以前 テレビで海の暴れん坊シャチをやっていました。
動物は、<生きるために他の動物を襲うわけで、無駄な殺しはしない>は嘘。
シャチは捉えたペンギンを食べずに、ボール代わりに上に放り投げて遊んでいた。
ペンギンの骨は砕けてぐにゃぐにゃ。
病んだ人の心を癒すとされるイルカは、レイプの常習犯。
集団でメスイルカを追い詰め、窒息しそうになったメスイルカが海面に浮上すると、オスたちは一斉に取り囲みレイプする。
オス豹は、ツガイの豹のオスを倒して、穴から子豹を引きづりだし食い殺し、メス豹に種付けする。
人間のオトコは他の部族を襲って、男を皆殺しにして、女に種付けする。
セックスはともすれば暴力なのだが、愛があるから暴力だとされない。
サドとマゾの関係は、お互いが了解した上の暴力なので、訴えられることは無い。
オスは性的興奮を覚えると暴走しやすい。
性的興奮は快楽で、快楽を楽しむために、弱いものをいじめる。
仲間と集団で暴行を加えるのも快楽の共有。
獲物を狙って追い掛け回すとき、喜々とした表情になるのも、脳が快楽物質を放出するからだと思えます。
>「サディストが自分を苛めたいと思った時、それは自分に向けられたサディズムなのか、またはいじめられたいというマゾヒズムなのか」
サドがマゾになるという例だと、いじめる側が本当はマゾだった場合。
自分はいじめられることに快楽を感じる体質の人が、それに気づかず、いじめていた場合、いじめられる恐怖を体験しているわけです。
いや いじめられる快楽を楽しむためサドをする。
相手の感情に共感し、自分も恐怖を感じるわけです。
じゃあ いじめられる側は結局恐怖を感じているわけで、全然よくないじゃないかと思うでしょう。
えっとですね、、、
例えば、森で熊に会ったら死んだふりしろとかいいますが、死んだふりしたら襲われ殺されます。
かといって恐怖で固まって動けなくなっても逃げられず食われる。
極限の恐怖を感じたとき、人間の体は快楽物質を出し、固まった筋肉を緩める。
すると動ける。 すたこら逃げる。
快楽物質が出過ぎると、猛然と熊に好戦的に立ち向かう。
快楽物質のせいで、熊を攻撃するのが楽しいわけです。
このように、極限の恐怖になると、快楽物質を放出し緊張を緩めるわけですが、緩めるだけじゃなく、出すぎて状況を快楽だと感じる人もいるわけです。
そんな体質の人が、誰かを痛めつけ、相手が恐怖を感じ、それを自分の体験だと回路がしてしまった場合、自分がいじめるほどに、自分は快楽を感じる。
だって相手は恐怖でひきつった状態で、それは自分の状態となると、快楽物質出すじゃないですか。
で、ある時、自分は恐怖のどんぞこに陥ったとき、楽しいと感じる体質なんだ と気づいたら、「そうだったのか」となりマゾに転向する。
「なーんだ いじめが楽しいのではなく、いじめられれうのが楽しいと感じていたのか」と。
いじめられて楽しいと感じるのは、快楽物質のせいでしょうけどね。
ただ普通はいじめられて快楽物資は出ませんので、こういう体質の人はマイノリティー。
というわけで、サディストがサディズムを自分に向けた時は、その人はサディストではなく本質はマゾヒストだってことじゃないか と。
自分の体に傷をつけ、血を見ることでほっとする とか恍惚となるという人います。
自虐が楽しいというより、フェチ。
嗜血症(ヘマトフィリア)といいます。
リストカットするとほっとするって人は、このフェチなのだと思います。
したがってマゾじゃない。
お礼
質問者です こんな素晴らしい回答が頂けて光栄です! ご回答ありがとうございました! ぜひ今後の参考にさせていただきたいと思います(*´∀`*)