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言葉の芸術について
最近(ここ10年くらいでしょうか?)言葉に対するこだわりとか、要求とか、需給が何も無くなってきた感じがするのです。 たとえば、流行語とかありますが、それが以前でしたら、プロの作ったなにか詩的で凝った、それ自体がアーティスティックな雰囲気をぷんぷんさせたようなものでした。それが、間脳的(官能的きなく)で、反射的即物的なものに成り下がり、プロの言葉家というものが何も要求されなくなってないでしょうか?もしそうだとしたら、このことは、社会にたいしてどういう作用を持っている、どういう社会意識の変化に対応しているのでしょうか?
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確かにそういった傾向は私も感じます。広告業界でも洒落た話題になるキャッチフレーズは余り出ないし、外国映画のタイトルはオリジナルをただカタカナで繰り返すだけ。以前は日本語で翻案する努力がなされていました。歌謡の分野でも若者は群れて動物的にシャウトしたり洗練されない日常語でワンパターンな恋歌を歌うばかりです。若者言葉は原始的な短落語(荒っぽい省略)が通用しているし、文芸評論でもひところのように文体が論じられる事はなくなった。子供の作文のようなケータイ小説がベストセラーになる時代です。次第に日本語は衰退して微妙な意味合いを表現できる国語から単なる簡単な符牒へ退化していくのではと危惧しています。一国の首相が簡単な国語を操れない現実ですから、いずれ韓国のように漢字廃止とかいうことになるのではと最悪の事態も想定される昨今です。 国語は一国の国力、文化の象徴のようなものですから、教育が最重要ですが、少なくとも小説家やら詩人、コピーライターなどは一生懸命に自分の分野で腕を磨いていい作品を世に問い、一般人のレベルを上げていって欲しいものです。
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- jamiru
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あ、単純な話言葉の芸術は感性の物なので、現代社会は感性を殺している風潮があるからかもしれませんね。 感性ある発言を許容しない組織が多いですからね。 人間を道具のように扱う人間には感性は縁が薄いのでしょう。
お礼
機械的に人を扱うと言うことが増えているかもしれないですね。マニュアル社会でしょうか。感性と言うのがないほうが便利、なんていうのはなんともやりきれない話しです。
- qsxdrfvgyh
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確かに、言語の貧弱化、さらにメディア界の衰退を感じます。 たとえば、地方紙なのですが、元旦、3日の新聞は読みどころがほとんどありませんでした。 少なくなったチラシの包み紙のような有様だと感じました。 ある種の問題意識をもって、伝達したいという欲求がないのでしょう。 記者たちの家畜化が進行しているのかもしれません。 考えず、作業的に流されて、食べて寝て終わりです。 ベストセラー作品の幼稚化もあるようです。 文化も衰退している感じがします。 テレビコマーシャルも劣化しましたねー。 そんな印象です。
お礼
ありがとうございます。まったくその通りですね。発信者の方も劣化しつつあるのですね。ベストセラーは言うに及ばす。コマーシャルもコレは!っていうようなひらめきません。
補足
球場で野次れなくなったのも問題ですね。
- jamiru
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映像効果や音響効果の技術が上がったからね。 番組のフキダシが恒常化したからね。 落語ってフキダシが無くても笑えるのにな。 大御所とかそういう人間が何時までもフキダシに頼ってるようでは育たないと思うけどね。 そんな言葉の芸術を見せると大御所芸人に嫉妬されて潰されるのがオチです。 上下関係が厳しすぎるのも考え物ですね。
お礼
いろいろとしがらみやら嫉妬もあるようですか。落ち着いた雰囲気は期待できない状況になっていくような感じです。
お礼
洒落たっていうのが大事な気がするのですけどね。だめですね。おっしゃる通り、すべて安易で日常化して平板になっていくような感じです。これは文化の大衆化=衰退ていうことじゃないでしょうか?つまり、以前はやはり受けてのレベルも高かったっていう気がします。一発逆転の発想が必要な時期ですね。マスの衰退への流れは止めれないでしょうけども。
補足
球場で野次れなくなったのも問題ですね。言葉が死んでいる。