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アルキメデスと鉄の船の関係
- 最近まで作られなかった鉄の船の理由とは?
- アルキメデスはどの時代の人物だったのか?
- アルキメデスの原理とは誰が発見したのか?
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鉄の船が造られ出したのは、19世紀始めから中頃に掛けてです。 日本に来た黒船は既に鉄船ですし、同時代の南北戦争では鉄船+鋼鉄装甲の装甲艦や鋼鉄製の潜水が登場しています。 当時は商用船は、まだまだ木造の帆船か帆と蒸気機関を利用した機帆船でした。 軍用の鋼鉄船の採用は急速に進み、幕府海軍も所持していました。 日清戦争の時代はほぼ鋼鉄船で、後方支援の目的か補助艦に僅かに木造船が残る程度でした。 日露戦争では軍艦は一部の例外を除いて鋼鉄製でした。タールでシールだとかSUS製船等という意見はトンデもです。 それなら、昔の和船は何でシールしたのでしょう。 さて疑問に対する私なりのお答です。 1)19世紀初頭まで鉄船の採用が遅れた主な原因は、鉄の生産能力です。産業革命で始めて大量の鉄の生産が可能になりました。 したがって、信長の鉄板防御船の話を史実と認めながらも、当時の日本でそれだけの量の鉄板を生産できたか疑問視している 技術史家がいます。 いつ誰が鉄の船が浮くことに気付いたかは不明です。浮くことに気付けば、当時の「最高の」技術屋群が必要な「最高」 技術を創造して行ったと思います。 2)記録では、アルキメデス(Archimedes、紀元前287年 シチリア - 紀元前212年)は古代ギリシアの数学者、技術者となっています。 実在の人物のようですが、タイムトラベラーでは無いようです。 3)アルキメデスと言われています。ピタゴラスの定理の発見者はピタゴラスでは無く以前誰かが発見したものをピタゴラスが 纏めただけというのが定説になっています。 しかし、アルキメデスの原理に付いてはそう言う異説は無いようです。あの有名な王冠の話として伝わっています。 科学理論としてのアレキメデスの原理は約1800年後に再発見されました。これが後の鉄船の出現と関係しているように見えますが 何とも言えません。
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- debukuro
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高炉が考案されるまでは船舶や建築に使えるほどの鉄を生産できなかった また船舶に使用するには圧延技術も必要だった 木船の大きさの限界は長さ30メートルといわれています 鋼材の量産ができるようになって木鉄交造船が作られ船型は大きくなりました 全鋼の軍艦が作られなかった最大の理由は被弾したときに破片が飛散して乗員を殺傷する機会が多いという理由からだそうです 最初の全鋼製の軍艦はアメリカが独立戦争に使ったモニターという名の船です たった1門の砲塔しかないのにイギリスのフリゲートと互角に戦って勝負がつかなかった 以上、タイムライフサイエンスSHIPより
お礼
ご回答ありがとうございました。参考になりました。
補足
>また船舶に使用するには圧延技術も必要だった 確かに、巨大船でなくても構造物には平板が沢山必要でしょうね。 でも人間は必要だと思ったら大抵はその時の技術で作ってしまうものだと思っています。 >木船の大きさの限界は長さ30メートルといわれています 鋼材の量産ができるようになって木鉄交造船が作られ船型は大きくなりました この出処はどんな本でしょうか。鉄船以前に巨大なマストを持つ2000トン級の木造船が沢山つくられたと私は理解しているのですが、2000トンともなれば100メートル近くになるのではないでしょうか。 >全鋼の軍艦が作られなかった最大の理由は被弾したときに破片が飛散して乗員を殺傷する機会が多いという理由からだそうです これは理解できます。そういったこともあったのでしょうね。
- isa-98
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>鉄の船はなぜ最近まで作られなかったのか? 鉄の大量生産が不可能であったからです。 石炭を使うと、石炭の硫黄成分が鉄を脆弱化させてしまいます。 その為木炭を使ったのです。 たたら製鉄では生産数に限りがあり、 江戸時代でも、南蛮鉄は多く輸入されていました。 石炭を用い、送風機で硫黄を除去する製法が反射炉などの製鉄方法です。 信長の鉄船は喫水線上を鉄板で覆うので 重心が上に来てしまい転覆します。 設計上不可能なのです。 これを排水量を増加させて転覆しないように設計したのです。 巨大戦艦。 これは南蛮人も驚きました。 NHKでは計算して設計したとなっております。私的見解でしかありませんが、ミニチュア(3m程の模型)を作り、実際に安定するまで大型化して製作した物だと思います。 これは現在の車や飛行機の模型実験に近い物です。 かなり「現実的かつ理論的」に製作していたと推測しています。 5千CCの容量の木が8割沈んだとします。 この木の重さは4kgです。 排水量7万トンの大和の使用鋼材量は7万トンです。 現在の力学や設計理論は素晴らしい物があります。 しかし、アルキメデスの定理や、ピタゴラスの定理を抜け出す事が出来ません
お礼
ご回答いただきありがとうございました。
補足
>鉄の大量生産が不可能であったからです。 No3様と同じお考えなのですね。なるほどです。近代的な製鉄法が確立してはじめて巨大な外洋船がつくられはじめたというのは理解できます。 昔は巨大なものを作るのにミニチュアを作って試したというのも感覚的には理解できます。でも計算そのものもやはり昔からやっていたのではと思うのですがどうでしょうか。アーチ橋や大建築などはミニチュアでなく実際の大きさで作らなければ強度が持つかどうかわからないわけですし。仰るとおり2000年以上前に原理が見つかっていた以上、余り昔のひとを舐めるのはどうかとも思うのです。巨大な船でなくても鉄で作ったほうが有利なことはわかっていたのでは、と思ったのが質問の発端なのです。
- tanuki4u
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鉄板をくっつけられるようになったのは、この200年くらいだからです。 http://www.jwes.or.jp/jp/wh_weld/hist.html 木造船は、水漏れ防止をタールで行います。木と木の隙間にタールが染みこむので、これは撥水性を持つので、水漏れしない。だが、鉄板と鉄板の間ではタールが染みこまないのです。 鉄板をくっつけるのは最初はねじ止め。この技術は400年くらい。日本に火縄銃が伝わったときに、一番分からなかったのが、このねじ穴の技術でした。これは、小銃の歴史でもあります。しかし、水中では水漏れします。 200年くらい前に溶接技術が生まれ、鉄板を漏れなしでくっつけられるようになりました。 けど、これも脆弱だったため、20世紀も後半になるまでは「リベット」で留めていました。 http://www.sanpo-pub.co.jp/library/history/post_407.html 1935年に第四艦隊事件が起きています。溶接では船が壊れる。
お礼
丁寧なご回答ありがとうございました。申し訳ありませんが、まだ私の疑念は晴れません。
補足
確かに、戦後もしばらく大きな船はリベット接合が主流だったようです。でもリベット接合自体は昔から出来たのでは?日清戦争では鉄船が一部見られ、大部分が防御のために分厚い鉄を全身にまいていたようです。こんあことをするよりいっそ鉄で作った方が合理的で軽いはずです。 木船は沈まないから敵に捕穫されてまた使われたという記事を見ましたが、このあたりがヒントなのかもとか思いますが? 多分日露戦争でも多くの戦艦はまだ木造だったようです。鉄の艦船への切り替わりはだらだら切れ目なく起こったのでしょうか。
- heinrich_t
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取りあえず、(1)について... 鉄の船が最近まで作られなかったのは、浮かないと思うからではなくて、重くて機動性に欠け、内燃機関が実用化されるまでは採算に合わなかったためと、錆びやすいので海水中ではすぐに腐食し、保守は困難なので、ステンレス合金やメッキの技術が確立されるまでは、長持ちしなかったためでしょう。 決してアルキメデスの原理が理解されていないためではないです。 信長の鉄船は、戦国時代なので短期間使用できればいいという発想だったと思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。せっかくですが まだ私の疑問は晴れません。
補足
>重くて機動性に欠け、 こういう思い込みがあったということではないでしょうか?それとも鉄舟だけにこれ以上軽くはできないという限界があり、そういった大きい船を作る必要がなかったということ?これも疑問です。では どのくらいの重さ(重量トン)が鉄舟の下限だったとお考えでしょうか? SUS合金で船を作ることは今もないと思います(非常に高価)。それよりも塗りで克服できたはずです)。 内燃機関とはディーゼルエンジンのことでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございました。かなりすっきりしました。
補足
>科学理論としてのアレキメデスの原理は約1800年後に再発見されました。 やはり、ずっと忘れられており、ルネッサンスの運動と軌を同じくして欧州の知識人に取り入れられていったのですね。でもそれが戦艦などの設計に実用化されるには時間がかかったのでしょうね。 >19世紀初頭まで鉄船の採用が遅れた主な原因は、鉄の生産能力です。産業革命で始めて大量の鉄の生産が可能になりました。 おお、これなら納得がいきそうです。エッフェル塔が建ったのは20世紀初頭だと思いますし、そのころには戦艦はおおかた鉄(鋼)製になっていたのですね。なるほどです。