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祖霊信仰の起源について

祖霊信仰がいつごろから生じたのか知りたいと思っていますが これといった定説はないようです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%96%E9%9C%8A%E4%BF%A1%E4%BB%B0 上記の起源の項目を参照ください。 そこで参考までに、祖霊信仰がいつごろから生じたと思われるか、 皆さんの考えと、その理由についてお聞かせいただけませんでしょうか。 ※理由のない回答はご遠慮くださいますよう、お願い申し上げます。

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  • cyototu
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回答No.3

柳田國男の『先祖の話』を読んでみて下さい。参考になります。この本ばかりでなく、柳田は祖霊信仰についてかなり詳しく論じていますので、この本を切っ掛けにして彼の書いた他の関連書も読むと良いでしょう。それによると、祖霊信仰は仏教伝来より、あるいは外国と接触するより遥か以前の段階で、自然発生的に出来上がっているようです。数え上げたら切りがないくらいその証拠がありますが、ここではほんの少しそれを紹介しましょう。 先ず、佛にホトケという訓読みがあることが不思議ですね。訓読みとは、中国から輸入する以前から日本にあった大和言葉ですから、ホトケの概念は仏教が日本に伝来する以前からあった概念です。大佛次郎という作家の姓も、なぜ佛をサラギなどと訓読みするのでしょうか。この辺りが詳しく柳田の本で論じられております。 現在仏教の行事とされている物の多くが、それ以前から日本にあった祖霊信仰の神道の行事でした。お盆、お墓の卒塔婆、死後の何回忌、仏壇の位牌、四月八日の花祭り、、、みな神道の行事でした。仏教の坊さん達は大変な宣伝マンで、日本人に仏教を売り込むために、一先ず神道の軒を借りて、ジワジワと母屋を奪い取る作戦に出ました。今ではそれが見事に成功して、日本の多くの人達が、仏教伝来以前からあった祖霊信仰の行事を仏教の行事だと思い込むようになっています。 日本における祖霊信仰は多分縄文時代以前から存在していたと思われます。

noname#82952
質問者

お礼

丁寧な説明をありがとうございます。 そういえば、「ホトケ」って大和言葉だったのですね。 なんで気がつかなかったんでしょうか! 本の紹介も下さり、ありがとうございます。 明日早速図書館へ行って借りてこようと思います。 お盆や卒塔婆なども神道からくるものだったなんてオドロキ! あー、早く本を読みたくて、わくわくしています。

その他の回答 (6)

  • cyototu
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回答No.7

#3です。 他の回答者の方(#5さん)から異論が出ていますので、卒塔婆と位牌に関して出典を明らかにしておきます。私は民俗学を趣味として勉強している者で、決して専門家では在りませんので、疑義に対しては以下に挙げる出典を参照して下さい。以下の出典は全て柳田國男の著書です。 先ず、卒塔婆について。 柳田の『先祖の話』: 第46章「ホトケの語源」に精霊の依座(よりまし)としてのホトケ=卒塔婆についてかなり詳しく論じています。もちろんここで言うホトケとは、日本古来の祖霊信仰でいう神道的な概念です。 第51章「33年目」に全国各地にある卒塔婆の種類としての、葉附塔婆、うれ附塔婆、生塔婆(いきとうば)、ホトケ棒、について分析しています。 柳田の『月曜通信』: 「犬そとばの件」の章で、 「、、、その古来の神を祭る為に、最も必要であった祭りの木が、名をかへ形をやや改めつつも、、、」 と述べ、神の祭りの木と犬卒塔婆やまたがり塔婆について論じています。 位牌について。 柳田の『先祖の話』: 第41章「常設の魂棚」、第42章「佛壇といふ名称」、第46章「ホトケの語源」、第51章「33年目」で、佛壇と神道の魂棚、それらと位牌の関係や、枕ボトケ=位牌、33年目の法事の後位牌を川に流す東北での風習や、33年忌を境に位牌を御神棚に納める沖縄の風習について論じています。 柳田國男の全集を改めてざっと眺めたところ、他の場所でも、卒塔婆や位牌に付いて論じている場所が在りましたが、一先ずは上に挙げた部分が、この問題の取っ掛かり口になると思います。 >お盆も仏教の「ウーラボン」ですので、習合しているかもしレませんが起源は仏教だといって良いと思います。 この意見に対しては、ある意味で柳田の『先祖の話』はその反対意見を述べる事がその主眼と言っても良いくらいです。例えば第43章「盆とほかひ」の中で、 「たとへば我邦では旧暦7月の15日に、盂蘭盆会といふ法会を執行はしめられた例が、公にかなり古くからあった。しかしそれだから此前後の幾日間を盆といふやうになったのだといふ仏者の説は、有名又平凡だといふばかりで、ちつともまだ証明されては居ないのである」 と述べてており、その後の章で、お盆の起源が神道に在ることを数多くの証拠を示しながら、実証的に論じております。この柳田國男の説を学問的に覆すには、柳田の挙げた多くの証拠に対して説得力のある反例を探さねばならず、かなり精力的な努力が要求されると思います。私は寡聞にして、柳田の研究に対する反論をまだ聞いておりません。

回答No.6

 回答番号:No.4:補足:   ☆無論、儒教が祖霊信仰だけをベースにしてはいません。    おきて来た、一つの要素として、孔子の場合は祖霊を大切にしなさい、ということがあるということです。  そしてそれを、国の統治の理論にも広げているということです。  それが仁の一面でもあるのです。  仁のなんたるかは、親鸞の悪人とは、局部的に知的探求だけでは実質に直面できません。  無論仁と悪人正機とは局面も対象も位相も異なるのですが、念のため。  祖霊については、柳田氏がいろいろ書いておりますが、いろんな民俗に、それぞれあります。  孔子を持ち出したのは、そういう一つの淵源もありますという、説明です。日本の場合の歴史においては。

noname#160321
noname#160321
回答No.5

#3のお答えに異論があるので、少しだけスペースを下さい。 卒塔婆は「スッテゥーパ」であって寺院の五重の塔、三重の塔(宗派により異なる)と同じ仏舎利塔であり中国では煉瓦造り、表面には梵字と漢字が書いてありますね。何処の神社にも塔は建っていません。 お盆も仏教の「ウーラボン」ですので、習合しているかもしレませんが起源は仏教だといって良いと思います。 ちゃんと仏教国には残っていますね。 もちろん仏教は「カルマ」と「サンサーラ」を否定するところから始まりますから、祖先信仰とは無縁ですね。 一方、位牌は中国の「木主」で祖先の象徴です。他の王朝を征服したら、自分の一族と一緒に被征服民の木主も祭ります。それで被征服民も「うちの支配下」、敗北した国の祖先も祟りをしない。

回答No.4

No.2 【分縄文時代以前から存在していたと】というご回答の補足:  中国も日本も、そういう感情や思いはありました。  それを成文的に意識していったのが、いわゆる孔子が乗っていった古代儒教でしょう。そして統治の思想と原理にしていった。  白川静先生(お会いしたことはありません)ほご解説では、「ではなかろうか」というお話付ですが。  孔子の出自は完全にはわからない。でも彼のお母さんはどうも巫(ふ 女性 巫祝)覡(げき 男性)、いっしょにふげきという。巫覡集団に属する巫祝であったようだ。  お父さんは別にきちんとご家庭のある、武士(最初に突進する突撃隊隊員)のかたらしい。  それで孔子は小さなときから、そういうお仕事集団に属し、葬儀、祭祀などにも携わっていたようである。  彼(私は尊敬しています)が小さいときからいろんな仕事に就き、出入りしていた。大変な苦労の経歴があり、苦労人として機微にさといお方のようです。  そういうことを知っていて、それを何かと、伝統と格式をとやかくいう人たちからは、正当な評価が受けらら無かった。  なんかイエスと似ているところもあります。  そんな経歴の孔子は祖霊のこと、そして統治の原理のこと、統治と統治者の正当化について、思索し、成分化、意識化していったようです。  それが仁であり、忠孝という観念なのでしょう。  万世一系がつながるかどうか知りませんが、祖霊信仰ということでは共通していないでしょうか。

noname#82952
質問者

お礼

ありがとうございます。 儒教については詳しくは知らないのですが 祖霊信仰がベースになっているということですね。

回答No.2

 既にご存じのように、  http://search.goo.ne.jp/web.jsp?MT=%C1%C4%CE%EE%BF%AE%B6%C4&from=dict&PT=dict&JP=0&CK=1  にもたくさんのお話がありますね。  仏教って、習合していますが、そもそもは祖霊信仰は教えていないようですね。  臨済の偈でも、解脱の教えでも、それを大事になどはしていませんよね。カルマの解脱のための徹底した合理主義ですものね。  私は、自分の信仰で、祖霊は大事にしている、直系長男ですんが、支配と統治の論理・秩序が出発だと存じます。  中国から、そして日本に渡ってきた、統治の教え、教化の理論ではないですか。  孔子も私自身は子供の頃から親しんできていますが、その忠孝思想、上の要請、必要からの理論だと存じますが。

noname#82952
質問者

お礼

ありがとうございます。 儒教の教えからくるということですね。 そういう可能性もあるかもしれませんね。 中国の祖霊信仰との関係を調べてみるとおもしろいかもしれません。 参考になりました♪

  • tanayama
  • ベストアンサー率17% (10/56)
回答No.1

いつごろかは解りませんが、仏教が日本に入ってくる前です。お盆にお墓で松明を焚いたり線香をあげるのは仏教としては矛盾しています。お盆には仏様は各家に帰っているからです。 なぜこの様な風習が生まれたかは、仏教が入ってきたときに古代宗教のお墓で火を焚く風習が入り混じったことによりお盆にお墓参りの風習が残ったといわれています。

noname#82952
質問者

お礼

ありがとうございます。 そういわれてみればお盆に墓参りというのはおかしいですね! 古代、お墓で火を焚く風習があったとはしりませんでした。

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