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「祟り」の語源は保元の乱の崇徳上皇?

保元の乱で島流しの憂き目にあった崇徳上皇が世を恨んで「我願わくば五部大乗経の大善根を三悪道に抛(なげう)って、日本国の大悪魔とならん」と言って祟ったと伝説になっています。天狗になったとも言われています。 「祟り」の語源は彼から生まれたのではないでしょうか?

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回答No.2

「祟」と「崇」は確かに似ていますが、語源ではないと思います。 それ以前にも、「崇峻天皇」とか「崇神天皇」とかいましたし。 むしろ逆で、「祟り」を起こしたその人を連想させる名前として「崇徳」が選ばれたのだと思います。 昭和天皇もそうですが、天皇経験者は死後はじめて正式な名前がつけられますので、その人の生前の業績にふさわしいネーミングがされたのでしょう。 彼の後に即位した「崇道天皇」や「崇光天皇」も、恨みを残していそうですしね。

gennyes
質問者

お礼

面白いですね。5人いるようです。 やっぱり崇という漢字が選ばれたのも偶然ではないようです。 http://72.14.235.132/search?q=cache:7wnrbrosHC8J:www.norichan.jp/jinja/kenkou/ogase.htm+%E5%B4%87%E9%81%93%E5%A4%A9%E7%9A%87+%E7%A5%9F%E3%82%8A&hl=ja&ct=clnk&cd=12&gl=jp

その他の回答 (2)

  • mark-wada
  • ベストアンサー率43% (273/633)
回答No.3

逆だと思いますね。 そもそも、 祟る・たたる(「出」る に「示」す) と、 崇める・あがめる(「山」 に 「宗」) は、 違う漢字です。ですから、崇徳天皇と祟るは無関係です。 ....というのが公式見解でしょうが。 むしろ、「祟る」という言葉が先にあって、 祟りを為すような天皇をお慰めするために、「祟る」に形が似ているけれども、良い意味のある 「崇める」という字を使って、天皇に諡(おくりな)・名前を送ったのだと思います。 はるか昔、飛鳥時代の崇峻天皇も、同様に「祟る」天皇に「崇める」の字を贈っています。 このページ参照。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1120856351 また、作家の井沢元彦.氏は、非業な最期を遂げて祟るような天皇には、「徳」の字を贈る習慣もあったかも?と主張しています。

参考URL:
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1120856351
gennyes
質問者

お礼

すごく勉強になります。リンク先のさらにリンクの質疑では、崇徳天皇は論語からとられた、とか。

  • merlionXX
  • ベストアンサー率48% (1930/4007)
回答No.1

祟りの語源は立有(たちあり)で、「立ち現れる」ということです。神が目の前に立つ。顕れることを指しています。 それがいつしか、今のような祟りに転じてしまったのでしょう。

gennyes
質問者

お礼

立ち現れる、を山に現れる、と変えたのも縁起を担いででしょうか? 面白いですよね。

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