自分の物差しでの回答になってしまいます。
ですので、気に入らない表現があるかもしれませんがその点はご了承下さい。
>人に(自分に対して)気を使われると、不快に感じてしまうのは何故でしょうか?
何故相手が自分に気を使うのか分析してしまうからじゃないでしょうか。
私もどちらかというと気を使われるのは苦手です。
さりげない気配りなら素直に嬉しいのですが、
「えっ?そこまで気を使われると…。」と思うことは良くあります。
私の場合はその感情の根っこには母との関係が大きいです。
母は子供に気遣いを強制する人でした。
子供が4人もいれば忙しいので当然のことではありますが、母は気遣いが出来る人こそが本当の素晴らしい人間であるかのように繰り返し、繰り返し、気配りの優れた同年代の余所の子供の話だとか、自分の少女時代の苦労話をする人でした。
実際、実家に帰れば母は気遣いをしてくれます。
今は脳梗塞の後遺症で軽い認知症と失語症もあって、以前のようには会話や料理がスムーズには行かないのですが、それでも精一杯のもてなしをしようと頑張ってくれます。
実家は父が亡くなり、今は母は長姉と二人暮らしです。
姉ももういい年なのですが、母はえらく心配して、朝シャワーを浴びようものなら会社に遅刻しまいか気を揉み、
「○時○分よ!早くしなさい。」を繰り返します。
タイマー録画のチェックをしようものなら、
「お姉ちゃん、そんなことしている時間あるの?遅刻するわよ?」
そして正月のおせちの蟹の殻までむいてやります。
でも、認知症が災いして、手をしゃぶりながら殻をむくのです。
姉はもう子供がいてもおかしくない年なので、度を超した母の気遣いにはもう、うんざりしています。
「もう、解っているから!ちゃんと時間配分して余裕を見てやっているから!!」
「私、その蟹いらない!!」
どちらの気持ちも解るので、見ているこちらも辛くなります。
母は認知症になってしまったので、以前のようには手料理が思うようには作れません。その事を気に病んで少しでも姉の手を煩わせまいと、姉にとってはお節介なことをしてしまうようなのです。
母は早くに父親(私から見れば祖父)を亡くし、忙しい母親(同じく祖母)に代わって少女時代から自分のことは後回しにして幼い弟妹達に尽くしてきたので、そのような生き方しかできないのです。
父の存命中はあまりそういった母の性格は目立たなかったのですが、今は顕著です。
きちんと診断したことはなかったのですが、父は躁鬱病の典型のような人でした。酒によって暴れるので、夜中にみんなで家を逃げ出したこともあります。
テーブルが飛んできたこともありましたし、私も殴られて宙を飛んだことがあります。
世話好きの母には父のように手の掛かる人はぴったりだったのでしょう。
そんな姿を見てきたからか、私は母に気を使われるのが嫌なときがあります。
繰り返し気遣いの大切さを説かれてきたことも相俟って、気遣いとは自分の能力の限界までやらなくてはならないもので、気遣われたものも誠心誠意を持って返さねばならないのだと言われているように感じてしまうのです。
感謝しろと操作されているようで嫌なのです。
精一杯気遣われると窮屈で窒息感を感じてしまうのです。
質問者さん自身を知らない私が書くことは唯の推測ですが、恐らく質問者さんは、人を気遣うとき誠心誠意を込めて気遣っていらっしゃたのではないでしょうか。だから人から気遣いを感じてしまうと窮屈に思えて不快なのだと思います。
見返りなどのないさりげない優しさに触れる機会があまりなかったのではないかと思います。
もしかすると本当はそんな場面に出会っていたのかも知れないのに、幼少期からの刷り込みが強くて解らなかったのかも知れません。
重たくない優しさに数多く触れるには、素顔の自分を相手に見せることだと思います。自分も素にならないと相手のことを構えて見てしまいます。
身構えていると素直に優しさとは受け取れずに、フィルターが掛かって見えてしまうのです。
気遣いを気遣いと感じさせない人に出会えると解るようになると思うのですが、まだ出会えていないのか、質問者さんが身構えすぎなのか…?
何れにしろ、人はいつもいつでも身構え続けられるものではないです。
ふと素に戻ったときに優しさに触れることが出来たら、気遣いを分析してしまう様なことは無くなるのではないかと思います。
そのときは計算では解りません。
ある日突然やってくるものなのではないでしょうか。
人の感情をあれこれ穿鑿してしまう間は難しいのだと思います。
結局のところ人の本心は自分には分からず、唯の憶測で考えても無駄なことが多いのだと認めてしまえれば、人からの気遣いを素直に受けることが出来るようになるのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 何度も読ませて頂きました。私の数行の質問文で、こんなにも私自身を表現して頂けるとは思いませんでした。