• 締切済み

目標もきらい

むかし、ちょっとだけ、車であちこち行く仕事していて、先輩が、『君の人生の目標は何?』と聞かれ、別にないです。と答えたら、えらい、おこって、一日中説教されました。説教の内容は、こんな感じです。人生はな、まず小さい目標持つねん、例えば、あの高校に入りたいとか、かわいい彼女が、欲しいとかな、そしたら、人間努力すんねん、努力して、手に入れたら、もっと大きな目標持つねん、そして、もっと努力すんねん。そういう感じで、人間は、生きていくんだ。目標のために、手段を選んで、行動するんだ。と、一日中説教されました。納得したか?と聞かれたので、正直に、ドラクエみたいで、そんなのいやです。別に、今が楽しければ、いい、そんなんじゃ、なくて、人生に目標を、持っている人が、生理的に嫌い。例えば、将来の為にと、今を犠牲にして、生きてる人。今、ここが、嫌いだから、目標を持つような、きがします。いつも、目標は、何ときかれ、目標に対して、考えが、まとまってないので、いつも、争ったら、まけます。なんで、みなさん、目標、目的なんて、持つのですか、教えてください

みんなの回答

  • gazinc
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回答No.34

質問者殿にハゲしく共感します。 ってか、ディズニーが今生きていたなら、目標目的にあくせく生きる連中よりも、質問者殿を主人公に映画を作ると思います。 スタジオジプリの宮崎駿も、人生の目標目的に目をギラギラさせてる連中よりは質問者殿を主人公にし、「崖っぷちの○×」などと映画を製作すると思います。 スパイク・ジョーンズ監督なら、質問者殿と架空のかいぶつを絡ませて、壮大なリアル・ファンタジーを撮るかもしれません。 目標目的を持たなきゃイケナイ派の方は、もともとそーゆー性分なんだと思います。それ自体なんら問題はナイです。 かたや質問者殿のように、無目的無目標に生きたとして、人生の厚みというか充足感って、目標アリの人と大差ナイんちゃう?…ってのも、ある意味真理だと思います。 勝間系やら苫米地やら、果ては美輪明宏や江原焼き肉のタレまで、ありとあらゆる自己啓発本が流行りますが、よーするに自己向上、自己啓発の必要性を感じる人は、「今の自分」がキライなんです。現状が受け入れられない。近未来にいくつものゴールを用意して、自分を数段階にわけて好きになろうという…実質「今の自分が大嫌い子」(今の自分が大嫌い夫)の集まりなんですね、この社会って。 質問者殿はソレに気づいてる。 質問者殿の生活圏で、ソレに気づいてる人は他にいないっぽい…コレは孤独ですよね。でも、質問者殿だけではありません。声を潜め、自ら発言こそしませんが、気づいている人は他にもいるハズです。 今の質問者殿の抱えるアンニュイな感覚を大事にしてください。 僕も人生に目標を持ってギラギラしてる人って、生理的に嫌いです。 「人生に有意義な目標を持つべきだお」なんて声は無視して、質問者殿らしく生きてください。それが一番自然な生き方だと思います。

  • 10poo
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回答No.33

なぜ人は生きているのか・・・この答えは故中村天風師の教えの通り、この地球や人類の発展のために生きているのだということです。まず、その根本原理(哲学)を中村天風師の本などを読んで学ばれれば、悩みなど吹き飛んで積極的な人生を模索することが出来ると思います。私も人生の目標も無く毎日が憂鬱で耐えられなくなったことがありますが、そんな時にこの中村天風師の本に出会いました。今を積極的に生きることで、何をやるべきかがおのずと見えてくるこれが人生の目標なんだろうと私は考えます。ここで言う積極的というのは中村天風師の言う絶対積極のことですが、ネガティブに対するポジティブなどの相対的な積極ではなく、対抗する気持ちが無い状態での積極なのですが、これはなかなか理解が難しいかもしれません。心の状態です。ご興味があれば、一度、中村天風師の本をご一読ください。

  • y_an
  • ベストアンサー率57% (24/42)
回答No.32

結構前のレスですが、偶然と必然に関して。 >天気予報は、確かに、明日の天気は、予想できます。 >しかし、61日後の天気は、予想できません。 >なぜなら、それが、1と0の理論で、できた天気予報の仕組みだと思います。 これはちょっと違うと思います。 現象には理由があります。 例えば、今日はいい天気です。しかし明日は大雨です。 なぜかというと、風が吹いたりするからです。 その他の理由もすごくたくさんあるでしょう。 (気象予報士ではないので詳しい事はわかりません。) 現在では100%その理由が解明されていない為に、 次の日は予想できても61日後の天気は 予想できていないように思えます。 それを偶然といいきるのはどうなのでしょう? 偶然といったら偶然ですが、必然といったら必然です。 ただ、理解があるかないかの違いではないでしょうか? 他の例えにすると、さいころを投げて6が出ました。 それは偶然ですか? 最初の手に置いてある時のさいころの位置、 投げ方、投げる時の強さ、投げる時の回転、 投げる時の角度、さいころの硬さ、さいころの重さ、 さいころの重心、さいころが振られたところの硬さ、 さいころが振られたところの地形、重力等、 私にはこれぐらいしかわかりませんが、 他にもまだまだたくさん理由があるでしょう。 逆に上記の内容で分かったとしても、 自分にはそれらの値が瞬時にはわかりません。 わからないから偶然なのでしょうか? 私は必然だと思いますが、それは見る人によっては 偶然という表現になっているだけではないでしょうか? ある辞書では偶然とはこのように表現されています。 >何の因果関係もなく、予測していないことが起こること。 >思いがけないこと。 例えば、さいころを振ったらそのさいころが爆発した。 これはさいころが爆発はするものではないので、 予測できないのかもしれませんが、 地雷地帯で振ったり、戦争中の国で振ったりすれば、 可能性がないわけではないと思います。 (さいころ程度で地雷が動くとは思えませんが。) 因果関係はあると言えると思います。 病気になったのにも理由があります。 >今までの生活が、悪かったから、病気になったんじゃない。 実際に今までの生活が悪くなかったのならよいのですが、 悪い可能性もあるのなら、これは嘘になりますよね? 遺伝かもしれないし、他の可能性も否めません。 偶然だけで病気にはならないと思います。 私的には偶然というよりは運命と言いたいですね。 要は偶然とは無知な人が自分の非を認めたくない為に 使う言葉のような気がします。 実際に私もそういう時に使っている気がします。 事象によってはその運命さえも変更できると思いますが、 それすら運命かもしれないですね。 目的、目標の話になりますが、 目的、目標を持たないのも今まで歩んできた人生から作られた 思想ではないでしょうか? 目的、目標を持つ人も同じ。 私的にいうとそれも運命なのかもしれませんね。 ただ言える事は、この先全人類が目的、目標を持たずに、 今だけの事ばかりを考えていると、大変な事になるでしょうね。 今だけの事を考えて、人を殺しまくってみたり、 食料を食いつぶしてみたり、環境を破壊しまくってみたり...。 P.S だからといってその先輩は正しいとは思えません。 なんでって人生の目標の話をしているのに、 「まず、小さい目標を持つ」とか言って、 それすらまだの人、またはその目標を目指しがんばっている人は まだ人生の目標なんてあるはずはないからです。

  • creol
  • ベストアンサー率25% (43/169)
回答No.31

すごい数の回答・・・。 一番初めのレスにある砂場の山の話について。 >ただ単に山を作ります。目標を持って、山を作るのでは、ありません。それが、証拠に、頑張って、作った山を、最後に壊して帰るでしょ、もし目標を、持って作るのなら、最後に、モニュメントとして、その山を残しておく努力をするでしょう 目標は山を作ることです。山を残しておくことが目標ではないですよ。 僕の場合、作った山を壊すことにも楽しみを得てました。 どうせこわすなら作らないと時間と労力の節約を考えるひねたガキもいることでしょう。でも、作ってみないと山ができたときの気持ちはわからないんです。 なんでもとは言いませんがやってみないとわからないこともあります。 元の質問にもどって。 ドラクエみたい!とはその通りです。実際は逆なんですけどね。 人生がドラクエみたいじゃなくて、ドラクエが人生みたいなんですよ。 別の大きい目標であろうが小さい目標であろうが人の勝手です。 ただ、一年がかりとか5年がかりとかの計画をどうやって実現するか? こういうときは目標を立てるしかないです。 今までに何年かかかることを実現したことありますか? 目標を持ったことがないなら、ないかもしれませんね。 だからと言ってどうって事はないです。 人の生きる道はそれぞれ。職を持っていようが、考えが幼稚であろうが そんな事を人からとやかく言われる筋合いはないですよ。 そんな事を言う人の方が常識に縛られて、他人を強制するイヤミな人でしょう。 日本にはこういう人がまだまだ多いように思います。 ゆとりのない国が成り立つわけです。 今の僕の目標は、子供にゆとりを持たせることです。ドラクエさえする間がない子供もいるんですよ。悲しいことです

passagen22
質問者

お礼

答えてくれてありがとう。子供にゆとりを持たせられる世界をつくらなきゃね。でも最近ゆとりに対しても批判的な意見をメディアで見受けられます。学力の低下。学級崩壊。などです。ほんと、世知辛くて、洒落臭くて、やぼったいことです。

  • caballero
  • ベストアンサー率17% (31/182)
回答No.30

                                                                                                     目標と目的はえらい違いだと思います。  あなたはすでに、「今が楽しければイイ」ということをいいましたね。「今が楽しい」のがあなたの「目的」じゃぁないのでしょうか。そうならば、僕といっしょ、です。    追申:私の場合は「今がいいのがいい」のほうが意図的な表現です。

passagen22
質問者

お礼

目標と目的の違いがいまいちわかりません。 すいません。たぶん目標、目的は、明治に入ってから外国語の翻訳の為に、作り出したと思います。和英辞典で調べると、ごっちゃになってます。英語は、日本語よりもっと複雑です。purposeとか、objective,targetこれらを、使いわけるのは、さすが、西欧だとおもいました。

回答No.29

 お茶の木なんだけど。  農家の人は花を咲かせないようにするんだって。  なぜかというと、一つには花粉交配で種子を作らせると遺伝子が変化して、品質バラつきのもとになるから。もう一つには、花を咲かせるのは植物にとって大きなエネルギーを要するので、そのエネルギーを葉の方に回して、品質を向上させたいから。この二つの理由から、お茶の木に花を咲かせないようにするんだって。  で、そのためにどうするか。  これでもかこれでもかというくらい、大量の肥料を施すわけ。するとどうなるか。…木は、あたかも自分が永遠の命を持ち、花を咲かせて子孫を残す必要などないかのように「錯覚」するほど、生の充溢を感じるらしい。それで、花を咲かせなくなる。  でもね、そんなお茶の木でも、老木になって、いよいよ枯れ果てるというときには、花を咲かせるんだって。そのときになって、子孫を残そうとする衝動を花という形にするんだね。死を前にした、ある種凄絶な、生の称揚。花の形。  別にお茶農家の人を非難しようというのじゃない。言いたいことは、「よりよいお茶を」という人間の「目標」に縛られながらも、お茶の木は自分の「時」を生きているってこと。  だまされてるときも、  死を前にしたときも。  目標なんか持たずに、お茶の木は香り豊かな葉を人間に贈り与え続ける。  これって「至高性」かな、とか思う。

  • oju
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回答No.28

なんだか えらいことになってますね(笑)。 たいへんおもしろい話ではありますが、 ただ一つ言わせて下さい。  「理解無く人を批判するな」。 自らを正当化し押し通すのはかまいませんが 相手の正当性を理解できぬままの批判は批判にもなりませんから。 最初、質問の時点では そのことを問うているのかと思いましたが どうも 違う様ですし(笑)。 おそらく、地球上で唯一人類だけが「自分が未完成である事」に 気付いてしまった生物だと思いますが、 だからこそ 自分を高めようとか、あんなふうになりたいとか あるいは絶望したりとか、漂ったりとか いろんな人がいるのでしょう。 だれも間違ってはいません。好き嫌いはあるでしょうけど。 異なる考えを認めようという気がなければ 真実なんていっこうに近づいてきませんからね~ だいぶ賢い方のようなので わかってらっしゃるとは思いますが。 ここに書き込んだ方々のような人々が社会を形成し、また あなたを少なからず支えているといぅ事は 事実です。

回答No.27

 おわっ…いつの間にかお礼が…。メイル来なかったから気付かなかった…。  で、なんかpassagenさんの思考を組み立てる材料を出せたみたいで、うれしいな。僕が書いたことっていうか、「バタイユ」って人が考えたことだけどね。『エロティシズム』『呪われた部分』の続編に当たるのが『至高性』。…うかつなことに、まだ読んでなかった。でも、読んでよかった。  そう。貨幣は死の観念と結びついている。「コレクション」もそうだと思う(やはり鋭いな、きみは)。貨幣も、コレクションも、「この現在という瞬間」の享受を遅延させる装置なんだろう。「後にくるはずの」いずれかの時間に、より大きな形で享受したいと考える、屈折した欲望。「いずれ死ぬからこそ、今のこの瞬間を大切にしよう」という感覚を忘却させ、あたかも死が無限時間の後に退いたかのように自らを欺瞞する観念。死という名の虚無を隠蔽しようと虚構を立ててすがる「弱々しいニヒリズム」。そんなところだろう。  中沢さんは中沢さんの方で、「貨幣は贈与する霊を殺す」って言ってるね。この「贈与する霊」というのも『至高性』読んで初めて意味がわかった気がする。今までは「自然そのものは経済価値にならない」という程度にしか読んでなかったけど。でも、考えてみれば「大地の掟」は目標なんか立てないし、目的なんかに縛られない。そして惜しみなく与える。贈与する。  …だから…これで三度目だけど…。  「きみは貨幣舞い散る空を飛べ」 …ってこと。  貨幣の奴隷となるのではなく、貨幣を奴隷として。  ぽっかり開いた死の穴を見すえて。  そして私はここにいて、そうして「今」を生きる君の夢を見る。  君の魂の居場所、君の生き方を見つけるために、ほんの少しでも助けになれれば、私はうれしい。

passagen22
質問者

お礼

きっと、誰も読んでないと、思います。 生きることは、ついに完成される瞬間を持つことなく、不断に更新される現在、つまりは、決して均衡には達しえない存在の積極的な矛盾そのものではないか。 現在は、過去と未来をつなぐ単なる過渡の点、中身のない空虚な点としてしか存在できなくなる。 「貧しい」確信が、「未来」だの「彼方」だの「深さ」だのを捏造して、もっと奥、もっと遠くへと困難な距離を踏破して進まんとする。 何故に、人類は、真に人間的な状態に踏み込んでいく代りに、一種の新しい野蛮状態へ落ち込んでいくのか。  これらの疑問が、わかってきたような気がします。 権力と時間は、強い結びつきが、あります。ニーチェも、フーコも、それの、気がついています。ニーチェは、永劫回帰、フーコは、刑務所をモデルにして、説明していると、おもいます。急に、眠気が、また書きます

回答No.26

 ごぶさた。また来たよ。  めちゃめちゃ大昔に買っといたんだけど、まだ読んでなかった本を読みました。   G・バタイユ『至高性』(湯浅博雄訳・人文書院)  Passagenさんの「目標がきらい」が思想化されているのを感じて、驚きました。バタイユって、ニーチェの影響も受けた人だから、そのあたりでつながってくるのかなぁ。  簡単に言うとね、人は「この現在という瞬間」を享受し充足することを自ら禁じ、将来に向けて蓄えたり、より大きな利益のために交換したりする。これが富の生産・拡大・蓄積を可能にする。しかしここでは「この現在という瞬間」が「後にくるはずの時」に従属させられており、また同時に、人は自分が生産する事物と同じレベルに置かれることを感受することになる。人はモノのために生きることになる。  ここから脱するには「今」という「この瞬間の優位」に立ち帰らねばならない。役立つもの、利益を生むものという、「目的・目標」に向かって連鎖する手段の道を脱して、いかなる目的にも、いかなる目標にも従属しない純粋な贈与が行われなければならない。  で、こういうような純粋な贈与=「消尽」の境地が「至高性」というわけ。  今にして思えば、今村仁司さんや中沢新一さんの「死の観念と結びついた貨幣」論は、このあたりに土台があったのかな、と感じます。ひまがあったら、読んでみてね。

passagen22
質問者

お礼

あなたが、ここに、書いたことは、すごい内容です。簡単に、読むことは、できません。誰でも、読めるが、誰でも、読めない内容です。特に、人は「この現在という瞬間」を享受し充足することを自ら禁じ、将来に向けて蓄えたり、より大きな利益のために交換したりする。これが富の生産・拡大・蓄積を可能にする。このことは、もっと、深く考えないと、いけません。富の、生産、拡大、蓄積は、貨幣の、機能です。今村仁司の本は、すばらしいです。労働と仕事。ベンヤミン、アルチュセール、中沢信一の、熊グス、チベット。彼らが、開いてくれた世界の中に、豊かな考え方があります。 この文章に、出会って、うれしいです。何かを、とく鍵のような気がします。生産、拡大、蓄積と、死の観念の、結びつき。このことには、ひとの、コレクションをみてたら、なんだか、怖くなって、死と結びついてるんじゃないかと、思いました。そのことが、とけそうです。蓄積と死の結びつき。 それと、3年前、バンコクに行きました。街、ぶらぶら歩いてて、バンコクは、プレモダンと、モダンが、ごちゃまぜに、なっていて、そこでは、奇妙な時間感覚でした。過去が、身体に、すりこまれた記憶。現在が、「この現在という瞬間」が「後にくるはずの時」に従属させられている、虚構。もちろん、「目的・目標」に向かって連鎖する手段の道を、進んでいるので、身体は、排除しようとします。そして、未来は、想像で、デズニーが、描く、未来予想図。うんこもしない、年もとらない、病気もしない、不思議な世界。 過去が、記憶。現在が、虚構。そして、未来が、想像。 これが、貨幣が作りだした世界なんですね。 この時間感覚の弊害は、すごいです。今後、ニーチェの重要性が ますと思います。ニーチェを、通してしか、考えることが、できることが、あるのは、事実です。

noname#155689
noname#155689
回答No.25

先輩は何について怒ったんでしょうかね? 目標がない、という答えが許せなかったのかな? 仕事の取り組みに努力が見えないので、上司として指導したのかな? 後者なら、まあ自分にも部下の指導業務が果たされているから 分かるような気もします。 前者だったら・・・ 自分にも人生の目標、なんて大それたもんはありません。 といっても、別に刹那主義でもないつもりです。 快楽主義でもないと思う。 今なら、この質問に答えるのが目標ですが 人生の目標どころか、来年の目標もたっておりません。 あえて言えば、その場その場で出来る限りの努力はしてます。 でも、その努力によって獲られた評価を守りたいとも思ってません。 努力が実らなかったときは、一応反省して 今後の課題として取り組んではいます。 そうやってその場その場の努力を続けていくことで 報われたり報われなかったりすることを通じて 自分の考え方や感じ方がだんだん変わっていくのは とても楽しいと感じています。 なんていうのかな 目的もなく貯金して、結果としてお金が貯まってしまった あの感じはスキだけど 将来を案じて保険をかけて、毎月給料から天引きされていく あの感じはキライです。