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死なない人間について
最近、再生医療やクローンなどが注目されています。不老を目指している会社もあります。これらの物が発展していけば、死なない人間を作ることに行き着くと思います。そこで、この死なない人間というのはあったほうがいいのか?人間は死ぬべきなのか?などの意見をお聞かせください。 ちなみに僕は死なない人間賛成派です。
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私は反対です。 たしかに、人間は病苦や死、老いといったものに苦しめられます。愛する者がもがき苦しみながら死んでいくのを悲しまない人間はいないでしょう。老いていくほど弱くなっていくところもあり、心は喜びよりも労苦のほうに身構えてしまうようになっていくかもしれません。 でも反対です。 人生とはなんのためにあり、どのようなものなのかと考えるからです。 私は、どの人間も前の世代から受け継いだものを後の世代にバトンタッチするのが人生だと思っています。生命も含めて、受け取ったものをもっとよりよい形で渡そうとたゆまぬ努力をすること、それが生きることだと考えています。(注:私はたいへんに自堕落な人間なので、「たゆまぬどりょく」がどの程度のものなのかはあんまり聞かないで下さい・・・理想ってやつです) それに、人間の喜びも苦しみも、生と死の間の少しの間にあるべくなっているのではないのかと思うんです。 不老不死になったとしても、人間の感情はそのままだという気がするんです。だから、もしそうなったら人間は成長する喜びを味わえなくなるのではないかと思うっていう意味です。 人間は、死ななくなったら生きる意味を見失い、傲慢になっていくいっぽうのような気がします。 また、死なないということは子供を作ることもできないということです。おそらく、不老不死が広まってからしばらくして子供をもうけることが、超特権階級だけに許される贅沢になるのではないでしょうか? あるいは、不老不死の技術そのものがその特権階級だけに止まり、彼らは為政者として君臨し続ける、といったSFチックな話におさまらないとも限りません。 死ぬと考えるのはつらいことです。 世界は広く、知りたいことはあまりにも多く、人生はあまりにも短い。 何千年先はどれほど違った世界が開けていることでしょう。そのすべてを知ることができるほどの寿命がないのは、私にはとても切ないことです。もしかしたら、3千年後にはタイムマシンができていてビッグバンから恐竜から、過去の偉人物に会うこともできるかもしれません。そう考えると、口惜しくてなりません。若さや健康さも重要なことなのでしょうが、私にとって長く生きられるということは、知りたいことをたくさん知ることができるという一点につきます。 でも、同時に、死はある意味では歓迎すべきことなんです。はっきりそう思います。私は本を時々読み、老いについて少しは知っていることがあります。 時間は容赦がなく、重い軛です。私は自殺を肯定するわけではありません。 でもayakosanさん、もし自分が死なない体になった後でずっと拷問され続けることが決まったとしたら、どうします(^^;)? 極端な一面だけ取り上げるとしたら、愛着のある者が死ぬより恐ろしい目にあうときには、死はむしろ望ましいことでもあるのかもしれません。 私の好きな雑誌NewsWeeksに死についてくよくよ考える作家の新作から主人公の言葉を引用してありました。 「燃える薪を見るのが好きなのは、それが人生のように思えるからだ。すべてのものは時間に消費され、最後は灰になる。それでも燃えている間は暖かく、生きる力を放っている。」 死なない体になるということは、多分私の想像では、生きているわけでもなく死んでいるわけでもなく、ただひたすら倦怠の中を幽鬼の様にさまよわなくてはならない、そういうことだと思います。
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- CATV95II
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死なない人間がいても全然構いませんし、僕も「不老」であればなってみたいですねぇ(w 「不死」のみは却下ですけど(w ただ、とある本で読んだ覚えがあるんですけど、人間の体は今の段階でも、200年くらいは生きれるそうです。ただ、実際は精神の方がついていかないで100歳程度が大体限界だそうです。精神的に疲れるんでしょうねぇ。
補足
なるほど。脳の回路を作る行為にも限界があるということですね。 限界を増やすには脳を成長させるしかなく、そのためには頭蓋骨の容量を大きくしないといけないわけですね。 むずかしそうですね。 回答ありがとうございます。
- stingray
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ちょっと補足要求。 死なないというのは, 単に寿命が無くなること?首切られても死ななくなること? 餓死しなくなること?窒息死しなくなること? バナナの皮を踏んで滑って転んで頭打っても死ななくなること? 核弾頭の爆心地にいても死ななくなること? 太陽の中に飛び込んでも死ななくなること? 体がバラバラに砕け散ってもつなぎ合わせれば大丈夫ってこと? そこらへんの定義をもっとしっかりしてもらって, 具体的にしてもらわないとちょっと答えにくいですね。 たとえ死ななくでもリビング・デッドになるのはイヤですし…。
補足
すみません。No.2の方の補足にも書いたのですが、現代医療の発展の末の産物としての死なない人間です。よって爆発なんかじゃ簡単に死んでしまう代物です。
- judayum
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生物が太古の昔単細胞分裂から、オスメスに別れてお互いのDNAを渡しあいながら子孫を残すようになってから、変異や進化の道を進みはじめたのと引き換えに、子どもが生まれ成長していくときの体内の細胞分裂では、分裂で起こるたびにDNAの一部が時限爆弾の導火線のように削られていく仕組みも引き継いだそうです。 全く死なないということは無理だと思いますが、いろんな技術で100歳以上生きたり、一度眠って何百年後に生き返ってみるのは選択肢としてはおもしろいかもしれません。 クローンといえども、同じ意識がクローンに移るわけではない、全く死なないという人間の存在は考えてもしょうがないと思っています。しかし、長寿の生き方については、新しい人生スタイルとしてビジネスとして、ひろまってくるのではないでしょうか。
補足
>生物が太古の昔単細胞分裂から、オスメスに別れてお互いのDNAを渡しあいな>がら子孫を残すようになってから、変異や進化の道を進みはじめたのと引き換え>に、子どもが生まれ成長していくときの体内の細胞分裂では、分裂で起こるたび>にDNAの一部が時限爆弾の導火線のように削られていく仕組みも引き継いだそ>うです。 テロメアのことですね。最近そのテロメアを伸ばす作用のあるテロメア―ゼについて多くの研究がされています。 >しかし、長寿の生き方については、新しい人生スタイルとしてビジネスとして、ひろまってくるのではないでしょうか。 僕もそう思います。回答ありがとうございます。
- bellfrower
- ベストアンサー率32% (27/84)
>医者もだめということですよね。大切な人が死にそうで、助けられるかもしれないのに見殺しにしなくてはいけないというわけですね。 これは、人が全く死ななくなるということとは話が違い、 『医療行為』であり、いまの医療では、延命措置をしたところで、 最終的には『寿命』という最後の日が現代では誰にでもやってきます。 そもそも1000歳、2000歳と生きていく中で、結局病気にかかると思うのですが、そこら辺の定義はどうお考えでしょうか?内臓を入れ替えるにしても、その内臓を支える筋力が低下すれば、それは一時的なものにしかならないと思うので・・・。 哲学的な問題のほか、これは『生物学』というセクションなので、 そういった人間の生態的な問題がからむと思われます。
補足
最近、老化についての研究が進んできてヒトの細胞自体の寿命を延ばすことが可能であるという結論に達しつつあるようです。 つまり、老化による筋力の低下などがなくなり、体は常に若いままに保たれてしまうというわけです。 事故死や治療不可能な病気(狂牛病など)にかかって死ぬことを寿命とお考えならば仕方ないですが、寿命は永遠に延ばせる可能性があり、現代医療も発展しているので、寿命さえなくなるのなら死なない人間はできあがるだろうという論文を見てこの質問を投稿しました。 また、大切なヒトが寿命で死にそうな場合はどうしますか?(助けられる場合)
- heichan
- ベストアンサー率39% (41/104)
人間がいつまでも老いを知らず、平均寿命は何百歳‥という社会があっても悪くはないとは思います。 地球という星はこの先50億年続くと言われていますから、1世代が1000年くらいあっても特にけしからんという事はないのかも知れないですよね。 どうせ無限に増えつづけるということにはならないでしょうし。 しかし永久に死なないとなると、世代交代が起こらないということでしょうから、進化を司る自然界の仕組みに反していることは疑いもないと思います。 天国も地獄も身近(?)でなくなると宗教とも縁が遠くなるでしょうし、次の世代を育てる楽しみもなくなると、生きる目的を見失う人も多そうですね。 「だからダメ」というのは短絡的かも知れませんが、少なくとも人類全体が不老不死になって次の世代に道を譲らないという事は、将来の世代の生存権と、進化の可能性と、資源の全てを現在の世代が奪い、独り占めするという事になる訳で、結構いじましい行為だと思います。 進化しないまま永久に存在し続けることの「特別な意義」を人類が見出せない限りは賛成できない気がします。 もっとも、変な考えかも知れませんが、一部の人間が高価な特別製のクスリでも使って不老不死を試してみることは別に構わないような気もします。 不公平という考えも当然ありそうですが、私には正直うらやましいとも思えません。 「べき」論ではなく「好き・嫌い」を言うなら、孫やひ孫に慕われて‥ならともかく、みんなでむやみと長生きしてもあんまり楽しい社会にならなそうな気がしますので。
補足
柔軟な考え方をありがとうございます。 >「だからダメ」というのは短絡的かも知れませんが、少なくとも人類全体が不老>不死になって次の世代に道を譲らないという事は、将来の世代の生存権と、進化>の可能性と、資源の全てを現在の世代が奪い、独り占めするという事になる訳 >で、結構いじましい行為だと思います。 「独り占め」の聞こえは悪そうですが、すでに地球は人間の半独り占め状態です。 生まれてきてない人間の生存権を考えるのも変な話です。 進化の可能性や資源をいつまでも現在の世代が使い続けるのは悪いことらしいということですね。 進化とは生存や繁栄するのためのものであるわけです。 それができるのにわざわざ次の世代に回すのですか? >もっとも、変な考えかも知れませんが、一部の人間が高価な特別製のクスリでも>使って不老不死を試してみることは別に構わないような気もします。 >不公平という考えも当然ありそうですが、私には正直うらやましいとも思えませ>ん。 >「べき」論ではなく「好き・嫌い」を言うなら、孫やひ孫に慕われて‥ならとも>かく、みんなでむやみと長生きしてもあんまり楽しい社会にならなそうな気がし>ますので そうですね。つまらない人生になるようだったら生きる気持ちも薄れますね。 ありがとうございました
- bellfrower
- ベストアンサー率32% (27/84)
クローン人間にそもそも反対の者です。 私はキリスト教徒(プロテスタント)なので、宗教的な考えになりますが、 『神の業以上のこと』を人間がするのは、やはりhuman being(日本語で人類?)の摂理に反すると思います。 人は、命は、死ぬから尊いのだと思います。 はかないから、大事に・大事にしなくてはならないのだと思います。 だから、と決め付けられないし、その他にも大事にしなくてはならない理由はゴマンとあるでしょうけれど、この問題提起から見れば・・・。そう考えます。 死というものがなければ、『生きる』ということも薄れていくでしょう。 ここでいう『生きる』は、息をするというだけでなく、 人生を全うするということです。 命を大事にしない殺人犯より、 死と戦う闘病の床にある方のほうが、人生を全うしている。 そう思うのですが。 ・・・ちょっと話がずれたかな?
補足
回答ありがとうございます。 >人は、命は、死ぬから尊いのだと思います。 >はかないから、大事に・大事にしなくてはならないのだと思います。 つまり、神からもらった寿命を延ばすものは自然の摂理に反するということですね。医者もだめということですよね。 大切な人が死にそうで、助けられるかもしれないのに見殺しにしなくてはいけないというわけですね。 それとも死ななくなるのがいけないのでしょうか? このぎりぎりのラインがむずかしいですね。
- tabinoakino
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私は死なない人間も面白いとは思いますが、やはり生まれたからには死ななければまず世界としてバランスは崩れますよね。 人口を維持するために新しい人は生まれてはいけなくなる。 また死ぬことは自分の意志で決まる。 死がないので、時間がいくらでもあると思えば人はやる気がなくなります。発展は確実に少なくなる傾向に。 本当に不死なら食べなくても死なないという事になるので第一次産業が殆ど無くなる。自然破壊が少なくなって或る意味環境によいことになりますね。 不死ならいくら暑くても寒くても空気が無くとも死なないと言うことになるので世の中なんでもありです。想像力も何もなくなります。 考えていったらキリがないですけどそういうことが普通であれば死なない人間が居ておかしくないですが、現実ではやはりありえないですね。 生き続けても何が楽しいのか私は解らないのでとりあえず人は死ぬ方がこの世のためだなと思います。
補足
すみません。 「死なない人間」は、現代医療の延長線に存在するものとして述べています。 つまり体の老化を医療により防ぎ、傷ついた部分を医療により修復して死なないように手を尽くした挙句の人間をさしているつもりです。 よって事故などでは死んでしまいます。 >人口を維持するために新しい人は生まれてはいけなくなる。 そうですね。しかしこれはこのままの現代でもいずれたどり着く問題です。 中国のように少子化で対応するのはダメでしょうか? >死がないので、時間がいくらでもあると思えば人はやる気がなくなります。発展>は確実に少なくなる傾向に。 そうかもしれませんが、膨大な時間を要する物にも手がつけられるようになります。いろいろな事に手を出すことができるようになるとは思いませんか? というのが僕の考えです。 回答ありがとうございます。
- kmor
- ベストアンサー率27% (225/825)
死ぬべきだと思います。 この世に生を受けて育ったものはいずれ死を迎える、これは哲学でも宗教でもなく、自然の摂理です。 死なない人間が増えると、ますます人間が増え、自然の生態系が崩壊します。 生まれ育ったものはやがて死を迎え、その死も大地の糧となる、これが自然の理想です。 ですから、現在の火葬も私個人としては反対です。
補足
回答ありがとうございます。 今の生態系があるのは、好気生細菌が地球を酸素で”汚した”結果、できたものです。 その行為もその時代にしてみれば自然の生態系を崩壊させるものであったでしょう。 また、生命が生まれたこと自体が地球の自然を脅かすこととも取れます。 そうなると、人間が増え、今までの自然の生態系が壊れることは悪いことなのでしょうか? 本当に人間に害のあることなのでしょうか?人間ではそれを回避できないのでしょうか? また、外部から危害を加えないかぎりいつまでも生き続けるベニクラゲという生物も自然界には存在しています。
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お礼
熱いお言葉ありがとうございます。 心に響くものがありました。 > 私は、どの人間も前の世代から受け継いだものを後の世代にバトンタッチする >のが人生だと思っています。生命も含めて、受け取ったものをもっとよりよい形 >で渡そうとたゆまぬ努力をすること、それが生きることだと考えています。 ついつい、その先を考えてしまうのです。バトンタッチが永遠に続いて、その後どうなるのだろうかと。せっかくそういうことを考えることのできる生物に生まれたのに、その能力を捨て置かなくてはいけないのかと。 > 不老不死になったとしても、人間の感情はそのままだという気がするんです。 >だから、もしそうなったら人間は成長する喜びを味わえなくなるのではないかと >思うっていう意味です。 なるほど。成長する喜びですか。味わえなくなったらやっぱりダメなんですかね。 > 極端な一面だけ取り上げるとしたら、愛着のある者が死ぬより恐ろしい目にあ >うときには、死はむしろ望ましいことでもあるのかもしれません。 そうですね。そういう状況が増えるかもしれません。ただ、ずっと拷問し続ける人もいるわけです。その人は果てしなく続く人生をずっと拷問に使おうと思うでしょうか?それなりの対策が取られると思います。 つまり言いたいのは、「死なない人間」が出たら次々とシステムが変わっていき、それはそれでみんな普通に暮らせる世界ができるんじゃないかと思っているわけです。慣れてしまえばみんなの価値観も変わるんじゃないかと。 本当にありがとうございました。