才媛歌人故斎藤史の父「斎藤瀏(「嚠」ではない)」のことでしたら次のとおりです。
明治12年長野県生まれ(旧姓三宅)、斎藤家の養子となり、陸軍士官学校に入る。日露戦争に職業軍人として参加、「雨気づく闇の広野の中空に敵の燈火のあかあかともゆ」などの戦闘歌を発表し、歌人としても異彩を放つ。大正10年処女歌集を発刊、小倉、北海道、熊本などの師団司令官や参謀を歴任後、昭和5年退官した。
やがて昭和11年の2.26事件で青年将校に加担、禁固5年の刑を受ける。しかし、この間も作歌活動はたゆむことなく「着てを来し軍服ぬげり獄衣(ひとやぎ)をつきつけられて嘆く間もなく」などを作っている。出獄後、太平洋戦争がじまったが、17年第四歌集『四天雲晴』を上梓した。戦後は故郷長野県に帰り、娘夫婦と同居したが、昭和28年死去。
以上、『信州の歌人たち』(福沢武一著)は詳しく紹介している。
なお、逗子八郎については不詳。(ウェブで検索すれば、断片は得られます)
お礼
ありがとうございました。『信州の歌人』未見。早速取り寄せます。