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悩むことと考えることの違い
悩むことと考えることの違いってなんですか? 悩むことは悪いことですか? 悩む から 考える に移行するにはどのようなことをすればいいですか? 具体的には進むも引くも覚悟がいるシチュエーションで、 判断がつかなくて悩んでいます。 間違った方向に進めば、大変な労力と出費が待っているので、 慎重に考えているつもりなのですが、 他人に言わせると「悩んでないで行動しろよ」だそうです。 しかしその行動というのも半年で結果が出るかもしれないし、 10年頑張ってやっと結果が出るかもしれないというとても不明確なものです。 理性的に考えるとそんなギャンブルしてられない。 かと言って別の方向を考えるには、自分の年齢や経歴を考えると、 とても勇気の要るものです。 成功率が高い方を選ぶと、当初目的としていたものの1割しか達成できないかもしれません。 どちらが自分の目的に対して有効な道なのかは今の段階では不明です。 もしかしたら考えに考え抜けば、どちらが正しい道なのか?答えが出るかもしれない。 でも答えが出るかどうかということすら現段階では分かりません。 そんな状況で、他の人が言うようにとりあえず行動を起こしたとして、 取り返しのつかないような大失敗をしてしまったとしたら・・・ 将来私は、もうちょっと考えて行動すればよかった! と後悔するような気がするんです。 かと言って、じゃあどういう風に考えればいいかというのが分からなくて悶々としている状態です。 なんだか抽象的な表現ばかりですみませんが、 今の悩んでいる状況を打破するためには、 どういう考え方 をすればいいのでしょうか?お教えください。
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悩むのも考えるのも…実は同じだったりしますよ。 貴方は“どっちが正解だろう”ってそう答えを望んでるように見えますが、 でもその答えって…それは悩んでも…考えても…答えは決して出ないです。 だって…それは“どっちにでもなる”そんなものなのですから…。 その答えは悩んだ先にも考えた先にも無いです。 唯一“進んだ先”にしか…無いのじゃないでしょうか。 誰しもが“つい”思い込みがちですよね… “(今)どっちが正解だ?”って…。 そしてその正解を探そうと求めちゃいます。 私も会社務めの時はそうでした。 でも… どっちの道に進んでも… それを正解にするか不正解にしてしまうかは“今”であろうが“後”であろうが、 実はどっちにしろその道を進んだその先での“自分次第”だったりします。 ホントは…どちらの道にも、たぶんその未来には正解も不正解もどちらもあって、 “上手く行った”か“上手く行かなかった”かのそのどちらにするかは “自分がそこでどっちの答えを作り出したかどうか”だったりするのでは ないでしょうか…。 偉そうな事は言えませんが… 物事には、悩んでも…考えても…答えが出ないものがあると思うんです…。 理屈でないもの…論理ではないものがあったりします。 それは“どっちが正解か”とかではなくて、 どっちもが正解にもなり不正解にもなるそんな選択のときです。 特に…“人生の選択”といえるような時にはそういうものになると思います…。 例えばどこかに勤める会社員なら…そういう“ある範囲”の中から見た時… そんな風に貴方に与えられた役目がはっきりしている時だけは “リスクの回避”が重要になります。 “リスクの回避”だけを考える…その方が賢明で、そして簡単です…。 でも… それを何かの枠には入りきらない…本当は何の枠も無い“貴方の人生”として 考えた時はそれと少し違うようにも思うのです。 突き詰めれば突き詰めるほど“貴方の人生を貴方はどう生きるか”に なると思うんです。“貴方はどう生きたいか”…それになると思うんです。 “どれがリスクが少ないか”…ではなくて、 “貴方は貴方でいたいのかどうか”…だったりするのではないでしょうか。 そう考えるは“バカ”かもしれません。“無謀”かもしれません。 しかし“人生”を考える時はそちらの方に思うのです…。 人は自分の人生を生きて…いずれ死にいきます。 答えは…“どんな自分でありたいか”で “どんな自分で死にたいか”かもしれない…などと思います。 私は若輩ながら思うんです…人生は決して“賭け”ではないって。 あるのは…“どんな自分でいたいか、どんな自分を選ぶか”そして “その先でどんな自分を作りあげるか”それだけのように思ったりします。 満足して死ねるかどうか…それは成功したか失敗したかではなくて “自分でいれたかどうか”ではないか…そんな風にも思えたりします。 貴方は“ありたい自分”を見つけられた。 それを見つけたのに早いや遅いなんて私は無いと思うのです。 それが幸運か不幸か…きっと今そこに答えは無く、 先に訪れるのは“自分が作り出し引き寄せた事”のみ…。 幸か不幸か“ありたい自分”その欲しいものを既に見つけてしまったなら、 もしかして…そこに進むその足を大きな理由なく止めてしまう事は 未来にどんなモノが貴方を取り巻いていてもたぶん ある程度の満足はそこにあってもでも悔いのない人生というのは 生まれないような気もするのです… きっとそこで探すべきは…“正解はどちらか”ではなく、 ただ“進みたい自分があるかどうか”だけだったりするのではないでしょうか。 そして先にあるのはただ、その道がどちらの方であれそこで不正解ではなく 正解の方をがむしゃらに引き寄せるその事だけだったりすると思うのです。 あくまで私個人の考えですが… 貴方が“貴方になる”のだけは…早い方がいいように思います…。 将来に不安の方が大きく見えてしまう世知辛い今現在… 軽々に“進みなはれ、やってみなはれ”なんていえません。 貴方が書いたように“他人が言ったから進んだ”では 決して満足は生まれず必ず後悔しか生まれません。 でも貴方自身が自分が望み欲しがり自分から決めた事なら… その時だけは…違うものとなります。 経営の神様の口調を借りるなら 貴方自身に“望む自分”があるなら“やってみなはれ”です。 望む自分それ自体がさほど強いものではなくて自分からは動けないもので 人の言うのや何かに影響される自分があるなら“やめときなはれ”…です。 止めるも勇気。決して間違いでも弱いものでもありません。 でも…私はこうも思うのです。 悩むのは、そこに恐れがある時… 考えるのはそこにリスクがある時… でもそれでも深く悩み…それでもずっと考えてしまうのは その恐れもリスクもあるそちら側にこそ… 貴方にとって“進みたい道”や“ありたい姿”があるからではないのか…と…。 貴方がご自分の答えを出す参考に ロバート・フロストの“two roads" という詩や “チーズはどこへ消えたか”という5分で読みきれる本を 読まれてみればいいかもしれません。 そして…必要なのはサミュエル・ウルマンの“YOUTH”という詩…かもしれません。 もちろん私は決して“どちらがいい”と言ってるワケではなくて… あくまでそれらを見てご自分がどう感じるかで 改めてご自身を知られてみるといいのではと…そう思います。 どちらの選択をするにしてもそこにあるのは “それを正解にするのは自分だ”という事と、 そして選んだあとはそれが不正解だと思ってはいけないという事だけ…。 その選択は実は選択ではなく ただ自分が“どうありたいか”があるのみだと…そう思うのです。 理屈で左右されるそれは貴方ではなくそれは理屈…。 貴方自身が選ぶ答えそれのみが貴方でありそして…貴方の正解。 “良い選択を”…などとは決して言いません… “良い未来を”と…心よりそう願っています…。
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- koketa58
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個人的には悩みはありますが悩みません。 面倒臭いからです。 考えることはありますが「下手な考え休むに似たり」なのであまり考えません。 深く考えようが瞬間の判断でも出てくる行動に大差がないからです。 >どういう考え方 をすればいいのでしょうか? まぁ出たとこ勝負で良いのではないでしょうか。 それでも個人的にはこんな感じです。 うつ病 → ノー天気 失業 → 社長 離婚 → ラッキー メタボ → 20kg減量成功 バイクで何度も転倒 → 学習能力ゼロでもしぶとく生きている こんな適当お気楽人生ですがそれなりになんとかなっています。
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
>悩む から 考える に移行するにはどのようなことをすればいいですか? そうですね、一例を書きましょう。 今、自分には手持ちのお金があまりありません。 しかし、プレミアもので、しかも前から欲しくて仕方がなかったものが、ヤフオクに流れて来ました。 今すぐにでも買いたいのは山々ですが、生活費やローンの事を考えると躊躇してしまいます。 大変、悩んでいます。 …さて、この場合「どうするか?」ってことですね。 私ならこの場合、こう考えます。 1、本当に自分がこれを欲しいのか?。 2、将来、これを買って何らかの「役に立つ」のか?。 3、買わなかった後悔を、どう処理できるのか?。 もしくは、忘れることが出来るのか?。 4、次に買えるチャンスは本当にありえないのか?。 5、買った物を「自分が生かせる」のか?。使いこなせるのか?。 6、代わりの品物ではいけないのか?。 7、今が購入する時期であるのか? 8、その他 …たかが「お買い物」で、これだけの「疑問」が湧き上がります。 そしてそれらの「ほとんど」は「経験から追求可能なもの」ばかりです。 そして、そのこと事態は、ほとんど難しくも何ともない。 「悩む」ということは「疑問を束にして考える」から起き易いのです。 ですので「考える」…自分で思考することは、時間はかかっても必ず「答え」が出ます。 まずは頭の中の整理して ・疑問点のピックアップ をおこなうことです。 そしてそれらをひとつづつ解決していくうちには「新しいものの見方」も出来るようになっています。 「いや…待てよ?…これは…」と、思うときがそうです。 お友達の「悩んでないで行動しろ」は、一面では的を得ていますが、考え方如何では「暴挙」ともいえます。 素っ裸で北海道を歩くようなもんですね(笑)。 論理的な行動と、論理的な物事の解釈が「不遜の事態」を防ぎ、なおかつ「視野の拡大」も生んでくれるんです。 一石二鳥ですよ。 「ダメ出し」ではなくて「何故出し」を大事にしてくださいね。
今日は。 悩みっていくつか選択肢があって「どれを選択するか」でしょうか。 考えるっていうのはその選択肢自体を生み出すことでしょうか。 人生には限りがあって、考えるのには時間が必要です。 考え抜いて完璧な結論が出たのに、実行する時間が無くなってしまっては意味がありません。 私は覚悟がいる行動をするときは、どんな結果になっても諦めがつくものを選択しています。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど、時間がなくなっては元も子もありませんね。 まったく関係ないですが、三国志の諸葛孔明が劉備に仕えたときに、 孔明の師である司馬徽が 「ああ臥龍、その主を得たりと言えども惜しいかな、その時を得ず」と言っていました。 つまり満を持して行動を起こしたときには、既に劉備や孔明の年齢と境遇を考えると今からでは遅すぎだ、ということを嘆いたのでしょう。 実際どちらも夢半ばに病死してしまいます。 えっと、そんなエピソードを思い出させてくれてありがとうございました。 私も早めに結論を出して行動したいと思います。
- akamanbo
- ベストアンサー率17% (462/2680)
>そんな状況で、他の人が言うようにとりあえず行動を起こしたとして、 >取り返しのつかないような大失敗をしてしまったとしたら・・・ >将来私は、もうちょっと考えて行動すればよかった! と後悔するような気がするんです。 後悔ってのは先に立たないものなんですから、それこそ悩んでも仕方がないではありませんか。 別にいいじゃん、後悔したって。
お礼
回答ありがとうございます。 私の友達にも「後悔、後に立つ!」と力説している人がいました。 当時は単に言葉をもじってるだけだと馬鹿にしていたのですが、 いざ客観的に言われると、なるほどそういうことか!と思いました。 「後悔先に立たず」のまったく逆の教訓になるわけですね。
- clued
- ベストアンサー率38% (53/137)
持論ではありますが、 悩む→結果を探すふりをして、結果に至らない理由(言い訳)を並べている状態 考える→複数ある選択肢(可能性)のうち最も自分にいいだろう理由を比較する またはその選ぼうとする理由に更に付加価値になる情報を探して付加しようとする状態 私もそれなりに迷ったり悩んだりする場面はありましたが、 ある程度迷ったらさっさと付加価値探しに切り替えています。 付加価値とは、たとえば右の道か左の道どっちに行こうか迷っているとします。 どっちに行っても到着地は同じなんだけど、通り道にあるものが違います。 ・左にいけば遠回りだけども到着地にいる友人の好きなお菓子屋さんがあるのでお土産が買える。 ・右にいけばかなりの近道だけども道の舗装が悪く、しかも通行料が取られる。 適当に作った例ですがこの場合にどちらかを選ぶとき、どちらのほうが自分に徳があるかを考えますよね。 しかしどっちもどっちという時に、更にこのそれぞれの道にあるだろう利益を探します。 この利益は、その選択肢の反対側で得られる利益の代わりになりそうなものだったり、 状況には全く関係ないけども結果的に自分とっての利益だったり、とにかくそれを選んで納得できそうなことを探します。 これを続けていくと、両方の選択肢の間で揺らいでいた天秤が少しずつ傾くか、傾けられるだけのおもり(利益)を見つけられると思います。 この利益(付加価値)探しが私の"考える"方法です。 この利益はそれこそ気持ち程度のものでも、自分が納得さえすればいいのですから、屁理屈とかわりません。 でも状況が複雑であればあるほど、付加価値は重いものです。 選び難いものだからこそ、ふんぎりをつけるために探すものです。 どうせ完璧な答えを選べることなんてなかなかないのだから、屁理屈でもいいので先に進める価値を探したほうが合理的だと思います。 説明が上手くないので伝わったかどうかわかりませんが、参考までに^^
お礼
回答ありがとうございます。 おおおお「付加価値を探す」ですか! 目から鱗です。分かりやすい例えもありがとうございます。 具体的に一つずつ付加価値を挙げてみて、それを見比べてみようと思います。 これなら今すぐにでも出来そうです。ありがとうございました。
- reisha
- ベストアンサー率17% (20/112)
「悩む」というのは、結論が出せない状況で苦しむ。 「考える」というのは、筋道に沿って答えを出そうとする。 なので、結論を出す気がないままでいるなら、いつまでも「悩む」事になるでしょう。 「悩んでないで行動しろよ」というのは、「はやく結論を出せ」と言うことでしょう。 悩んでいる内にもどんどん月日は経ってしまいます。本来ならば達成できていたはずのことも、時期を逃して達成できなくなってしまうということもありますので。 ちなみに、私は「やるべきだ」とかは一切思っていませんので、悪しからず・・・
お礼
回答ありがとうございます。 なるほどそうですね。結論を出す気がないというか、 先延ばしにしたい心理があるのかもしれません。
- SAYKA
- ベストアンサー率34% (944/2776)
悩むというのは 選択肢(または類似)があってどちらにすべきかを「考える」行為じゃない? 選択する方法が無くて「悩む」とか言うけれど、それは結局、選択する方法を今のまま模索するか別の手段を執るべきか「選択」しなきゃならないかを考えているだけだろうね。 選択肢が現れてどうしようか ってなったらそれは「悩む」の状態になってる そこまで辿っている過程が「考える」 だと思うよ。
お礼
回答ありがとうございます。 ちょっと難しくてよく分かりません・・・。 選択肢がある状態は既に考え終わったということですか? これ以上考えることは愚問ということでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。具体的な例で分かりやすいです。 このように言われると、本当は考えてるつもりでも考えてなかったようです。 疑問点をピックアップですか、やってみます。 ありがとうございました。