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中国古代の文学作品はどのように残されたのか?
たとえば田園詩人といわれる陶淵明などは、官を辞して田舎暮らしをしながら詩作を続けたのですよね。できあがった作品はどのような過程を経て一般にしられるよになり、また今日まで残されたのでしょうか?このへんの知識が皆無でして調べようがありません。ご存知のかた、よろしくお願いします。
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中国文化は、古代より、歴史を正確に記録するということに意味を見出していました。春秋戦国時代にも、各国ごとで歴史書が編纂されており、歴史資料を集め保存し、やがて、歴史書として編纂する役人が各国で任命されていたりしました。 それとの関係で、色々な民間の伝承や風習も、記録に残されていたのです。諸子百家時代になると、百家ごとで、それぞれ色々な思想書が造られます。また、その教えに基づいて、色々な資料を集め文書を作成しました。 儒教では、例えば、古代の歌謡を集めた「詩経」というものに高い価値を置きましたが、こういう古代の歌のアンソロジー本が作れたのは、それまでの記録の伝統によるとも言えます。また思想書の一種として占いの本も編纂され、今日残っているのは、「易経(周易)」だけですが、昔は、もっと色々な易の本があったとされます。 こういう伝統基盤の上で、中国の古代からの支配者は、特に春秋戦国を通過すると、士大夫階級となります。これらは支配者というより、官僚であり、政治の実務などを行った者ですが、貴族とまで行きませんが、特権階級で、「文人階級」とも言います。それは、士大夫の資格、基本教養として、詩歌を書き、読み、評価するというような能力が前提されたからです。 中国は、文官統治の世界で、文化教養のない武官よりも、文官の地位が極端に高かったのです。そして文官であるいうのは、科挙の制度が、魏に始まり、隋唐で確立されるまでは、士大夫階級がなったのですが、科挙の制度が成立すると、科挙に通った人、またその子孫などの一族は、士大夫階級であるということになります。 無論、ただの農民が科挙に通ることは難しかった訳で、それなりの有力な家出身でないと、科挙には通りにくかったのです。(科挙に合格するには、膨大な時間をかけて、過去の詩や文学などを学習する必要があり、これは恵まれた環境・豊かな家の生まれでないと難しかったのです)。 とまれ、科挙に合格した者は、官吏として国家の官職についていても、在野にいても、士大夫階級または文人階級の一員であるという自覚が明確でした。有名な詩人で、貧困に喘ぎながら、自分の身体では労働しなかった人が大勢いますが、それは、士大夫、文人階級は、下層の無学な人々とは違い、肉体労働などはしないという誇りがあったからです。 一旦科挙に通り、また文人階級の一員となると、すでに、その挙措や、一生のありようが普通の人とは違って来ます。記録に残る文章を書くのは、同じ文人階級なのですから、誰彼は、田舎で、詩を詠んで優雅に暮らしているとなると、どういう詩か、ということが話題になります。 優れた詩だと思うと、記録に残しますし、文人階級にとって、漢詩のアンソロジーを造ったり、そこに自分の作品を残したりすることは、当然な仕事の一部でもあったので、陶淵明ぐらいの有名な詩人になると、官職を辞して、田舎に帰って、勝手に詩を作っていても、文人仲間は、忘れることはないのです。 ただの一介の農民だと、そもそも詩など作れませんし、造ったとしても、いかに名作でも、文人階級がそれを認めないと、記録には残りません。しかし、認められると、ただの農民から、文人階級の一員になります。 そういう訳で、文字で記されたもの、詩や歴史記録や文芸作品などは、文人階級の存在の証のようなものなので、これは、存在のよりどころのようなもので、大切にしましたし、後世に残しましたし、後世の文人階級の人たちも、自分たちも、歴史に残るため、過去のこのような蓄積を伝承し、残し、伝えてきたというのが、中国の文化伝統なのです。 文人階級の支配、文官統治の伝統は、清朝まで続き、その後にも公然とではありませんが、続いている可能性が高く、毛沢東が、「孔子否定」を唱えたのは、孔子尊重・文人尊重の伝統が強固に存在するからです。中国には、孔子を称える孔子廟というものが至るところにあるのも、その現れでしょう。
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一般的な話しか分かりませんが、竹管などに墨書されたものが写本で広まったのではないかと思います。本人がしるしたものも在るかもしれませんし、口述したものを近くの方が代書されたものも在るかと思います。 そういった書籍をお金の在る方が収集されたりして保存されたものや、教養として広まって今日まで残ったのではないでしょうか。
お礼
宮廷詩人、地方の役人、在野の詩人などの作品を収集する役所?のようなものがあったのかなぁ・・・なんて考えたりもしました(~_~;)。 回答ありがとうございました。
お礼
わかりやすい説明に感謝いたします。作品を記録するとはその人が生きた証なのですね。本から何かヒントを得られないかなと思ったのですが、さがす段階で途方にくれてしまいました。勉強不足を実感しています。ありがとうございました。