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負けず嫌いの意味と人間の本能について
- 将棋の藤井二冠は負けず嫌い。しかし、負けることが好きな人はいないため、負けず嫌いは人間の共通の本能と言える。
- 負けるのが苦痛な人は大きな努力をして勝つように努力する。藤井二冠も同様に努力を重ねて成果を上げてきた。
- 「負けず嫌い」は人間の本能の一つであり、努力を促す機能を持っている。自分自身や子供の将来に考えると、負けず嫌いの意味や効果について考える必要がある。
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こんにちは 善だと思います。 負けず嫌いだからこそ、負けないように 奮起して先に進めステップアップもできるのです。 それが時として悪に変わるのは 他人を蹴落とすことばかり考える人になることです。 敵は自分の中にいます。 勝負する相手がいたとしても まず精神的に強くならなければいけないと思います。
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- izumi044
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勝ち負けは結果でしかなく、善悪の性質はないと思いますよ。 あまりに実力差がある場合、人は負けを苦痛を伴うことなく受け入れませんか。 また、自分が特に好きでないなら、強く勝ち負けに固執したりもしません。 とすると、負けず嫌いって言うのは、努力を促す本能でもないと言えませんか。 なんでもかんでも勝ち負けにしたがるのなら、それは単なる自己主張が激しい。自己愛の塊りってことじゃないでしょうか。 特定のことに対して勝ち負けにこだわるなら。 それは好きだからこそ「負けたくない」に繋がると思いますし、自分の可能性を信じてる・信じたいという「自己を否定したくない」という気持ちから生じているのかもしれません。 「負けず嫌い」をどうしても善悪で判断したいなら。 ・自己愛の強い負けず嫌いは「悪」 ・他者を認められない負けず嫌いは「悪」 ・純粋に好きから生じた負けず嫌いは「善」 ・他者を認められる負けず嫌いは「善」 とすればいいんじゃないでしょうか。
お礼
ご意見ありがとうございました。
- kaitara1
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共通のルール下での競争では勝者がいれば敗者もいます。極限では両者共倒れになります。
お礼
ご意見ありがとうございました。
- kaki1814
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私を含め人は誰でも負けるのは嫌いで嫌ですが、負けず嫌いとは特にその傾向が極度な人のことをいうのではないでしょうか。
お礼
コメントありがとうございました。 但し、屁理屈をいうようで恐縮ですが、極度なのか適度なのか誰の判断で、何か基準があるのでしょうか? 事実上、自分で判断するしかないような気がします。 テニスのゲームで負けると、いつの間にか帰ってしまう人ははた目には「負けず嫌い」に見えますが・・・。
私も「善」だと思います。 人は誰でも「負ける事」は嫌なのです。 だからこそ強くなるために、日々練習を積み重ねるのだと思います。
お礼
「『善』= 人類にとってプラス」 と言う意味で使っています。 人類の個にとって苦痛(犠牲)が人類という種の発展につながるのかも知れないと思います。
- sutorama
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藤井聡太さんの場合は、後悔だと思います あの一手が間違いだった、それが如実に分かっての敗北です それはもちろん努力というものが土台にあるとは思いますが、一般的な負けず嫌いとは、少し違う気がします 相手よりももっと練習をしておけばよかったなどの、相手がいての勝ち負けではなく、その時の自分がなぜもっと冷静に先を見て、焦らずに、最上の一手を打てなかったのか・・・だと思います 負けるのが苦痛ではなく、やはり後悔するという、あのときの自分、気づけなかった自分への感情だと思います のでそもそも、善悪ではないと、個人的には思います
お礼
コメントありがとうございました。 実は自分も将棋が趣味なのですが、「藤井天才」の心理はわかりません。いつか藤井二冠から語る機会があればいいなと思っています。
お礼
漠然とした質問なの、にコメントありがとうございました。 自分を奮起させてくれるのも「負けず嫌い」です。負けた時、イソップの狐のような、妙な負け惜しみを言わないようにしたいと思います。折角の成長の機会ですものね。