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自分を愛する、好きになるってどうすればいいのでしょう。
最近30代も後半になっていろいろ気づきました。また人にも言われるようになりました。 「自分をかわいがってあげなきゃだめだよ。」 「自分をほめてあげればいいのに。」 「自分をもっと愛してあげて。」と。 誰もそんなにあなたを責めていないのにあなたが貴女自身に一番厳しい批判者になっているともいわれました。 人からみれば成功して夢を叶え続けているように見えるようです。 そして私も「夢に向かって頑張っている自分」というものが好きでした。 でもそれとは引き換えに失ってしまったものがあるのではと思い、夢を追いかけてきたこと自体がわがままだったのではと自己批判の日々です。 小さいときから精神的に問題のある父にほめられたことが一度もなく何をしても怒られたり反対されたことが大きいのかもしれません。 お前は変わってる。。平凡が嫌いなわがまま娘だ。ーそういわれ続けたからなのかもしれません。 今になってすべて自分のやってきたことに自信もなく、いろんな人と話すうちに必ず言われるのが最初に書いたような言葉でした。 「自分を愛する」 それはどうすればいいのでしょう。
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質問者が選んだベストアンサー
自分のしてきたことに100%満足している人はなかなかいません。 いままでの質問者様の人生を知るわけではありませんので「あなたの選択は常に正しかった」とは安易には言えませんが、全ての人は(犯罪を除いて)選択してきたことを肯定すべきだと思います。いくら考えても選択前の時点に時間を巻き戻すのは不可能ですから。 私は出産後再就職した普通の主婦です。 「もっと子供と家にいてから仕事についてもよかったのかな」と思う事があります。でもゆっくり就職していたら「もっと早く決断していたら年齢的にもっと仕事が選べたのに」と思うかもしれません。 質問者様なら、この選択に正解などないことも、どちらの後悔も意味をもたないことをわかっていただけるでしょう。 結局今の立ち位置を肯定して「これからできること」にベストをつくすしかないということ。したかったことがあるなら、「これからでもいいからやる」それが現実的でない考えなら「スッパリその考えを捨てる」くらいしか選択肢はありません。過去の自分を責めても何も生みません。生むのはストレスくらいです。 私も親には、けなされ続けた子供でした。 母など「わざと誉めなかったよ。自信家で調子付いた子供は嫌いだから。誉めるとそうなる気がして。それに当時はとにかく家計が大変で毎日イライラしてたからね。」と平気で言いますよ。(^_^;) 「親の言動は全て子供のためを思っての事」ではないんですよね。全然。 ・・・でも、今の困難の原因を親に求めるのはあえて止めましょう。 親を責めるのはよくない、ということではありません。自分の人生を自分自身のものにするため、良い事も悪い事も自分で味わい、自分で落とし前をつけるためです。 親のことを思うとき、私たちは皆子供の頃の自分に戻ってしまい、小さく無力で悲しい自分を思い出す無限ループにはまりがちです。たまには悪くないかもしれませんが、私はこの行為は過ぎると完全に精神に毒だと思います。 もう当時の親の年齢に近くなってきました。私にとっては親はもう客観視できる存在(もう10年同居しております)で、「時々憎まれ口をきく愛すべき小さな老人」です。既に私の人生や考えに大きな影響を与える存在ではありません。 批判されて育ったためなのか、あるいは親自身が自己評価が低く(父がそれっぽい)その性格傾向(ていうか脳の構造)が若干遺伝したのかわかりませんが、私も「自分誉め」が下手くそで頑張り傾向がある人間です。 質問者様も最初はお父様の批判が根源になって頑張ってきたのかもしれませんが、頑張っても頑張っても全く幸福感が得られないというよりは、頑張りがすでにご自身の性分になり、結果を出してきた事がご自身の誇りと充実になっているかもしれません。健康管理さえ出来れば、それもひとつの素晴らしい生き方だと思います。 憶測で申し訳ありませんが、多分今はとてもお疲れか、仕事か人との関係でひと山越えなければならない状態なのでは?と感じました。 どんな人でも壁に当たったり、スランプに陥ったり、心が弱ったときには迷うし「自分のしてきたことに意味などあるのか?」と哲学的な気持ちになります。そんなときにさらに頑張れと言うのは大変酷かもしれませんが、もしも現在不安を掻き立てる対象があるのなら、覚悟をきめて実務的に対応していくか、人事を尽くして時が流れるのをじっと待つしかないのかもしれません。的外れな思い込みでしたら大変申し訳ありません。 ところで自分を愛する、誉める、甘えさせる、評価のハードルを低くする事が難しいようでしたら(私にも難しいんですが)・・・ご自分が「失ったかもしれないもの」のかわりに「得てきたもの」たちにも目を向けてあげましょう。質問者様が頑張って自分の力で叶えてきたものたちです。無視してはかわいそうです。数え上げて、慈しんでやりましょう。 優しいご友人に恵まれているようですが、それも質問者様の財産です。質問者様は、プラスの評価を受けたときは居心地が悪くてすぐに否定しようとしたり逆にマイナスの評価を過剰に受け止めてはいませんか?人がくれるプラス評価は、心のこもったプレゼントだと思って大切にしましょう。せっかくくれたのですから、見ないであわててゴミ箱に捨てるのではなく、じっくり愛でましょう。他の誰でもない、あなたにくれたプレゼントです。せっかくですから、辛い時や勇気が必要なとき、取り出してはながめてみましょう。 少し間接的な行為なので、取り組みやすいかもしれません。自分の良いところを無批判で受け入れることを通し、自分を愛することにつながっていけばと願います。長々と失礼しました。
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- hananurie
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>「自分をかわいがってあげなきゃだめだよ。」 「自分をほめてあげればいいのに。」 「自分をもっと愛してあげて。」と。 誰もそんなにあなたを責めていないのにあなたが貴女自身に一番厳しい批判者になっているともいわれました。 ・・・素敵なお知り合いがいらっしゃるんですね。 あなたにとってどんな関係の方なのか分かりませんが、 あなたをそこまで見抜いてそんな言葉をかけて下さる方って 貴重ですよ。大事にしてほしいお知り合いですね^^ 私も、やることなすこと批判ばかりの親に育てられたので、 あなたの気持ち分かります。(30代半ばの主婦です。) 「何かを実現せねば、人に認められない、愛されない」 「何かを実現すれば、きっと人に認められる、愛される」 と、思ってしまうんじゃないですか? 心の中に、批判ばかりした親が今も住み着いていて、何かするたび、 「そんなんだからだめなんだ」「まだまだ」「どんくさいねぇあんたは」などの言葉を自分に投げかけませんか? だから、この、心に住み着いた”親”が 「よしそれでいい」と言うまで頑張ってしまう。 けど、この”親”、「よしそれでいい」なんてなっかなか言わない んですよね。万一、言われたって、さらにもっと認められるように 頑張らなきゃ、と次の目標を立ててしまうんじゃないですか。 そして自分を叱咤し続ける毎日・・・。しんどいですよね。 生きているだけで疲れてきます。 親が、子供のありのままを愛せる人だと、 子供は何もしなくても、ただそのままいるだけで愛されるので、 ↑に書いたようなことはないそうです。 特に何かを努力しなくたって、自分は十分存在する価値のある人間 だと自然に思えているからです。そんなことあえて意識もしない かもしれません。 ・・・まぁそういう人のことはさておき、批判ばかりされた私たちが どうすべきか?ですが、 やっぱり、心に住み着いた「批判ばかりする親」に対抗する、 「褒めてくれる親」を住み着かせるしかないかと思います^^; 少なくとも私はそうしています。 「批判する親」が何か批判し始めたら、「何を言ってるんだ、 大丈夫じゃないか。この子は十分頑張ったじゃないか。ダメ じゃない!」 などと反論させるのです。 そうして自分で自分を認めていくのです。それが「自分をほめる・ かわいがる・愛する」ってことになると思います。 私の場合、実際の親からも離れて暮らしているのも大きいかも 知れません。 とにかく、この心に住み着いてしまった「批判ばかりする親」の 影を薄くすることで、だいぶ自分を認められるようになった ように思います。
- love817
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そうですねー。。。。。。。。。。。 そうですね、プラスな事はマイナスに変わります。 ってことはもちろんマイナスな事もプラスに変わっちゃうんです。 そう考えれば、自分を愛せないって、自分が大好きな人と比べて、もうその自分が一番って思ってる人はそれ以上の成長はないけれど、自分はまだまだって思ってれば前にすすめますよね?? じゃぁ、そう考えて見ると、自分を愛してないってそんなに悪くないんじゃないじゃないですか? みんなに相談できたりしている質問者様はとても凄い事だって思います。 自分が愛せないって思っていて、その分愛せるようになる努力すれば前に進める。
>父にほめられたことが一度もなく何をしても怒られたり反対されたことが大きいのかもしれません。 そんな中で、自分に厳しく、夢を追い続けることで 自らの満たされないものを埋めてきた質問者様自身を、ご自身がよくやってきたとほめてあげることではないでしょうか。 引き換え失ってきたものはもう取り戻せませんか。 きれい事はいくらでもいえても、その時々で、御自身が信じるものを選び、行動してきたのではないでしょうか。 もちろん、その選択に対して、今から思えば、違っていたのではということは、誰の中にも、時として浮き上がってくるものなのではないでしょうか。 でも、今ここにいることは、間違えなく真実で、それが軽くはないことも多くの人が抱えている真実なのではないでしょうか。 夢を追うことを許された。そうする若さも行動力も 健康も持ち合わせていた。それが今となり考えるところがあったとしても、そのとき、その選択をした自分を、受容することが、プライドであり、自分を愛するということなのではないでしょうか。 他人になにを言われても、私は私なりにやってきたんだみたいな。まだ、まだ若いですよ。今、信じることをまた追ってみてください。
- 2018
- ベストアンサー率22% (240/1058)
こんばんは。 私も今読んでいる途中なんですが、 「毒になる親/一生傷つく子ども」 「インナーマザー/あなたを責め続ける心の中の“お母さん”」 このあたりの本、なかなかいいですよ。 よかったら、読んでみて下さい。
- sabakunihana
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あなたはお父さんを愛しながら憎んでいませんか。無意識にあなたの心の中で、葛藤があるんじゃないでしょうか。父親に愛されたい気持ちの反対側で、父親に愛されなかった(褒められなかった)自分という現実が存在していて、お互いがお互いをひっぱるから、その真ん中にいるあなたは引き裂かれてしまった。父親に愛されたかったのに愛されなかった、だから自分はだめだ、という無意識の気持ちがある気がします。 あなたを本当に愛してくれる異性や友達をたくさん作って、その人たちの愛をたくさん感じてください。自分の作り上げた不幸の虚像を追い払って、居心地のいい檻から出ようと望んでください。きれいごとに聞こえるかもしれませんが、きっと自分を愛せるようになりますよ。私はそう望んでいます。