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人に気を使われる不快感

人に(自分に対して)気を使われると、不快に感じてしまうのは何故でしょうか? 幼少の頃から、家が貧しかった為、学校ではそれを悟られぬよう、そして見捨てられないよう、友人・クラスメイトに対して、更に親に対してまでも気を使って生きてきたように思います。 人に対して、気を使い生きてきた自身が、現在では人の上に立ち仕事をする立場になり、そういう場面に遭遇すると、その人に対して、顔を合わせたくないほど避けてしまいたい気持ちになります。 これは、以前の自分を見てしまうような感覚に陥る為でしょうか? 改善方法など、アドバイスを頂けますか。

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noname#77271
noname#77271
回答No.6

自分の物差しでの回答になってしまいます。 ですので、気に入らない表現があるかもしれませんがその点はご了承下さい。 >人に(自分に対して)気を使われると、不快に感じてしまうのは何故でしょうか? 何故相手が自分に気を使うのか分析してしまうからじゃないでしょうか。 私もどちらかというと気を使われるのは苦手です。 さりげない気配りなら素直に嬉しいのですが、 「えっ?そこまで気を使われると…。」と思うことは良くあります。 私の場合はその感情の根っこには母との関係が大きいです。 母は子供に気遣いを強制する人でした。 子供が4人もいれば忙しいので当然のことではありますが、母は気遣いが出来る人こそが本当の素晴らしい人間であるかのように繰り返し、繰り返し、気配りの優れた同年代の余所の子供の話だとか、自分の少女時代の苦労話をする人でした。 実際、実家に帰れば母は気遣いをしてくれます。 今は脳梗塞の後遺症で軽い認知症と失語症もあって、以前のようには会話や料理がスムーズには行かないのですが、それでも精一杯のもてなしをしようと頑張ってくれます。 実家は父が亡くなり、今は母は長姉と二人暮らしです。 姉ももういい年なのですが、母はえらく心配して、朝シャワーを浴びようものなら会社に遅刻しまいか気を揉み、 「○時○分よ!早くしなさい。」を繰り返します。 タイマー録画のチェックをしようものなら、 「お姉ちゃん、そんなことしている時間あるの?遅刻するわよ?」 そして正月のおせちの蟹の殻までむいてやります。 でも、認知症が災いして、手をしゃぶりながら殻をむくのです。 姉はもう子供がいてもおかしくない年なので、度を超した母の気遣いにはもう、うんざりしています。 「もう、解っているから!ちゃんと時間配分して余裕を見てやっているから!!」 「私、その蟹いらない!!」 どちらの気持ちも解るので、見ているこちらも辛くなります。 母は認知症になってしまったので、以前のようには手料理が思うようには作れません。その事を気に病んで少しでも姉の手を煩わせまいと、姉にとってはお節介なことをしてしまうようなのです。 母は早くに父親(私から見れば祖父)を亡くし、忙しい母親(同じく祖母)に代わって少女時代から自分のことは後回しにして幼い弟妹達に尽くしてきたので、そのような生き方しかできないのです。 父の存命中はあまりそういった母の性格は目立たなかったのですが、今は顕著です。 きちんと診断したことはなかったのですが、父は躁鬱病の典型のような人でした。酒によって暴れるので、夜中にみんなで家を逃げ出したこともあります。 テーブルが飛んできたこともありましたし、私も殴られて宙を飛んだことがあります。 世話好きの母には父のように手の掛かる人はぴったりだったのでしょう。 そんな姿を見てきたからか、私は母に気を使われるのが嫌なときがあります。 繰り返し気遣いの大切さを説かれてきたことも相俟って、気遣いとは自分の能力の限界までやらなくてはならないもので、気遣われたものも誠心誠意を持って返さねばならないのだと言われているように感じてしまうのです。 感謝しろと操作されているようで嫌なのです。 精一杯気遣われると窮屈で窒息感を感じてしまうのです。 質問者さん自身を知らない私が書くことは唯の推測ですが、恐らく質問者さんは、人を気遣うとき誠心誠意を込めて気遣っていらっしゃたのではないでしょうか。だから人から気遣いを感じてしまうと窮屈に思えて不快なのだと思います。 見返りなどのないさりげない優しさに触れる機会があまりなかったのではないかと思います。 もしかすると本当はそんな場面に出会っていたのかも知れないのに、幼少期からの刷り込みが強くて解らなかったのかも知れません。 重たくない優しさに数多く触れるには、素顔の自分を相手に見せることだと思います。自分も素にならないと相手のことを構えて見てしまいます。 身構えていると素直に優しさとは受け取れずに、フィルターが掛かって見えてしまうのです。 気遣いを気遣いと感じさせない人に出会えると解るようになると思うのですが、まだ出会えていないのか、質問者さんが身構えすぎなのか…? 何れにしろ、人はいつもいつでも身構え続けられるものではないです。 ふと素に戻ったときに優しさに触れることが出来たら、気遣いを分析してしまう様なことは無くなるのではないかと思います。 そのときは計算では解りません。 ある日突然やってくるものなのではないでしょうか。 人の感情をあれこれ穿鑿してしまう間は難しいのだと思います。 結局のところ人の本心は自分には分からず、唯の憶測で考えても無駄なことが多いのだと認めてしまえれば、人からの気遣いを素直に受けることが出来るようになるのではないでしょうか。

i-noch-i
質問者

お礼

ありがとうございます。 何度も読ませて頂きました。私の数行の質問文で、こんなにも私自身を表現して頂けるとは思いませんでした。

その他の回答 (6)

  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.7

こんにちは。 既に回答が出揃っていますが、 これには、 「自立心に基づくプライド」や 「他人の好意に対する責任不安」 などがあると思います。 私はどちらかと言いますと後者の方ですが、ご質問のお話を伺いますと、質問者さんにおかれましては自立心というものがたいへんしっかりしているのではないかと思います。 これは誰でも少なからず体験することですが、では、これに伴う質問者さんの意識といいますのはどうしてそんなに強いのでしょうか。 質問者さんが子供の頃から他人に気配りをしていましたのは、それはご自分の本心を曝さずに済ますためと仰います。質問者さんは、この「ご自分の行為」に嫌悪感を感じておられるのではないでしょうか。そして、質問者さんは質問者さんに対して気を使う他人に「過去の自分の行為を投影」してしまうわけですね。 私の考えでは、現在の質問者さんはもはやご自分の過去に嫌悪感をお持ちになる必要はありません。質問者さんの置かれていました境遇が十分なものとは言えないかも知れません。ですが、そこで質問者さんが行ったことは断じて間違いではないです。質問者さんはご自分の努力によって自立なさいました。素晴らしいことだと思います。 宜しいでしょうか、質問者さんの過去は決して間違っていないのであります。ですから、質問者さんは「ご自分の過去を受け入れる努力をすること」によって他人の気配りに対する意識を改変することができると思います。 自分の過去を受け入れるというのは誰にとっても困難なことです。ですが、質問者さんは立派に自立なさいましてので、もうこれ以上無理を続ける必要はないです。心を少し楽にしてあげて下さい。

i-noch-i
質問者

お礼

ありがとうございます。 とても解りやすいご説明に加え、自身を後押しして頂けるような力強いアドバイスに感謝致します。

noname#78908
noname#78908
回答No.5

あ!気を使うのが嫌いの矛盾点ですが、最初気を使うことで、相手をリラックスさせれば、自分もリラックスできるからと言う意味です^^つまり、リラックスしてもらえなければ、いつまでも、こちらも、リラックスできないと言うことになります^^

i-noch-i
質問者

お礼

ありがとうございます。 私も深読みせず、素直に受け止めれば良いのですが、自分の過去まで引きずり出してしまうタイプで… やはり、自身を変えるように、努力します。

noname#78908
noname#78908
回答No.4

よく、自分もがきの頃、気を使われると不愉快に感じたものです^^そういう人は、体育会系に多いかもしれないですね。基本的に嘘が嫌いで、お互いに腹を割って話すのが好きで、気を使うのが嫌いなのだと思います。すると、あなたは、親にも友達にもまず、気を使って生きてこられたから、矛盾が生じると思うかもしれませんが、人との付き合いの最初の内、相手に(特に年下、女性)怖くないと言うようなイメージを持って貰えるように気を使われるのではないでしょうか?そうすることで、相手の普段の姿が見えます。そこには、嘘がないからです。そして、相手の心が見えてきます^^ですが、気を使われると言うことは、相手は自分に対して心を許していない。そして、逆にこっちが、操作されてるような、感じがするからでしょう。こっちは、相手に自然体で居られる、そういう配慮をしているにもかかわらず、気遣いされるから、余計に勘に障るこういう心理が働いていると思います。ですが、相手の心の奥は考えすぎると深みに嵌り、相手の心を見誤ります。同じような行動とる人が居ても、人によって考えてることは違うからです。ではどうすればいいのか?こう考えてみては、どうでしょう?気を使うと言うのは、相手もこっちに対して、仲良くうまくやって生きたいと言う意思表示だと思えばいいのです。表面上はそう取れます。^^なので、とりあえず、それでよしとする考えです。それに、部下は上司に少なからず、気を使うものなので、仕方ないかと思えば、楽になりますよ^^心の奥では、腹黒いことを考えてたとしてもです。そして、少しずつ、言動に矛盾がないかで、人を判断していかれればいいのではないかと思います。まぁー要領よく、あなたの前だけ気を使う奴は、コロコロ態度を変え信用(心許せない奴ですね)できませんけどね。そして、仕事にも身が入ってないのでは?などと勘繰ってもしまいます。ですが、メッキは剥げるものです。なので、表面上は、こちらも、相手の意志表示のままに受け止めればいいかと思います^^

  • genki-mama
  • ベストアンサー率26% (334/1267)
回答No.3

 心のどこかでプライドが傷ついているからじゃないかな? つまり、そこがコンプレックス(ナキドコロ)だから。だから気になる。 例えばなかなか妊娠できない奥さん。奥さん仲間に今度動物園にお弁当持って行こうよ、子供も喜ぶし。と誘われる。が、あ・・でもアナタにはつまらないかな?と気を使われる。とても不愉快な思いをする・・。 っていうのと同じじゃない?子供がなかなか出来ない事がコンプレックスになっちゃってるのよ。つまり、自分の『弱み』に感じちゃってる・・。 そんなの感じなくていいのに・・・あんなのは『授かりモン』なんだから、子供がいるからってエライわけでも何でもないのに・・。だから、子供がいない事をコンプレックスに感じてない人は、サラリと言うでしょう。『そうねえ、でも、私もお弁当持ってどっか行きたいし、行くわ!』って。あるいは『そうねえ、動物園はつまんないかも。また今度、他のを誘って!』って。そう言われたら誘うほうも、まだ気軽に誘えるでしょう・・。暗ーく『いいわ・・私は・・。』だと、逆に余計に気遣ってしまうじゃない?? でもね、正直、そういうのってやさしくないって思うわ。本当の優しさってのはネ、『相手に気付かせずに気遣いをする』のが本当のやさしさだと思うの。おもてなしだってそうじゃない?相手が恐縮しちゃったら駄目よ。相手が心地よくいられるようにもてなすのが本当のもてなし、じゃない??それと同じだと思うの。アナタんとこ、子供が多くて家計が大変でしょ?今度みんなでホテルでランチするんだけど、どうする?やめとく?などと気を遣われると、逆に 絶対行くわ!!って燃える人、うん、そうなの・・と暗くなる人、明るくサラリと断る人、色々あると思います。 結婚したら、ご主人の収入で奥様って随分変わります。優雅にランチのセレブ人、一円、二円の安さを求めて自転車で走り回る人、ピンからキリまであります。後者がいつも不愉快な思いをしているかというと、そうでもありません。あらー優雅でいいわねえ。で明るくランチに行くのを見送れる人だって居るのです。うらやましいわあ・・と元気に言える人もいます。コンプレックスを強く持っている人ほど、サラリとそれを表に出せず、フン!どうせご主人の金でしょ、などと思っちゃう。 苦労した人ほど、人に親切になれるか。いや、そうでない人もいます。昔受けた屈辱を晴らすかのように、ひどい仕打ちをする人だっています。自分の一つ一つの経験が、いい方向で活かされるかどうかは、気持ちの持ちようだと思うんです。過去の自分(と同じ人)に出合ったとき、普通ならまず動揺するでしょう。過去の思いが入り混じって。顔を合わせたくないほど・・。もう一歩進めば、その過去の自分に上手に助け船を出せるでしょう。その人は自分とは別人でも、その助け舟は、過去のアナタをも救うことになると思います・・。

i-noch-i
質問者

お礼

ありがとうございます。 心理学のカテゴリに感謝します。 その助け舟は、過去のアナタを救うこと…まさか、こんな言葉が頂けると思いませんでした。

回答No.2

>人に気を使われると、不快に感じてしまうのは何故でしょうか? 人に気を遣われるというのは、相手が自分に対して何らかの配慮を与えることです。これは自分にとって債務になります。 つまり、相手から配慮してもらったのだから、それを後で返さなければならない義務を負ってしまった旨を、無意識で感じ取るのです。まぁ、義理と同じよう感覚になるわけです。 債務を負えば、不快になります。一方、相手方は債権者ですから、気遣うことで快感を覚えるし、有利な立場になるのです。 質問者様は、このような債務を回避するために、人に気を遣って生きてきたのでしょう。 改善方法としては、もっと図々しくなること、つまり、発想を転換して、気遣いを受けることを債務ではなく、当然の権利と捉えることです。 誠に抽象的な言い方で恐縮ですが、ご自分の立場に見合った対応をとれるように訓練することです。「顔を合わせたくないほど避けてしまいたい気持ち」を受忍することを重ねていけば、No.1の方が仰るように、次第に慣れていくでしょう。 ここは、ご自分の課題を克服すべく励んで下さい。

i-noch-i
質問者

お礼

ありがとうございます。 とても解りやすいご説明に、納得しました。当然の権利なんて、思ってもみませんでした。

回答No.1

わかります! 私も、人から気を使われたり、同情されることが本当に嫌です。 生い立ちに問題があるように思います。 しかし、人の上にたてば、気を使われるのは当然です。 一度、下の人達に会社ではなく、飲みの場などで、気さくにこのことに話してみるのはいかがですか? でも、これだけは、気を使われることに馴れることだと思います。 なかなか、性格を変えることは困難かもしれませんが、頑張ってください。 あまり良いアドバイスではないですが・・・。

i-noch-i
質問者

お礼

ありがとうございます。 私自身、今更、子供の頃のせいにはしたくないのですが…何故こんな気持ちになるのか突き詰めて考えていくと、そこに辿り着いてしまうんですよね。 やはり、慣れていくよう心掛けていきます。