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ネットとマスコミ
ネットユーザーにはテレビや新聞など一般のマスコミに批判的な人が多いように思います。 (ここの投稿にも多いですね) マスコミの言辞というのが綺麗事的建前論的で、物事の本質的なことに触れない。 様々な利害関係やタブーにより報道できないことがある。 イデオロギー的に偏っている。 そういう部分に反感を抱いているのかと思います。 また、何か事件や問題が起こるとネット批判的な報道がなされるため、 それがまたネットコミュニティ側の人の敵意を煽るのかとも思います。 しかしいくらマスコミが必ずしも信用できなかったり、偏った部分があるとしても、だからといって ネットで流通する情報に世の中の真相があると思うのも危険ですよね。 近年になって急速に普及したとはいえ、マスコミに比べたらネットは歴史が浅く未成熟なメディアです。 単に未成熟という事だけでなく、ネットコミュニティというものの性質に由来する問題も色々あると思います。 1.マスコミにもネットにもそれぞれに偏りはありますが、では偏りのない冷静で妥当なものの見方をしてるメディアって何でしょうか? そういうものはどこかに無いかと求めるのではなく、自分で正しい視点を見出していくべきなのでしょうか? 2.ネットとマスコミという二つのメディアが歩み寄るのは難しいのでしょうか?
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ここでの「マスコミ」は主に「新聞、雑誌、ラジオ、テレビ」を指しているものと解釈して回答します。 【1.について】 「メディア」とは「媒体」のこと。で、その媒体を人間(もしくは人間が作った機械)が作っている以上、偏るのは仕方ありません。人間は個性と感情をもったものなので、いくら「偏らないようにがんばろう」と思っても、どうしても、「その人の信じる偏りの無さ」をなかなか脱しないのです。したがって、やはり自分でいろいろな媒体を参考にして、生身の人とも話し、実際の体験も重ねながら、「正しい」と言うよりも、「自分の視点」を持つことが大事だと思います。 【2.について】 歩み寄る、というか、そもそも、それぞれに長所と短所があるわけですよね。いわゆるマスコミは、一部の製作スタッフで成り立っていて、そのスタッフが、子供から年寄りまで幅広い視聴者に対する影響を意識しながら、名前を出して責任をもって、裏をとりながら、記事を作るよう心がけている。しかし、(特に近年は)きちんと裏をとらずに、いい加減な記事を書いていることもある。また、その限られたスタッフの考えに沿って記事が作られるので、違う視点を寄せ付けない傾向がある。 反面、ネットでは、匿名性をいいことに、根も葉もないことをまことしやかに書ける。私がこうして書いている回答も、ほかの資料を一切見ずに、自分の記憶と感性という、まったくもっていい加減なものを通じて配信しています。しかし、その分、大勢の一般市民が、自由に本音を表明できるし、人を不快にしたり犯罪をあおるというリスクをおかしてでも、真実をあぶりだすこともできる。 こうした、それぞれの特性を、ユーザー・視聴者はふまえて、参考にすればいいのだと思います。つまり、「ああ、これはネットだから根も葉もないかも。自分で裏をとってみよう」とか、「ああ、これはテレビだから、製作者が視聴率ほしさに誇張しているのかも。割り引いて観よう」とか。テレビを見たり、ネットの書き込みを読んだりする行為って、本当は、かなりの責任と判断力を要するのですよ(だから、深夜番組をインターネットには、年齢制限を設けるべきだと私は思っているのですが)。 で、歩み寄りとはちょっと違うかもしれませんが、最近の、いわゆるマスコミって、少なくとも若い製作者は、ほとんどネットからネタを拾ってるんですよ。下手すると、裏をとるのにもウィキペディア(みたいないい加減なもの)を使っています(から、ちょっとツウな人が見ると嘘がばればれの記事とか平気で載せているんですよね)。つまりマスコミも、ネットを大いに使っているんです。かと思うと、今までは、スタッフが勝手に書き換えて掲載していた読者投稿なども、近年は、丁寧に投稿者とやりとりをしながら、投稿者が納得できる形で掲載するようになった。 また、スタッフよりも大勢の一般ユーザーによって作り上げられる傾向のあるネットも、このサイトのように、厳しいルールを作ってマナーをあおるようになり、ユーザーも、それが正しく守られるよう気を配っている。そういう意味での歩み寄りはあるでしょうね。 【ところで…】 で、人間というものは常に権威に多かれ少なかれ反抗してきたわけで、昔から井戸端では、「新聞なんて、いい加減なこと、書いてらあ」とか言っていたんですよ。そうやって憂さをはらし、それでいて、新聞などのメディアをそこそこ頼りにしながら生きてきたわけです。それを今、ネットが世界規模でやっている。それ自体は問題ではないと私は思っています。それを受けて、マスコミも身を引き締めているのですから。 ただ、問題は、やはりネットの特殊性だと私は思いますよ。人は、小さな画面に向かって延々と語りかけていると、陶酔してきます。その陶酔が、いわゆる“炎上”的なものに発展して、インターネット上の批判が必要以上に過熱するというのは、あると思うんです。 【要するに…】 マスコミの人が正しいと信じて書いているからといって、正しいとは限らない。また、ネットの人が、マスコミは間違っていると書いていても、そう書くあんたが間違っているのかもしれない。さらに、インターネットには依存性がある。マスコミは今や、権威になりつつある。こうした特性を踏まえつつ、ひとりひとりが自分で判断する能力を養っていく必要があるのだと思います。ついでに言うと、こういうことを中学校でもっと教育すべきだと思いますね。
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- tzveteli
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このサイトのような市民ジャーナリズムのサイトが現れてきたということはマスコミの時代がそろそろ終わりだという証拠では二でしょうか。 http://www.mayomo.com/
- huna-huna
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1は質問なのでしょうか? 2は無理でしょう。 求めるものが違います。 たとえ建前でも、ジャーナリズムと落書きでは、比べるまでもありません。 最低限でも匿名のままではだめです。
何を持って冷静な見方、とするかは個々の判断に委ねられます。よって様々なメディアから自分の判断によって冷静な意見を抽出するしかありません。 まだ時期尚早な感がありますが兆しはあると思います。ライブドアとフジテレビのコラボはその走りだったのかもしれませんね。
- dai-ym
- ベストアンサー率22% (848/3824)
1は無いですね。 自分で資料を集め考え、判断するしかないです。 どうしても記者の主観を通さないと記事にならないのですから。 2はマスコミはビジネスであるのに対して、ネットは一般人の趣味のようなものです。 元からのスタンスが違うので難しいですね。
- tetsurou2
- ベストアンサー率31% (6/19)
メディアである以上、偏りのないものを見つけるのは 不可能だと思います。 メディアが各々で出した結論の理由を自ら提示して それを視聴者・読者が識別し、 不必要に意見や見方を共有しようとしない(賛同者を求めない)状態が作れれば メディアやネットが今のままでも機能すると思います。 だとすれば、2つのメディアが歩み寄ろうとする必要もないはずですし、 むしろそれぞれ違ったほうが、判断しやすい事さえあるかもしれません。 そうした洞察力や教養をつけるために、高等教育機関が機能することのほうが急務のような気もします。 現在のような「大手企業就職アカデミー」ではなく。
- dog-amater
- ベストアンサー率2% (3/119)
主導権争いしてるのでだめでしょう。 主張すれば、傾くのは当たり前。 某新聞社は主導権ばかり取りたがる。 全体図すらかけない。 また、タブーがあるのは仕方がない。 誰でも弱みはある。 それを補えたらどうでしょう。