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微妙な質問ですが……
政治的なことです。 なぜ、必要以上に韓国、大陸中国、一部で北朝鮮に対して好意的な、それを通り越して媚を売っているに近い人間(たとえば民主党の岡崎トミ子)がいて、日本をこき下ろす日本人がいるのでしょう? 大陸の人が日本をこき下ろすのなら理解できますが、日本人なのになぜ、と思います。 敗戦までは、このような人物は圧倒的少数だったでしょう。反体制勢力も、日本をよくする、という点ではほぼ一致していたと思うのです。 どうかかみ砕いて、お教えいただければ幸いです。
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日本は、思想・文化が全て外国からやってきたという歴史的経緯があります。 日本の独自の物が少なく(本当はいっぱいありますが)、国の制度でも軍隊の方式でも、文字でも法律でも、全部よその国からもらったという意識が強いのです。 これはある意味事実で、国の制度は古くは唐の時代の中国を参考にして大宝律令をつくり、明治以後はプロイセン(ドイツ)憲法を参考にしたといわれていますし、現行憲法はアメリカの押し付けであるという議論があります。 文字にしても元々漢字は中国のものです。 それでも江戸時代までは、昔に輸入しただけでずっと使い続けていたので気にならなかったでしょうが、明治以降は欧米を参考に、新しい思想・文化などを受け入れることに熱心になりました。 当時はどの国の法律や行政手法を取り入れるか議論になりましたし、森有礼は日本語を廃止して英語を国語にしようとか、志賀直哉はフランス語を国語にしようという意見も出たのです。現在でも日本語をローマ字で書くことを基本にしようとする勢力がありますね。 このように西洋に追いつけ追い越せとやっているうちに、世界で新しい思想が出てきます。共産主義です。 すでに第2次世界大戦の前には共産主義のイデオロギーが出来上がり、ソ連も建国していたために、日本でも(欧米でも)民主主義の不平等を無くす方法として、ひとつの勢力ができていました。 そして第二次世界大戦で日本は負け、新たに国を作ることになりアメリカが手助けをしてくれるのですが、これに共産派の人は反発していきます。実は当時、ヨーロッパは戦争で疲弊しており、元気なのはアメリカとソ連だけで、ソ連のほうがより経済がうまく廻っているように見えたからです。 ここから戦後の米ソの競争が始まり、日本共産党や社会党(現在の社民党)が一定の支持をえることにつながっていきます。また中国や北朝鮮も朝鮮戦争の後に、国を復興させ、ずいぶんと豊になってきたような印象を与え続けました。 このようなイデオロギーのプロパガンダ合戦が続き、どうも共産国の経済がうまくいっていないのではないかといわれるようになったのは1980年代に入ってからです。 そこからソ連を含めたヨーロッパの共産勢力はベルリンの壁の崩壊に伴って、馬脚を現すのですが、中国はなんとか乗り切って今年のオリンピックを成功させるまでになります。 岡崎トミ子氏の世代がちょうど共産と資本主義のイデオロギー闘争の世代であり、当時はどちらかの陣営に就くしかありませんでした。ですので、いまさら共産は良くないとはいいにくい面もあるのでしょう(それでも社民党に残っている人よりはいいのかもしれません) また今も野党に属していますので、批判するときの対比の表現として若い時に受けた薫陶がそのままでてしまうということもあるでしょう。それが現状の日本を否定する反体制にみえるのでしょう。(というか野党は反体制なのが当たり前ですが) かといって自民党のように資本主義がよいといっている勢力が必ずしも正しいわけでもありません。 最近では蟹工船を読んで、共産党を応援する若い人も増えています。また、アメリカだけでなく近隣の国と仲良く付き合うためには、現状の批判は必要になります。なぜなら現状の日本の制度設計はアメリカを手本にさらにアメリカをパートナー(日米安保)にしているからです。中国・北朝鮮から見れば仮想敵なわけですから、親米では中国となかよくできないと考える政治家がいても不思議はなく、当然そのような人の発言は、中国寄りになり、且つ現事情の与党勢力批判(自民党批判)になるわけです。 私自身、共産勢力にシンパシーを感じているわけではありませんが、反体制が国のことを考えていないとは言い切れません。 現にアメリカがイラク戦争を行っていた数年前は、「戦争反対」と言うだけで非国民扱いを受ける人がいっぱいいました。現状では180度風向きが変わっていますよね。
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- jayoosan
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自分の中の「理想」と「内部からの破壊願望」によるのでしょうか。 企業にも、会社に雇われていながら会社や仕事のつまらないところばかりに目がついて、批判し、「これはこうあるべきだ」という考えが何に対しても常にある。時には企業人としてやってはいけないこと、やると危うくなることを思いついてしまったり、極一部の人は実際にそれをやってしまい、経歴を自らをダメにしてしまう。。 大学でも、大学に属していながら、大学運営、システム、授業や教授らの欠落していると感じる部分、ダメと思う部分が目について仕方がなくなり、大学からも社会からも許されざること行い、自らをダメにしてしまう。 男女関係でも、あとから考えると大したことがなかったり、もっと優しくしてあげればよかったと思えるのに、面と向かったり、一緒に暮らして居ると、相手に欠けている部分が目についてしょうがなく、それを口に出したり態度に出してしまう。引けなくなる。 自分の外において、その理想を実現できたりできなくてもストレスなどを発散できれば本人も問題視しないが、それができない場合その破壊願望は自分の内部に向かったり、弱者や攻撃できる対象に向かっている。 そんな感じに見えます。 このようなことは、時代に関係無く存在すると思います。
前の人の説明が圧倒的なので、軽めで行きます。 簡単に言えば、嫌いな日本人よりも仲の良い韓国人のほうがいい、ということです。別に日本人の中に嫌いな人は絶対存在しますし、日本にいるからこそ、日本の悪しき点が我慢ならん、と言う人がいるのは当たり前です。 媚びを売る、というのは明らかに対価を求めています。例えば、資金や選挙協力など様々なことが推測されます。 敗戦まで、とありますが、戦争中そんなことをすれば治安維持法に引っかかって、確実に特高がきます。いたとしても意見のの表明は難しいでしょう。反体制、ということはその時の体制が気にくわないから革新しよう、ということになりますが、日本をよくしよう、ということも体制内の人にとっては煙たがれるはずです。 要は、人間はそんなに単純ではなく、多種多様な思想を持っているということが原因ではないでしょうか?