友達だから、どうしても言えないのです。お互いルールは知っています。秘密の封印はお約束。信じられる人です。でも、後の付き合いがある友達では、このテーマは無理だったようです。
最近、改善ブームでした。どこでもです。たしかにものづくりはいいです。しかし、他の人生だったらどうか。など想像が容易です。現在はそういったほかの人生をするということを考えるムードなのかもしれません。精神分裂ぎみかしれません。私も、女性であれば、日本人以外であればということが思いつきます。そもそも心の中はそれほど、男性・女性の2分でないようです。そこまで意識してしまうのかもしれません。
お礼
御礼が遅くなりました。 >そもそも心の中はそれほど、男性・女性の2分でないようです 心の中って難しいものですね。私の場合、感情で判断するより理性で判断する癖をつけているだけに、二者選択するときに等価のものについて、好みで選ぶ習慣があまりついてなくて選び方に迷う事があります。どちらが正しいのかだけでは選べれない問題にぶつかると人は好みで選びますよね。その好みに対して自信を持っている人はいいのですが、自分の感情に自信のないものはこういう問題にぶつかるとおろおろしてしまいます。 そういえば、こういう面に関しては子供のときからだったと思ってもみたり。 ありがとうございました。
- noname002
- ベストアンサー率36% (97/264)
さっきの私の投稿中 >いわゆるセックス産業で、~性病とかエイズ問題などのリスク と申しましたが、実際のところは よく知りませんので読み流してください。 よく考えれば、仮に、万が一こういうのを利用するとしても、質問者さまの欲求は、性行為そのものにあるのではなく、母性的な女性性とのスキンシップの温もりなのでしょうから、次元の違う話だったでしょうね。失礼しました。 人生の始まりにおいて、自然当然に要求できるはずのものが あやふやで頼りなく、それを堂々と要求する資格が自分にはないんではないか、というような気がするままだと、なかなか自信が持ちにくいのも不思議ではないですよね。 ありふれた言い方になるようですけど、足りない分は、もうやはり自分で自信を補っていく、そういう努力をはたしていきつつ重要な存在の人に求めたいものがあるなら、まずは自分が相手にとっての「いい子」になって、しかるのち申し入れを、というような一種の取引をやめることも必要かもしれません。 心情にかかわることって、リクツでは済まないことのほうが多いですよね。 あ、それと忘れてました、私は近ごろ書店で猛スピードで立ち読みして済ませちゃったんですが、文庫版2冊で出ている村上春樹さんの作品『ノルウェイの森』をお読みになってみるのもいいかもしれません。 作中、頻繁に描かれている性的なシーン、あるいは登場人物の「直子」と「レイコさん」の触れ合いに、ちょっと、質問者さまを重ねられるような感じがします。村上氏の こうした類の描写には、実はセラピー的な要素が込められているのだそうな。 文学カテゴリーでの私の拙い質問もあります。
お礼
noname002様 ご覧になっておられたら、短いお返事でも頂くと嬉しいです。 スレを見ている他のお方はごめんなさい。しばらく静観してください。今私はnoname002さんとお話しする必要があるのです。 やっと落ち着いてきました。少しずつ必要な事お話します。 遠いところからになりますが、精神分析というものご存知でしょうか。私はすでに1回自らをかけてみた事があります。自分に何か問題がありそうと気づいたからです。 心療内科やプロのカウンセリングにかかるのが良い事は当然わかってます。でもどうしても嫌でした。今思えばけちなプライドだったのでしょう。 ユング研究所の上級コースか正式な名は忘れましたが、そこでのプログラムを知り、正規のものは手に入りませんが、文献を漁り、大体の見当をつけました。無謀にも私は一人でやってしまいました。結果は、パニック→脳内の大混乱→欝状態。何とか自力で脱出。相当後悔。危ないものです。 失敗の原因は支持者がいなかったこと、せめて見守りがいなかった事。それはパニックを起こした瞬間に理解しました。抜け出せる朧げな道も自分なら判るはずと自惚れが強かったものです。まぁでもできたのだから自分で自分を褒めてやりたいです。 結果として問題点はあぶりだされたし、人が自分を騙す構造、そうせずにはおられない構造、事情などいろんなことが理解しました。 で、それでもう一度考察しなおして自分理解は出来たはずなのです。でもそれだけでは説明できなかったのです。その後色々考えているうちに母自身の問題が見えてきて、先日書きましたように演技性人格障害を疑いました。これは断定できます。後に精神科医の同意を得てます。この性格は中々のものですよ。周りのものを様々な仕掛けで支配します。それを読み解く事で子供時代の理不尽さがなぜあったのか、なぜ思春期以降の自己確立をああいう形で行ったかの理解も出来ました。要するに自分の精神構造の大きな枠や要因項目などを知ったのです。 なぜ自分にはあれだけ執拗に罠にかけたのだろう、なぜあそこまで徹底的にひどい事が出来たのだろう?その医師はこともなげに言いました、あなたが賢かったからですよ。嘘を見つけていたんでしょう?だから更に汚い手でかけるのですよ。お母さんはあなたが怖いのです騙せないから。(4/1)
補足
今晩は。 この2-3日、色々なことを考えているうちに、突然視界が開けたといいますか、急にいろんなことがわかってきてしまいました。 もつれていた糸がするする解けてきたような思いがしてます。少々の動揺と、悲しさと、でも自分が判らなかった居心地の悪さ、自分が謎という得体の知れない薄気味悪さを抱えなくて済む、ある種の落ち着きとを感じています。 ただ、仕組みがわかった!ついに突き止めた!という段階で、解決に向かっての指標はまだ判りません。 中学生以降、母から認めてもらう自己形成を捨てて、新たに自力で自己が保てる自己形成をするに当たって、無意識に選んだ方法が、なぜ、あんな風にしたのか、その事情も、その手順の合理性も。 そして、あの頃判らなかったこと、あの頃出会った事の意味。 そうです。私はその頃、今振り返ってみれば、大きなことに出会ってます。どうして、それを思い出せなかったのか、本当に呆れてしまいました。 いやな事だったからです。そして、多分、自己を再構築していくのに持て余しかねたのか、邪魔だったのか、切捨て、意識の世界から追い出したのです。 それは、他のこととも相まって、感情を捨てることと道連れでした。 今、なぜこういうことが起こっているかということも、理解できます。私の現在の内因、外因で起きているようです。 アルコールの上でのことが起きる前後から、内圧、外圧がかかってきていたのです。この2年少々のあいだのこと、そして現在出ている症状の意味も判ってきました。みな意味があったのです。必然だったのです。 今私は半分穏やかな気持ちと半分混乱しています。パンドラの箱を開けてしまった。箱の存在も知らず、何かを探していた身には、やれやれです。ただ、どう整理しなおすのか、何を基準に整理するのかはまだ手付かずです。 これからまた、考えながらゆっくりやればいい思いをしています。ただ、私の謎解きは多分あっていると思いつつ、自分で勝手にすべて必然にしてしまっていいのか、お話したい気持ちで一杯です。 簡単に手短にまとめるのに少々時間をください。 余りに長すぎる話は、ここの掲示板の趣旨とも違うと思いますし、字数制限の問題もあります。 出来るだけ簡単に理解していただけるようにして、今現在、私の知らない事を教えていただきたく思ってます。 予期せぬ分野といいますか、まるっきり自分の不得手だった、考え付かなかったことを気づかせて頂いたのは、noname002様とmuturabosi様の回答の中の言葉や情報です。これがなかったらまだまだ霧の中だった気がします。 本当に目から鱗というものはあるのですね。鱗を鱗と気づくきっかけを、与えていただけた事、お礼申し上げます。 (3月30日)
専門家でもないですし、深い知見があるわけでもないので、まるっきり外れてしまっては申し訳ないと思いつつ、気のついたことを書かせてもらいます。 まず一読して持った印象は、 女性に対してと性に対して、なにか、認められない感情というか知識というか存在というか、何かがあなたの意識の上に上ることを避けている。または、結果として受け入れられなかったものを意識下においている人、という感じを持ちました。 その無意識の世界のものが、理性を失った時なり、理性でコントロールできなくなりつつある時に噴出してくる、そういう印象です。 なにかあるんですよ、育成暦の中に、成人に到達するまでの間に。 でやはり一番気になるのが女性観というか、女性と性、あるいは女性の性に対する認識のずれがあるのではないかということ。で、#2の方も指摘されているのですが、お母様との関係がどうだったのか、が気になるところです。 女性が自分を女性として認め、その性を肯定的に受け止めるにあたっては、両親の姿がどうしても影響します。ことに母親が女性として揺るがない幸せな人生を送っていて、その母親に認められ慈しまれて育つと良好な女性像を自己イメージとして持つことが出来ます。 また、母親が幸せでない場合も母子で支えあう心の交流があれば、自分はもっと幸せになりたい、ならねばならないとの傾向が強くなります。母の成し遂げなかった夢を引き継ぐのでしょうか、母子家庭の娘が結婚願望が案外高いことなどでわかります。 そういう風に、母子関係というのは子供の精神にかなりの影響を与えます。 私は、ちょっとした縁でレズビアンカップルと親しくさせていただいたことがあります。今でもたまにお会いしますが、以前、親しくしていた折に、好奇心では失礼と思いつつ、どうにも知りたいことが多かったもので何人かのお仲間さんを紹介していただいて、いろんなはなしを聞きました。興味があったのはその交際の形とかではなくて、そういう方たちの思春期やそういう人生スタイルにたどり着くまでの葛藤と選択の軌跡でした。人が人生をどう決めていくのかに興味を持っていたときだったからです。 その時感じたことは、多くの人が母親との関係に不調を持っていたり葛藤を抱えていたということです。母子関係がうまく行かなかった人が多かった。そこで初めて気が付いたのです、「母=女性」のその人なりの理想を求めて恋をする人たちなのだと。違う人もいるのかもしれません、たまたまだったのかもしれません。でも私はそういう印象を強く受けました、と同時に私が持っていた「女が男に替わって女を愛する」という違和感、グロテスク観と違う存在なのかなとやっと変態意識を捨てることが出来ました。 そういう個人体験は絶対正しいとは言えませんので、以下のことも私の勝手な主観です。 パターンとしてはあなたはレズビアンになっていてもおかしくないような感情形成の刷り込みがあったのではないか。ただし、どういう道筋か分かりませんが、そう進むどこかで理性なり意識なり思想なりが受け入れを拒否して、意識下に沈んでいった。ただ、何らかの感情に結びついているので、その感情を刺激し、理性の重石が取れたとき噴出してくるのではないか。 コンプレックスもその刺激の一つなのでしょうか?よく分かりません。 多くのビアンさんたちは思春期に人を好きになるときに噴出してくるようです。あなたはちょっと違うようです。でも何らかの刷り込みの影響がある方のようです。それをどう抱えるのか、解消するのか氷解するのか、そういうことは私には全然分かりません。 多分ですが、心療内科の先生でも見当がつかないような気がします。ただ、「気づかせ」の援助はしてもらえますから専門医にかかることは悪いことではないと思います。 現時点では、お酒の飲み方に気をつけることと。彼氏さんとのHでの解決は否定よりファンタジーとしての利用が現実的な気がします。 性幻想というものは相当バラエティに富むものですからおかしくないと思われます。 あまり有効な話にならなかったかもしれません。
お礼
回答ありがとうございます。 muturabosi様のお答えには私が知りたかったことの欠片がそこここに見え隠れしています。 人を好きになることが苦手、好きになってもらうことも苦手、そういう私が、自分の感情を探りつつ、行動面での出来事を感情とつなぎ考えるには余りに知らないことが多すぎます。 自分が同性愛者なのかどうか、信じられない気持ちと、よく考えてみれば同性愛ってどういうものか知らない自分もいます。 ただ、行動としてあったこと、これをどう解釈するかで足踏みしています。 >レズビアンになっていてもおかしくないような感情形成の刷り込みがあったのではないか 何がその刷り込みだったのか、なぜ、そちら方面に向かなかったのか、向かわないのか、これから向かうのか、見えないものを前にしてもがいている様な気がします。 すみません。お聞きしたいこともあるのですが、#2さんの問いかけを考えているのが今は精一杯です。 お許し頂ければ、しばらくお待ち願えないでしょうか。なにかヒントがいただけそうな気がしています。
- noname002
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ザッと拝見して、いろいろな要因が絡み合ってのことかと考えられ、けっこう難しいですね。専門分野に詳しいかたの ご意見が伺えるとよいのでしょうが。。。 実は私自身、幼い頃すでに受けていた性的な働きかけのなかに、同性からのものも含まれていましたので、質問者さまの お話は、全体的に少しばかり分かるような気もするのです。 まず申し上げたいのは、女性性ですとか女体ですとか母性的なるものは、男女共にとって、原初的、根源的なる基本の性であり、帰っていくべき性、という言いかたができるのではないだろうかということです。 むかしの、ユーモラスな日本映画の題名に『女は男のふるさとヨ』とかいうのがあるらしいのですが、要するに、われわれは男性も女性も、母という女から産まれるのですよね。 お酒を召し上がったときに起きるという「それ」の内容が具体的には触れておられませんので、なんとも申し上げにくいですが、もしかして、おかあさまとのスキンシップが もの足りないままに、成長してしまわれたということはないだろうか?とも思いました。 恋愛感情等をさて置いた、純粋に性的な面においては、対象相手個人のことに関わる諸々は、薄々気づいていらっしゃるように、殆ど関係ないことだと思われます。それは、一般に男性には顕著に みられるところですよね。 これは私が高校生のときだったと覚えていますが、親しくしていたクラスメートが(女の子ですよ;)、テレビドラマか何かについて雑談の途中、いきなり「おんなのオ○パイ見ると燃えるぜ~」とか何とか口走りまして、私は一瞬絶句しましたが、考えてみれば、何を隠そう私だって女人の「お○ぱい」は(自分のものよりも)大好きに違いないのでした;^^A それから注意して自己観察してみますと、テレビや映画や、いわゆるエロビデオ(これは私のではなく、BFのです!)の「絡みシーン」など見ていて、男性と女性の どちらに注目しているかと言えば、意外と言うべきか、やはりと言うべきなのか、圧倒的に女性のほうに視線を奪われていたのでした。 これが、まさに「告白的」とするべきようなことなのか、実際のところ、世の女性たちの多くが案外このような傾向を持っているのか、そのへんは調べたことがないので私は知りません。 一、二度くらい、女性の裸体と男性のとでは、どっちに目が行くか、と聞いた時、「えー?そんなの男の人に決まってるやん、女が女の、って気持ち悪いやん!」と拒絶的に言った女性もいましたから、ああ、やっぱり殆どは そんなもんかな、と思いはしたのですが。(但し個人的に、香取慎吾クンは別) これ、アンケートとったらおもしろいかも? そんなこんなで、質問者さまが仰るような、彼氏さんとの性的な場面において、御自分ではない他の女性を想定し、その女性になったつもり、や、その女性を攻める側になったつもりの「置き換え」をしたくなるという気分は、理解できなくもないですよ。 私なんか若い頃、いわゆるBLだとか、ジュネだとか、江戸川乱歩の世界だとかに のめり込んでたことがありまして、しまいに彼氏に、私を男性と思え、などと要求して拒否されたことがあります;^^A よくよく考えてみれば、恐ろしいことを要求していたものだ、と、あとになって気づきましたが。。。? 「ストレートに快感を得られなくてまたは心理的に邪魔されていて」「自分でない何かに置き換え」ることで「快感を受け付けられないだろうか」というのは、一石二鳥のグッドアイデアなのかもしれません(笑) なかには、目の前の相手ではない他の誰かを思い浮かべながら、、、ということも よくあると聞きますし、それに比べれば、自分が他の人物に成り代わったつもりで、、、というのは、それほど相手に失礼でもないような?? 「最中に頭に浮かぶ人のパターンが分かってきた」というのも、一つのキーポイントかもしれないな、と思いました。 特定の人物パターンにコンプレックスを持っているのではないか、ということが思い当たるのでしたら、性行為というものの征服的側面などが関係づけられそうでもありますね。 質問者さまの場合、異性との性交渉に あまり積極的になれないことの埋め合わせを兼ねて、コンプレックスを感じる人物を性的場面に想定することで一種の征服欲を屈折したかたちで満たそうとしている、同時に御自身が 理想の人物を演じる快感を味わっている、とも言えそうですし、先述しましたような母親的なものとのスキンシップに潜在的不満足が隠れているかもしれませんし、、、 まぁ可能性として、いろいろ考えられますが、彼氏さんとの仲が円滑にいくために利用できるじゃないか、くらいに受け止められまして、あまり御自分だけが特異なのではないかと気に病まれる必要ないのではと思います。 どうしても お困りのようなら、だいたい、どれくらいの飲酒量で「それ」が起き易いかなど把握されたうえで、女性との飲酒は、できるだけ控える等の注意を心がけられては いかがでしょう。 「それ」が、もっぱら男性に向けられるほうが、実際の始末は、もっと困るだろうとも思いますし(笑) がんばってください、というのもヘンですよね。。。 でも、興味深い御相談でした。
お礼
回答ありがとうございます。余りに変な話なので、誰からも何も言って頂けないかと思ってましたので大変ありがたく思ってます。 >おかあさまとのスキンシップが もの足りないままに、成長してしまわれたということはないだろうか?とも思いました。 やはり、根本はこれでしょうか。詳しくは話しませんが、スキンシップがゼロというか、少し変わった育ち方をしています。おんぶもだっこもしてもらったことがありません。幼少時は何も思いませんでしたが、中高校生のとき(反抗期)かなり深刻に悩んだ記憶があります。自分はこの人の実の子ではないのだろうかと疑ってました。父が浮気して出来た子とか、母が過ちをして出来た子とかなら納得がいくと、そうまで思ってました。戸籍を見て何も変わったところがなくてがっかり?したことを覚えています。 躾が厳しいところがありまして、でもよく考えてみると、厳しく言われたというよりも、自ら先取りして「いい子」にしていたような気がします。無口で身じろぎもしない子といいますか、お人形さんみたいなところがありました。 恋愛感情は実は女性にも勿論ですが、異性にもなかなか持てません。「愛されて育ってない子は愛するということが出来ない」という説を見て、納得してしまってます。愛されるということも実はよくわからない、得体が知れなくて怖いという気持ちがどこかにあります。 恋愛が苦手なのは、愛?という感情をたくさん出されて迫られるからです。今の彼は割りとそういうモードでなく、私から見て過剰な気持ちを押し付けてこない人なので淡々として付き合えるので続いてます。ただ、見方によっては、全然愛されてないんですよね?もしかして、ただのセフレかもしれないんですよね? 裏切られることの予防で誰か代理の人を立てて、やっとHが受け入れられている、そんな見方もあるのかなとも思ったりします。 後、おっぱいコンプレックスか、どうも執着があるような気がします。柔らかくて気持ちがよさそうという憧れがあります。それってやはり変なのかどうかもよくわからないのです。人にも聞けなくて。 もう少し考えてみたいと思います。
補足
「それ」について明かさないとやはり悩みの本質は届きませんよね。匿名掲示板でもとても躊躇してしまいます。その前に、 下に、おっぱいコンプと記しましたが、それは件のことが起きてから自分で思い始めたことです。 私は自分も貧乳ですが、胸の大きな人が苦手でした。なんとなく女っぽ過ぎるというか、色気を感じる部分を忌避したい気持ちといいますか。胸もあらわに近いような服装の人はまるで売春婦といわんばかりに軽蔑に近い感情を持ってました。性の匂いのする人が苦手ということです。 ところが、自分の知らないところで触ってしまっていたのです。 どうしてなのだろうと、考えて思い至ったのが、そういえばふくよかな胸って柔らかそうで気持ちよさそうですよね。きっとああいう胸に抱かれたかったのかな、母の胸で安逸を持ちたかったのかな、それを子供時代にそういう感情を意識すると辛いから持たないように無理に目をそらしたのかな。そう考えないことには救いようがない。きっとマザコンなのかと。 そこまではなんとか、赤ちゃん帰りではないですけど、ちょっと恥ずかしくても自分を許せる。受け止めれるわけです。辛いのが、それで収まってない。収まってるときもあるけど、収まってないときもあるということです。 お恥ずかしいですが、下半身まで手を伸ばしていると知ったときの衝撃は、自分はどうなっているんだろうと思いました。これがどうしても自分の中で消化できないのです。 コンプレックスって憧れや劣等感や愛と憎しみでもありますよね。 どうも満たされなかった思いが、母→女性への憎しみなのだろうか?陵辱という言葉があります。それなのだろうか。恨みを晴らしたいのだろうか?懲罰という感情なのだろうか?まったく全然違うものなのだろうか?もしかして同性愛者なのだろうか?わからないのです。 ただそういうことを考えると、自分の中の暗部を覗くようで、それが怖いのではありません。怖いもの見たさもあります。ただ結局救われない自分を知るだけなのかなという予感に立ちすくむところがあります。かといって、忘れ去ることも出来ません。
- annyG
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はっきりいってこれだけでは全然分かりません。 専門機関で長期間時間をかけることをお勧めします。
お礼
回答ありがとうございます。 >専門機関で長期間 具体的な専門機関、検討対象機関をご存知でしたらお勧めのほど、お願いいたします。
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お礼
#7へ(話のつながりがわからなくなるので、ノンブルを振ります) やはり、母なのですよね。 >「母に受容されていない」私から「無理なく母を受容してあげられる私」 今更、やり直しや修正が出来ないなら、そうだと思います。それでよくある母娘葛藤のケースの中で考えているのですが、、、 急に変な話をしますが、この頃、私は母に騙されたのではないか、あの家庭そのものが、壮大なペテン劇の中に組み込まれ、私はその中で自分で役を見つけて演じてたのでは?そういう気がしてきています。 >おかあさまこそが受けられるべきではないかと思います。 疑惑ですが、あの人、人格障害、多分、演技性人格障害なのではと。それに振り回され、自己形成に支障が出たと。 父が出てこないとおっしゃいました。父もかなり個性的な人なのですが、あの家は母を中心に回っていたのです。 母は、女王なのです。他はすべて取り巻きなのです。母を女王にする役しか認められないのです。他のキャストは、、、 女王の夫、王子、王女、、、、その他大勢の端役(の一人の私) 多分母の中に王女は二人要らなかったみたいです。 私はよく一人っ子でしょうといわれます。末っ子です。皆さん驚かれる。末娘のタイプではないです。
補足
>あかちゃんのような衣装を・・・哺乳瓶 話には聞いたことがあります。でもそうしてもらいたいという気持ちが全然沸いてきません。試す気もないですし、白けそうな気がします。 >拗ねて ひがんで、ヤキモチ焼きになったりしますから そうですよね。普通に考えてみてもそのはずだと思うのです。ところが、私は少なくとも表面的にはそういう感情を出したり、行動した形跡がないのです。今思うと、「感情」というものを持たないようにしていたような気がします。そして、そういう自分を悲しいとかおかしいとか、子供時代は少しも思ってませんでした。、 >今からでも、おかあちゃんのおっぱいを >このあたりで思い切って、おかあさまに尋ねておいたらよかったかもですね >これから聞いてみてもよいのではないですか これが出来ないのです。どうしてか? 中高生を通して、母をすごく拒否するようになってしまいました。そういう点では、「拗ねて僻んで」に当たるのかもしれません。ただ、本人にはそういう自覚がなくて、思春期でしたから、当たり前に「親からの離脱→自立、子供から大人へ」という感覚でした。 この時期が過ぎると、また、親と適当な距離が取れますよね? その距離がまた、元に戻って親和的になるのでしょうが、他人でもないし、でも心理的には相当遠いです。まるで「遠慮のない、うるさ型の職場の上司=こちら側は気が抜けない」みたいな感じです。 多分、成人に達した時点で、結果的に得たものが、「母に受容されていないこと、私も母を受容してないこと」そういう母子関係でしかないのではないかと今気づき始めました。 実はマザコンも例のことが起きてから考え始めたのですが、はじめは全然信じられなかったのです。なぜかと言うと、長らく母を拒否している自分がどうして母性=母が欲しいのか、やめてくれ、位の気持ちでした。 今考えてみると、世間一般の母性というものを私は知らないのだと思います。実母が差し出した「母性」はカッコつきの独特のもので、私を苦しめる部分があり、受け取りをほとんど拒否したのではないか。その延長で、世に溢れている母性的なものにも親和性をもてなかったのではないかということです。 私が無意識に持っている、実母の「母性」が、私に決して近づく気を持たせないものなのです。 実母の母性といいましたが、あの人に母性があるのだろうか?思春期以前に多分、私が勝手に持っていた「母=母性」が思春期に崩壊してから、私は自分の持つ感情、心情として与えられるものとしての母性というものを再構築できていないのかもしれません。 判りにくい言い方かもしれませんが、学童期には、私は多分、母が好きだったし、母の送るメッセージを勝手によいものに作り変えて、自分なりの母性を期待し得ていたつもりだった。が、それはないものから無理に創作して、自分のほうから無理に母を好きにならないといけなかったからしていただけではないのか。その嘘が自己欺瞞できなくなって、暴かれていく過程が私の思春期だったのではないか、母を諦めたというか、母性を諦めたというか。 つくづく思うに、子供にとって母親の愛情というものは欲しいものなのですね。なければあるストーリーでも作り出す、好かれたいがために、いろんなものに目をつぶってひたすら母を好きになる努力をする。しかも、密かに。なぜならば、好かれていないという結果を見ないために。 おんぶも抱っこもされていないといいました。でも、例えば、膝に乗ることを禁じられたわけではない。でもしなかったのです。多分したいとも思わないように自分を育てていたように思います。望んで邪険にされたとき、ストーリーを作れなくなるから。甘えることを自分で禁じていたんでしょうね。 感情について、思うことがあります。 子供のとき、ほとんど感情を出さない子でした。いまでも素直な感情の出し方に苦手意識があるのですが、振る舞いとしては身に付いてます。 その感情の獲得と母を諦めていく時期とが微妙に重なっているような気がします。 長くなりました。 お礼欄では字数制限でアウトでしたので、補足に入れます。