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センター小説の客観性について
こんばんは。今年大学を受験する文系の現役生です。 センター試験まで一ヵ月を切りましたが、国語の「小説」のジャンルについて気になることがあるので、センター小説について詳しい方がおられれば、回答して頂けると幸いです。 正直センター試験はセンター利用で滑り止め確保、という程度でしか考えておらず、その為小説はほとんど手を着けていなかったのですが、いざ取り掛かってみると、面白いほど出来ません。 そこで原因を参考書、赤本などから色々考えたのですが、小説が出来ない自分を擁護するわけでは決してないですが、以下のような疑問に達しました。 出口先生の参考書によると、小説は客観的根拠を問うもので、主観は入らない。 心情は直接言及されず、情景描写、セリフ、行動を手掛かりに客観的根拠を探す。 とあります。 ですが私には、この文章自体矛盾していると思うのですが。どうでしょうか。 字面にしっかりとした根拠が言及されていない限り、情景描写、セリフ、行動からどんな心情を連想しようとも読者、つまり受験生の勝手じゃないでしょうか? つまり、セリフ、行動から、まして情景描写から心情への「変換作業」を通して、心情を捉える。 なんてのは、どれも正解である(または間違いでもある)と思うのです。 評論はその点で根拠が明確に本文にありますから言及されたことは○で、されてないことは×ですが、小説は心情が直接言及されていない時点で客観性も何もないのではないですか? 極端に言えば、「Aのことが好きだ」というセリフに対しての心情が何故「Aに好意を抱いている」という回答になりますか。別に「悪意を抱いている」でも「興味がない」と取っても、間違いになる根拠がないと思います。 長々と申し訳ありません。ただ、どうも納得いかないので、これに対してのご指摘など、どうぞありましたら回答よろしくお願いします。
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>情景描写、セリフ、行動からどんな心情を連想しようとも読者、つまり受験生の勝手じゃないでしょうか? 受験生の陥りやすい間違いです。 試験問題と言うことでなく、単なる読書としてその小説を読むのであれば、解釈の仕方は、読者の勝手と言うことになります。ただし、その場合も、作者の意図する解釈で読まないと作者の意図するテーマに行き当たらないで、訳のわからないつまらない小説ということになってしまいますが。 センター試験は特に、マークシートの選択問題ですので、自分の考え、感性、解釈に引きつけて読んでいくと、わざと間違えやすい選択肢が用意されていますから、それにうっかり引っかかって間違えます。 センター試験の問題を解くには、出題部分の話の展開を見て、作者が何を表現しようとしているのかという観点が必要になります。さらには、それに基づいて、出題者が何を答えさせたいのかを考えることも大事です。自分の感性に引きつけて考えると間違えます。出口先生の「小説は客観的根拠を問うもので、主観は入らない。」というのは、そういうことを言っているのでしょう。 本文を読み始める前に、最後にある、内容を問う問題に目を通しておいてから読み始めるというのもテクニックです。全体の展開がつかみやすくなります。 それから、これは明らかに違うだろうと言う選択肢から消去していって、消去法で正解を導くという方法も有効です。 センターの選択肢は、文章の中に正しい部分が必ずあり、一部に、正しくない部分があったり、本文には書かれていない事が書かれていたりして、不正解の選択肢が作られています。それをうまく見つけ出すというのもテクニックです。 その作家の社会的評価や普段どのような小説を書いているかということを知っていたり、その小説家の感性や思想的傾向のようなものを知っていたりすると、本文を読まなくても選択肢を見ただけで回答が導けるということもあるそうです。
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- gootaroh
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>字面にしっかりとした根拠が言及されていない限り、情景描写、セリフ、行動からどんな心情を連想しようとも読者、つまり受験生の勝手じゃないでしょうか?つまり、セリフ、行動から、まして情景描写から心情への「変換作業」を通して、心情を捉える。なんてのは、どれも正解である(または間違いでもある)と思うのです。 小説を楽しむ分にはその態度で大いに構いません。でも試験の「小説」はその態度では落ちます。要するに、普通に小説を読む分には、相手は作家ですが、試験の小説の相手は作家ではなく出題者なのです。実際、昔、ある作家が自分の著作が出題された問題を解いて間違えた、というエピソードもあります。 試験における小説は「小説」と思ってはいけません。あくまでも論理的に読んでください。論理的にとは、どこかに必ず合理的な理由や根拠があるという意味です。理由や根拠とは、登場人物がそう考えた理由や根拠ではなく、選択肢に書いてある文章の理由や根拠のことです。それが本文中のどこかにあるはずだ、という意味です。本文中のどこかにあれば正解、なければ不正解です。 だから、本文よりも先に選択肢を読むのです。これは基本的なテクニックです。私情は一切排除しなければなりません。作家や登場人物の考えではなく、あくまで出題者の考えに合わせます。入試は恋愛のようなもの。自分の主張を相手に押し付けるのではなく、相手の主張を受け入れるのです。気に入らなければ、そんな人を相手にしなければよいのです。 問 この文章の要点は何か? 1.気に入らない相手とは恋愛をしなければよい。 2.自分の主張を相手に押し付けてはならない。 3.試験問題はあくまで出題者の考えに合わせる。
- Ganymede
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センター試験まで1カ月を切ったこの時期に、そんな幼いことをおっしゃってるようでは、(「現代国語」の小説問題に関する限り)もう手遅れかも知れません。でも、他の分野・科目で得点すれば大丈夫です。 それでは、どこが幼いのでしょうか? 相手の立場に立って考えてないところです。「相手」とは、ここでは出題者を指します。 考えてもみてください。何十万人という受験者、そして何万人の国語教師、ついでに文学者・識者らも、目を皿のようにして設問を吟味し、出題に不備がないかと突付き回すんですよ。出題者だって「びくびく」ものです。「どれも正解である」なんてバカな問題は、そうしばしば出ません。非難の十字砲火を浴びるじゃないですか。 「数学は答が一つしかない。そこが好き」、あるいは「国語は正解が一つじゃない。そこが好き」とか言う人がいます。しかし、たとえば「角の二等分線」、「角の三等分線」のことを考えてみましょう。 角を二等分・三等分する(入間の健さんのホームページ) http://homepage2.nifty.com/iruken/suugaku/sakuzu/sakuzu.htm (引用開始) 先日行われた都立高校の入試問題に (中略) という出題がありました。これは結局、∠ABCの二等分線を作図する問題です。 (引用終り) この問題が二等分線でなく、三等分線だったらどうでしょう。作図不可能であり、不可能を証明するのは受験生には難しすぎるので、出題されることはありません。つまり、「数学は答が一つ」と決まってるわけではなく、「解くことができ、かつ一つだけ答がある」ように問題を作って出題しているから、答が一つなのです。 一方、小説は多様な味わい方があります。しかし、出題者は工夫して、正解が一つ(または「選択肢の中から二つ選べ」なら二つ)の問題を作り出します。たとえて言うなら、「アイスクリームのてんぷら」を作るような無理をしているわけです。「油は何度、揚げ時間は何秒」などを厳守しないと、アイスクリームはてんぷらにならないでしょう。そして、小説から客観問題(選択式問題)を作るとき、「油は何度、揚げ時間は何秒」に相当するのが、次の(a)、(b)などです。 「情景描写、セリフ、行動」などの手掛かりが、引用された小説中に存在する……(a) その手掛かりから、これこれこう推論できることは、衆目(国語の達人たち)のだいたい一致するところであろう…(b) 小説の客観問題を解くための「客観的根拠」は、小説文中に、誰でも(バカでも)分かるほどしっかりと言及されているとは限りません。(a)は、「ちきしょー、こんな見落としそうなとこに潜ませてあったのか」でも可です。(b)は、「国語の達人たち」の多くがだいたい認めるような推論なら可です。登場人物のどんな心情でも勝手に連想しやがるような子は、客観性と縁がないのであって、ごねても無駄です。 それでは、下記の過去問の問3を見てみましょう。 大学入試センター 試験問題・正解 http://www.dnc.ac.jp/old_data/mondai_seikai.html 2007年度 国語 第2問 http://www.dnc.ac.jp/center_exam/19exam/mondai_pdf/19kokugo_q.pdf (引用開始) 傍線部B「絹代さんにはなぜかそれがとても嬉しかった」とあるが、この部分を含む子どもたちとのやりとりを通してうかがえる「絹代さん」の心情とはどのようなものか。 (引用終り) ご質問者がおっしゃる、「どんな心情を連想しようとも読者、つまり受験生の勝手じゃないでしょうか?」は幼すぎる考え方です。「どれも正解である」なら、選択肢1から5までどれも正解でしょう。しかし、1「仲間意識の高まり」、3「書道教室を一緒に経営しているように感じて」などは、小説と照らし合わせて明らかに不適です。これを不適じゃないと言い放つ受験者は、「あなたは大学へ行くより、もっと向いてる道があると思いますよ」と諭されても仕方ありません。 次に、選択肢問題のテクニックを学びましょう。 [大学入試センター試験・国語]2007 小説 はためく~~現代文ノート http://kotonohasarasara.blog21.fc2.com/blog-category-55.html (引用開始) 「不可欠要素が入っていること」と「できるだけ傷が少ないものを選ぶ」ことがポイントになります。 (引用終り) 傍線部Bの「それ」は、子どもたちが絹代を「おばちゃん」と呼び「おねえちゃん」と呼んでくれないことを指します。そして、「それがとても嬉しかった」のです。したがって、「おばちゃんと呼ばれたくない」という絹代の心情は、選択肢の不可欠要素であるべきです。選択肢2、4、5の中でそれが入っているのは、2です。よって、正解は2です。 ただし、2の「保護者」は普通「親」の意味でしょう。小説では「おかあさん」じゃなくて「おばちゃん」と呼ばれてるじゃないか、という疑問が残ります。もっとも、これはわざと迷わせるための出題者の意地悪かも知れません。選択肢に傷があっても、致命傷でなければ、「明らかに不適」とはならないのです。
お礼
回答してくださった皆様、お返事が大変遅れましたことお詫びいたします。 今日で、無事大学受験が終わりましたので、お返事にとまいりました。 受験勉強の最中で、お返事は出来なかったものの、回答のチェックはさせて頂いていました。ありがとうございました。 センター小説についてですが、あの後回答者様からの意見等を考慮して、自分なりに解法を導き出し、本番ではなんとか満点を取ることができました。 ご指導ありがとうございました。