No.34、38です。お礼ありがとうございます。
>つまり,自己否定したくないし,現世に満足しているということね。
「自己否定したくない」は確かにその通りです。
自分で自分を憐れみたくないです。
生きるエネルギーはまだゼロになっていないと思うので。
まだ世を儚むほどボロボロになってはいないと思うんです。
(以前も書きましたが自分自身は、まだ死ぬ権利を持つ程生き抜いていないと思います。)
ただ、上手くきっかけがつかめなくて、過去に引きずられがちですが、そんなものに負けたくないんです。
ここで回答しているのもきっかけが欲しいからだと思います。
問答していると自分の中のわだかまりの本質が何なのか解りそうな気がするんです。
「現世に満足している」のとはまた違います。
変われるはずだと思っているとか諦めたくない気持ちがあると言ったところです。
やはり、自分に負けたくないんです。
>悩みが深刻だと開放されたい気持ちが芽生えるとも考えられますね。
まさにそうだと思います。
でも、死ぬ瞬間って発作的なものなのではないのかなと思ったりします。
迷いがあると遂行するのは難しいと思うんです。
最後まで迷ったまま実行して、そのまま死を迎える人もいるのだとは思うんですが、多くの人は迷いを振り切って、「悩みから解き放たれたくて」死ぬんだと思います。自殺は迷いがあっては難しいことなのだと思います。
一瞬でも悩むと現世に引き戻されてしまうんじゃないでしょうか。
>”怒”により,死ぬことを悪としているのでしょうか?
自分は,死ぬことを卑怯だと考えたことがないのですが,多くの人達はそのように考えているのですかね。
相手が友達だったり肉親だったり、掛け替えのない人であれば卑怯とは取らないでしょうね。ただ、置き去りにされた悲しみや、亡くなった人を苦しめていた現実や自分が無力であったことに怒りのような感覚を持つのではないかと思います。
「もっと生きていて欲しかった。何故相談してくれなかったんだ」と。
あと、自殺した人が世の中に大きな不利益を被って、後始末をせずに突然死んだ場合は一般人に卑怯と取られるのではないでしょうか。
身内でも、先ほど述べたような感情とは別の怒りを持つことがあると思います。この場合は身内は加害者側でありながら被害者の側面を持つのだから怒りは複雑だと思います。
良くニュースで中高生がいじめを苦に自殺したとニュースが流れますよね。
私個人としてはその子を卑怯だとは思いません。
このようなニュースを聞いて自殺は良くないという人の多くは、亡くなった子を責めているのではなくて、救えなかった事実(社会)に怒りを感じるのだと思います。何か手だてはあったのではないかと思ってしまうので、もっと生きていて欲しかったと言う気持ちが自殺はいけないと言わせるのだと思います。
自分も社会の一員であるから、何とはなしに加害者になってしまったような感覚になるのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 回答者さんには,いろいろ教えていただきました。 これから,自分の中できちんと消化していきたいと思います。