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自分を悪く言うのが止められません
はじめてここのカテに質問します。 自己否定が身についているのですが、それを人にしゃべることが止められません。もっと具体的に言うと、人がなにかわたしのことをよく言ったりするとそれを否定する発言を止めることができません。基本的に自己否定(=自分が嫌い、自分を認めていない)的な性格なので、自分を誉める人の心理が理解できずに反論してしまうのです。喩えて言えば、自分の嫌いな食べ物でも、音楽でも目の前で誉めている人がいると不思議に思いますよね。理解できないですよね。それはその人の感性で構わないのですが、それが自分のこととなるとやはり黙ってそうですかとはいきません。わたしはあなたが思っているような人間ではないのですよ」といわずにはいられません。 けなされれば落ち込みますがそれを「否定」することはしませんしできません。けれども、よく言われることには全身が拒絶反応を起こすのです。 そのせいか、近づいてきた人も必ず短期間で離れていきます、今は友達と呼べるような人はひとりもいません。 とても生きるのが辛いのですが、精神科に15年以上かかっていてもどうにもなりません。 アドバイスでも、ご意見でもなんでもお聞かせ頂ければ幸いです。 今とても精神的に参っている状態ですので迅速なお返事お礼などできないかもしれませんがご容赦ください。
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自己を否定してしまう。 この行動自体は無意識的な物だと思うので、 簡単に直せるというものでもないとは思います。 心の奥底で、起きている事なので。 ですが、誉めて下さるお相手に対し、 「思いやりを持って発言する」ことを心掛けることは、 今すぐにでも始められるのではないでしょうか。 要は、誉めて貰った「内容」に焦点を定めるのではなく、 誉めて下さる「行為(気持ち)」のみに的を定めるといいますか。 あなた様からしたら「何で誉めるのだろう?」 「自分のどこが良くて誉めるのだろう?」と深く考えてしまい、 悩んでしまわれるのだと思いますが、 相手の気持ちばかりは、いくら考えても、 本当のところは、その人にしか分かり得ない事と思いますので、 「何でだか分からないけれど、誉めて貰ったからそれはありがとうね」 というスタンスで問題ないと思いますよ。 あなた様は全く悪気なく、否定をしているのだろうと思いますが、 その行為は、あなたではなく、そのお相手(気持ち)を否定することに、結果的にはなってしまうと思います。 ですので、先方がガッカリしてしまうのも無理もなかろうと。 かといって、思ってもいない部分を誉められても、 対応に困ってしまうこともあるかとは思いますので、 もし、今後そのような事があったら、 「自分では全然そういう風に思った事はなかったけど・・・ でも、そう言ってくれて嬉しい。ありがとう。」と仰ってみては? これなら、あなた自身にも嘘は付いていませんし、 お相手の好意にも、きちんと対応出来るのではないでしょうか。 自分自身から、ちょっと視点を広げて、 お相手を思いやることが出来たら、 少しずつでも、変わって行けると思います。
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- heinell
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No3で、そのお礼文に対する返答となります >例えばわたしだったら、「回答を拝見しているとheinellさんて、世間一般のオタク=ちょっと変人?(失礼!)って感じは全然しなくてむしろ、知的な感じの好青年て感じがします」なんてお礼に書かれたとします。 >すると、「なんであんたがぼくがオタクじゃないなんてことがわかるの?」という反応になると思います さすがに仮面をかぶり続けて長いせいかそうはなりません。 実のところ「私は数十年来のベテランアキバ系です」(本当に20年以上通ってます)というのは既に定例のキャッチフレーズです。 が、ほぼ必ず「えーheilenll(仮名)さんってアキバ系っぽくないでしょ」というのも言われますので、それも慣れているのです。 ある種アキバ系オタクというのは、一般には電車男等でひろまったステレオタイプな人しか認められないようで。 (現実には絶滅種といえるほど、そんな人は存在しません) 当たり前ながら私はそんな存在ではありませんし、本質の私は一般人が想像することすら不可能な思想の持ち主であるというのも自認しています。 ロリコン?中二病?…オタクを卑下する表現ってあと何があったかな… …と考えても「いえいえ。既存の言葉に近い要素はあるかもしれませんが、結局どれも正確な評価じゃありません」となるわけで。 だからある意味安心して(??)「真実の自分は誰も理解できない」と自信を持っていえるのです。 >逆にお聞きしたいのは、世間では否定的な目で見られがちな「オタク」と自称されているheinellさんは、逆に「オタク」であることを賞賛されるような言葉を聞いたときにどう感じるのでしょうか? もしオタクである事を賞賛されたとしても…というか正直、オタクである技量が他人の利害に一致すれば確実に物凄い利益をもたらします。 ぶっちゃけ「オタクでない=専門の知識ゼロ」ですから。むしろ賞賛されて当然という側面もあるんです。 でも結局のところ「他の人は自分を賞賛してるつもりなんでしょうけど。単に利害の一致という意味で評価した人にとって私が貢献できる側面があったというだけであり、本当の私を理解し認めたなんて事はありえないに等しい」 こう判断します。 人間ですんで、他人に貢献することで対価をもらい、それで生活をしていきます。 メシを食い生きていく為に必要とされる技術です。 私はそれを最大限(いやあまり努力はしてないので最低限か)活かして生活しています。 前の文で> ちょっと変人 …で(失礼!)とコメントがありましたが 実のところ「いや変人であるからこそ他の人ではなかなか真似できない技量で貢献できるんでしょ?」ということ。 なんで全く矛盾していないのです。 でも、肯定であれ否定であれ。真の意味で私を正しく理解される事は絶対にありえないと自認しています。 質問者さんの危惧する「自分を(勘違い?にせよ)良く評価する」どころか。 (良くも悪くも)他人は絶対に自分を正しく評価する事自体ありえない。「必ず的外れな評価しかできない」という、かなり確固とした自信があります。 (最近は中二病という表現で上記のような考え方は説明できるそうですが、あくまで「他人は自分を評価できないと考える」の部分だけであり、それ以外も説明できてるとは限らない) だからこそ、他人からすれば解りやすい仮面を用意してあげることで、他人も評価しやすい状態を作り、接点は確保する。 また、それによって(仮面であるにせよ)自分自身を評価してもらうことで、存在意義を確保する。 これで一応の自我と自分の存在価値を保っているということです。 そんな私から見れば、辛辣ながら質問者さんは ・まだ真の自分を理解されるという可能性を心の奥底で否定しきっていない(私は絶対にありえないと完全否定していますから割り切れてます) ・仮面を用意するような自我の防御手段が未熟である という状態だからこそ苦しんでいるのだと思います。
- shift-2007
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>どうしたらいいの? お説教ではどうにもならないわけね。 反対に、どうしたいのですか? 原因はどうであれそういう自分を作ってきたのはほかならないpokochan2さんです。 15年間?そういう自分を作り上げてきた目的はなんだったんですか。 それと、これからどういう自分になりたいのですか。
- shift-2007
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ご無沙汰ですね。 相変わらずお悩みモードで、負のアイデンティティーは健在で何よりです。 他人に自分を悪く言うのは、他人をがっかりさせないためではないですか。 いい印象が先にあれば後はがっかりしていくだけですが、 悪い印象が先ならば後は印象が上がるだけですからね。 裏を返せば自分が気づ付きたくないという気持ちの表れじゃないかと思います。 そもそも、良いにしろ悪いにしろ自分のことを他人にしゃべるのは自分のことを知ってもらいたいという心理が裏に働いているからじゃないですか。 こんな私を受け入れてほしいという思いがあるんじゃないでしょうか。 人恋しいという気持ちは人一倍強いのではないですか。 他人とうまくやっていくには、まずは自分自身と折り合いをつけなければいけないというのは自明じゃないでしょうか。 そのことを苦痛が教えてくれているんだと思います。 或いはいっそのこと世捨て人か仙人のように霧を食べて生きるような人生にはできないのですか?
お礼
負のアイデンティティーから抜け出せないというのはやはり成長がない、進歩しないということの表われだと思います。 >いい印象が先にあれば後はがっかりしていくだけですが、 これはその通りです。 けれども >悪い印象が先ならば後は印象が上がるだけですからね。 こんな風に考えたことはないですね。自分の印象が上がるなんてことは、 上がる要素がそもそもないですから。 shiftさんの言うこと、ご指摘、いちいちもっともで否定しようがないんですが、で、どうしたらいいの?というところを訊いているのです。
- honn1mono1
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まずは自己否定をなくすことから始められたらいいと思います。 鏡の前の自分に向って褒めてみてください。 または、「自分を認めれるようになるぞ」などといってみてください。 かなり効果はあるのだと思います☆ 自分否定を止めることからですね。 それがやめられないと言っても止める以外にないでしょう。 自分の良いところを人から言われるということは。 明らかにあなたによいところがあるのでしょう。 それを否定してしまうということは。 つまりは、あなたがあなた自身を勘違いしているということです。 あなたに良いところがあるのは間違いないでしょう☆ ですから、まずは自己嫌悪、自分否定を克服することです。 鏡の前の自分に向っていいところを言ってあげるのです。 友達に言われたよいところでいいですからね。 それを繰り返すうちに暗示にかかり自分を認めることが出来るかもしれません。 自分の良いところを人から言われたら。 そのことに感謝をしてみてください。 そんな事を言って貰える自分やないか。 本当にありがたいなぁ。。。褒めてもらえる自分で嬉しいなぁ。。 と感謝してみるのです。 手を合わせて祈念する感謝の方法でもいいです。 自分自身に感謝をしてみるのです。 そのようにして自己否定を克服していきましょう。 私にはどう考えてもあなたが悪い人には見えない。 ただ、あなた自身が否定しているだけにすぎないのです。 実際にはあなたは良いものをもっている人だと思います。 このままではもったいないです。 もっと自分を認めてあげてください。 あなたが自己否定を克服できます様に、願っていますネ☆ 大丈夫だよ。。。。自分を認めてあげてネ。。。。 そして幸せな人生を歩もうネ。。。。応援してるョ。。。
お礼
ご丁寧な回答ありがとうございます。 >つまりは、あなたがあなた自身を勘違いしているということです。 >あなたに良いところがあるのは間違いないでしょう☆ だとすれば何故それを受け止めることができないのでしょう?
ANo2です。 >まぁ確かに「治療」とは言い難いかもしれません。 そう思うなら日課のルーチンを変更しましょうね。 個人的には通院しないとダメと言う妙な強迫観念を自分で作り上げましたから。 行かなきゃ行かないで何とかなりました。 個人差があるので自己責任でやってね。
- heinell
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推測するに、話はもっと単純で根本の方針に関わる部分だと思います。 >喩えて言えば、自分の嫌いな食べ物でも、音楽でも目の前で誉めている人がいると不思議に思いますよね。 それは確かに同意できます。 但し、対応の方法にポイントがあると思うのです。 私は俗に言われる「オタク」です。 世には結構偏見コミで見られ、「heinell(仮名)さんってオタクだからやっぱり○○だとか」?等と、結構頻繁に言われます。 近年特に多いのが「メイド喫茶とか行くの?」 当初は面倒なので「行きません!」と返してました。 が、実は大昔。ブームになる何年も前に一度行った事はあるのを逆手に取り、 最近では「大昔行った事があったんですが興味は持たなかったですね、まさかあの何年も後でブームになるとは思ってもみませんでした」と答えてます。 #さらに気軽な相手に対しては「それはもう10年前に通過した道です」などとギャグで返したりします。 自分がある種の評価をされているという場合。 それは単に他の人が自分に対する話のきっかけのようなものです。 前述だったら「メイド喫茶行ってます」という返答から、流石だという評価とか、メイド喫茶の実情を知りたいとか。 むやみに否定するのを見て「むしろ怪しい?」なんて反応から次の話題に繋ぐとか。 さらに斜め上の返答されて目を丸くしてみるとか。 そういうなんらかの反応が期待されて、そこから「次の会話に流れる事」が「話し手の真の目的」な訳です。 なんで、実は「自己否定」って要素に問題があるんではなく。 話し手(質問者さんを褒める事を言った人)の意見を真正面から否定してしまい、「次の会話に流れる勢いを止めてしまう」。 こちらの方が友人を作れない要因になったんだと思います。 もう一つ。 >よく言われることには全身が拒絶反応を起こすのです。 これは「よく言われる」という状態に、その威力が自分の無防備な心の奥深くにぐさりと突き刺さる。それを全力を持って跳ね返そうとしているんで「拒絶反応」という強い力になるように思います。 自分の無防備な心の奥深く…これが困るのなら? 盾を構えるのはどうだろうか? でも盾を構えても正面から受け止めると防御の力がかかりすぎる では「受け流す」盾ならどうだろうか? …という発想をしてみます。 心理学用語でいう「仮面(ペルソナ)」という奴ですね。 私も前述の通りオタクです。かなり心底からオタク。それを根本から否定されたり揶揄されたらやはり傷つくでしょう。 なので、まず盾の人格として、「メイド喫茶行くの?」と問われたら「いやいやそれは10年前に通り過ぎた道ですよ。はははは」と笑い飛ばす人格を設定します。 それが「オタクとしての自分を明かす時の仮面」となります。 その仮面が周囲からの刺激から自分を守る盾となって受け流してくれます。 万が一仮面を破壊されるくらいの衝撃を受けても、そこで勢いを殺げますから本当の自分の心へのダメージを軽減できます。 「メイド喫茶を10年前に通り過ぎたような重傷のオタクなんか人間のクズだ!」「え~酷い~俺の人格否定ですか?」なんて状態になったとしても。 …メイド喫茶に興味を持つオタクを非難できて満足してもらえば、それ以上突っ込まれる事もないでしょ。 実際自分では譲れないオタク要素なんて、語って判ってもらえる訳でもないんだし。それは自分が理解してれば良い事… こんな感じで衝撃を軽減できます。 では質問者さんがどういう仮面を作るべきか? これはすぐ返答はできません。 私流だと「いやいや。実はちょっと○○な趣味もあるのかもしれませんよ?」と方向をそらしてみて、「えーそんな事ないでしょ」という感じで、真実の自分(と理解している姿)へ向かないように誘導させるでしょうか。 ただこれはあくまで私のやり方で質問者さんに向いている方法とは限りません。 この辺に関しては一朝一夕で作るというよりは、経験として積み重ねて作り上げていくものかもしれません。
お礼
例えばわたしだったら、「回答を拝見しているとheinellさんて、世間一般のオタク=ちょっと変人?(失礼!)って感じは全然しなくてむしろ、知的な感じの好青年て感じがします」なんてお礼に書かれたとします。 すると、「なんであんたがぼくがオタクじゃないなんてことがわかるの?」という反応になると思います。「偏見混みのオタク」じゃない自分を目の前に突き出されることに慣れないのです。過去多くの人に「偏見込みのオタク」としての自己イメージをなすりつけられてきつづけましたから、たまにそうでない自己像を描かれると、「誰の話?」という反応になるのです。 わたし個人はいわゆる前述のようにマイノリティーですので、いわゆる「オタク」と呼ばれている方たちに偏見のようなものはない(つもり)ですが結局「人による」のでしょうけど。 ペルソナというようなことは正直かなり高度な技だと感じます。 自己の二重構造を創り上げる訳ですもんね。 仰る通り一朝一夕でどうこうなものではないと思います。 逆にお聞きしたいのは、世間では否定的な目で見られがちな「オタク」と自称されているheinellさんは、逆に「オタク」であることを賞賛されるような言葉を聞いたときにどう感じるのでしょうか? いずれにしてもheinellさんの方がずっと巧みに世の中を生きておられると感じましたし、「話題のきっかけ」というような視点は考えたこともありませんでした。 お話を聞かせていただきありがとうございました。
>精神科に15年以上かかっていてもどうにもなりません。 治療じゃなくて日課になっていませんか。
お礼
まぁ確かに「治療」とは言い難いかもしれません。 それにそもそも精神科医がどうこうできるものかどうかさえわかりませんし・・・
- formidable
- ベストアンサー率15% (470/2940)
その自己否定のトリガーになったこと、 15年前に何があったのか、 補足してください。
補足
具体的に「あの事」「あの時」ということは思い当たりませんが、ただ、大学を卒業して社会に出てから、方々で「無能」呼ばわりされて、悉く短期間でお払い箱になったことは今でも自己否定の「裏付け」になっていると思います。ただし現在のような解雇が当たり前のような時代ではありませんでした。今は優秀な人材でも解雇されて不思議のない時代ですが、その頃、10年以上前、は仕事のできる人は解雇されませんでした。 それと、車の両輪のようですが、わたしは男性ですが、女性から嫌われ続けてきたということもトラウマ(?)になっています。軽くお茶でも誘っても 何度いやな顔をされてきたか。今ではもう怖くて「お茶でも」なんてとても声をかけることはできません。 でも当時からクビになっても、女性にいやな表情を見せられても、怒りはしませんでした。質問にも書いたように、自分を否定する反応には納得できてしまうのです。無論平気ではいられませんけれども、「やっぱり悪いのは自分なんだからというところに落ち着きます。」 ですから特定の職場でのひどいいじめとか特定の女性から手ひどく振られたとかいうことはない・・・というかそれ以前の段階のような気がしています。
お礼
全く仰る通りだと思います。 何もいうことはありません。 そう心がけてみようと思います。 理に叶ったお答え(アドバイス)ありがとうございました。